レオスリックの強行軍
アーレリウムにいたレオスリックは悶々としながらウォーレンの帰還を待っていた。
昨晩から続く嵐のせいで気晴らしに外へ出て散歩することはできず、親しい友人は大方ウォーレンが連れて行ったせいで、話し相手もいない。
窓の外でゴロゴロと轟く雷を見て、ぽつりと呟く。
「このような日では人食いの怪物も現れまい」
ウォーレンはどうしているかなと思い、ふと腰の剣に目をやると、ホーリーブリンガーの柄頭に嵌め込まれた、神の聖を表わすダイヤの宝石がみるみる輝きを失い曇っていくではないか。
これはただならぬことだと思ったレオスリックは、ただちに占い師を呼んでホーリーブリンガーを見せると、何が起こっているのかを問いただした。
占い師は曇ったダイヤモンドを一目見た途端あっと叫んで、わなわなと手を震わせた。
「どうした。何を相たか申せ」
「ああ、レオスリックさま。ホーリーブリンガーのダイヤは永久なる神の聖を表わすもの。主のもたらす光が決して尽きぬのと同じく、それが曇るなど決して起こりえぬことでございます」
「現に曇っているではないか」
「ああ、主の聖が尽きぬとすれば、こうなる原因はただ一つ。ホーリーブリンガーの持ち主であるウォーレンさまに非常の事態が起こったのでしょう」
「ウォーレンが死んだと申すか!」
「いえ、いえ。ようくホーリーブリンガーをご覧ください。宝石の奥底に、まだ輝きの失っていない部分がありましょう。これはウォーレンさまがまだ生きている証拠。しかしそのお命もまもなく尽きようとしています」
「うう。やはり凶兆であったか!」
このことは他言無用ときつく念を押してから占い師を下がらせると、レオスリックは部屋の中に引きこもって頭を抱えた。
頭の中ではグルグルと思考が巡る。
ああ、己は一体どうしたらよい。
ウォーレンの危機ならば今すぐにでも馳せ参じたいところだが、この己は父と族長たちの前で護国の責を負うと誓った身だ。
そうである以上、このことを父に話してウォーレンの危機を伝えたとしても、父は己ではなく別の者を遣るだろう。
弁の立つウォーレンならば、上手く父や族長に道理を説いて言い包めるかも知れぬが、この己は口下手でとてもそんなことはできん。
いっそのことこのまま黙って城を出ようか。
いやいや、それもできぬ。この城に己より目立つ者はいない。
この己の長躯は戦では役立つが、こういうときにはいかにも不便。どれほど屈んで体を縮めても、皆が一目で己と分かる。
誰にも見咎められずに城を出るなど絶対に不可能だ。
レオスリックが困り果てたとき、思わぬ人物が彼の部屋のドアを叩いた。
「誰だ」
「私です、お兄さま」
そこにいたのは彼の妹であるエヴァンジェリンである。
「今は立て込んでいるから後にしろ」
レオスリックはぶっきらぼうに言ったが、エヴァンジェリンは頭を傾げてこういった。
「はあ。何が起こったのは分かっております。ウォーレンさまのお命が危ないのでしょう」
「どこで知った」
「占い師から」
「あのお喋りめ!」
「彼を責めないでください。私が無理を言って問い詰めたのです」
レオスリックの血気に逸る形相を前にしてもエヴァンジェリンは毅然としていた。
獅子の妹はやはり獅子。
しかしレオスリックが荒々しく君臨する雄獅子だとすれば、エヴァンジェリンは慈愛と思慮の深さをもって群れに尽くす雌の獅子であった。
父譲りの聡明さを宿す瞳でレオスリックを見つめると、そっと囁く。
「私に考えがあります。ランプを持って私の部屋にいらしてください。それくらいならできましょう」
「考えとは?」
「私の部屋には城の外へ続く抜け道があります。お父さまと私しか知らぬ道ゆえ、誰にも見咎められる恐れはありません」
「なんとそんなものが。しかし、己を手引きしたとあっては、何かあった時お前も責めを負うぞ」
「全て覚悟の上です。それでもウォーレンさまを助けられるのはきっとお兄さまだけでしょう」
「ふん。分かっているではないか。己の妹は馬鹿だが賢い」
レオスリックはそう言うとそっとエヴァンジェリンの後について彼女の部屋に向かった。
エヴァンジェリンは部屋に入ると鍵をかけ、そっと敷かれていた絨毯を撫でた。遠くイスファハーンより贈られた絹の絨毯である。
「それがどうした」
「この下に道があるのです」
そう言ってエヴァンジェリンは絹の絨毯をめくった。
一見石造りの床に変わりはないが、軽く叩いてみると音の違う場所がある。
目を凝らすとうっすらと細い溝のようなものがあった。
「引っぺがしてください。あまり音を立てず」
レオスリックは頷くと溝に剣を突き立てて梃子のように力を掛けた。石造りに見せかけた木蓋が持ち上がると、そこに手を挟めてさらに持ち上げる。
現れたのは地下へと続く階段だった。
「海のすぐ近くの洞窟まで続いています」
「おう。出てしまえばどうとでもなろう。そこからは己がなんとかする」
「それからこれをお持ちください」
エヴァンジェリンは透明な液体に満たされた小瓶を取り出して、レオスリックへ手渡した。
「ウォーレンさまのお命が危ないということは、剣ではどうにもならぬことが起きているかもしれません。これは私の作った薬です。これを飲めば弱った心臓を強くして、体に力を与えます」
「確かに受け取った。必ずウォーレンに届けてやろう」
「お兄さま」
ランプに火を灯し地下へ下りようとする兄に向ってエヴァンジェリンは深々と頭を下げた。
「何卒お気をつけて」
「心配するな。己は死なぬし、ウォーレンも婚約の相手を嫁ぐより早く寡婦にするような男ではない。お前は編み物でもして待っていろ」
レオスリックはランプの明かりを頼りに、地下へと下った。
しばらくすると階段が終わり、人の手で掘ったというよりも自然のままの地形を利用した隧道へと変わったが、レオスリックはなおも進んだ。
道は狭くて天井は低いためレオスリックは時々頭を打った。
だが、悪態をつきながらさらにずっと歩き続けると、やがてザーザーと雨の音が聞こえ始めた。
ついに向こう側に明かりが見えた時、レオスリックは一気に隧道を駆け抜けると、激しい波しぶきの立つ海岸に立っていた。
レオスリックは嵐にまみれてずぶ濡れになりながら目を凝らして船を探した。髪や服が濡れて体に張り付き、冷たい雨が体温を奪っていく。しかし船どころか人の気配すらない。
港からはずいぶん遠くに出たようだ。
だがそれも当然だろう、とレオスリックは思った。
自分の通ってきた抜け道は、城が落ちた際に逃げ延びる為のものだ。あえて人気のない場所へ続くように設計されている。
歯がゆい思いをしながら港まで戻ろうかと考えた時、レオスリックの眼に古びた船小屋飛び込んできた。その先には椿の葉ほどに小さな小舟が泊められている。
レオスリックは誰かいるかと叫びながら船小屋に駆けこんだが返事はない。
迷わずレオスリックは小舟へと飛び乗った。
嵐の海の前にはいかにも頼りのない舟であるが、他に方法はなかった。もはや一刻の猶予もない。
レオスリックはホーリーブリンガーを掲げ、海に向かって大声で吼えるように叫んだ。
「神よ! こんな嵐の日に船を出すとは、救いのない愚か者と嗤うがいい! しかしウォーレンを、あの素晴らしい男を救いたいと願うなら、この己をウォーレンの元へ遣わし給え! 言っておくが、奴を救えるのはこの己をおいて他におらぬぞ!」
叫び終わると、レオスリックは掲げたホーリーブリンガーを振り下ろし、舟を泊めていたロープを断ち切った。
こうして荒れ狂う海にただ一人、レオスリックは漕ぎだしたのである。
高波は容赦なく舟を襲い、レオスリックは何度も海に投げ出されそうになるのを堪えながら、渾身の力で櫂を漕いだ。
ややもすると雨と波が舟に溜まって沈みそうになるので、舟に入った水を懸命にかき出しでまた漕いだ。
風と波に弄ばれてもはやゼファードに向かっているのか、押し戻されているのか、そもそもどちらがゼファードでどちらがアーレリウムの方角かも分からなくなったが、それでもがむしゃらに舟を漕いだ。
やがて体の芯にまで雨の冷たさが染み入り、凍えるような寒さが襲ってきた。吐く息は白く、歯はガタガタと震え、冷気は櫂を握る腕から力を奪っていく。
雨をぬぐいながら周囲を見渡しても、ただ逆巻く海が見えるのみである。
海鳥が風に飛ばされ、魚が溺れる天候の中、彼はただ波に翻弄されていた。
いかにレオスリックが不撓不屈の男とて、終わりの見えぬ困難に諦めの心が忍び寄ってきた。
もしもこれが自分の利益の為の行為であったら、レオスリックはとうに投げ出していただろう。
しかし諦めの心に苛まれる度レオスリックは自らの腰に佩いたホーリーブリンガーを見た。その柄頭に嵌め込まれた曇ったダイヤを見ると、勇気と力が体に漲っていくのを感じた。
ああ、ウォーレンが己を待っているのだ。
今苦しんでいるのは己でなくウォーレンなのだ。
ならばどうして己が諦められようか。
そう自分に言い聞かせ、彼は夜を徹して舟を進めた。
レオスリックは暖かな光に照らされていることに気が付き、はっと目を開けた。
嵐の中夜通し舟を漕ぎ続けた彼は、いつの間にか櫂を握ったまま気絶していたらしい。
とすると、ここはあの世だろうか。
いや違う。東の空に昇るあれは太陽だ。
嵐はついに去り、レオスリックは生きて朝日を眺めていたのだ。
そうして降り注ぐ陽光の先の彼方に陸地が見えた。
終わりの見えぬ中でも舟を漕ぎ続けたレオスリックである。いかに彼方といえど、ゴールが見えるなら物の数ではない。
彼は一跨ぎに距離を縮めると、陸地に舟を寄せた。
ここはどこだ。
レオスリックは難しい顔をしながら上陸した。
海岸などどこも似たようなものなので、レオスリックの心に不安が生じていたのだ。
まさかあれだけ苦労しても一晩かけてグルグル回ってアーレリウムに押し戻されただけとあれば、流石に立ち直れそうにない。
しばらく海岸線に沿って歩いていくと、なんとも見目麗しい乙女が波打ち際に立っているではないか。
その美しい光景にレオスリックは一瞬我を忘れ、呆然と立ち尽くした。
セルキーと呼ばれるアザラシの妖は、時折動物の毛皮を脱いで、天女の如き乙女に変身するそうだが、レオスリックは自分が見た物は正にそれだと思った。
だがすぐに我に返ると、レオスリックは近寄って乙女に声をかけた。
「もし、そこのご貴人」
振り向いたその顔は淡く輝く月のよう。肌は雪のように白く。流れる髪は濡れているかのように艶めかしい。
しかし、今は乙女に見惚れて鼻の下を伸ばしている場合ではなかった。
「この己は昨晩の嵐に弄ばれて右も左も分からぬ有様なのだ。尋ねるが、ここはゼファード国だろうか、アーレリウム国だろうか?」
「ここはゼファード国です、お武家の方」
「ああ、よかった。本当によかった」
レオスリックは心の底から安堵した。
これでウォーレンを救う算段が付いたというもの。
しかしそんなレオスリックを見て、乙女は目を伏せて呟いた。
「何がよいものですか。あなたはこの国に何が起こっているか、ご存じないようですね。早々に立ち去った方が御身の為となりましょう」
「分かっているとも。グランヴェールなる怪物が現れて民草を脅かすのだろう? そうだ、数日前にアーレリウムから二十余名の戦士がやって来て、その悪魔と戦ったはずだ。それについては何か知っているだろうか?」
「存じております」
乙女は頷いた。
「一昨日の晩彼らはグランヴェールと戦い、これを撃退いたしました。しかし戦士たちの長であるウォーレンさまもまた、遁走したグランヴェールを追い、行方が分からなくなったのです。いまウォーレンさまの部下の方々や城の者たちが捜しているところ」
「おう。そうであったか」
合点がいったという風にレオスリックは頷いた。おおよその事態はこれで掴めた。
「とすれば、ひょっとしてあなたもウォーレンを捜しにここへ参ったのか?」
「いいえ」
乙女は海の方を向いて目から一筋の涙を漏らした。
そうしてその口からとめどなく悲しみの言葉が溢れた
「私は、私は、もう耐えられないのです。多くの者がグランヴェールの餌食となりました。名高いアーレリウムのウォーレンさますらも。それでもなお、グランヴェールは生きております。昨夜の嵐の中でグランヴェールの影を見、不気味な笑い声を聞いたものがおります。悪魔はきっと今夜再び現れましょう。ただただ戦士たちが果てていくのを目の当たりにしながら、自分が食らわれる日を待つなど辛抱なりません。この上は海に入って我が身の痕跡を波間に消そうかと思い、私はここにいるのです」
「なんと、それはいかぬ! それはいかぬぞ! ゆめ自害などなされるな!」
レオスリックは驚いて声を上げた。
「どうしてでございますか、お武家の方。あなた方とて命を投げ捨てて戦をなさいましょう。また、勝ち目のない悪魔と戦うこともありましょう。そうして命果てるのと、自ら命を絶つことにどれほどの違いがありましょうか」
「それは違う、全く違う!」
「何が違うのでございます?」
「アーレリウムの戦士ならその違いは自明のこと。この己とて、死を想えば体が震えて力が抜けていき、心はかき乱され正常な考えはできなくなる。だがそんなとき、我らは傍らの友を想う。ともに腕を磨き、心より信頼できる友のことを想う。すると死も怖くなくなる」
「なぜでございますか」
「それは例え己が戦場で果てても、きっと仇をとってくれると信じているからだ。己の為に命を懸けてくれる友のことを想えば、死など物の数ではない。また己も友が戦で斃れたら、必ずその仇を討つと決意している。ああ全く友とは良いものだ。共に居れば心楽しみ、死への恐れさえ薄らいでいく。我らは友の為ならばこそ死ねるのだ、そして死しても、我が志は友が継いでくれるだろう。だが自死はそうではない」
レオスリックは乙女の肩に手を置いて、訴えるように言った。
「美しい方よ、もしあなたが自ら命を絶ったなら、遺されたものは一体誰に仇討ちすればよいのか。心閉ざし口数少ないまま消えてしまっては、どうやってその志を継げばよいのか。己ならばどうすればよいのか分からなくなって、困ってしまう。だから自害は駄目なのだ」
レオスリックの語ったものは、アーレリウムの戦士の論理であり、必ずしも万人に当てはまるものとはいえなかった。
しかしレオスリックにとっては紛うことなき真実であった。
純粋で裏表のない、生のままの言葉であった。
それゆえ彼の言葉は凍てついていた乙女の心を打った。乙女が深く感じ入ったとき、彼女は初めて肩に置かれた手の力の大きさ、力強さに気が付いた。
なんと愚直で揺るぎない男だろうか。
乙女の中で、死にたいと思う気持ちよりも男への興味が勝った。
「お武家の方、あなたは猛る炎のようなお方ですね。あなたにそう言われると、この身を海に投げるのが酷く罪深い行為に思えてしまいます。もう少し生きてみようかとも」
「生きるべきだとも! それに、あなたはウォーレンが死んだと申されたが、ウォーレンはまだ死んでおらぬ。きっと生きているとも」
「なぜ分かるのですか」
「それはだな、何を隠そう己はウォーレンを救うため嵐の海を越えてきたからだ。考えてみるがよい、いかに己の力が強くても、ただ一人小舟に乗って大荒れの海を越えることなどできるはずがない。それができたということは、まさに奇跡という他ない。神が己にウォーレンを救えと申しておるのだ」
「それは夢のような話です。しかし私はあなたの言葉を信じたくなりました。今しばし生きましょうとも、強き方。それから行方までは分かりませぬが、ウォーレンさまは西の方角へ向かっていったと聞いております」
「おう。それは良いことを聞いた。では己もそちら向かってみることにする」
「もし」
レオスリックが立ち去ろうとすると乙女は今一度呼び止めた。
「お武家の方、お名前を聞いて宜しいですか」
「己はアーレリウムのレオスリックという者だ」
「レオスリックさま、それでは私も名乗りましょう」
「ああ、よいよい」
乙女が名名乗ろうとするのを、レオスリックは微笑みを浮かべて制止した
「これほど事情に通じているということは、あなたはいずれかの家中の高貴な方だろう。それだけ分かれば十分。万事が落着した暁にはきっと名を尋ねに参るゆえ、ここで名乗って己が再びあなたに会いに行く口実を奪わないでくれ」
いつになくレオスリックは穏やかにそういった。
獰猛な一角獣も乙女の前では心安らぐというが、獅子たるレオスリックもまた同じで、目の前の女と話していると自然と心が安らぎ、いつもの荒々しさが消えていくようだった。
あえて言葉交わさずとも、二人は互いの間に絆めいたものが生まれていたことが分かっていた。
女は生命を温める炎を、男は精神を安める泉を求めていたのである。
「では」
「ご武運を」
そう言って二人は別れ、レオスリックはウォーレンを追って、乙女に教えられた道を歩み始めた。




