グランヴェールの猛威
ゼファードの灯台守はアーレリウムからやって来る一艘の船を見つけると額に皴を寄せた。
さらに目を凝らすと、船の上には戦装束に身を包んだ二十余名の戦士がいる。
「グランヴェールだけで頭の痛いところに、さらに海賊どもが現れたか」
事情を知らぬ灯台守はそう嘆くと、鐘を打って異変を港に知らせたため、ウォーレンと二十名の戦士がゼファードの港に着いたとき、岸辺には警備の兵がずらりと並んでいた。
海賊襲来の報を受けたゼファードの警備隊長は、海からやって来た者たちの身なりがきちんとしていて、彼らの長らしき男の指示に従い整然と行動しているのを見て、すぐに彼らが粗野な海賊などではないと知った。
港に板べりをかけ、彼らがその上を渡って来ると、警備隊長は進み出て彼らが何者か問うた。
「待たられい! 海の向こうよりやって来た御身らは何者か? 見たところ海賊の類ではないようだが、理由もなく武具に身を包んだ者を町に入れるわけにもいかぬ」
するとウォーレンが進み出て、警備の長に一礼して答えた。
「物々しき姿にての参上、失礼致しました。私はウーゼルの子ウォーレン。アーレリウム国の将であり、先日貴国から逃れてきた者から貴国の窮状を知り、貴国を脅かす怪物を駆除する一助になればと参った次第」
「なに! ウーゼルの子ウォーレンと申されたか?」
「しかり」
「ああ今日はなんという日だ! 我が国を救うためウーゼル将軍の子が戻ってくるとは!」
警備長の思わぬ言葉に、ウォーレンは目を丸くした。
「貴殿は父を知っているのですか?」
「知るも、知らぬも。かつて私はウーゼル将軍の部下であったのだ。おぬしは覚えておらぬだろうが、おぬしにも会うたことがある。ああ懐かしき日々よ! グランヴェールめが現れて以来こんなに心躍った日はなかったぞ!」
警備長はウォーレンの手を握り深々と頭を下げた。
「ウーゼル将軍の子が武勲多き男に育ったことはゼファード国にも知られている。是非我らに城までの案内をさせてくれ。その間に早馬を出して宮廷にこのことを知らせ、陛下に取り次ごう」
「かたじけない申し出、痛み入る」
警備の者たちの案内でゼファード国の城へと向かう途中、ウォーレンと二十名の勇士は痛ましい災禍の片鱗を見た。
海に面した港の辺りは被害を免れていたが、城に近づくにつれて徐々にその全貌が明らかとなっていく。
崩された城壁は人夫に修復される気配もなく放置され、落ちた橋が川の流れを塞ぎ水を濁らせていた。
グランヴェールが押し入ったと見える建物の数々は半壊にされており、中を覗き込むまでもなく生々しい血痕が残っていることが分かる。
そして火災によって焼け落ちた家の壁には、持ち主だったであろう人々が力なく座り込んでいた。その目は虚ろで、もはや怪物に抵抗する気力もないようである。
ウォーレンは親指で目に溢れた涙を拭いた。ウォーレンが泣いているのではない。涙さえ枯れ果てた人々の涙が、ウォーレンを通して溢れたのだ。
こうしてウォーレンたちはゼファード国の城に入城すると、すぐに大広間に通されて、ルーシャス王と謁見する場が設けられた。
ウォーレンの見たところ、玉座に座るルーシャス王は心労の為か酷く弱っているように思えた。それはまた王の周囲を固める者たちも同じ。
ルーシャス王の隣には見目麗しき乙女が座っていたが、彼女もまた顔に生気がなく、いかにも儚げである。
それでもルーシャス王はウォーレンたちが現れると、かすれた声を響かせた。
「そちがウーゼルの子ウォーレンか。こうして見えることができて余は嬉しいぞ。このようなときでなかったらもっと良かったのだが」
「陛下のご心中、察するに余りあります」
「近う寄れ」
ルーシャス王に言われるがまま、ウォーレンは前に進み出た。
じっとウォーレンの顔を見つめた後で、ルーシャス王の顔にかすかに笑みが浮かんだ。
「時が経つのは早い。若い頃の父によう似ておるわ。今のおぬしと同じくらいの年頃におぬしの父は暇を告げた。幼いおぬしを連れてな。余を覚えておるか、ゼファードの都を覚えておるか?」
「私の心は白紙そのもの。確かな記憶は一つもありませぬ。しかし、この国の方々が父の名を呼ぶ度、私の中に流れる血は燃えるように熱くなります。壊された街を見ると自然と涙が溢れます。心は覚えておらずとも、体は覚えているのでしょう」
「そうだろうとも。おぬしはこの国で生まれたのだから」
ルーシャス王は大きく息を吐いて、玉座の背もたれに寄りかかりながら言った。
「だが悪いことは言わぬ、アーレリウム国へ戻れウォーレン。命を粗末にしてはいかぬ」
「お言葉ですが、私は戦士でありその役目は名誉にかけて戦うこと。戦士にとっては戦いこそが真っ当な命の使い方なのです。命を粗末にするなというならば、なおのことここでグランヴェールと戦うほかありません。どうか貴国の一助に加えてください」
「そう言われては返す言葉もない。よかろう、いや余からも頼もう。その方らの武勇を存分に発揮し、忌まわしきグランヴェールを討ち取って見せよ。見事仕遂げた暁には我が国がこれまで蓄えた宝の中でも最上のものを与えようでないか。その方さえよければ我が娘シルヴィアを嫁ってもよい」
「それはまことにありがたき申し出。しかし私は陛下が父にかけられたご恩をお返しに参ったのです。また私には既に婚約の約束を交わした女性がおりますゆえ、シルヴィア姫を娶ることはできません、どうかご容赦を。褒美は全て私ではなく私の後ろに控えている者たちにお与えください」
「欲のない男よ。そのように頑固なところも父譲りだ。ウーゼルが我が許を発つときも頑として節を曲げなかった。しかし今思えば何としてもおぬしら親子を留めておくべきだったわ。ウーゼルがおればかかる事態にはならなかったかも知れぬ」
ルーシャス王はちらりと天窓に目をやって、まだそこから陽の光が差し込んでいるのを確認した。
「相分かった、ウォーレンよ。おぬしがグランヴェールを斃してもおぬしが得るのは名誉だけだ。しかし、ならばせめて余の歓待を受けよ。夜の帳が下りてグランヴェールが姿を現すまで、まだしばし暇がある」
ルーシャス王はそのように言って、ウォーレンら二十余名の勇士に出せる限りの立派な料理を供した。
ウサギ肉にほうれん草、ナッツなどを加えたキッシュ、タラ、ムール貝、いか、赤エビその他港で揚がった魚介を煮込んだ湯気の立つ鍋、こんがりと焼かれた鴨、牛、そして子羊のステーキ。
さらにシルヴィア姫直々に蜂蜜酒を注いで回るもてなしに戦士たちは感激し、供された料理を残さず平らげた。
勇士はみなルーシャス王の歓迎で英気を養い、グランヴェールとの戦を前に限りなく高揚したが、中でもウォーレンにとってゼファード国の空気は深々と沁み入った。
ゼファード国の人々の話し方や仕草、舌で感じる野生肉の味、胃を満たす蜂蜜酒、吟遊詩人が奏でる竪琴の音、それら全てが彼の肉体を目覚めさせていくようだった。
やがて陽が傾き、西の空が朱色に染まるとウォーレンと二十名の勇士は意気揚々と出陣した。
陽が完全に落ちると、二十余名の勇士は町の中心にある広場で篝火を焚き、黒い猟犬を待ち構えた。
やがてどこぞより地獄の猟犬どもの唸り声が聞こえてくると、それを追うように地響きが轟く。
ついに暗闇の中より二つの首を持つ巨人、悪鬼の王グランヴェールとその僕である黒い猟犬どもが現れた。
「これは、これは」
二つの貌を持つグランヴェールは四つの眼で二十余名の勇士を見下ろすと、二つの口から下卑た笑いを洩らした。
「この国にまだこれだけの玩具が残っていたとは」
「今日も楽しめそうだな、哀れな短躯どもめ」
ウォーレンは嘲りを浮かべる巨人の前に悠々と進み出ると毅然として言った。
「生憎とそうはならぬ。お前の狼藉も今宵までだ。我はウーゼルの子ウォーレン! 父の名とこの身に流れるゼファードの血にかけて、悪の根を断つ! 抜刀!」
ウォーレンが腰からサックヴェルグを引き抜くと、二十名の戦士たちも一斉に剣を抜いた。
「ははは、我らと戦うつもりか」
「面白い余興だ」
「かかれっ!」
ウォーレンの号令の元、戦士たちは剣を突撃した。それに応じて黒い猟犬ども狂ったように吠えながらアーレリウムの戦士たちに突進し、二つの軍団は真正面から激突した。
着込んだ鎖帷子が返り血で真っ赤に染め上がるまで、二十余名の戦士は黒い猟犬の群れを斬って斬って斬りまくった。
しかし黒い猟犬どもは夜の闇そのものが実体化したかの如く、後から後から湧いてくる。
グランヴェールはニタニタと笑いながら戦いの推移を見ていたが、やがて戦士たちの息が上がってくるとついに動き出した。
「おう中々楽しませてくれる」
「だが苦しかろう。そろそろ楽にしてやる」
悪の首魁が動いたのを見てウォーレンが地を蹴って躍り出た。
グランヴェールは無造作に手を伸ばし、ウォーレンを取って食おうとした。その時ウォーレンの手の中にあるサックヴェルグが閃くと、グランヴェールがぎゃっと悲鳴を上げる。
自らの黒々とした血が噴き出す様をグランヴェールは呆然と見つめた。
「これはなんとしたことじゃ」
「天地の狭間で作られたいかなる武器を寄せ付けぬはずの、我が肉体を傷つけるその剣はなんぞや」
ウォーレンはサックヴェルグを高々と掲げた。篝火の揺らめく炎と、月光を受けてその刃は青く輝く。
「覚えたか! これぞサックヴェルグ、この世ならぬ鋼の剣にして、我が剣友の剣なり! 彼の体はここにあらねど、その魂はお前の首を狙っておるぞ!」
グランヴェールが怯んだとみて、ウォーレンは一気呵成に攻め立てた。
黒い猟犬が主を護ろうと飛び掛かったが、二十名の戦士が睨みを利かせ猟犬の行く手を阻むと、ウォーレンとグランヴェールは激しい一騎打ちとなった。
二人の目方は三十倍も違ったが、それでも押しているのはウォーレンの方であった。
彼はこれまで幾度となく戦場に身を投じ、その命を刃の前に晒していたのに対して、グランヴェールは初めて現れた自らを傷つける者に動揺し、及び腰となっていたからである。
二十合、三十合を撃ち合うにつれ、勝負の行方は次第にウォーレンの方へと傾いていった。ウォーレンが殆ど無傷なのに対し、グランヴェールは体に無数の斬り傷を作っていた。
「おお、なんと恐ろしき剣!」
「なんと恐ろしき戦士じゃ!」
グランヴェールは生を受けてから初めて恐怖した。
ウォーレン手強しとみた悪鬼の王は、ついに背を見せて逃げ出した。王が去ると、黒い猟犬たちも一斉に都の外へと逃れていく。
その姿を見た戦士たちは鬨の声を上げてウォーレンの勝利を称えた。しかし断固として悪の根を断つと誓っていたウォーレンは、勝利の余韻に浸ることなく馬に飛び乗ると、誰よりも早く逃げ去ったグランヴェールの行方を追った。
戦士たちが慌ててついて行こうとしたときには、もうウォーレンは夜闇の中に消えてしまっていた。
暗闇の中ウォーレンはただ一人グランヴェールを追った。やがてその姿が完全に視界から消えると、道に残された血の跡を辿ってさらに追った。
しかしそれも途絶え、気が付いた時には彼は都から何里も離れた山あいの道にいた。
これでは仕様がない、と来た道を引き返そうとしたとき、ガラガラと音を立てて頭上から巨大な岩が次々と落ちてくるではないか。
はっとして見上げると、山腹にグランヴェールが陣取り、こちらめがけて岩を投げつけているのである。
騎っていた馬が驚いて、嘶きながら後ろ脚で立ち上がり、ウォーレンは振り落とされそうになるのをやっとのことで堪えた。
何とか馬を宥めようとした瞬間、馬の頭に二抱え程もある大岩がぶつかり、騎っていた馬もろともウォーレンは急峻な斜面へと放り出された。
グランヴェールはさらに追い打ちをかけるように、ほぼ崖ともいえる山坂を滑り落ちていくウォーレンに向かって巨岩をいくつも投げ落とした。
「小癪な小僧め! 思い知ったか!」
「ウォーレンは死んだ! ウォーレンは死んだ!」
「はははは!」
「ははははは!」
「はーっはっはっはっは!」
グランヴェールは二つの大口を開けていつまでも笑い続けた。
怪物の不気味な哄笑は山中に響き渡り、やがてそれが渦巻き、風を巻き起こし、寄り集まった雲が月の光を遮ってその中を稲光が走ると、雨が地を叩く。ついにそれは巨大な嵐へとなって二つの王国を覆うほどまでに膨れ上がった。




