おかえりなさい
それから。
俺たちはどうにか全員で、筒状の滑り台から脱出することに成功した。
異世界から帰ってくるより、大変だった気がする。
悠真先輩は、眠ったままの少女と少年を両腕に抱えていた。
先に滑り台の外へ出た残りの二人は、柔らかなマットの上で寄り添うように座っている。
女の子が、辺りを見回した。
「ここ……ショッピングモール?」
「そうだよ」
一ノ瀬が、二人の前へしゃがむ。
「翠明ショッピングプラザ。君たちがいなくなった場所だ」
女の子は、すぐには信じられないようだった。
色とりどりのマット。
ボールプール。
網を張り巡らせた遊具。
何度も周囲を見回してから、恐る恐る窓へ目を向ける。
そこから差し込んでいるのは、赤い月の光ではない。
夏の強い日差しだった。
「本当に、帰ってきたの……?」
「うん」
一ノ瀬が頷く。
「もう、あそこに戻らなくていい。すぐに家族にも会えるよ」
女の子の目から、大粒の涙が零れ落ちた。
隣にいた男の子も、堪えていたものが溢れ出したように泣き始める。
「お母さんに会える……?」
「会えるよ」
一ノ瀬は、迷わず答えた。
「絶対に会えるから」
俺はポケットから携帯を取り出した。
画面に表示されていた時刻は、午後三時十八分。
ドリームランドは時間の進みが早かったが、こちらでは数時間しか経っていないらしい。
同時に、画面を埋め尽くすように通知が表示された。
着信。
メッセージ。
また着信。
ほとんどが会長からだった。
最後のメッセージが届いたのは、ほんの数分前。
『楓くん、無事なん? 返事して』
「……絶対に怒られるな」
俺が呟くと、一ノ瀬がこちらを振り返った。
それから立ち上がり、俺と悠真先輩の前へ来る。
「悠真さん、鳴箕君」
いつになく真剣な顔をしていた。
「あの時、あとから追いかけてきてくれて、ありがとう」
一ノ瀬が、俺たちを交互に見る。
「俺一人だったら、子どもたちを見つけても助け出せなかった。たぶん、あの世界から帰ってくることもできなかったと思う」
「それは、こっちの台詞だよ」
俺は携帯をポケットへ戻した。
「一ノ瀬が裂け目を見つけなかったら、俺たちは今もモールの中を歩き回ってた。それに、最後に裂け目を開いたのも一ノ瀬だろ」
無鉄砲なのは、間違いない。
ただ――。
その行動力がなければ、間に合わなかった可能性もある。
「それに――」
俺は、一ノ瀬へ右手を差し出した。
「楓でいい」
一ノ瀬が、少し驚いたように俺の手を見る。
やがて、その顔に笑みが浮かんだ。
「じゃあ、俺も円でいいよ」
円も右手を伸ばす。
俺たちは、がっちりと右手を組んだ。
「分かった、円」
短く言葉を交わし、手を離す。
その隣で、悠真先輩が何か言いたそうに俺たちを見ていた。
「あの……僕も……」
わずかに両腕を動かそうとして、途中で止まる。
右腕には、眠っている少女。
左腕には、同じように眠る少年。
どう考えても、手は空いていない。
「悠真先輩は、そのままでいいです」
「二人を落としたら大変ですからね」
円の言葉に、悠真先輩が少しだけ残念そうな顔をする。
「でも、悠真さんがいなかったら、本当に助けられませんでした」
「悠真先輩と大聖が、一番身体を張ってましたからね」
「そ、そうかな……」
悠真先輩は照れたように笑った。
それから、腕の中で眠る二人へ視線を落とす。
「でも、本当によかった」
その声を聞きながら、俺は改めて周囲を見回した。
明るい日差し。
遠くから聞こえてくる、買い物客の話し声。
遊び場に流れる、聞き慣れた音楽。
そのとき、遊び場の外から慌ただしい足音が近づいてきた。
「ゆうくん! 楓くん!」
聞き慣れた声に振り返る。
息を切らした会長が、こちらへ駆けてきていた。
長い黒髪を揺らし、遊び場へ入ってくる。
いつも穏やかに閉じられている目は、そのままだ。
けれど、表情からは明らかに余裕がなくなっていた。
「会長……」
会長は、俺たちの前で足を止めた。
悠真先輩。
俺。
円。
それから、助け出した四人の子どもたち。
全員の姿を確かめるように、顔を順番に向けていく。
「三人とも、怪我は?」
「僕たちは大丈夫です」
悠真先輩が答える。
会長の肩から、わずかに力が抜けた。
「よかった……」
安堵したように息を吐く。
けれど、それも一瞬だった。
会長は再び顔を上げると、俺と悠真先輩へ向き直った。
「二人とも!」
鋭い声が飛んでくる。
「裂け目を見つけても、勝手に入ったらあかんって分かるやろ!」
「ご、ごめんなさい……」
悠真先輩が大きな身体を縮める。
「一応、入る前に連絡はしましたけど」
「送った直後に入っとるやん! 返事を待たんかったら、連絡したことにならへんよ!」
うーん……。
あれは許可を求めるためではなく、居場所を知らせるための連絡だ。
それに、円が裂け目の向こうに城を見ていたので、人間が生きられない環境ではないとも推測していた。
――などと反論すれば長くなる。
心配させたのは事実なので、すべて飲み込むことにした。
「円くんも」
「はい……」
「子どもたちを助けたい気持ちは分かるけど、一人で異世界へ飛び込むなんて、危ないことしたらあかんよ」
「……ごめんなさい」
円も素直に頭を下げた。
会長は腰へ両手を当て、深く息を吐く。
まだ言いたいことはありそうだった。
けれど、寄り添うように座っている二人と、悠真先輩の腕の中で眠る二人へ顔を向ける。
その表情が、少しずつ和らいでいった。
「ほんまに……無事でよかった」
会長が、悠真先輩の肩へそっと手を置く。
「ゆうくん、よう頑張ったね」
「ぼ、僕は、大聖に助けてもらってばかりで……」
「そんなことないよ。ゆうくんがおらんかったら、この子らを全員連れて帰ってくるんは無理やったやろ?」
それから、俺の肩にも手を置いた。
「楓くんも、よう頑張ったね」
「まあ……できることをしただけです」
「また、そんなこと言うて」
会長が困ったように笑う。
最後に、円へ顔を向けた。
「それから、円くんも」
「俺も?」
「裂け目を見つけて、この子らを連れて帰ってきてくれたんやろ?」
会長は穏やかに微笑んだ。
「三人とも、ほんまによく頑張ったね」
それから、心の底から安堵したように微笑む。
「――おかえりなさい」
その言葉を聞いて、ようやく本当に帰ってこられた気がした。
そのとき、遊び場の外が騒がしくなった。
何人もの足音が近づいてくる。
最初に入ってきたのは、さっき円が110番していた警察官二人だった。
その後ろには、救急隊員とモールの従業員もいる。
「いました!」
従業員が、マットの上に座っている子どもたちを指差した。
警察官が駆け寄り、二人の前へしゃがむ。
「もう大丈夫だからね」
優しく声をかけながら、手元の資料と二人の顔を見比べていく。
やがて、警察官の一人が大きく頷いた。
「行方不明届が出されている二名で間違いありません」
無事に家族のもとへ帰れる。
そう思った直後。
警察官が、俺たちへ顔を向けた。
「ほかのお子さんは、どこにいますか?」
「え?」
悠真先輩が、戸惑った声を漏らす。
「どこって……」
自分の両腕へ目を落とした。
右腕には、執事服を着た少女。
左腕には、同じ格好をした少年。
「ここにいます」
悠真先輩が、二人を抱え直した。
「この二人も、行方不明になっていた子たちです」
警察官が、怪訝そうに悠真先輩を見る。
それから、その両腕へ視線を落とした。
けれど。
少女にも、少年にも目を止めない。
何もない空間を見るように、視線がそのまま通り過ぎていった。
「……二人?」
「はい。この女の子と、男の子です」
悠真先輩が答える。
警察官の眉間に、深い皺が寄った。
「すみません。どなたのことでしょうか」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「何を言って――」
俺が口を開こうとしたとき、円が息を呑んだ。
その顔から、先ほどまでの安堵が消えている。
「まさか……」
「円?」
円は、悠真先輩の腕の中で眠る二人を見つめていた。
ゆっくりと口を開く。
「異客や異世界人は、こっちの世界では、能力者にしか見えない」
警察官たちは、円の言葉の意味が分からないようだった。
けれど、俺には分かった。
円の視線が、二人の執事服へ向けられる。
「この二人は、完全に教育を受けてた。バクたちにも、ドリームランドの住人として扱われてた」
声が、わずかに震えていた。
「もしかしたら……もう半分、向こうの世界の住人になりかけてるのかもしれない」
その言葉に、悠真先輩が二人を抱く腕へ力を込めた。
「そんな……」
助け出したはずだった。
次元の裂け目を越えて、現実の世界まで連れ戻した。
それなのに、この二人は警察官から認識されていない。
会長が、眠る少女の頬へそっと触れた。
それから、少年の顔を覗き込む。
能力者である会長には、二人の姿が見えている。
「……円くんの言うとおりかもしれへん」
会長の声から、いつもの柔らかさが消えていた。
「この二人は、このまま家へ帰すわけにはいかへんね」
「でも、ご家族が待ってるんですよね?」
悠真先輩が、不安そうに尋ねる。
「帰さんとは言うてへんよ」
会長は、悠真先輩を安心させるように微笑んだ。
「ちゃんと家へ帰すために、まずはこの子らを元へ戻さなあかん」
バックから、携帯を取り出す。
「特異事象対策室へ連絡する。この二人は、いったん対策室の施設で保護してもらおう」
「元に戻れるんですか?」
円が尋ねる。
会長は、すぐには答えなかった。
眠っている二人を見つめる。
赤かった瞳は、今は固く閉じられていた。
顔に貼りついていた笑顔も、もう残っていない。
会長が静かに言う。
「時間はかかるかもしれへん。でも、ご家族に会わせて、元の生活を思い出させてあげれば、きっと戻ってこられる」
そう言ってから、携帯を耳へ当てた。
少し離れた場所では、警察官と救急隊員が、保護された二人と話している。
その誰も、悠真先輩が抱えている少女と少年には気づかない。
すぐそばにいるのに。
手を伸ばせば、触れられる場所にいるのに。
四人全員を、ドリームランドから連れ戻した。
けれど、この二人はまだ、本当の意味では帰ってきていないのかもしれない。




