閉園時間
虚。
やはり、こいつがドリームランドの支配人らしい。
「ここに、子どもたちが来てないか?」
俺が尋ねると、虚は白い仮面をこちらへ向けた。
「子どもたち、ですか?」
心当たりがないとでも言うように、仮面をわずかに傾ける。
「さて。何のことか、私には分かりかねます」
「この世界へ通じる裂け目の近くで、子どもが立て続けに行方不明になってる」
「それは、まことに嘆かわしいことです」
声にも、仕草にも、動揺はない。
本当に知らないのか。
それとも、知らないふりをしているだけなのか。
仮面に刻まれた笑顔からは、何も読み取れなかった。
「……知らないって言うのか?」
「ええ。できることなら、私も捜索に力をお貸ししたいところですが――」
虚が、俺たちから顔を背けた。
その先には、玉座の間に設けられた大時計がある。
長針は真上を、短針は十を指していた。
「もう、十時……?」
一ノ瀬が驚いたように呟く。
「私も少々、忙しい身でして」
虚がそう告げた直後。
――ゴォン。
重い鐘の音が、玉座の間へ鳴り響いた。
壁一面を占める巨大な窓が、わずかに震える。
続けて、二度目の鐘が鳴った。
――ゴォン。
鐘が鳴り響く中、白い月の端から、滲むように赤色が広がっていく。
それに合わせ、窓から差し込む月光にも、少しずつ赤みが混じり始めた。
「月が……」
悠真先輩が、玉座の向こうを見上げる。
鐘は、まだ鳴り続けている。
その音が響くたび、月の赤は濃さを増していった。
白い柱が、淡い赤に染まる。
金色の玉座にも、不気味な赤い光が差す。
床へ伸びた俺たちの影も、次第に深い色へ変わっていく。
やがて、最後の鐘が鳴った。
長い余韻が、ゆっくりと消えていく。
その頃には、巨大な月は完全な真紅へ染まっていた。
窓から降り注ぐ赤い月光が、玉座の間を血のような色で照らしている。
白い柱。
金色の玉座。
床に敷かれた赤絨毯。
そして、玉座の前に立つ虚。
すべてが、真紅の光に包まれていた。
天井近くに設置されたスピーカーから、明るい音楽が流れ始める。
続いて、柔らかな女性の声が響いた。
『本日も、ドリームランドへお越しいただき、ありがとうございました』
『ただいまをもちまして、当園は閉園いたします』
音楽が止まった。
一瞬の静寂。
直後、スピーカーから激しい雑音が走る。
――ザザッ。
『閉園時間になりました』
先ほどまでの柔らかさが消えた、平坦な声。
『閉園時間になりました』
同じ言葉が、同じ調子で繰り返される。
『閉園時間になりました』
『閉園時間になりました』
声は途切れない。
玉座の間だけではなかった。
閉ざされた扉の向こう。
城のあちこちに設置されたスピーカーから、同じアナウンスが幾重にも重なって聞こえてくる。
その声を浴びながら、虚は赤い月を背にして佇んでいた。
「どうやら、閉園のお時間です」
仮面に刻まれた笑顔をこちらへ向け、胸へ片手を添える。
「私は、これで失礼いたします」
優雅な仕草で腰を折り、深く一礼した。
「皆様。本日はドリームランドへご来園いただき、誠にありがとうございました」
それから、ゆっくりと顔を上げる。
「どうぞ、気をつけてお帰りください」
その言葉が響いた直後。
「ぎ……」
背後から、低い声が聞こえた。
振り返る。
玉座の間の入口に立っていた、執事姿のバク。
その首が、不自然な角度へ傾いている。
「ぎぎ……」
一体だけじゃない。
白い柱の前。
壁際。
大扉の左右。
玉座の間にいた六体のバクが、喉の奥から同じ声を漏らしていた。
「ぎぎぎぎ……」
大きな瞳から、ゆっくりと焦点が失われていく。
次の瞬間。
その両目が、赤く染まった。
「何だ……?」
一ノ瀬が身構える。
バクたちの身体が、小刻みに震え始めた。
黒い執事服の下で、腕や胸の筋肉が不自然なほど膨れ上がっていく。
縫い目が引き伸ばされ、両袖が大きく裂けた。
可愛らしかった丸い身体が、見る間に俺たちよりも大きくなっていく。
それでも、顔に浮かぶ笑顔だけは変わらない。
「閉園時間になりました」
一体のバクが、平坦な声で告げた。
その直後。
床を蹴り、俺たちへ飛びかかってきた。
「来るぞ!」
バクが、大きく膨れ上がった右腕を振るう。
一ノ瀬が前へ出た。
足元に薄い青色の召喚陣が広がり、その手へ刀が現れる。
振り下ろされた拳を横へかわし、刀身を返した。
刃ではなく、峰がバクの脇腹を捉える。
鈍い音が響いた。
バクの身体が大きく傾く。
「こいつら、操られてるのかもしれない!」
一ノ瀬が叫ぶ。
「分かってる。殺さないようにすればいいんだろ」
左右から、二体のバクが迫る。
俺は白い召喚陣を展開した。
噴き出した風を背中へ受け、正面の一体へ向かって加速する。
バクが両腕を広げ、俺を捕まえようとした。
その直前で身体を沈める。
太い腕の下をくぐり抜け、地面を蹴った。
風の勢いを乗せた蹴りを、その胸元へ叩き込む。
バクの身体が後ろへ仰け反る。
さらに突風を正面から浴びせ、床の上を転がした。
もう一体が、倒れた仲間を乗り越えてくる。
けれど、その進路には悠真先輩が立っていた。
「ご、ごめん!」
悠真先輩が腰を落とす。
バクの拳を左腕で受け止め、右の拳をその腹へ打ち込んだ。
――ドンッ!
重い音が響いた。
悠真先輩は、明らかに力を加減していた。
それでもバクの巨体は床から浮き、そのまま数メートル後方へ飛ばされた。
悠真先輩が、申し訳なさそうに倒れたバクを見る。
「だ、大丈夫かな……」
「今は次を見てください!」
残る三体が迫っている。
一ノ瀬が一体目の拳をかわし、その膝の裏へ刀の峰を叩き込んだ。
体勢を崩した肩へ、返す刀でもう一撃。
峰打ちを受けたバクが、その場へ倒れる。
残る二体へ向かって、俺は両手を広げた。
足元の召喚陣が、強い光を放つ。
正面から突風を叩きつけた。
「ぎぎっ――!」
二体の身体が宙へ浮く。
そのまま白い柱へ激突し、床へ崩れ落ちた。
静かになった玉座の間へ、閉園を告げるアナウンスだけが流れ続けている。
『閉園時間になりました』
『閉園時間になりました』
『閉園時間になりました』
倒れたバクたちは動かない。
けれど、胸はわずかに上下していた。
赤く染まっていた瞳も、いつの間にか元の色へ戻っている。
「生きてる……」
悠真先輩が、ほっと息を吐く。
そのとき。
「虚は!?」
一ノ瀬の声に、俺たちは玉座の前を振り返った。
誰もいない。
ついさっきまで、赤い月を背にして立っていたはずの男が、忽然と姿を消していた。
「消えた……?」
悠真先輩が、辺りを見回す。
玉座の後ろにあるのは、壁一面を占める巨大な窓だけ。
左右に並ぶ柱の陰にも、身を隠せるような場所はない。
何より、俺たちがバクと戦っていたのは、ほんの数十秒だ。
大扉は一度も開いていない。
足音すら聞こえなかった。
それなのに、虚の姿はどこにもない。
一ノ瀬が、虚の立っていた場所へ近づく。
床にも、その周囲にも、何の痕跡も残されていなかった。
「どうやって……」
一ノ瀬の呟きが、赤く染まった玉座の間へ響く。
俺は、誰もいなくなった玉座の前を睨んだ。
「あいつ……何者なんだ」
考えても、答えは出ない。
閉園を告げるアナウンスは、今も城中へ流れ続けている。
『閉園時間になりました』
『閉園時間になりました』
ここへ来た目的は、虚の正体を調べることじゃない。
「子どもたちを探そう」
一ノ瀬が、閉ざされた大扉へ顔を向けた。
「虚が知らないって言ったのは、たぶん嘘だ。この城のどこかにいると思う」
「僕も、そう思う」
悠真先輩が頷く。
俺は床へ倒れているバクたちを見た。
今は気を失っているけれど、いつ目を覚ますか分からない。
「急ぎましょう」
俺たちは玉座の間を横切り、入口の大扉へ向かった。
一ノ瀬と悠真先輩が、左右の取っ手へ手をかける。
「開けますよ」
「うん」
二人が扉を押した。
重い音を立て、大扉がゆっくりと開いていく。
その先に広がる大広間は、来たときとはまるで違っていた。
天井から下がる巨大な照明は、すべて消えている。
壁に設置された小さな明かりだけが、赤い光を放っていた。
左右に並ぶ白い柱。
床を覆う赤絨毯。
その上に、何十体ものバクが立っている。
すべて、執事姿だった。
そして、その目は真っ赤に染まっていた。
一ノ瀬が刀を構える。
悠真先輩も、俺たちを守るように前へ出た。
けれど、バクたちは襲ってこなかった。
大広間の左右へ整然と分かれ、城の出口まで続く一本の道を作っている。
俺たちへ向けられた顔には、昼間と変わらない満面の笑みが浮かんでいた。
「お帰りの時間です」
一体のバクが、明るい声で告げる。
「閉園時間になりました」
別のバクが続けた。
「速やかに、園外へお帰りください」
「園外?」
俺はバクへ尋ねた。
「どこから帰ればいい?」
「速やかに、園外へお帰りください」
返ってきたのは、まったく同じ言葉だった。
「だから、その園外がどこにあるのか聞いてるんだけど」
バクは笑顔のまま、わずかに首を傾げる。
「閉園時間になりました」
「速やかに、園外へお帰りください」
会話になっていない。
この世界に来てから、俺たちは遊園地の外を一度も見ていない。
どれだけ歩いても、周囲に広がっているのはアトラクションや建物ばかり。
そして、俺たちが通ってきた次元の裂け目は、すでに空中へ残る細い傷ほどの大きさになっている。
外へ通じる出口なんて、どこにもない。
それなのに、帰れと言っている。
「帰れない客は、どうなるの?」
一ノ瀬が尋ねる。
バクたちの笑顔は変わらない。
「閉園時間になりました」
「速やかに、園外へお帰りください」
同じ言葉だけが、大広間へ繰り返し響く。
そのとき。
バクたちの列から、二つの小さな影が歩み出た。
バクじゃない。
人間の子どもだった。
一人は、中学生くらいの少女。
もう一人は、まだ小学生と思われる少年。
二人とも、身体に合った小さな執事服を着ている。
その瞳は、周囲のバクと同じ赤色に染まっている。
そして、二人の口元には、まったく同じ形の笑顔が浮かんでいた。
昼間、俺たちを出迎えたバクたちと同じ笑顔だった。
「お帰りですか、お客様」




