虚
巨大な兵隊人形が、俺たちへ向かって剣を振り下ろそうとする。
「危ない!」
悠真先輩の赤い髪が、根元から逆立っていく。
その足元へ、赤褐色の召喚陣が広がった。
光の中から、巨大な両腕が突き出す。
続いて、雲をかたどった金色の冠飾り。
赤褐色の体毛に覆われた、四メートル近い大猿が召喚陣からせり上がった。
「大聖!」
大聖が俺たちの前へ飛び出す。
振り下ろされた剣を、両手で受け止めた。
轟音が響いた。
巨大な剣と大聖の手がぶつかり、辺りへ衝撃が広がる。
大聖の両足が床へ沈んだ。
兵隊人形は、大聖よりもさらに大きい。
全身を使って剣を押し込み、大聖の身体を少しずつ後退させていく。
「悠真先輩!」
「大丈夫!」
悠真先輩は退かなかった。
両手を強く握り、大聖の背中を見つめている。
「大聖なら、止められる!」
大聖が咆哮を上げた。
両腕の筋肉が大きく膨れ上がる。
押し込まれていた刃が止まった。
そこから、少しずつ押し返していく。
誰かを守る時の悠真先輩は、本当に強い。
兵隊人形の剣が、大きく上へ弾かれた。
大聖は前へ踏み込み、その巨体を兵隊人形へぶつける。
二体の巨大な身体が激突し、子ども部屋全体が揺れた。
ーーキリキリキリ。
ゼンマイ仕掛けの恐竜が動いた。
大きく口を開き、一ノ瀬へ向かって突進する。
天井近くでは、玩具の飛行機が吊り下げられていた紐を引きちぎった。
プロペラを高速で回転させ、急降下してくる。
「一ノ瀬、恐竜を頼む!」
「分かった!」
一ノ瀬の足元へ、薄い青色の召喚陣が広がる。
光の中から現れた刀を掴み、恐竜へ向かって走り出した。
「悠真先輩は、そのままを兵隊人形を!」
「楓君は?」
「俺は上をどうにかします」
白い召喚陣を展開する。
噴き出した風が身体を押し上げ、俺は近くの積み木へ飛び乗った。
玩具の飛行機が、こちらへ機首を向ける。
両翼の下から、小さな弾丸が一斉に放たれた。
玩具と呼ぶには、弾の数が多すぎる。
俺は積み木を蹴った。
風が身体を横へさらい、弾丸の雨から逃れる。
積み木へ次々と穴が開き、木片が弾け飛んだ。
本気で当てるつもりだ。
遊びなんかじゃない。
飛行機が上昇し、大きく旋回する。
もう一度、こちらへ向かって降下してきた。
腰からナイフを抜く。
風をまとわせ、正面から投げた。
ナイフは飛行機へ向かって飛ぶ。
けれど、直前で機体が傾き、刃をかわした。
そのまま俺の頭上を通過する。
「まだだ」
飛行機の後方へ抜けたナイフを、風で押す。
失速しかけていた刃が、空中で軌道を変えた。
大きく弧を描き、飛行機の背後から追いついていく。
ナイフが、回転するプロペラの根元へ突き刺さった。
甲高い音が響く。
プロペラが歪み、回転を止めた。
飛行機は機体を大きく傾け、そのまま床へ墜落する。
派手な音を立て、色鮮やかな部品が辺りへ散らばった。
床へ着地し、一ノ瀬へ目を向ける。
恐竜の牙が、その頭上へ迫っていた。
一ノ瀬は身体を低くし、巨大な顎の下へ滑り込む。
すれ違いざま、恐竜の脚へ刀を振り抜いた。
硬い音が響く。
刃は、表面へ浅い傷をつけただけだった。
「硬い……!」
恐竜が方向を変える。
背中の巨大なゼンマイが、勢いよく回転していた。
一ノ瀬はその動きを見て、恐竜の側面へ回り込む。
振り下ろされた尻尾を飛び越え、背中へ駆け上がった。
ゼンマイの根元へ、刀を突き立てる。
一撃目では、壊れない。
刀を引き抜き、もう一度振り下ろした。
根元の歯車が砕け、巨大なゼンマイが背中から外れる。
床へ落ちたゼンマイが、何度も跳ねながら転がっていった。
恐竜の動きが止まる。
赤く光っていた両目が消え、その巨体が床へ崩れ落ちた。
「一ノ瀬、後ろ!」
俺が叫ぶ。
熊のぬいぐるみが、左右へ裂けた口の中から鋭い歯を剥き出しにして、一ノ瀬へ飛びかかっていた。
巨大な前脚が、その身体へ振り下ろされる。
その直前。
悠真先輩が、横からその間に入った。
「悠真先輩!」
振り下ろされた前脚を、悠真先輩が両腕で受け止めた。
鈍い音が響く。
その足元に、亀裂が走った。
「ぐっ……!」
両腕が震えている。
それでも、悠真先輩は倒れなかった。
熊の巨体を、正面から受け止めている。
「おおおおっ!」
悠真先輩が声を上げ、その前脚を押し返した。
熊の上体が、大きく後ろへ仰け反る。
熊が再び襲いかかろうとする。
その横から、一ノ瀬が踏み込んだ。
ぬいぐるみの脇腹へ刀を走らせる。
腹が裂け中に詰まっていた綿が一気に噴き出した。
熊の身体が傾く。
悠真先輩が、熊の懐へ踏み込んだ。
両腕をその巨体へ回し、深く腰を落とす。
「せええええいっ!」
熊のぬいぐるみが、宙へ浮いた。
そのまま身体をひねり、背中から床へ叩きつける。
大量の綿が舞い上がり、視界が白く染まった。
熊は何度か手足を動かしたあと、完全に動きを止めた。
一ノ瀬が、悠真先輩を頭を下げた。
「ありがとうございました! あの攻撃を生身で受け止めるなんて、すごいです」
「い、今のは、その……必死だったから」
――ドンッ!
部屋の奥から、激しい音が響いた。
まだ兵隊人形が残っている。
俺たちが振り返ると、兵隊人形は片膝を床についていた。
手にしていた玩具の剣は、すでに根元から折れている。
折れた刀身が、少し離れた床へ突き刺さっていた。
そして、大聖の拳が兵隊人形の硬い外殻を砕き、その胴体へ深くめり込んでいる。
内部から歯車の砕ける音が響き、兵隊人形の四肢から力が抜けた。
大聖は拳を引き抜くと、前へ崩れてきた巨体を受け止め、その胴体の下へ両腕を回した。
深く腰を落とす。
全身の筋肉が、大きく膨れ上がった。
大聖が咆哮とともに立ち上がる。
五メートル近い兵隊人形の巨体が持ち上がり、その両脚が床から離れた。
「えっ……」
一ノ瀬が、驚いたように見上げる。
大聖は兵隊人形を頭上まで持ち上げ、そのまま身体を大きくひねった。
部屋の中央に置かれた、家ほどもある玩具箱。
そこへ向かって、兵隊人形を投げ飛ばす。
巨大な身体が宙を舞った。
兵隊人形は背中から玩具箱へ激突する。
派手な音を立てて箱の側面が砕け、色とりどりの玩具が辺りへ飛び散った。
兵隊人形の両目から、赤い光が消える。
床へ投げ出された腕が、完全に動きを止めた。
同時に、部屋中から聞こえていた歯車の音も消えた。
静寂が訪れる。
「……終わった?」
悠真先輩が、恐る恐る尋ねる。
「たぶん」
周囲を見回す。
墜落した飛行機。
ゼンマイを失った恐竜。
綿をまき散らして倒れている熊。
そして、壊れた玩具箱へ身体を沈めた兵隊人形。
動いているものは、もう何もいない。
大聖が悠真先輩のもとへ戻ってくる。
「ありがとう、大聖」
悠真先輩が見上げると、大聖は低く喉を鳴らした。
その巨体が赤褐色の光の粒子へ変わり、少しずつ消えていく。
それに合わせるように、悠真先輩の逆立っていた髪も元へ戻っていった。
「悠真さんも、大聖も、すごかったです!」
一ノ瀬が興奮した様子で言う。
「悠真さん、本当強いんですね」
「そ、そんなことないよ。僕は、ほとんど何も……」
「生身で、あんな大きな熊を投げてたじゃないですか」
悠真先輩は、言葉に詰まった。
「……必死だったから」
さっきと同じ答えだ。
一ノ瀬が笑う。
俺も、小さく息を吐いた。
そのときだった。
――パパパパーン!
突然、明るい音楽が部屋中へ鳴り響いた。
天井から色紙が降り注ぐ。
『おめでとうございます!』
どこからともなく、明るい声が聞こえてきた。
『わくわくトイボックス、見事攻略です!』
部屋の中央に置かれていた巨大な玩具箱。
兵隊人形がぶつかって壊れた側面から金色の光が漏れていた。
俺たちは顔を見合わせ、玩具箱へ近づく。
散乱した人形や積み木を避けながら、中を覗き込んだ。
壊れた玩具の中に、小さな台がある。
その上に置かれていたのは、最後のスタンプだった。
「あった」
俺たちは首から下げていたパスポートを外し、順番に最後のスタンプを押した。
――ポンッ。
俺のパスポートへ、四つ目の印が加わる。
欠けていた中央の塔が描き足され、白い城の絵が完成した。
直後。
四つのスタンプが、淡い金色の光を放ち始めた。
「光ってる……」
一ノ瀬のパスポートも、悠真先輩のものも同じだった。
城の絵を囲むように光が走り、その下へ新しい文字が浮かび上がる。
『ドリーム城へご招待!』
それと同時に、部屋の奥で扉が開いた。
扉の向こうには、アトラクションの外へ続く通路が見える。
「これで、城へ行けるんだね」
悠真先輩が、ほっとしたように笑う。
「たぶん。ただ、歓迎されるかは分かりませんけど」
最後のアトラクションだけ、明らかに様子がおかしかった。
俺たちにスタンプを渡さないために、急に難易度を上げたようにも思える。
それでも、行くしかない。
四つのアトラクションを回る間、園内もそれなりに探した。
けれど、行方不明になった子どもたちは見つからなかった。
あの城へ行かないという選択肢はない。
俺たちは通路を抜け、アトラクションの外へ出た。
そこで、三人とも脚を止めた。
「……もう、夜になってる」
一ノ瀬が呟く。
すでに空は暗く、空には大きな月が昇っていた。
園内の時計塔が示している時刻は、夜の八時半。
「閉園時間って、何時なんだろう」
悠真先輩が尋ねる。
俺は首から下げたパスポートを裏返した。
園内での注意事項に混じって、小さく営業時間が記されている。
「二十二時です」
あと一時間半。
こっちの世界では、現実よりもずっと速く時間が進む。
それに閉園時間が過ぎた時に何が起こるかわからない。
のんびりしている余裕はない。
「急ごう」
悠真先輩が、白い城を見る。
「うん。子どもたちを探さないと」
一ノ瀬も頷いた。
そのとき、首から下げたパスポートが強い光を放った。
三人のパスポートから伸びた金色の光が、地面へ落ちる。
光は一本の道となり、園内をまっすぐに進んでいった。
その先にあるのは、白い城。
俺たちは光の道に沿って、走って城へ向かった。
それまで遠くに見えていた城が、少しずつ大きくなる。
やがて、巨大な城門の前へたどり着いた。
門の左右には、何十体ものバクのマスコットが並んでいる。
俺たちが近づくと、一斉に両手を上げた。
「おめでとうございます!」
「すべてのスタンプを集めたお客様!」
「ドリーム城へご招待します!」
どの顔にも、同じ満面の笑みが浮かんでいる。
中央に立っていたバクが、城門へ向かって腕を伸ばした。
「さあ、お入りください!」
巨大な門が、重い音を立てて開いていく。
中には、天井の高い大広間が広がっている。
床を覆う、真っ赤な絨毯。
左右に並んだ白い柱。
天井からは、無数の宝石を飾った巨大な照明が下がっていた。
俺たちが足を踏み入れると、壁際に並んでいたバクたちが同時に頭を下げる。
どれも執事のような黒い服を着ていた。
「お待ちしておりました」
「招待されたお客様方」
バクたちが顔を上げる。
「本日は、支配人が城へお戻りになっております!」
支配人。
王様ではないらしい。
悠真先輩も同じことが気になったのか、近くにいたバクへ尋ねた。
「あの、このお城には王様がいるの?」
バクは満面の笑みを浮かべた。
「いいえ!」
明るい声が、大広間へ響く。
「今は、王様はいません!」
「……今は?」
一ノ瀬が、不思議そうに首を傾げる。
「はい! 現在、ドリームランドを管理しているのは、支配人です!」
それだけ答えると、バクは大広間の奥へ腕を伸ばした。
「こちらへどうぞ!」
俺たちは赤い絨毯の上を進んだ。
左右の壁には、何枚もの肖像画が飾られている。
豪華な服を着た、バクたちの絵。
王冠を被った者もいるが……最近王政が廃止されたのか?
大広間の奥に、巨大な扉があった。
左右に立つバクが、同時に取っ手へ手をかける。
扉が、ゆっくりと開いていく。
その先にあったのは、さらに広い部屋だった。
高い天井。
何本もの白い柱。
正面へ続く、長い赤絨毯。
部屋の最奥には、壁一面を占める巨大な窓があった。
窓の向こうに浮かんでいるのは、夜空を埋め尽くすほど大きな月。
白い月明かりが広間へ差し込み、床の上へ長い影を落としている。
その巨大な月を背にして、金色に輝く玉座が置かれていた。
けれど、そこには誰も座っていない。
「誰もいない……?」
一ノ瀬が呟く。
その声が、広い部屋へ反響する。
次の瞬間。
――パチ。
乾いた音が響いた。
――パチ、パチ。
誰かが、ゆっくりと拍手をしている。
音が聞こえるのは、玉座の右側。
太い柱の陰から、一人の男が姿を現した。
背が高く、細身の身体を黒い燕尾服に包んでいる。
裾の内側から覗くのは、深い青紫色の布地。
銀色の装飾が、歩くたびに月明かりを反射していた。
長い黒髪は後ろへ流され、そのうち一房だけが、顔の横へ大きく垂れている。
顔には、白い仮面。
穏やかな笑顔が刻まれた、陶器のような仮面だった。
「異世界人……?」
一ノ瀬が、呆然と呟く。
「本当に人がいたんだ……」
悠真先輩も目を見開いている。
驚いているのは、俺も同じだった。
この世界へ来てから出会ったのは、バクのマスコットばかり。
けれど、目の前にいる男は、どう見ても俺たちと同じ人間にしか見えない。
異世界人――。
会長たちが調べているという、意思を持ち、目的を持って行動する異世界の人間。
目の前の男も、その一人なのか。
表情には出さなかったつもりだけど、無意識に腰のナイフへ手が伸びていた。
男は俺たちの反応を楽しむように、白い仮面をわずかに傾ける。
「おや。人の姿をしていることが、それほど意外でしたか?」
穏やかな声だった。
男はゆっくりと赤絨毯の上を歩き、玉座の前までやって来る。
巨大な月が、その背後へ重なった。
逆光となった月明かりが、黒い燕尾服と長い髪の輪郭を銀白色に縁取る。
白い仮面は広間の灯りを受け、そこに刻まれた笑顔をはっきりと浮かび上がらせていた。
「お見事です」
男が再び両手を叩く。
「本日はちょうど、こちらへ戻っておりましてね」
白い仮面が、わずかに傾く。
「最後の遊戯には、少々趣向を凝らしたのですが……お楽しみいただけましたか?」
「……あれが遊び? てか、あんたが支配人?」
男は白い仮面に刻まれた笑顔をこちらへ向けたまま、芝居がかった動作で胸へ片手を添える。
「申し遅れました」
巨大な月を背負い、ゆっくりと腰を折る。
俺たちへ、深く一礼した。
「私、ドリームランドの支配人を務めております――虚と申します」
そう名乗ると、虚はゆっくりと顔を上げた。
仮面の奥から、こちらを見つめる気配がする。
「以後、お見知りおきを」




