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ガンバッテクダサイ

地図に記された赤い点を頼りに歩いていくと、大きな星形の看板が見えてきた。


『ミラクル・ミラーハウス』


看板の下では、杖を持った星のキャラクターが笑っている。


その足元には、丸みを帯びた文字で注意書きが添えられていた。


『かがみのなかで、まいごにならないように、きをつけてね!』


「……わざわざ書くことか?」


俺が呟く。


一ノ瀬も、注意書きを見ながら首を傾げた。


「迷う人が多いんじゃない?」


「ミラーハウスだからね」


悠真先輩が納得したように頷く。


入口には、これまでに見たものと同じバクのマスコットが立っていた。


ただし、星柄の帽子ではなく、先の曲がった三角帽子を被っている。


片手には、看板に描かれているものと同じ、星のついた杖を持っていた。


いかにも魔法使いらしい格好だ。


「ねえ」


俺は魔法使い姿のバクへ声をかけた。


「これって、普通にゴールすればスタンプをもらえるの?」


バクが、満面の笑みをこちらへ向ける。


「スタンプをお求めのお客様ですか?」


「そうだけど」


「それでしたら――」


バクが杖を振り、隣にあるもう一つの入口を示した。


「こちらの入口からお入りください!」


示された入口には、金色の星が描かれている。


「最初からコースが違うんだ」


一ノ瀬が二つの入口を見比べる。


「簡単にはスタンプをくれないみたいですね」


俺たちは金色の星が描かれた入口へ向かった。


扉を開けると、正面に何人もの俺たちが立っていた。


右にも、左にもいる。


もちろん、全部鏡に映った姿だ。


壁も、柱も、鏡で覆われている。


床には赤い絨毯が敷かれ、天井では星形の照明が淡い光を放っていた。


一見すれば、ごく普通のミラーハウスだ。


「じゃあ、行きましょうか」


悠真先輩が正面の通路へ足を踏み出す。


――ゴンッ。


鈍い音がした。


「……大丈夫ですか?」


「あ、うん……」


悠真先輩が、ぶつけた額を押さえながら一歩下がる。


通路に見えた場所には、鏡が立っていた。


その表面に、丸い跡が残っている。


「気をつけて進みましょう」


「ご、ごめん……」


別に謝ることじゃないと思う。


俺たちは鏡へ手を伸ばしながら、本物の通路を探して進んだ。


最初のうちは、それほど難しくなかった。


鏡に映った景色と実際の通路を見分け、行き止まりを避ければいい。


けれど、進むほどに分かれ道が増えていった。


右。


左。


斜め後ろ。


三つに分かれていたと思った道が、角度を変えて見ると、さらに二つ増える。


途中からは階段まで現れた。


下の階へ降りたかと思えば、今度は緩やかな坂道を上らされる。


天井が低くなり、身を屈めなければ通れない場所もあった。


特に悠真先輩は大変そうだった。


「ここ、本当に中だけで収まってるのかな」


一ノ瀬が階段の上を見上げる。


「外から見た建物より、明らかに広いよね」


「異世界の遊園地なんだから、考えるだけ無駄じゃない?」


もう、どちらを向いて歩いているのかも分からない。


それでも進み続けた。


体感では、五分ほど経ったと思う。


階段を上がり、細い通路を抜ける。


ようやく少し広い場所へ出た。


「……あれ?」


悠真先輩が足を止める。


正面には、何人もの俺たちが映っている。


左右にも同じ光景が続いていた。


どこかで見たような場所だ。


「ここ、さっきも通らなかった?」


一ノ瀬が周囲を見回す。


「似た場所が多いから、そう見えるだけじゃないかな」


悠真先輩がそう言いながら、正面へ進もうとする。


「待ってください」


俺は悠真先輩を止め、目の前の鏡へ近づいた。


鏡の真ん中より、かなり高い位置。


そこに、ぼんやりと丸い跡が残っている。


指先で触れてみる。


「……やっぱり」


「どうしたの?」


「これ、悠真先輩が最初に額をぶつけた跡ですよ」


「えっ」


悠真先輩が鏡へ顔を近づける。


自分の額と、鏡に残った跡を見比べた。


高さも大きさも、ほとんど同じだ。


「ほ、本当だ……」


「五分も歩いて、最初の場所に戻ってきたってこと?」


一ノ瀬の言葉に、俺は周囲を見回した。


鏡の中で、無数の俺が同じように辺りを見ている。


簡単にスタンプを渡すつもりはないらしい。


「どうしようか」


悠真先輩が困ったように眉を下げる。


「もう一度、別の道を探してみる?」


「それだと、またここに戻されるかもしれません」


俺は小さく息を吐いた。


「はぁ……面倒だな」


足元へ、白い召喚陣を展開する。


「楓君?」


召喚陣から、弱い風を起こした。


人を吹き飛ばすような強さはない。


床を撫でるような細い風が、広間へ広がっていく。


感覚を研ぎ澄ます。


「こっちですね」


俺は階段へ向かって歩き始めた。


「分かるの?」


一ノ瀬が隣へ並ぶ。


「行き止まりなら、風は跳ね返る。同じ場所へ繋がってるなら、別の道から戻ってくる」


後ろを振り返る。


さっきまでいた広間には、風が緩やかに渦巻いていた。


「でも、こっちへ流した風だけは、素直に奥へ進んでる」


視界が鏡に惑わされるなら、見なければいい。


「すごいね、楓君」


悠真先輩が感心したように言った。


「これなら、迷わずに進めそうだ」


「最初からやればよかったです」


少し悔しい。


普通のミラーハウスみたいに、まともに付き合ってしまった。


あとは簡単だった。


分かれ道へ着くたび、細い風を送り込む。


右。


階段を上る。


二つ目の角を左。


鏡の向こうに通路があるように見えても、風が通らなければ無視する。


俺たちは、ほとんど立ち止まることなく迷路の奥へ進んでいった。


やがて、前方に鏡ではない光が見えた。


「あっ」


悠真先輩の顔が明るくなる。


「ゴールだね!」


最後の通路を抜ける。


明るい外へ出た途端、入口と同じ格好をした魔法使い姿のバクが、杖を振りながら出迎えた。


「おめでとうございます!」


バクが楽しそうに手を叩く。


「ミラクル・ミラーハウス、見事攻略です!」


その隣には、小さな台が置かれていた。


台の上にあるのは、大きなスタンプ。


俺たちは首から下げていたパスポートを裏返し、順番に差し出した。


「それでは、最初のスタンプです!」


バクがスタンプを持ち上げる。


――ポンッ。


軽い音とともに、パスポートの左端へ青い印が押された。


「これは……」


一ノ瀬が、自分のパスポートを覗き込む。


押されていたのは、白い城の一部だった。


いくつも並ぶ塔のうち、一番左にある小さな尖塔。


どうやら四つのスタンプを集めることで、一つの城が完成するらしい。


「残り三つか」


俺は地図を開き、次の赤い点を探した。


◇


二つ目の赤い点にあったのは、『スターライト・コースター』というジェットコースターだった。


星形の帽子を被ったバクによると、ただ乗るだけではスタンプをもらえないらしい。


「コースターから見える景色を、よーく覚えてくださいね!」


バクが、三本の指を立てる。


「降りたあと、三つの問題すべてに正解できたら、スタンプを差し上げます!」


乗車前に教えられた問題は、それぞれ違う場所についてのものだった。


ドリーム城で一番高い塔に立つ旗の色。


観覧車にある、赤いゴンドラの数。


海賊船の旗に描かれている模様。


俺たちは、それぞれ一つずつ確認することにした。


一ノ瀬はドリーム城。


俺は観覧車。


悠真先輩は海賊船。


あとは乗っている間に、答えを見つければいい。


そう思っていた。


けれど、動き始めた車両は、予想していたよりずっと速かった。


一気に高い場所まで上ったかと思えば、ほとんど間を置かず急降下する。


地面へ激突する寸前で進路を変え、そのまま回転しながら空へ駆け上がっていく。


「うわああああああっ!」


隣から、悠真先輩の叫び声が聞こえる。


俺は風で髪を押さえながら、眼下に見える観覧車へ目を凝らした。


赤いゴンドラ。


一つ。


二つ。


三つ――。


車両が急旋回する。


観覧車が視界の外へ消えた。


次に見えたときには、反対側から数え直さなければならなかった。


一ノ瀬は身体を固定するために手すりを握りながら、必死にドリーム城の頂上を見ている。


その後ろでは、悠真先輩が目を見開いたまま叫び続けていた。


本当に海賊船を確認できているんだろうか。


数分後。


俺たちを乗せた車両は、出発地点へ戻ってきた。


「た、助かった……」


悠真先輩が、青ざめた顔で座席へ沈み込んでいる。


「それでは、問題です!」


俺たちが休む間もなく、星形の帽子を被ったバクが三枚の札を掲げた。


「ドリーム城で一番高い塔に立っている旗は、何色でしょう!」


「青!」


一ノ瀬が答える。


バクが、正解と書かれた札を上げた。


「観覧車にある、赤いゴンドラはいくつでしょう!」


「四つ」


今度は俺が答える。


もう一枚、正解の札が上がった。


「最後の問題です!」


バクが、三枚目の札を掲げる。


「海賊船の旗には、何が描かれていたでしょう!」


俺と一ノ瀬が、悠真先輩を見る。


悠真先輩は、まだ青い顔をしていた。


「悠真先輩?」


「……王冠」


消え入りそうな声で答える。


「旗に、金色の王冠が描かれてたよ」


一瞬の間を置いて、バクが正解の札を高く掲げた。


「全問正解です!」


明るい音が鳴り、周囲のバクたちが拍手する。


俺たちは、二つ目のスタンプを手に入れた。


ミラーハウスほど難しくはなかった。


というより、終わってみれば普通に楽しめるアトラクションだったと思う。


悠真先輩だけは、しばらく立ち上がれなかったけど。


◇


三つ目のアトラクションは、大きな海賊船だった。


入口で玩具の剣を渡され、船内へ入る。


すると、海賊姿のバクたちが次々と襲いかかってきた。


大砲が飛び交い、吊り橋が落ち、途中からは海賊船同士の斬り合いまで始まる。


もちろん、本物の戦争じゃない。


渡された剣も、当たれば少し痛い程度の玩具だった。


それでも悠真先輩は、勢い余ってバクを壊さないよう、最後まで慎重に戦っていた。


一ノ瀬と俺が海賊たちを引きつけている間に、悠真先輩が船長役のバクから宝箱を奪う。


その中に、三つ目のスタンプが入っていた。


パスポートに三つ目の印が加わる。


これで、城の絵はほとんど完成した。


欠けているのは、中央に立つ一番大きな塔だけだ。


「次が最後だね」


悠真先輩が、地図に残った赤い点を指差す。


そのとき、視界の端に橙色の光が差した。


顔を上げる。


ここへ来たときには高い位置にあった太陽が、いつの間にか地平線の近くまで沈んでいた。


空も青から茜色へ変わり、俺たちの影が地面へ長く伸びている。


「……もう夕方?」


一ノ瀬が、驚いたように空を見上げる。


俺は携帯を取り出し、時刻を確認した。


こちらへ来てから、まだ二時間ほどしか経っていない。


三つのアトラクションを回ったとはいえ、太陽がここまで傾くほど長くいたはずはなかった。


「この世界、一日の進みが速いのか?」


少し離れた時計塔へ目を向ける。


文字盤の針は、午後六時を回っていた。


見ている間にも、長針が不自然なほど速く動いていく。


「急いだほうがよさそうですね」


何が起こるかは分からない。


それでも、この場所で夜を迎えるのは、どうにも嫌な予感がした。


俺たちは歩く速度を上げ、最後のアトラクションへ向かった。


◇


たどり着いた先には、巨大な玩具箱を模した建物があった。


色とりどりの積み木。


太鼓を叩く猿。


大きなゼンマイのついた車。


正面には、子どもが両手を広げたほどもある、大きな文字の看板が掲げられている。


『わくわくトイボックス』


入口に立っていたのは、カウボーイ姿のバクだった。


茶色い帽子。


首元には、赤いスカーフ。


腰のベルトには、玩具らしい小さな拳銃が収められている。


「ねえ」


俺はパスポートを見せた。


「ここのスタンプが欲しいんだけど」


カウボーイ姿のバクが、俺たちのパスポートを順番に見ていく。


三つ並んだ城の印を見た途端、その大きな瞳がさらに見開かれた。


「わあ!」


両手を叩き、嬉しそうに飛び跳ねる。


「すごいですね! もう三つも集めたんですか!」


「うん。だから、ここが最後」


「はい! もう最後の一つです!」


バクが、満面の笑みで右手を上げた。


「がんば――」


不意に、その動きが止まった。


上げた右手。


大きく開かれた口。


笑顔のまま、身体だけが凍りついている。


「……?」


一ノ瀬が、怪訝そうにバクを見る。


その首が、小刻みに震え始めた。


「ぎ……」


笑顔を浮かべた頭が、少しずつ横へ傾いていく。


「ぎぎ……」


喉の奥から、引きつった声が絞り出される。


大きな瞳から徐々に焦点が失われ、その奥を一瞬だけ青紫色の光が走った。


悠真先輩が、不安そうに一歩近づく。


「だ、大丈夫?」


次の瞬間。


バクの頭が、勢いよく元の位置へ戻った。


「ガンバッテ、クダサイ!」


先ほどまでと同じ明るい声。


けれど、どこか不自然に平坦だった。


「……なんだったんだ、今の」


俺の問いに、バクは答えない。


笑顔のまま身体を反転させ、アトラクションの入口へ腕を伸ばす。


「わくわくトイボックスへ、ようこそ!」


入口の両開きの扉が、ゆっくりと開いた。


その先には、色鮮やかな通路が続いている。


壁には、笑顔を浮かべた玩具の絵。


天井からは、星やボールを模した飾りが吊るされていた。


「気にはなるけど……」


一ノ瀬が、開いた扉の奥を見る。


「ここを終わらせないと、城には入れないんだよね」


「そういうことみたいですね」


俺はパスポートを首元へ戻した。


バクの様子は明らかにおかしかった。


それでも、ここまで来て引き返すわけにはいかない。


「行きましょう」


悠真先輩が頷く。


俺たちは、順番に扉の中へ入った。


三人が通り終えた直後、背後で扉が閉まる。


明るい音楽が流れ始めた。


軽快な太鼓。


笛。


小さな子どもが喜びそうな、賑やかな曲だった。


通路の先に、もう一枚の扉がある。


その上には、笑顔を浮かべた太陽と、虹が描かれていた。


俺たちが近づくと、扉が左右へ開いていく。


その先へ足を踏み入れ――。


思わず、立ち止まった。


「……大きい」


一ノ瀬が、呆然と呟く。


そこは、巨大な子ども部屋だった。


天井まで、十メートル以上はある。


俺たちの背丈を超える積み木。


家ほどの大きさがある玩具箱。


床に転がっているボールも、人間が数人入れそうなほど大きい。


壁際には、巨大な本棚が並んでいる。


その中へ収められた絵本は、一冊一冊が扉ほどの大きさだった。


まるで、俺たちの身体が玩具と同じ大きさまで縮んでしまったように感じる。


「これも、遊ぶための場所なのかな」


悠真先輩が、近くに転がる積み木を見上げた。


「それなら、遊び方くらい説明してほしいですけどね」


辺りを見回しても、案内役のバクはいない。


スタンプ台も見当たらなかった。


部屋の中央には、何体もの巨大な玩具が並んでいる。


五メートルほどの兵隊人形。


丸々とした熊のぬいぐるみ。


背中に大きなゼンマイをつけた恐竜。


天井近くには、色鮮やかな玩具の飛行機が吊り下げられていた。


どれも、動いてはいない。


ただの飾りに見える。


「……静かすぎない?」


一ノ瀬の声が、広い部屋へ響く。


さっきまで流れていた明るい音楽も、いつの間にか止まっていた。


そのとき。


――カチッ。


小さな音がした。


目の前に立っていた兵隊人形の首が、わずかに動く。


「今……」


悠真先輩が言い終わるより先に、兵隊人形の両目へ赤い光が灯った。


続けて、周囲から同じ音が鳴る。


――カチッ。


――カチッ。


熊のぬいぐるみが、ゆっくりと顔を上げる。


玩具の恐竜の背中で、巨大なゼンマイが回り始める。


天井から吊り下げられていた飛行機のプロペラが、低い音を立てて動き出した。


「……急に、遊ばせる気がなくなったな」


兵隊人形が、腰に差していた長剣を引き抜いた。


五メートル近い巨体に合わせて作られた、巨大な玩具の剣。


刃は厚く、先端も丸みを帯びている。


それでも、あの質量で振り下ろされれば、まともに受けた人間などひとたまりもない。


右足を踏み出す。


床が大きく揺れた。


そして――。


巨大な兵隊人形が、俺たちへ向かって剣を振り下ろした。


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