銃と槍
地図の一角だけ、赤い印が不自然なくらい集中している。
清水先輩は、その場所をじっと見つめていた。
「……調べてみる価値があるかも」
「清水先輩、何を調べるんですか?」
俺が聞くと、清水先輩がぱっと顔を上げた。
「お! 一ノ瀬くん、気になるかい?あと橙子で構わないよ」
なんだか、急に嬉しそうだ。
「実はね。ここ、数が多いだけじゃないのだよ」
「ほう。橙子さんは何を見つけたんですか……?」
「なんと、この周辺で確認された異客には、同じような特徴を持っているものが多いんだ!」
「特徴?」
橙子さんが、待ってましたと言わんばかりに身を乗り出す。
「妖怪だよ! しかも、日本の妖怪みたいなやつが多い!」
「え! 日本妖怪ですか?」
俺も地図を覗き込む。
「ぬらりひょんとか、土蜘蛛とか?」
「一ノ瀬くん、いいじゃないか。なかなか詳しいね」
「いや、孤児院の子がなんか好きで」
「知識はいいよ。なんでも身につけておくといい」
橙子さんは満足そうに頷いた。
「それで、一ノ瀬くん。異客について、どこまで聞いた?」
「えっと……槍宮さんに聞きました」
少し思い出す。
「たしか……ここではないどこかから、こっちの世界に来てる……とかでしたっけ?」
「そうだよ」
橙子さんは嬉しそうに頷いた。
「まあ、まだ仮説の段階なんだけどね」
そして、赤い印が集中している場所へ視線を落とす。
「私はこう考えている」
さっきまでより、少しだけ声の調子が変わった。
「この世界とは異なる次元に、別の世界――つまり、異世界がある。それも、一つじゃない」
「そして――」
橙子さんの目が、少し輝く。
「この妖怪みたいな異客たちは、その中の特定の異世界から来ているんじゃないかってね」
「えーー!?」
思わず顔を上げた。
「異世界って、アニメとかでよくある?」
「驚いたかい?」
橙子さんは楽しそうに笑う。
「まあ、あんなに都合のいい世界かどうかは分からないけどね」
それから、もう一度地図を見る。
「今回の件を踏まえると……少なくとも私は、異客が何もないところから突然生まれてる可能性は低いと思ってる」
「じゃあ、本当に別の世界から……」
「その可能性は高い」
なんだろう。
話している内容は、とんでもないことのはずなのに――
橙子さん、楽しそうだな。
「で、ここからが本題」
橙子さんが少し身を乗り出した。
「何を調べるか、だ」
「異客が現れるとき、宙に切れ目が入るだろ?」
「あ、昨日の……」
「そう。あの切れ目だよ」
また目が輝いた。
「あれが本当に別の世界とこっちを繋いでいるなら――その一瞬だけでも、向こう側を観察できないかなって」
「向こう側を……?」
「うん」
「異世界の方に原因があるなら、何か手がかりが拾えるかもしれない」
橙子さんは、地図の一点を指した。
「だから今日は、ここに行く」
「異客が現れるのを待って、出現した瞬間の切れ目を観察する」
「う……」
思わず顔が引きつる。
「つまり、またあの異客に襲われるかもしれないってことですよね」
「そうなんだよ……申し訳ないけどね」
橙子さんが少し困ったように笑う。
「どうする? 一ノ瀬くんは無理に来なくてもいいけど」
「うーん……」
少し悩む。
怖くないと言ったら嘘になる。
昨日だって、槍宮さんがいなかったらどうなっていたか分からない。
でも――
「早く強くならないと、孤児院に帰れないからなぁ」
「お兄ちゃんは道場の仕事があって来られないけど」
槍宮さんが言った。
「私も行くし、大丈夫じゃない?」
「うん……」
そのとき。
少し離れた椅子に座っていた橘部長が、静かに口を開いた。
「一ノ瀬の気持ちも分かるが、ここまで異客の発生箇所が集中するのは稀だ」
俺は振り返る。
「予想外の事態が起こる可能性もある」
「……」
急に、不安になってきた。
橘部長は椅子から立ち上がる。
「従って、一ノ瀬――」
「……」
ごくり。
もしかして、やっぱり俺は残れって言われるのか?
「――俺も同行しよう」
「……え?」
橘部長の口角が、ほんの少しだけ上がった。
「安心しろ。行くなとは言ってない」
「あ……はい!」
よかった。
思わず顔が緩んだ。
◇
地図に赤い印が集中していた場所は、学校から少し離れた住宅地の外れだった。
古い空き地と、小さな林。
人通りは少ない。
「ここ、ですか?」
俺が辺りを見回す。
ぱっと見た感じは、どこにでもありそうな場所だ。
「そう。最近、この周辺で異客の発生が集中してる」
橙子さんが答える。
「とはいっても、いつ裂け目が出るかまでは分からないけどね」
「じゃあ……」
「待つしかない」
「ですよね……」
俺たちは、それぞれ周囲を警戒しながら待つことになった。
十分。
二十分。
……こういうの、いつまで待つんだろう。
そう思い始めた、そのときだった。
――バチッ。
「え?」
空気の中で、小さく火花のようなものが弾けた。
――バチ、バチバチッ。
「来た!」
橙子さんが声を上げる。
何もなかった空間に、黒い線が走る。
一本の傷みたいだったそれが、ゆっくりと左右へ開いていく。
昨日見たものと同じだ。
次元の裂け目。
「一ノ瀬くん!」
「はい!」
槍宮さんの声に反応して、俺はすぐに手を前へ出す。
召喚陣。
光。
そして、刀。
隣では槍宮さんが白を呼び出す。
「来て! 白!」
低い唸り声と共に、白い巨体が姿を現した。
その少し後ろ。
橘部長が制服の内側へ手を入れる。
ガチャ。
「……え?」
出てきたのは――銃だった。
「じゅ、銃!?」
思わず声が出た。
「一ノ瀬、前を見ろ」
「は、はい!」
裂け目の中から、何かが飛び出してきた。
多脚。
黒く硬そうな胴体。
蜘蛛のような姿。
ただ、頭だけが鬼の顔をしている。
しかも、全長は二メートル近い。
「来た!」
槍宮さんが身構える。
続けて、もう一体。
さらにもう一体。
「多い……!」
俺も刀を構える。
「裂け目は一瞬よ! 観察し――」
橙子さんが言いかけて、止まった。
「あれ?」
「どうしたんですか?」
「……消えてない。なんで……?」
橘部長が裂け目を見たまま言った。
「こちらに来る異客の数が多い」
一体。
二体。
三体。
まるで、向こう側から無理矢理こちらへ押し出されてくるみたいだ。
「必死に、こっちへ出てきてるように見える」
「必死に……?」
橙子さんが呟く。
その表情が変わった。
「もし、本当に向こうの世界があるとしたら……」
裂け目を見る。
「何かから、逃げてきてる?」
橙子さんは、そのまま橘部長に向かって叫んだ。
「修二さん! 何か見えますか?」
「向こう側に、異客たちの脅威になりそうなもの!」
橘部長が目を細める。
「待て」
裂け目の奥を睨む。
「可視範囲が狭い。まだ確認できな――」
「……なんか、いますね」
自分でも、なんでそんなことを言ったのか分からなかった。
「一ノ瀬?」
橘部長がこっちを見る。
俺は裂け目から目を離せなかった。
「奥です」
「裂け目の向こう……100メートルくらい先」
「大きな……」
見えている。
いや。
本当に見えてるのか?
でも。
確かに、分かる。
「巨大な牛鬼みたいなのが……暴れてます」
橘部長の目つきが変わった。
「……ほう」
俺が指した先へ、視線を戻す。
数秒。
「……たしかに、いるな」
「見えるんですか?」
「はっきりとは見えない」
橘部長は銃を構えたまま答える。
「だが、何か大きなものが暴れてるのは分かる」
橙子さんが息を呑んだ。
「じゃあ……」
裂け目から、また一体。
異客が転がるように飛び出してくる。
橘部長が、裂け目の向こうを見据えたまま言った。
「灯莉。大至急、尊流を呼べるか?」
「え? もう道場の仕事も終わってるはずだけど……」
「すぐ来てもらえ」
そのとき。
橘部長に向かって、一体の蜘蛛型異客が飛びかかっていくのが見えた。
「あ! あぶな――」
――ドンッ!
蜘蛛型異客の足元で、青い閃光が弾けた。
「え?」
異客の動きが、一瞬止まる。
その瞬間。
――パンッ!
橘部長の銃口が青く光った。
弾丸が、蜘蛛型異客の胴体を正確に撃ち抜く。
――ドウッ!!
命中した直後。
異客の身体の内側で、何かが弾けたような鈍い衝撃音が響いた。
蜘蛛型異客は、そのまま力を失って地面に崩れ落ちる。
「……」
俺は、思わず橘部長を見る。
けれど。
橘部長の視線は、ずっと裂け目の向こうに向けられたままだった。
まるで――
蜘蛛型異客がどう動くのか、全部分かっていたみたいだ。
「あいつを――引きずり出すぞ」
「……え!?」
◇
それから数分。
裂け目から飛び出してきた異客を、俺たちは次々に相手していた。
小さいやつもいれば、俺の背丈より大きいやつもいる。
「っ!」
刀を構える。
目の前の小型の異客が飛びかかってきた。
怖い。
でも――
昨日、尊流先輩に言われた通り。
腰を落として。
刀をぶらさない。
「――っ!」
一歩踏み込む。
刃が異客の身体を斬り裂いた。
「……やった」
息が漏れる。
そのときだった。
少し離れたところで戦っていた橘部長が、ふと動きを止める。
「――早いな」
「え?」
何が?
そう聞くより先に、橘部長は裂け目へ銃口を向けた。
――パンッ!
銃口が青く光り、乾いた音が鳴る。
一瞬。
何も起こらない。
次の瞬間。
裂け目の向こうで、青い閃光が弾けた。
――ドンッ!!
爆発音。
空気が震える。
橘部長は小さく呟いた。
「来るか?」
その直後。
裂け目の向こうから、ものすごい咆哮が響いた。
空間そのものが震えるような声。
そして。
巨大な影が、こちらへ向かってくる。
「く、来る!?」
槍宮さんが叫ぶ。
巨大な角。
鬼のような顔。
ゆうに10メートルを超える巨大な身体。
さっきまで遠くで暴れていたはずの怪物が、裂け目を押し広げるように、その上半身をこちら側へねじ込んでくる。
「う、うそだろ……」
本当に、来た。
その瞬間。
ヒュン。
何かが空を切った。
「……え?」
一本。
二本。
いや。
違う。
無数の槍が、空から降ってきた。
――ドドドドドドドドッ!!
巨大な異客の身体へ、次々に槍が突き刺さる。
「なっ……!?」
そして、その槍の雨に混じって。
人影が落ちてきた。
「うおおおおおおおおおっ!!」
「え!?」
尊流先輩だ。
そのまま巨大な槍を振りかぶり――
――ドガッ!!
巨大な異客を、地面へ叩き伏せた。
「…………」
俺はしばらく声が出なかった。
尊流先輩は肩で息をしながら、倒れた異客を見る。
異客は頭部がひしゃげ、ピクリとも動かない。
「はぁ……はぁ……」
それから、こっちを振り返った。
「……こいつか?」
「そいつだ」
橘部長が平然と答える。
「はぁ……ったく……」
尊流先輩は膝に手をついた。
「来る方が大変だったぞ……」
「……あの」
俺は恐る恐る聞く。
「なんで……空から?」
「あ?」
尊流先輩が俺を見る。
「ああ。槍を足場にしてきた」
「…………」
「直線距離で来れるからな」
「…………」
意味が分からない。
俺は、尊流先輩が落ちてきた空を見上げた。
……この人たち、本当に同じ高校生なんだよな?




