行方不明
数日後。
放課後の文化研究部。
部室には、いつものメンバーに加えて、二人の来客がいた。
一人は、腰まで届く長い黒髪の女性。
柔らかな顔立ちと、穏やかに閉じられた瞳。
その場にいるだけで、周囲の空気まで柔らかくなるような人だった。
「初めまして。安心院咲希です」
女性が、俺たちへ穏やかに微笑む。
「翠明高等学校で、民俗研究会の会長をしてます。今日はよろしゅうお願いします」
この人が、安心院さん。
橘部長と一緒に、異世界からの侵攻について調べていた能力者だ。
その後ろには、小柄な男子生徒が立っていた。
灰色がかった髪に、少し着崩した制服。
その手には、資料の詰まった大きな鞄が提げられている。
気だるそうに細められた目が、部室の中を見回している。
たしか、民俗研究会の一年生だと聞いていた。
つまり、俺や灯莉と同い年だ。
「鳴箕楓です。どうも」
鳴箕君は短く名乗った。
紹介を終えても、俺たちにはほとんど興味がないらしい。
けれど、その視線が橘部長へ向いた途端、わずかに目つきが変わった。
「橘さん」
「なんだ?」
「トゥルル破壊計画を阻止したって、本当ですか?」
「ああ」
橘部長が淡々と答える。
「俺一人で止めたわけじゃないがな」
「へえ……」
鳴箕君の声は平静を装っていた。
けれど、その目は明らかに輝いている。
「楓くん、今日はその話を聞きに来たんやないよ」
安心院さんが、鳴箕君をたしなめるように笑う。
「分かってますよ」
鳴箕君は気まずそうに視線を逸らした。
安心院さんが、申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんなぁ。もう楓くんには調査のことを話してあるから、来んでもええよって言うたんやけど。修二くんに会いたい言うて」
「別に、会いたいとまでは言ってませんけど」
「一緒に行くって聞かへんかったやろ?」
「それは、調査資料が多いって言ってたから、運ぶのを手伝っただけですよ」
鳴箕君はそう言って、持っていた鞄を机の上へ置いた。
安心院さんの笑みが、さらに深くなる。
鳴箕君は何でもないような顔をして、空いている椅子を引いた。
「わざわざ来てもらって悪かったな」
橘部長が言った。
左手から肘にかけては、今も包帯に覆われている。
「ええよ。怪我人も多いって聞いてたし、こっちに来たほうがええと思ってたから」
俺たちが席につくと、安心院さんと橘部長は机の前へ並んだ。
安心院さんが、机の上へ数枚の写真と地図を広げていく。
続いて、橘部長が机の引き出しから小さな瓶を取り出した。
その中に、黒ずんだ金属片が入っている。
以前、サモンズが特異事象対策資料センターを破壊した次の日、橘部長が部室で見ていたものだ。
「これから、俺と安心院が半年間調べてきたことを話す」
橘部長が、俺たちの顔を順番に見た。
「異世界から来た偵察部隊と、これから起こる可能性が高い侵攻についてだ」
部室の空気が、わずかに張り詰める。
安心院さんも、穏やかな笑みを消していた。
橘部長が、地図の一点を指で示す。
「始まりは、この金属片の発見だ」
◇
それから、およそ一か月が過ぎた。
七月最初の土曜日。
梅雨は明けたばかりだというのに、朝から容赦なく日差しが降り注いでいた。
「暑い……」
額から流れた汗を、腕で拭う。
俺は朝凪市内を走っていた。
サモンズとの戦いで受けた傷は、もうほとんど治っている。
最初は少し身体を動かすだけだったけど、今では以前と同じくらいの距離を走れるようになっていた。
むしろ、灯莉には休んでいたぶんを取り戻せと言われ、走行距離を増やされている。
今日も、いつものコースを走っていた――はずだった。
「ここ、どこだろう」
足を止め、近くの標識へ目を向ける。
――翠明市。
考え事をしながら走っているうちに、いつもの折り返し地点を通り過ぎてしまったらしい。
どうやら、隣町まで来てしまったようだ。
戻ろうかとも思ったけれど、まだ体力には余裕がある。
たまには知らない道を走るのも悪くない。
俺はそのまま、翠明市の中へ進むことにした。
見慣れない街並みが続いている。
朝凪市から、それほど離れているわけじゃない。
それでも、俺には初めて見る場所ばかりだった。
前に来たことはあったのだろうか。
俺は走る速度を少し落とし、辺りを見回した。
その間にも、一か月前に聞いた話が頭から離れなかった。
次元の裂け目の近くで見つかった、正体不明の金属片。
調査の結果、その中には人間の細胞に近いものが混ざっていたらしい。
橘部長は、それが異世界から来た何者かの身体から剥がれ落ちたものではないかと考えた。
そして、安心院さんとともに、金属片が見つかった周辺を監視した。
どうも安心院さんの能力は、かなり広範囲に植物を展開できるものらしい。
しかも、植物の恐怖や警戒心などの大雑把な感情を感じ取れるという話だ。
さすが橘部長が協力を依頼するだけある。
そして監視を続けるうちに、新月前後の暗い夜を選んで現れる、見慣れない格好の人影を捉えた。
周辺の地形を調べ、地図を作り、こちらの警察や消防の動きを探っていた者たち。
廃ビルを拠点にしていたこと。
そして、行方不明になった人がいること。
偶然、こちらの世界へ迷い込んだ異客とは思えない。意思を持ち、目的を持って動く、異世界の人間。
橘部長と安心院さんは、すでに特異事象対策室へ調査結果を伝えている。
特異事象対策室は、能力者や異客をはじめ、通常では説明できない現象を調査するため、内閣府に設けられた組織だ。
以前、サモンズに破壊された特異事象対策資料センターも、その関連施設の一つだった。
ただし、組織の規模はそれほど大きくない。
政府そのものが、能力者や異客をどう扱うべきか、今も明確な方針を決められていない。
その迷いが、組織の規模にも表れている――と、橘部長は言っていた。
橘部長は以前から、能力者に関係する事件や異客の情報について、対策室とやり取りをしていたらしい。
けれど、今回はこれまでの事件とは話の重さがまるで違う。
国全体に関わる対応についても、ようやく検討が始まったそうだ。
そういえば、橘部長は安心院さんとの話が終わったあと、梓さんへ電話をかけると言っていた。
頼みたいことがあるらしい。
梓さんに頼むことって、何なんだろう。
そんなことを考えながら走っていると、大きな建物が見えてきた。
少し色褪せた看板には、『翠明ショッピングプラザ』と書かれている。
三階建ての、小さなショッピングモールだった。
駐車場には空いている場所が目立ち、建物の壁にも、ところどころ汚れが残っている。
古くからある店なのかもしれない。
その入り口の近くに、見覚えのある姿があった。
小柄で、灰色がかった髪。
「あれ……鳴箕君?」
俺が声をかけると、鳴箕君がこちらを振り返った。
「あ! たしか、文化研究部の……」
鳴箕君が思い出そうと指を眉間にあてた。
「一ノ瀬円だよ」
「ああ! 一ノ瀬君だ」
そして、俺の格好を上から下まで見て、わずかに眉をひそめる。
「それで、なんでここに?」
「走ってたら、ここまで来ちゃって」
「朝凪市から?」
「うん」
「方向音痴なの?」
「違うよ。考え事してたら、いつもの道を通り過ぎただけ」
「ふーん。まぁなんでもいいけど」
鳴箕君の隣には、もう一人いた。
身長は、百九十センチ近くある。
後ろへ流した赤い髪。
半袖のシャツから伸びた腕は太く、全身に分厚い筋肉がついている。
それと不釣り合いなほど優しそうな顔つきをしている。
その人は、モールから出てきた親子が近くを通ろうとすると、巨体を縮めるように端へ寄り、静かに道を譲った。
小さな子どもがその姿を見上げる。
赤髪の人は困ったように笑い、さらに身体を小さくしていた。
「そっちの人は?」
「ああ。民俗研究会の先輩」
鳴箕君が、隣の巨漢へ顔を向ける。
「林悠真先輩。みんな日本語読みで、悠真って呼んでる」
「あ、あの……初めまして。林悠真です」
悠真さんが、少し緊張したように頭を下げた。
身体は大きいけど、声は控えめだった。
「一ノ瀬円です。よろしくお願いします」
俺も頭を下げる。
「二人は、買い物?」
そう尋ねると、鳴箕君と悠真さんが顔を見合わせた。
「いや」
鳴箕君が、ショッピングモールを見上げる。
「少し調べもの」
その声音が、先ほどまでとは変わっていた。
「調べもの?」
「最近、この辺りで子どもの行方不明が増えてるんだよ」
「子どもの……?」
思わず、モールへ目を向ける。
休日だということもあって、入り口では何組もの親子が行き交っていた。
見たところ、特に変わった様子はない。
「今分かってるだけで、四人」
悠真さんが、重い口調で続ける。
「小学生が三人と、中学生が一人。みんな、このショッピングモールへ来たあとに、いなくなってるんだ」
「警察も調べてるんですよね?」
「うん。でも、防犯カメラにも、外へ出ていくところは映っていなかったみたいで……」
悠真さんが、心配そうにモールを見つめた。
「会長が調べたら、もう一つ共通点が見つかったんだ」
鳴箕君が言う。
「四人とも、いなくなったのは土曜日」
俺は、はっとする。
今日は土曜日だ。
「それで、二人で調べに来たの?」
「そういうこと」
鳴箕君が頷いた。
「会長は橘さんたちと動いてるから、まず俺たちで中を見てこいって」
異世界からの侵攻について、安心院さんも忙しく動いているらしい。
それでも、身近で起きている異変を放っておくことはできなかったんだろう。
俺は、もう一度モールを見上げた。
四人の子どもが、ここで行方不明になった。
理由は分からない。
ただの事件かもしれない。
それでも、防犯カメラに外へ出る姿が映っていないのなら――。
「俺も一緒に行くよ」
悠真さんが、意外そうな顔をする。
「いいの? 走ってたんじゃないの」
「走るのは、あとでもできますから」
ここで事情を聞いて、そのまま帰る気にはなれなかった。
異世界からの偵察部隊が人を攫ったという話も聞いたし、今回の件と関係があるのだろうか。
ただ、それ以前に。
子どもが何人もいなくなっている。
そんな事件を、放っておけるはずがない。
悠真さんは、少し安心したように表情を緩めた。
「助かるよ。一ノ瀬くんがいてくれたら心強い」
「円でいいですよ」
「じゃあ、僕のことも悠真でいいから」
「はい、悠真さん」
「……まぁそれなりに戦えるらしいし、ついてくるのはいいけど」
鳴箕君が、半分閉じた目でこちらを見る。
「ありがとう!」
「褒めてないけど」
鳴箕君が呆れたように息を吐く。
「じゃあ…行きますかね」
鳴箕君の言葉に頷き、俺たちはショッピングモールへ入った。
自動扉が開く。
外の熱気に代わり、冷たい空気が肌を撫でた。
建物の中には、昔どこかで聞いたような明るい音楽が流れている。
親子連れの話し声。
飲食店から漂ってくる甘い匂い。
一見すれば、どこにでもある休日のショッピングモールだった。
この場所から、四人もの子どもが消えている。
その事実だけが、目の前の光景から不自然に浮かび上がっていた。




