協力者
俺たちは、治療を終えた橘部長の病室へ集まった。
橘部長はベッドの上へ身体を起こしていた。
服に隠れていない部分だけでも、頬や首筋にいくつもの傷が残っている。
中でも目を引いたのは、左手から肘の近くまで何重にも巻かれた白い包帯だった。
「円、怪我は大丈夫なのか?」
俺が声をかけるより先に、橘部長が尋ねてきた。
「俺は大丈夫です。しばらく安静にしていれば問題ないって」
そう答えてから、包帯に覆われた左腕を見る。
「橘部長こそ、酷い火傷だって聞きました」
橘部長も、自分の左手へ視線を落とした。
「ああ。だが、これはほとんど、自分でやったようなものだ」
橘部長は、包帯に覆われた指をわずかに動かした。
その途端、眉間に小さく皺が寄る。
やっぱり、かなり痛むらしい。
「威力も向きも絞っていた。見た目ほど深刻じゃないから、心配するな」
「そうですか……」
心配するなと言われても、何ともないようには見えない。
それでも、橘部長の表情は穏やかだった。
「橘部長」
「なんだ?」
「よかったですね。お兄さんを止められて」
橘部長は少しだけ目を見開いた。
それから、ふっと表情を緩める。
「ああ。みんなのおかげだ。ありがとう」
「気にすんな。仲間なんだから当然だろ」
尊流さんが、壁に背中を預けたまま答える。
「そうですよ!」
灯莉も力強く頷いた。
「でも、本当に無茶しすぎないでくださいね」
「……確かに、少し無茶をしたかもな」
橘部長が、珍しく気まずそうに目を逸らした。
「それで……」
灯莉の表情が、わずかに曇る。
「異世界から敵が攻めてくるっていうのは、どういうことなんですか?」
病室の空気が変わった。
橘部長がベッドの上で姿勢を正す。
「ああ。ここ半年ほど、安心院と一緒に調査を続けてきた。その結果、たどり着いた結論だ」
聞き覚えのない名前だった。
「安心院……さん?」
「円は、まだ会ったことがなかったな」
橘部長が俺を見る。
「安心院咲希。翠明高校の民俗研究会にいる能力者だ」
翠明高校――。
たしか、隣町にある高校だったはずだ。
橘部長が、こんな大きな事件の調査を一緒に進めていた相手。
いったい、どんな人なんだろう。
◇
夕暮れの雑木林に、獣の咆哮が響いた。
木々の間を、巨大な影が動く。
姿を現したのは、荒々しい野性を纏った獣型の異客だった。
全身を覆う黒褐色の毛。
額から伸びる二本の角。
腕は四本あり、そのどれもが成人男性の胴ほどの太さを持っている。
身長は、人間の二倍を優に超えていた。
異客が一歩踏み出すたび、足元へかすかな振動が伝わる。
その巨体と向かい合い、黒髪の少女が立っていた。
夕暮れの風に、腰まで届く長い髪が揺れている。
髪には金色の花飾りが留められ、そこから紫色の房が垂れていた。
柔らかな顔立ちに、穏やかに閉じられた瞳。
制服の上からでも分かるほど豊かな体つきは華やかでありながら、不思議と人を緊張させない。
すべてを受け止めてくれそうな、温かな雰囲気をまとっていた。
翠明高等学校三年生。
民俗研究会会長、安心院咲希。
咲希は異客ではなく、その足元へ目を向けた。
周囲の草が、風に小さく揺れている。
「怖かったなぁ」
咲希がしゃがみ込み、指先で葉を優しく撫でた。
「もう大丈夫やで。すぐに静かになるからな」
異客が大きく息を吸い込んだ。
四本の腕を広げ、咲希へ向かって咆哮を上げる。
その巨体が、地面を蹴った。
「楓くん」
「はいはい」
気の抜けた返事とともに、一陣の風が吹き抜けた。
咲希のすぐ脇を、小柄な少年が駆け抜ける。
灰色がかった髪。
少し着崩した制服。
気だるそうに細められた目が、突進してくる異客を捉えていた。
翠明高等学校一年生、鳴箕楓。
楓の足元に、白い召喚陣が開いた。
噴き出した風が、その身体を一気に加速させる。
異客との距離が縮まった。
正面から迫る楓へ、異客が右腕を振り下ろす。
直撃する寸前、楓は地面を蹴った。
身体を包んだ風が横へ弾け、巨大な拳の脇をすり抜ける。
異客とすれ違いながら、楓が一本のナイフを投げた。
刃の周囲に、風がまとわりつく。
ナイフは異客の顔へ向かって飛び、振り払おうとした腕の直前で軌道を変えた。
太い腕の外側を回り込み、異客の右目へ突き刺さる。
異客が苦痛の声を上げ、足を止めた。
楓は着地すると同時に振り返る。
「こっちだよ、でかぶつ」
残った左目が、楓を捉えた。
異客が怒りの咆哮を上げ、標的を咲希から楓へ変える。
四本の腕を振り回しながら、再び走り出した。
楓は異客を引きつけ、木々の間を駆ける。
振り下ろされた拳を、風をまとった跳躍でかわす。
着地した先へ別の腕が迫るが、木の幹を蹴って方向を変えた。
楓は攻撃を返さなかった。
追いつかれない程度の距離を保ちながら、異客の進む方向を少しずつ変えていく。
その先に、もう一人の少年が立っていた。
身長は百九十センチ近く。
制服の上からでも分かるほど、全身に分厚い筋肉がついている。
赤い髪を後ろへ流した巨漢だった。
翠明高等学校二年生、林悠真。
その立派な体格とは裏腹に、丸みのある顔には不安が浮かんでいる。
「じゃあ、悠真先輩。頼みますよ」
楓はそう言い残し、大きく上へ跳んだ。
風が身体をさらい、木の枝に着地する。
目標を失った異客の正面に、悠真だけが残された。
「う、うん……」
悠真の口から、不安そうな声が漏れる。
四本の腕を広げた異客が、一直線に迫ってくる。
「大丈夫ですよ」
木の上から楓が声をかけた。
「悠真先輩、めちゃくちゃ強いんですから」
悠真が一度だけ目を閉じる。
大きく息を吸い込み、両足を開いた。
「……うん!」
両手を固く握り締めると、悠真の髪が根元から逆立っていく。
「大聖、お願い!」
その足元に、赤褐色の召喚陣が広がった。
光の中から、巨大な腕が突き出す。
続いて、分厚い胸。
赤褐色の体毛に覆われた、四メートル近い大猿が召喚陣からせり上がった。
額には、雲をかたどった金色の冠飾り。
首には大粒の金色の珠が連なり、両腕と腰にも、古代中国の武人を思わせる装具が輝いている。
荒々しい巨体とは対照的に、その装飾には悠久の時を経たような荘厳さがあった。
大聖は低い唸り声を上げると、悠真を守るように前へ出た。
太い両腕を、胸の前で交差させる。
直後、異客の巨体が激突した。
轟音が響く。
大聖の身体が、大きく後方へ押し込まれた。
両足が地面を削り、雑木林の土へ深い二本の跡を残していく。
「くっ……!」
悠真が歯を食いしばる。
大聖の足が、さらに地面へ沈んだ。
それでも、倒れない。
悠真が両手を固く握り締める。
その意志に応えるように、大聖の腕が大きく膨れ上がった。
押し込まれていた巨体が止まる。
「止めた……」
悠真自身が、驚いたように呟いた。
けれど、異客の勢いは完全には死んでいない。
四本の腕へ力を込め、再び前へ出ようとする。
大聖は腕と身体を使い、真正面からその巨体を押し返した。
両者の足元で、地面が軋む。
一歩も譲らない。
異客が上側の二本の腕を大聖へ絡ませた。
残る二本の拳が、その脇腹へ何度も叩き込まれる。
大聖の巨体が揺れた。
それでも、悠真は退かなかった。
「もう少し……もう少しだけ、止めて!」
大聖が咆哮を上げる。
異客の身体を正面から抱え込み、その場へ押さえつけた。
「よう止めたね、ゆうくん」
咲希の閉じられていた瞼が、ゆっくりと開く。
紫色の瞳が、異客をまっすぐに捉えた。
その足元へ、緑色の召喚陣が広がる。
淡い光の中から、何本もの太い蔦が顕現した。
蔦は地面を這い、木々の根元を縫うように伸びていく。
一本が、異客の右脚へ巻きついた。
続けて左脚。
さらに枝分かれした蔦が、四本の腕へ絡みついていく。
「ゆうくん、もう離れてええよ」
「はい!」
大聖が異客から腕を離し、後方へ下がった。
異客が自由になった腕を振り上げる。
しかし、その腕へ新たな蔦が巻きついた。
一本を引きちぎれば、千切れた先から二本の蔦が伸びる。
二本を引き剥がせば、地面からさらに何本もの蔦が這い上がる。
右腕。
左腕。
残る二本の腕。
両脚。
胴体。
蔦は異客の全身へ幾重にも巻きつき、その巨体を覆っていった。
異客が咆哮を上げる。
四本の腕へ力を込め、蔦を引きちぎろうとする。
けれど、咲希は動じなかった。
紫色の瞳を細め、右手をゆっくりと握る。
「もう、暴れたらあかんよ」
その動きに合わせ、異客へ巻きついた蔦が一斉に締まった。
巨大な身体が軋む。
異客の両膝が地面へ落ちた。
それでも抵抗を続ける。
咲希の足元に広がる召喚陣が、さらに強い光を放つ。
新たな蔦が次々と伸び、異客の全身へ重なっていく。
緑色の塊となった巨体が、少しずつ地面へ押し伏せられていった。
「ごめんな」
咲希が、異客へ静かに歩み寄る。
「うちらも、あんたを傷つけたいわけやないんよ」
異客が低い唸り声を漏らした。
怒りよりも、怯えの混じった声だった。
咲希は異客の向こうへ目を向ける。
雑木林を抜けた先には、住宅地が広がっている。
「せやけど、この先には、人がたくさんおるからなぁ」
蔦がギリギリと音を立てて締まり、異客は動かなくなった。
それでも、咲希は右手を緩めなかった。
やがて、黒褐色の体毛が細かな光の粒子へ変わり始めた。
巨大な腕も、角も、少しずつ輪郭を失っていく。
その巨体が完全に崩れ、無数の黒い光となって夕暮れの雑木林へ消えていった。
支えを失った蔦が、地面へ落ちる。
咲希が手を開くと、蔦も緑色の粒子となって消えていった。
「二人とも、怪我してへん?」
いつもの穏やかな笑顔へ戻り、咲希が振り返る。
「俺はないです」
楓が木の上から飛び降りる。
着地の直前に風を起こし、音もなく咲希の隣へ降り立った。
「悠真先輩は?」
「ぼ、僕も大丈夫」
悠真は答えてから、大聖を見上げた。
大聖の脇腹には、異客の拳を受けた跡が残っている。
「ありがとう。助かったよ」
悠真が声をかける。
大聖は、低く喉を鳴らした。
その身体が赤褐色の粒子へ変わり、消えていく。
それに合わせるように、悠真の逆立った髪が元に戻った。
「ゆうくん、ちゃんと止められたなぁ」
咲希が嬉しそうに笑った。
「やっぱり、ゆうくんは強い子やわ」
「僕じゃなくて、大聖が強いんです……」
「そういうとこですよ、悠真先輩」
楓が呆れたように言った。
悠真は困ったように眉を下げる。
そのとき、咲希の制服のポケットから短い電子音が鳴った。
「あら?」
携帯を取り出し、画面を確認する。
表示されていたのは、橘修二から届いたメッセージだった。
「修二くんからや」
その名前を聞いた瞬間、楓が顔を上げた。
「修二さん、なんだって?」
先ほどまでの気怠そうな態度が嘘のようだった。
咲希はメッセージへ目を通す。
「えっと……ああ」
内容を最後まで読み、わずかに表情を引き締めた。
「いよいよ、本格的に動くみたいやねぇ」
「何の話ですか?」
楓が尋ねる。
悠真も、分からないという顔で咲希を見ていた。
咲希は、異客の消えた場所へ一度だけ目を向けた。
「とりあえず、学校へ戻ろか」
携帯をポケットへしまい、二人へ微笑みかける。
「二人に、話さなあかんことがあるんよ」
咲希、楓、悠真の画像を投稿しています
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