蒼炎
「異世界からの侵攻って話も気になるが……」
尊流が、俺と兄を交互に見た。
「そういうことなら、俺は手を出さねぇ。ただし――」
尊流の足元に召喚陣が開いた。
長い槍がせり上がる。
尊流はその柄を片手でつかむと、穂先を黒石さんへ向けた。
「あんたが動いたら、俺が止める」
黒石さんは腕を組んだまま、尊流の目を見つめ返した。
しばらく、二人の間を強い風が吹き抜けた。
やがて黒石さんは、無言のまま一度だけ頷いた。
その頷きを見届け、俺は懐から拳銃を引き抜いた。
右手で握り、脇を締め、銃口を斜め上へ向ける。
左手は固く握り締めた。
一度だけ目を閉じ、細く息を吐く。
そして、目を開いた。
「行くぞ、兄さん」
兄の背後では、青い炎が激しく燃え続けていた。
「来い」
俺は銃口を兄へ向け、引き金を二度引いた。
二発の銃声が、ほとんど重なって響く。
放たれた弾丸へ向かって、兄の背後にあった炎が動いた。
二筋の青い炎が、それぞれの軌道に沿って凄まじい勢いで伸びてくる。
炎が二発の弾丸を呑み込んだ。
その瞬間。
一発目に仕込んだ召喚陣の効果が発動し、青白い閃光を放った。
屋上全体が、一瞬だけ強い光に包まれる。
続いて、二発目に仕込んでいた効果も発動した。
炎の内側で弾丸が爆発する。
轟音とともに衝撃が広がり、青い火の粉が周囲へ飛び散った。
兄の姿が、閃光と爆炎の向こうへ消える。
俺はその場から走り出した。
兄の視界が戻る前に、屋上の端へ向かって大きく移動する。
走りながら左手をポケットへ入れ、いくつもの小さな鉄球をつかんだ。
まとめて取り出し、爆炎の向こうへ投げる。
鉄球が床を跳ね、不規則な音を立てながら兄の周囲へ転がっていった。
そのうちのいくつかから、青い光が瞬く。
鉄球へ付与していた効果が発動し、兄の足元で爆発が連続して起きた。
けれど、爆炎の中から新たな青い炎が噴き出した。
兄を中心に渦を巻き、俺の起こした爆発を外側へ押し返していく。
異なる炎同士がぶつかり、屋上の空気が激しく震えた。
やがて煙が風に流され、その向こうから兄の姿が現れる。
無傷。
黒いコートにも、焦げ跡一つついていない。
周囲を漂っていた炎が、兄の右手へ集まり始めた。
渦を巻きながら圧縮され、巨大な青い火球へ形を変えていく。
「――っ!」
兄が腕を振るった。
火球が、一直線に俺へ向かってくる。
俺は横へ飛んだ。
身体のすぐ脇を、青い炎が通過する。
熱が頬を焼いた。
着地とほとんど同時に、背後で轟音が響く。
火球がコンクリートへ着弾し、床の一部を吹き飛ばした。
砕けた破片が周囲へ降り注ぐ。
周辺の温度が、一気に上がっていた。
息を吸うだけで、喉の奥が熱い。
俺は片膝をついた姿勢のまま銃を構え、再び二度、引き金を引いた。
二発の弾丸へ向かって、青い炎が伸びてくる。
けれど、炎に呑み込まれる直前。
弾丸の側面に仕込んだ一つ目の召喚陣の効果が、設定していたタイミングで発動した。
一発は右へ。
もう一発は左へ。
小さな爆発に弾かれた二発の弾丸が、途中で軌道を変える。
正面から迫っていた炎を、左右へかわした。
さらに、二つ目の召喚陣の効果が時間差で発動する。
今度は、それぞれの弾丸の外側で青い光が弾けた。
狙いどおり、二発の弾丸が再び兄へ向かって軌道を変える。
左右から挟み込むように、兄へ襲いかかった。
兄は動かなかった。
その足元から噴き上がった炎が、二発の弾丸を正確に捉えた。
金属が溶け、赤く輝いた直後、跡形もなく消し飛ぶ。
すぐに、別の炎が床を這った。
細長く形を変え、蛇のように俺の右手へ迫ってくる。
狙いは俺じゃない。
拳銃だ。
何度も見たことがある。
俺は右腕を引き、身体をひねった。
青い炎が、銃口のすぐ先を通過する。
炎は銃身へ絡みつこうと向きを変えたが、その前に俺は大きく後方へ跳んだ。
着地と同時に、兄へ銃口を向ける。
俺は引き金を引いた。
銃声に重なって、床の左右から二つの乾いた破裂音が鳴る。
先ほど投げた鉄球のうち、あえて時間差をつけておいた二つ。
その背後へ仕込んだ召喚陣の効果が、設定していた時間で発動した。
爆発に押し出された鉄球が、左右から兄へ襲いかかる。
正面から一発。
左右から二つ。
俺が仕掛けた、三方向からの同時攻撃。
兄の周囲で炎が渦を巻いた。
正面の弾丸が呑み込まれる。
左から迫った鉄球も、青い炎に弾かれた。
けれど、右から飛んだ最後の一つが、わずかな炎の隙間を抜けた。
鉄球が兄の身体すれすれを通過する。
黒いコートの裾が裂け、風に大きく揺れた。
兄は裂けたコートへ一度だけ目を落とした。
それから、俺へ視線を戻す。
「なるほど」
兄の足元に、新たな召喚陣が開いた。
青い炎が噴き上がり、その全身へまとわりつく。
腕。
脚。
胴体。
兄の身体を包んだ炎が、外側へ向かって激しく噴き出していた。
それほどの炎に覆われているのに、長い髪も黒いコートも燃えていない。
周囲の空気だけが熱で揺らぎ、兄の輪郭が歪んで見える。
「遠距離戦の技術が向上しているな」
兄が、わずかに腰を落とした。
「なら、その距離を潰す」
俺は引き金を引いた。
放たれた弾丸が、兄を覆う青い炎へ飛び込む。
外側へ噴き出した炎が、弾丸を正面から呑み込んだ。
赤く溶けた金属が、兄の身体へ届く前に消える。
同時に、兄の背中と足元から炎が爆発的に噴き出した。
青い炎に包まれた身体が、一気に加速する。
速い。
避ける方向を考えるより先に、兄が目の前まで迫っていた。
低く構えた肩が、俺の胸元へ突き刺さる。
「ぐっ――!」
肺から空気が押し出された。
身体が後方へ吹き飛ぶ。
何度も床を跳ね、背中から屋上の金網へ叩きつけられた。
金属が大きくひしゃげる。
「がっ……!」
呼吸ができない。
視界が白く明滅する。
それでも、拳銃は手放さなかった。
左手を床へつき、どうにか身体を起こす。
兄を覆う炎は、まだ消えていない。
兄は炎をまとったまま、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
――残り二十秒。
予想より早い。
兄はすでに、俺の遠距離戦を攻略していた。
けれど、まだ想定の範囲内だ。
最初の接近に合わせる必要はない。
仕掛けが発動する瞬間に、もう一度兄を近づかせればいい。
俺は金網から身体を離し、拳銃を構えた。
腕が震えている。
それでも、照準は兄の胸元から外さない。
すぐには撃たず、ゆっくりと近づいてくる兄を引きつけながら、残り時間を数える。
そして、二度、続けて引き金を引いた。
二発の銃声が響く。
一発目の弾丸の後方で、小さな爆発が起きた。
弾丸が押し出され、急加速する。
先行した一発目が、兄を覆う炎へ飛び込んだ。
直後。
同じ弾丸に仕込んでいた二つ目の召喚陣が、時間差で発動した。
一発目の弾丸が爆発し、兄の正面を覆う青い炎を大きく弾き飛ばす。
炎に、一瞬だけ穴が開いた。
その隙間へ、二発目の弾丸が飛び込む。
しかし、開いた炎の奥から、さらに青い炎が現れた。
兄は二発の銃声を聞き、一発目が炎を突破し、二発目を通すためのものだと見抜いていた。
あらかじめ内側へ重ねていた二層目の炎が、二発目の弾丸を呑み込んだ。
弾丸が赤く輝き、兄の目前で消滅する。
これでいい。
――残り五秒。
兄が再び腰を落とした。
背中と足元の炎が、さらに勢いを増していく。
さっき俺を金網まで吹き飛ばした突進。
今度は、避けるつもりはない。
俺は戦いが始まる直前、固く握り締めた左の掌へ、小さな召喚陣を展開していた。
召喚陣へ付与したのは、心象風景で圧縮した炎を掌の向いた先へ一気に解き放つ効果。
いつでも発動できる状態のまま待機させれば、召喚陣は光を放ち続け、兄に仕掛けを見抜かれる。
だから俺は、発動タイミングを最初から三分後に固定した。
一度設定したタイミングは、もう変えられない。
兄なら三分以内に、俺の遠距離攻撃を攻略し、距離を詰めてくる。
そう信じた。
最初の接近は、俺の読みより早かった。
それでも、二度目の接近をこの瞬間へ合わせることはできた。
兄の身体が加速した。
青い炎をまとい、一直線に俺へ迫ってくる。
――三秒。
俺は銃口を下ろした。
兄の表情が、わずかに変わる。
――二秒。
俺も地面を蹴った。
逃げるのではなく、自分から兄へ向かって走る。
燃え盛る青い炎へ。
兄の懐へ。
――一秒。
「修二――!」
兄の声が聞こえた。
熱が全身を襲う。
服の袖が焼け、むき出しになった皮膚へ鋭い痛みが走った。
外側へ噴き出す炎に押し返されそうになる。
それでも止まらない。
右手に拳銃を握ったまま、その腕を兄の首へ回した。
逃がさないように、強く身体を引き寄せる。
左の掌を、兄の腹部へ押し当てた。
――ゼロ。
三分前に召喚陣へ付与した効果が発動した。
青い光が瞬く。
圧縮していた炎が、左の掌から一気に解き放たれる。
ドンッ――!
至近距離で生じた青い爆炎が、兄の腹部へ叩き込まれた。
青い光と爆風が、俺たち二人を呑み込む。
「がはっ――!」
兄の口から血が飛んだ。
爆風が、二人の身体を激しく揺さぶる。
最初から威力を抑えていたとはいえ、俺も無傷では済まない。
左手に、焼けつくような激痛が走った。
掌の皮膚が裂け、血が指先を伝っていく。
それでも、兄を離さなかった。
右腕を首へ回したまま、倒れそうになる身体を抱き止める。
兄を覆っていた青い炎が、急速に勢いを失った。
火の粉へ変わり、風の中へ消えていく。
兄の膝から力が抜けた。
その身体が、俺へ預けられる。
俺は右手から拳銃を離した。
金属音を立て、銃が足元へ落ちる。
兄を抱き止めたまま、右手の人差し指を伸ばし、親指を立てた。
銃の形を作った指先を、兄のこめかみへ軽く押し当てる。
互いの荒い呼吸だけが聞こえる。
「兄さん」
俺は、はっきりと告げた。
「俺の勝ちだ」




