↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/36

間合い

狂華は肩の傷から指を離した。


「もうちょっと遊んでたいけど……召力も、だいぶ使っちゃったんだよね」


「全部使い切ったら、澪さんに怒られちゃうからね」


狂華が残念そうに肩をすくめる。


それから、赤い瞳を細めた。


「だから、次で終わりにしよっか」


床や壁に散らばっていた血が、一斉に動き始めた。


血の壁が崩れる。


両手を覆っていた爪も、長く伸びていた鞭も形を失う。


すべての血が狂華の周囲へ集まり、渦を巻きながら巨大な一つの塊となって宙へ浮かび上がった。


新しく血を召喚しているわけじゃない。


これまでに出した血を、一滴残らず集めているんだ。


赤い塊が、低い音を立てていくつにも分かれていく。


一本。


二本。


十本。


数え切れないほどの血の槍が、俺を取り囲むように浮かび上がった。


一本一本が、意思を持つようにゆっくりと向きを変える。


正面だけじゃない。


左右。


背後。


頭上。


鋭い穂先が、あらゆる方向から俺へ向けられている。


逃げ道がない。


どこへ動いても、同時に貫かれる。


俺は刀を右手へ召喚した。


刀身を返し、峰を狂華へ向ける。


「いいね。今度は何を見せてくれるの?」


狂華が笑った。


狂華との距離は遠い。


踏み込んでも、刀の間合いには入れない。


狂華も、それが分かっている。


俺へ向けられた無数の槍とは対照的に、狂華自身の周囲には血の壁も、爪も残っていなかった。


すべての血を、俺を仕留めるための攻撃に変えている。


近づけるはずがない。


だから、守る必要もない。


そう考えているんだ。


狂華の赤い瞳が、俺の動きを待っている。


俺は刀を両手で握り、ゆっくりと息を吐いた。


橙子さんの言葉を思い出す。


――無陣召喚のときに生じる切れ目。あれ、異客が出てくる次元の裂け目と、よく似てるんだよね。

円くんの刀……次元と次元の境界に干渉する力があるのかもしれない。


あの言葉を聞いてから、何度も試してきた技がある。ただ成功率は高くない。


槍の穂先が少しずつ俺へ向きを揃えていく。


狂華の手が、ゆっくりと上がった。


もう時間がない。


それでも――。


今の狂華へ攻撃を届かせるには、あの技しかない。


「準備はいい?」


狂華が右手を上げた。


周囲に浮かぶ血の槍が、赤黒い光を放つ。


空気が震え、穂先が一斉に前へ傾いた。


「いくよ、円」


狂華の手が、振り下ろし始める。


血の槍が一斉に動き出した。


攻撃の瞬間――相手が最も無防備になる時を狙い、俺も刀を振った。


狂華まで届くはずのない、横薙ぎの軌道。


刀の進路に沿って、細い裂け目が走る。


続いて刀身が、境界の向こう側へ滑り込んでいく。


ほぼ同時に。


狂華の右脇の空間を裂いて、消えた刀の切っ先が現れる


境界の向こう側を通り、離れた場所まで刀を直接届かせる。


「え?」


狂華の赤い瞳が見開かれた。


槍が迫る。


けれど、槍が俺に到達するより先に、

裂け目から飛び出した刀の峰が、狂華の脇腹を捉えた。


「かっ――!」


鈍い手応えが、刀を通して両手へ伝わる。


狂華の身体が大きく横へ折れた。


振り下ろされかけていた右腕が止まる。


同時に、迫っていた血の槍が制御を失い、軌道を乱した。


俺の頬をかすめた一本が、背後の壁へ突き刺さる。


別の槍が床を抉り、さらに何本もの穂先が俺のすぐ脇を通り過ぎた。


集中を失った血の槍が、次々と形を崩していく。


まだ宙にあった槍は液体へ戻り、雨のように床へ降り注いだ。


俺は境界から刀を引き抜くと同時に、地面を蹴った。


頭の奥に、激しい痛みが走る。


視界が揺れる。


足がもつれそうになる。


それでも、止まれない。


狂華が体勢を立て直す前に。


血が再び形を取り戻す前に。


一気に狂華との距離を詰める。


狂華が顔を上げた。


脇腹を押さえながらも、血を動かそうとする。


赤い液体が、床から跳ね上がる。


その瞬間、狂華の喉元へ、刀の切っ先を突きつけた。


狂華の動きが止まる。


俺も荒い息を吐きながら、どうにか刀を構え続けた。


「……俺の勝ち、だよね」


狂華は、自分の喉元に突きつけられた切っ先を見る。


ほんの少しでも動けば、刃が皮膚へ食い込む距離だった。


それから、俺の顔を見た。


一瞬の沈黙。


やがて、その口元にゆっくりと笑みが浮かんだ。


「うん」


悔しそうな様子はない。


むしろ、今までで一番嬉しそうな笑顔だった。


「今回は、円の勝ち」


その言葉とともに、床を覆っていた血が赤黒い粒子となって消えていく。


俺は刀を下ろした。


同時に、全身から力が抜ける。


膝が崩れ、刀を床へ突き立てて、どうにか身体を支えた。


「ねぇねぇ! 今の、何?」


狂華が俺の顔をのぞき込む。


「刀が途中で消えて、いきなり横から出てきたよね」


「……秘密」


「えー」


狂華は頬を膨らませた。


けれど、すぐに楽しそうな笑顔へ戻る。


「じゃあ、次に戦うまでに考えておくね」


また戦うつもりなのか。


そう言い返そうとしたとき、背後で白虎の咆哮が響いた。


まだ終わっていない。


灯莉と天鳥さんの戦いは、今も続いている。


白虎の咆哮に振り返る。


少し離れた場所で、白が前脚を大きく振るった。


群がっていた青い鳥が一斉に飛び退き、羽ばたきとともに周囲へ散っていく。


その向こうでは、灯莉と天鳥さんが互いに距離を取っていた。


灯莉の服には、鳥の爪で裂かれたような細い傷がいくつも走っている。


天鳥さんも無傷ではない。


眼鏡はわずかにずれ、先ほど灯莉の拳を受けた口元には、まだ血が滲んでいた。


灯莉がこちらを振り返る。


「円!」


「な、何?」


「ハラハラさせないでよね!」


戦っていた相手ではなく、なぜか俺が怒られた。


「最後なんて、もう少しで白ちゃんをそっちへ向かわせるところだったわ」


「ご、ごめん……」


灯莉に見られていたらしい。


灯莉は呆れたように息を吐いた。


「まあいいわ。この話はあとで」


それから、天鳥さんへ向き直る。


白も灯莉の隣へ戻り、低い唸り声を上げた。


「こっちも終わらせるわ」


天鳥さんは、ずれた眼鏡を指先で押し上げる。


周囲へ散っていた青い鳥が、再びその頭上へ集まり始めた。


「言ってくれますね」


その声は冷静なままだった。


けれど、眼鏡の奥の瞳には、先ほどまでとは違う鋭い光が宿っている。


「私を相手にしながら、ずいぶん余裕があったようで」


「円が危なっかしすぎて、目を離せなかっただけ」


「それでも、私から目を離す余裕はあった、と」


「たしかにそうね。でもこれであなたに集中できるわ」


灯莉が両手を構える。


「そうですか。では私も、あなた一人に集中しましょう」


灯莉の眉がわずかに動く。


「……今まで集中してなかったの?」


「ええ。何羽かの鳥には、ほかの現場を監視させていましたから」


天鳥さんは、あくまで冷静に答えた。


灯莉がしばらく、その顔を見つめる。


「……あなた、負けず嫌いなのね」


天鳥さんが、わずかにムッとした顔をした気がした。


「……ただ、事実を言ったまでです」


天鳥さんの足元に、青い召喚陣が浮かんだ。


青い光の中から、新たに数十羽もの鳥が顕現する。


「へぇ」


灯莉は少しだけ口角を上げた。


それ以上は何も言わず、静かに腰を落とす。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。