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鳥と血

尊流さんを先頭に、俺たちは廃ビルの出口へ向かった。


梓さんは、廃ビルの奥に残っている。


そのときだった。


バサバサバサッ――!


無数の羽音が、廃ビルの中へ響き渡る。


割れた窓から、青い鳥が次々と飛び込んできた。


一羽や二羽じゃない。


数十羽もの鳥が俺たちの頭上を旋回し、錆びた鉄骨や崩れかけた壁へ止まっていく。


さらに何羽もの鳥が出口へ舞い降り、俺たちの行く手を塞いだ。


尊流さんが足を止める。


「召喚獣か」


すぐに槍を構え、鳥たちの向こう側を睨む。


青い鳥の群れが、左右へ分かれた。


その向こうから、青い髪を短く切り揃えた、眼鏡をかけた女性が姿を現す。


橘部長と、そう変わらない年齢に見えた。


女性は俺たちではなく、その後ろ――廃ビルの奥に残っている梓さんへ視線を向けた。


「蒼月さん」


冷静な声が響く。


「いくら特別枠でも、それはやりすぎです」


橘部長の表情が険しくなる。


「……天鳥(あまとり)」


天鳥と呼ばれた女性の腕へ、一羽の青い鳥が静かに降り立った。


梓さんが、面倒そうに頭をかく。


「もうバレたんか。随分と早いお迎えやな」


「第三の現場は、私の鳥に監視させていました」


天鳥さんの視線が、俺たちへ移る。


「橘修二との接触。計画の漏洩。すべて確認済みです」


「覗き見とは、ええ趣味しとるな」


「現場の監視です」


天鳥さんは表情を変えなかった。


「これ以上、あなたたちを先へ行かせるわけにはいきません」


そのとき、彼女の背後から、もう一人の少女が顔をのぞかせた。


艶のある黒髪を、左右で高く結んでいる。


ツインテールの根元には、鮮やかな赤いリボン。


年齢は、俺や灯莉とそれほど変わらないように見えた。


けれど、その幼さの残る容姿とは裏腹に、まとっている雰囲気は明らかに異質だった。


少女は笑っている。


楽しそうに。


まるで、これから始まる戦いを待ちきれないとでもいうように。


赤い瞳が、俺たち一人ひとりを品定めするように動いていく。


「ねえ、澪(みお)さん」


少女が弾んだ声を上げた。


「この中の誰と戦ってもいいの?」


「狂華(きょうか)さん。私たちは戦いに来たのではありません」


「でも、この人たちを行かせないんでしょ?」


狂華と呼ばれた少女の笑みが、さらに深くなる。


「だったら、同じじゃない?」


橘部長が、少女を警戒するように見つめた。


「天鳥。その子は誰だ」


「最近、サモンズへ加わった赤羽狂華(あかばね・きょうか)さんです」


「赤羽、狂華……」


橘部長が、その名前を確かめるように呟く。


狂華は嬉しそうに一歩前へ出た。


その足元に、赤黒い召喚陣が開く。


空気に、かすかな鉄の匂いが混じった。


召喚陣から湧き出した赤い液体が、少女の周囲を生き物のように漂い始める。


血だ。


「せっかくだから、楽しもうよ」


赤羽狂華は、満面の笑みを浮かべた。


「私、強い人と戦うのが大好きなの」


その言葉と同時に、狂華の周囲を漂っていた血が形を変えた。


鋭く伸び、何本もの赤い刃となる。


天鳥さんも戦うつもりはないと言いながら、俺たちを通すつもりはない。


無数の青い鳥が、出口を塞いでいる。


橘部長の表情が険しくなった。


視線が、天鳥さんと狂華の間を行き来する。


天鳥さんのことは知っているらしい。


けれど、新しくサモンズへ入ったという狂華が、どれほどの力を持っているのかは分からない。


それでも、俺には分かった。


この少女は強い。


ただ立って笑っているだけなのに、肌を刺すような圧力を感じる。


橘部長の視線が、俺と灯莉へ向けられた。


何を考えているのか、すぐに分かった。


橘部長は俺と灯莉にここを任せて、尊流さんと二人で先に行く必要があると考えている。


けれど、俺と灯莉を残していいのか迷っている。


「ここは、俺と灯莉で受け持ちます」


橘部長が目を見開いた。


「円。だが――」


「分かっています。たぶん、今まで戦った相手よりずっと強い」


怖くないわけじゃない。


俺の力が、あの少女にどこまで通用するのかも分からない。


それでも、全員がここで止まるわけにはいかなかった。


「一樹さんを止められるのは、橘部長です」


続いて、尊流さんを見る。


「それに、一樹さんと一緒にいるのが研究所の裏山を崩した人なら、俺たちだけでは止められない。だから、尊流さんも先へ行ってください」


「円……」


隣にいた灯莉が、俺の顔を見上げる。


勝手に二人分の判断をしたことを怒られるかと思った。


灯莉は小さく息を吐く。


「勝手に私の分まで決めないでくれる?」


「ご、ごめん」


「でも、今回は同じ意見よ」


灯莉は天鳥さんと狂華へ向き直った。


その足元へ、白い光が集まり始める。


「ただし、足止めじゃないわ。倒すのよ」


「……うん」


灯莉は強い。


それは、俺が誰よりもよく知っている。


俺たちなら、きっと戦える。


たとえ――俺が最後に立っていられなくても。


「本当に、任せていいんだな」


橘部長が尋ねる。


「はい」


俺は迷わず頷いた。


「俺と灯莉で、二人を倒します」


橘部長は、しばらく俺の顔を見つめていた。


やがて、小さく息を吐く。


「……分かった」


その靴先が、足元に転がっていた小石へ触れた。


小石の表面が、こちらからでないと気が付かないほど小さく、一瞬だけ青い光が走る。


「あとで、あの二人の能力について橙子にも報告しよう」


橙子。


その名前を聞いた瞬間、橘部長の意図を理解した。


ここへ来る途中。


もし敵を前にして、声に出して作戦を伝えられない状況になったときのために、俺たちはいくつかの符牒を決めていた。


橙子さんの名前は――三秒後に、強い閃光。


俺は天鳥さんと狂華から目を離さないまま、刀を召喚した。


一。


隣にいる灯莉が、わずかに腰を落とす。


二。


橘部長と尊流さんが、少しずつ割れた窓の方へ重心を移した。


三。


俺と灯莉は地面を蹴った。


背後で、青白い光が弾ける。


廃ビルの内部が、光に包まれた。


「――っ!」


天鳥さんの息を呑む声が聞こえる。


その瞬間、橘部長と尊流さんが割れた窓へ向かって走り出した。


俺は青白い閃光を背に、狂華との距離を一気に詰める。


光源は俺たちの背後。


直接見ていない俺と灯莉の目には、ほとんど影響がない。


狂華は、眩しそうに目を細めていた。


刀を返す。


刃ではなく、峰を向ける。


その肩へ叩き込もうと、横薙ぎに振り抜いた。


当たる。


そう思った瞬間。


狂華が、不意に上体を反らした。


刀の峰が、その鼻先すれすれを通り過ぎる。


「なっ――」


見えていないはずだ。


それなのに狂華は、俺の刀が通り過ぎる位置を最初から知っていたようにかわした。


赤い瞳が、ゆっくりと開く。


「危なかった」


狂華は驚いたように呟いた。


けれど、その口元には笑みが浮かんでいる。


「今の、当たってたら痛そうだね」


一方、灯莉は真っすぐ天鳥さんへ迫っていた。


閃光をまともに受けた天鳥さんは、片腕で目元を覆っている。


「はあっ!」


灯莉が踏み込み、その顔面へ拳を放つ。


直撃する寸前。


周囲を飛んでいた青い鳥が、主人を守るように二人の間へ殺到した。


何羽もの鳥が重なり、一つの盾となる。


灯莉の拳が、その中心へ突き刺さった。


鳥の群れが弾け飛ぶ。


防ぎ切れなかった衝撃が天鳥さんまで伝わり、その身体が後方へよろめいた。


眼鏡がずれ、口元からわずかに血が滲む。


完全には入っていない。


それでも、無傷ではない。


その隙に、橘部長と尊流さんが窓枠へ足をかけた。


「行かせません……!」


天鳥さんが目を開き、片腕を振るう。


散った鳥たちが向きを変え、二人を追おうとする。


「させないわよ!」


灯莉が、その進路へ回り込む。


足元に白い光が集まり、巨大な白虎が姿を現した。


白虎の前脚が振るわれ、追撃しようとした鳥の群れをまとめて薙ぎ払う。


橘部長と尊流さんが、割れた窓から外へ飛び出した。


これでいい。


あとは俺と灯莉が、ここで二人を止めればいい。


狂華は窓の方を一度も見なかった。


俺の刀だけを見つめ、楽しそうに笑っている。


「ねえ、円」


赤黒い召喚陣から、さらに大量の血が湧き出す。


「楽しませてよね」


血が細く鋭い刃へ変わり、狂華の周囲へ浮かび上がった。


次の瞬間。


十を超える刃が、一斉に俺へ向かって放たれる。


速い――!


俺は刀を消した。


両膝から力を抜き、身体を前へ倒す。


倒れそうになる寸前、脚を前に出す。


槍宮一心流の歩法――縮地。


身体が一気に前へ運ばれる。


さっきまで俺の立っていた場所を、血の刃が次々と通り過ぎた。


そのまま狂華との距離を詰める。


「へえ」


狂華が楽しそうな声を漏らした。


新たな血の刃が、俺の進路を塞ぐように広がる。


俺は右へ踏み込むと見せかけ、踏み込む先に召喚陣を展開し、刀を召喚した。


召喚された柄の勢いに身体を引かせ、一気に左へ跳んだ。


血の刃が俺の服をかすめる。


着地した先で、もう一度縮地を使う。


狂華の懐まで、あと一歩。


左手に、今度は召喚陣を展開せずに刀を召喚する。橙子さんはこの召喚陣の展開をショートカットする技を無陣召喚と呼んでいる。


空間が裂け、顕現した刀の柄を、宙で掴む。


狂華の肩を狙い、峰を振り下ろした。


赤い壁が瞬時に立ち上がる。


刀の峰がぶつかり、硬い金属のような音が響いた。


血は凝固して金属のような硬さになっていた。


けれど、まだ終わっていない。


俺は左手の刀を消した。


同時に、狂華の右側へ回り込む。


空になった右手へ、再び刀を無陣召喚した。


逆方向から横薙ぎに振るう。


「わっ」


狂華が身体を沈める。


刀がツインテールのすぐ上を通り過ぎた。


かわされた。


そう思った瞬間、床に散っていた血が跳ね上がった。


鞭のようにしなった血が、俺の脇腹を打つ。


「ぐっ――!」


身体が横へ吹き飛ばされた。


床へ倒れる寸前、刀を消す。


背後へ召喚した刀の柄をつかみ、刀がせり上がる勢いを利用して強引に体勢を立て直した。


靴底が床を滑る。


脇腹が熱い。


服が裂け、その下から血が滲んでいた。


「すごいね」


狂華が振り返る。


「刀、召喚陣なしで出せるんだ」


赤い瞳が、嬉しそうに細められる。


「じゃあ――」


狂華の足元に広がる召喚陣が、赤黒い光を強めた。


「今度は、私の番ね」


召喚陣から、大量の血が噴き出した。


狂華の左右へ広がり、それぞれが異なる形を作っていく。


正面には、鋭い穂先を持つ何本もの槍。


左右には、長くしなる鞭。


さらに俺の背後では、細い血の糸が複雑に交差し、大きな網を形成していた。


いつの間に――。


逃げ道を塞がれた。


狂華が、こちらへ手を向ける。


「いくよ」


血の槍が一斉に放たれた。


俺は縮地で右へ移動する。


一本目が頬をかすめた。


二本目を上体をひねってかわす。


三本目。


避け切れない。


刀で、槍の穂先を弾く。


硬い音が響き、両腕に衝撃が走った。


そこへ、左から血の鞭が迫る。


刀を消す。


身体を沈めると、鞭が頭上を通り過ぎた。


しかし、反対側から二本目が来ている。


足元へ召喚陣を展開する。


せり上がった刀の柄へ足をかけ、召喚の勢いを利用して上へ跳んだ。


血の鞭が、俺の足元を薙ぎ払う。


空中で身体をひねる。


狂華へ向かって着地しようとした俺の正面に、血の網が広がった。


まずい。


右手へ刀を無陣召喚する。


網へ向かって振り下ろした。


幸いにも、網は先ほどの壁ほどの硬さはなく、切り裂くことができた。


開いた隙間へ身体を滑り込ませる。


網の切れ目の先が左肩と太腿を浅く切り裂く。


痛みが走る。


それでも、動きは止めない。


地面へ着地すると同時に刀を消し、縮地で前へ出る。


狂華との距離が、一気に縮まった。


血の槍が二本、正面から迫る。


一本目を身体を傾けてかわす。


二本目が右肩を狙っている。


避ける余裕はない。


左腕を上げて急所を守る。


血の穂先が腕をかすめ、服と皮膚を裂いた。


熱い痛みが走る。


あと一歩。


俺は狂華の懐へ飛び込んだ。


刀が最も使いやすい距離より、さらに内側。


互いの腕が触れ合うほどの距離。


これだけ近ければ、長い槍や鞭は使いづらいはずだ。


狂華の目が、わずかに見開かれる。


俺は右肘を、その顔へ振るった。


狂華が左腕を上げて受け止める。


肘と腕がぶつかり、鈍い音が響く。


すぐに身体を沈め、左の拳を腹へ打ち込んだ。


「くっ――」


拳は入った。


けれど、当たる瞬間に身体をひねられた。


芯を外された。


狂華が後ろへ下がろうとする。


逃がさない。


前へ踏み込み、腹へ膝を突き上げる。


狂華は脚を上げ、太腿で受け止めた。


そのまま俺の肩を押し、距離を取ろうとする。


俺はその腕を払い、右の掌底を下から突き上げた。


狂華が咄嗟に顎を引く。


掌底が顎先をかすめ、その頭をわずかに跳ね上げた。


「っ……!」


俺の攻撃は届いているが、倒れるほどの手応えはない。


肘打ちも、拳も、膝も。


ほとんど芯を外されていた。


狂華は、ますます嬉しそうに笑った。


「刀だけじゃないんだ」


狂華の周囲を漂っていた血が両手へ集まり始めた。


手の甲を覆い、指先から鋭く伸びていく。


赤い爪。


「近いなら、こうすればいいよね」


狂華が右腕を振るった。


五本の爪が、俺の顔へ迫る。


上体を沈めてかわす。


頭上で空気が切り裂かれた。


すぐに左の爪が、下から跳ね上がる。


身体をひねる。


避け切れなかった一本が胸元をかすめ、服を切り裂いた。


さらに狂華が踏み込んでくる。


速い。


血の爪が左右から連続して振るわれる。


一撃目を腕で外す。


二撃目を後ろへ下がってかわす。


三撃目。


頬のすぐ横を、赤い爪が通り過ぎた。


俺はもう一歩、後ろへ下がる。


狂華との間に、わずかな距離が生まれた。


近すぎず、遠すぎない。


刀を振るうには、ちょうどいい距離。


狂華もそれに気づいたのか、血の爪を構えたまま動きを止める。


俺は刀を召喚しなかった。


両手を軽く握り、右拳を前、左拳を顎のそばに置く。肩の力を抜いた、格闘の構え。


息を吐く。


狂華が首を傾げる。


「もう終わり?」


答えない。


一度だけ、深く息を吸う。


それから、ゆっくりと吐き出した。


廃ビルの中へ、白虎の咆哮と無数の羽音が響いている。


その音さえ、遠くなったように感じた。


狂華の姿だけを捉える。


次の瞬間、肩を引く動きも、拳を引く動きもなく、右拳を狂華の肩口へ伸ばす。


無拍子。


地面を強く踏みしめて溜めを作ることなく、余計な力を抜いたまま放つ、槍宮一心流の突き。


起こりがないため、相手が気づいたときには、拳が届いている――はずだった。


狂華の身体がわずかにひねられる。拳の軌道をかわす動きだ。


俺の無拍子は未完成。わずかに残った予備動作を察知された。


けれど、本命はここからだ。


握った拳の内側に、細い裂け目を開く。


裂け目から刀身が顕現し、指と指の間を抜けて、拳の軌道の先へ伸びた。


「――っ!」


狂華が刀身に反応する間はなかった。


拳をかわそうと身体をひねった、その肩口を切っ先がかすめる。


服が裂け、白い肩に浅い傷が走った。


わずかな血が宙へ散った。


浅い。


俺は刀を引き、狂華から距離を取った。


頭の奥に、鈍い痛みが走る。


短時間に無陣召喚を使いすぎている。


狂華は追ってこなかった。


肩の傷へ指を触れ、そこについた血を見つめている。


笑みが消えていた。


やがて、その赤い瞳が俺へ向けられる。


「今の……」


驚いたような声だった。


「間合いを全然読めなかったよ」


狂華は、自分の肩に残った傷をもう一度なぞる。


そして、ゆっくりと笑った。


「さっきの近接戦闘も、刀から私の意識を遠ざけるため?」


「……どうだろう」


「ふふっ」


狂華の笑みが、さらに深くなる。


肩を傷つけられたというのに、怒っている様子はない。


むしろ、先ほどまでより楽しそうだった。


「円、君すごく面白いね」

狂華と澪の挿絵を投稿しました!


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