尾行
放課後。
文化研究部の部室。
資料センターの話をしたあと、橘部長はしばらく黙り込んでいた。
やがて、机の上にあった金属片の小瓶を引き出しにしまい、鍵をかける。
「……今日は上がる」
それだけ言い残して、部室を出ていってしまった。
どう考えても、様子がおかしい。橙子さんも、さっきまでの軽い調子を失っている。
さっきの俺の話で、何か思い出したんだろうか。
閉まった扉を見つめていると、落ち着かなくなってきた。
「……俺、橘部長を追いかけてみます」
橙子さんがこちらを見る。
「でも、話せない理由があるみたいだよ」
「分かってます。ただ、あんな様子のまま帰るのを、見送れなくて」
そのとき、扉が開いた。
「お疲れー……って、なんだ?」
入ってきたのは尊流さんだった。
尊流さんは部室に入りかけたところで立ち止まり、廊下を振り返る。どうやら橘部長とすれ違ったらしい。
「修二のやつ、なんかあったか?」
「俺が今朝の資料センターの火災について聞いたら、急に様子がおかしくなって……。今、追いかけようとしてたんです」
「資料センター?」
「Zでは、能力者による破壊工作じゃないかって話題になってるんです」
尊流さんの眉が、わずかに動いた。
「能力者による、破壊工作……」
「それだけじゃないよ」
橙子さんが口を開く。
「修二さん、最近ずっと何かを調べてるんだ。召喚術の研究も、ほとんど私に任せきりでね」
橙子さんは、橘部長の机へ目を向けた。
「金属片も調べてるみたいだけど、聞いても教えてくれなかった」
さっき小瓶をしまった、鍵付きの引き出し。橙子さんはしばらくそこを見つめていたが、すぐに視線を戻した。
尊流さんも少し考え込む。それから、扉のほうを見た。
「俺も行く。今ならまだ間に合うだろ」
「はい!」
「私も行きたいところだけど、走ることになったら絶対についていけないからね。部室で待ってるよ」
橙子さんは立ち上がりかけて、椅子に座り直した。
「潔いですね」
「自分の体力は正確に把握しているんだ」
「ふっ……さすが橙子さんです!」
俺は橙子さんに手を振り、尊流さんと部室を出た。
◇
校門を出て、周囲を見渡す。
しかし、橘部長の姿は見当たらない。
「いませんね。それに、帰りの生徒も多くて……」
校門前には下校する生徒たちが溢れている。この中から一人を見つけるのは難しそうだ。
尊流さんが、片手をひさしのように額へかざした。
「んー……あ、いたぞ」
「えっ! どこですか?」
「あそこだ。百五十メートルくらい先」
指差された先には、大勢の生徒が歩いている。俺には、誰が誰なのかも分からない。
「尊流さん、視力いくつあるんですか?」
「二・〇以上はあるな。それより上は測ったことがないから分からん」
本当に頼りになる。
俺たちは人混みに紛れ、橘部長のあとを追った。距離はおよそ百メートル。
「どこへ行くんでしょうね」
「分からん。少なくとも、家の方向ではない」
「この方向だと、駅でしょうか」
「かもしれんな」
尊流さんは橘部長の背中を見ながら答えた。でも、どこか落ち着かない様子だ。
「……どうしました?」
「いや。こうやって、こそこそ後をつけるのは性に合わんなと思ってな」
「そうですね。俺も、できれば直接聞きたいです」
「ああ」
尊流さんが頷く。
「行き先が分かったら、声をかけるぞ。修二が何か抱えてるなら、直接聞こう」
「分かりました」
橘部長は駅へ向かう交差点を曲がらず、そのまま大通りを外れた。
住宅街を抜け、しばらく歩く。やがて工場や倉庫が目立つようになった。
「この辺りって、何があるんですかね?」
「うーん。あまり記憶にないが、中学のときに、工場見学に来たことがあったかもしれん」
しばらくすると、橘部長が足を止めた。
その先には、高い金網に囲まれた白い建物があった。
いや。白かった建物、と言うべきかもしれない。
建物の半分近くが大量の土砂に埋もれ、外壁も汚れ、崩れている。
「……ここ」
今朝、加藤が見せてくれた画像を思い出す。
「一か月前に土砂崩れで潰れた、政府系研究所の無人実験棟……」
「ここだったのか」
現場の場所もZに載っていたらしい。でも、そのときは画像のほうに気を取られていて、近くだとは気づかなかった。
金網には『立入禁止』の看板が取りつけられ、規制テープも張られている。
橘部長は周囲を見渡すと、土砂で歪んだ金網の隙間から中へ入った。
「入っちゃいましたね」
「行くぞ、円」
「はい!」
尊流さんにとって、立入禁止も土砂も、引き返す理由にはならないらしい。
俺も、ここまで来て橘部長を一人にしたくなかった。
尊流さんのあとに続き、金網の隙間を抜ける。
敷地内にはまだ大量の土砂が残っている。足元も悪く、気を抜けば転びそうだ。
尊流さんは、そんな地面を平地と変わらない速さで進んでいく。
建物の裏手まで回ると、橘部長の姿が見えた。土砂の前にしゃがみ込み、何かを調べている。
「いたな」
尊流さんは足を止めず、橘部長へ向かって歩いていく。俺もそのあとを追った。
橘部長は土砂の中から、拳ほどの岩を拾い上げた。
周囲に転がっている岩と比べると、わずかに色合いが違う。けれど、俺にはそれ以上の違いは分からなかった。
橘部長は岩についた土を払い、表面を指でなぞる。
その表情が険しくなる。
「やはり、サモンズか……」
サモンズ?
なんのことだろう?
「修二!」
尊流さんの声に、橘部長が勢いよく振り返った。
尊流さんは、まっすぐ橘部長のほうへ歩いていく。
「何やってんだ。水くせーぞ!」
「尊流……」
橘部長の目が、その後ろにいる俺へ向く。
「一ノ瀬まで。どうしてここに」
「あとをつけてきたんだよ」
尊流さんが、橘部長の前で立ち止まった。
「それで? なんでここに来たんだ?」
「それは……」
橘部長の言葉は続かなかった。
「どう見ても、悩んでるように見えるぞ。何か、俺たちに言えない理由があるのか?」
尊流さんがさらに聞く。
橘部長は手にした岩へ視線を落とした。
「……ここで、誰かと鉢合わせる可能性があった」
「誰かと?」
尊流さんが眉を寄せる。
「この岩を残した者。その関係者が、近くにいるかもしれない。もしそうなら、話し合いだけで済むとは限らない」
「だから、一人で来たのか?」
「お前たちを危険にさらせない」
「戦いになるなら、俺がいたほうがいいだろ」
「…………」
橘部長はすぐには答えなかった。
握った岩へ視線を落としたまま、何かを言いかけては口を閉じる。そして、ようやく絞り出すように声を出す。
「これは……俺の身内の問題かもしれない」
橘部長は岩を握り締めた。
「だから、俺が対応する」
「ああ?」
尊流さんの声が低くなる。
「じゃあ、お前は俺が身内のことで苦しんでたら、放っとくってのか?」
橘部長は答えなかった。
しばらくして、握っていた手から力が抜ける。
「……いや」
小さく息を吐き、尊流さんを見る。
「そうだな。この件については、冷静さを欠いていたらしい」
「まったくだ」
「尊流」
「あん?」
「協力してくれるか」
尊流さんが、にっと笑った。
「はっ。当然だろ」
橘部長は、俺のほうを見た。
「……円。お前にも、ちゃんと話しておきたい」
「……はい」
部長は俺のことを名前で呼んだ。
「橙子と灯莉にも聞いてほしい。部室に戻ってから話す」
尊流さんも頷いた。
「ああ。俺も、そのほうがいいと思う」
◇
部室へ戻る道すがら、俺は何度か口を開きかけた。
サモンズって何ですか。身内の問題って、どういう意味ですか。
聞きたいことはいくつもあったけど、部室で話すと決めたばかりだ。結局、どれも口には出せなかった。
三人で部室に戻ると、灯莉が来ていた。
「おかえり。橙子さんから聞いたけど、どこに行ってたの?」
灯莉の視線が、橘部長の手元に向く。
「……岩?」
橘部長は返事をせず、机の上に岩を置いた。
橙子さんも、椅子から立ち上がってこちらを見る。
「修二さん。円くんたちと、何か話した?」
「詳しくは、今からだ。」
橙子さんと灯莉が顔を見合わせる。俺と尊流さんも、橘部長の次の言葉を待った。
「サモンズという組織を知っているか?」
「いえ」
俺が答えると、灯莉も首を横に振った。
「能力者の集団だ。かつて、俺もそこに所属していた」
「部長が?」
「中学を卒業する頃に離れた。そのあと、組織は行方をくらませている」
「どうして抜けたんですか?」
俺の質問に、橘部長はすぐには答えなかった。
「サモンズは、能力者を守るために作られた」
机に置いた岩へ目を落とす。
「能力に慣れていない者が、周囲を傷つけることがある。異客が近づいてきて、能力者のそばにいた人が巻き込まれることもある。そうした事件を理由に、能力者を恐れる人もいる」
槍宮家にいるときも、何度か異客と戦闘になった。
あれが一ノ瀬孤児院に出ていたら。
そう考えるだけで、やはり背筋が冷える。
「能力者を利用しようとする連中もいる。だから、身を寄せ合い、守り合う必要があった」
「それなら……」
灯莉が机の岩を見た。
「どうして、政府の施設を壊すんですか?」
「分からない」
橘部長は、はっきりそう言った。
「今朝の火災も、サモンズの仕業だと確認できたわけじゃない。ただ、二つの事件には関連があると思う。そして、この岩は……かつてサモンズで共にいた能力者の召喚物に似ている」
「だから、確かめに行ったのか」
尊流さんの言葉に、橘部長が頷く。
尊流さんに続いて、俺は一番気になっていたことを聞いた。
「……部長」
「どうした?」
「さっき、身内の問題かもしれないって言ってましたよね」
橘部長は、机の上の岩を見た。
「……サモンズのリーダーは、俺の兄だ」
部室が静かになった。
兄。
橘部長のお兄さんが、あの事件に関わっているかもしれない。
それなら今朝、俺が資料センターの話をしたときに様子がおかしくなったのも分かる。
「兄は、能力者を守るには、能力者とそうでない人間が分かれて暮らすしかないと考えるようになった」
「修二さんは、違ったんですね」
橙子さんが静かに聞く。
「ああ」
橘部長は顔を上げた。
「俺は、共にいられる道を探すべきだと思った。その考えが合わなくなって、サモンズを離れた」
誰もすぐには答えなかった。
俺たちが能力者だと知られたら、どうなるんだろう。今まであまり考えないようにしてきた。漠然とした不安が、胸に広がった。
「今回、兄が何をしようとしているのかは分からない」
橘部長は続ける。
「だが、このまま能力者による破壊工作が続けば、能力者への目は厳しくなる。兄が関わっているなら、俺は止めたい」
「おう。そのために俺たちがいる」
尊流さんが頷いた。
「私も手伝います」
灯莉も、まっすぐ橘部長を見る。
俺は、さっき部室を出ていった橘部長の後ろ姿を思い出した。
「俺にも手伝わせてください」
「円……」
「何ができるか、まだ分かりません。でも、部長が一人で行くのを見ているだけなのは嫌です」
橘部長は俺たちを見回した。
「……ありがとう」
机の上には、研究所から持ち帰った岩がある。
今朝、俺はニュースを見ながら焼き魚を食べていた。
遠い場所で起きた、ただの事故だと思っていた。
けれど、目の前の岩を見ていると、もうそんなふうには思えなかった。




