陰謀論
朝。
槍宮家。
朝の走り込みを終え、俺と灯莉は食卓で朝飯を食べていた。
勇玄さんと尊流さんは、もう朝食を済ませたらしい。槍宮家の朝は早い。
それにしても。
朝の走り込みにも、だいぶ慣れてきたな。
最初の頃は、帰ってきた時点で足が動かなくなっていた。今は息も整っているし、こうして普通に朝飯も食べられる。
少しずつだけど、確実に身体が強くなっている。
この調子だ。
もっと強くなる。
早く、一ノ瀬孤児院に帰れるように。
いつまでも、槍宮家の人たちに甘えているわけにはいかないしな。
味噌汁を飲んでいると、テレビからニュースが流れてきた。
『昨夜未明、内閣府が所管する特異事象対策資料センターで火災が発生し、建物の一部が倒壊しました』
画面に、黒く焼け焦げた建物が映る。
『設備上の事故とみられ、政府と消防が詳しい原因を調べています。なお、施設は当時無人で、この火災によるけが人はいませんでした』
「へー」
「怖いわねぇ」
しのぶさんが、俺の前に焼き魚を置いた。
「誰も怪我しなくて、本当によかったわ」
「ふーん」
灯莉はあまり興味がなさそうに、卵焼きを口へ運んだ。
俺も焼き魚へ箸を伸ばした。
この火事のことなんて、もうほとんど忘れていた。
◇
休み時間。
教室。
授業には、なんとかついていけている。だが、早起きの代償――授業中に襲ってくる眠気。
彼らとの戦いには、いまだに慣れない。
そして、時々負ける。
今日も少しだけ負けた。
机に突っ伏していると、肩を揺さぶられた。
「起きろ、一ノ瀬! ニュース見たか?」
顔を上げる。まだ少し、頭がぼんやりする。
「加藤、いきなりどうした? なんのニュース?」
俺を起こしたのは、隣の席の加藤拓郎。クラスでできた、最初の友達だ。
入学初日、俺が話しかけようとして見事に失敗した男子生徒でもある。
あのあと、灯莉との関係をいろいろ聞かれ、その流れでなんとなく友達になれた。
よかった。
「おいおいー。特異事象対策の資料センターが燃やされたやつだよ!」
「……燃やされた?」
今朝、槍宮家のテレビで見たニュースを思い出す。
「えっと、確か……事故じゃなかったっけ?」
「ちっちっちっ」
加藤が、人差し指を左右に振る。
「甘いな、一ノ瀬」
「一ノ瀬は、SNSとか見ないのか?」
「ほとんど見ないけど」
「Zだと、めちゃくちゃ話題になってるぜ」
加藤が、俺の目の前にスマートフォンを突き出した。
「これ、現場の近くにいた人が撮った動画」
画面には、今朝テレビで見たものと同じ、黒く焼け焦げた建物が映っていた。
映像は暗く、手ぶれもひどい。煙の向こうに、崩れた壁が見える。
「ここ。よく見ろ」
加藤が動画を止め、画面を拡大した。
瓦礫の中に、大きな岩のようなものが見える。
ような気がする。
「……岩?」
「だろ!」
「でも、壁の破片じゃないの?」
「違うって。形が明らかに自然石だろ」
うーん、そう言われても、画質が悪すぎて俺にはよく分からない。
「それだけじゃない」
加藤が、別の投稿を表示した。
二枚の画像が並んでいる。
一枚は、今朝の資料センター。
もう一枚は、大量の土砂に埋もれた白い建物だった。
「……これは?」
「一ヶ月前にあった土砂崩れ。政府系研究所の無人実験棟が潰れたやつだよ」
「知らない」
「ニュースになってたぞ」
「その頃は、いろいろあったから」
異客と戦ったり、異世界に行ったり。
いろいろだ。
「まあ、そっちは普通の土砂崩れだと思われてたんだけどさ」
加藤が、二枚の画像を交互に指差す。
「どっちも政府の施設」
「うん」
「どっちも岩で建物が壊れてる」
「片方は火事じゃなかったっけ?」
「火事なのに、岩みたいなものがある。だから怪しいんだろ」
「なるほど」
分かったような。
分からないような。
加藤が画面をスクロールする。
『一ヶ月前の研究所と同じじゃないか?』
『政府施設ばかり狙われてる』
『土砂崩れも能力者の仕業だった説』
『岩なら全部同じに見える人たち』
『二件とも、なぜか被害者ゼロ』
『政府は何か隠してるだろ』
一ヶ月前には、ほとんど注目されなかったらしい。しかし、今朝の火災が起きたことで、過去の事件まで掘り返されている。
「同じ能力者がやったって、Zでは言われてる」
「この画像だけで、そこまで分かるかな?」
「岩の形が似てるらしい」
「ほう。岩の形」
「ああ。詳しい人が分析してる」
詳しい人。
なんの専門家なんだろう。
でも加藤が楽しそうにしてるなら、ちゃちゃ入れることもないか。
俺はしばらくの間、加藤との会話を楽しんだ。
◇
放課後。
文化研究部の部室。
「お疲れさまです」
扉を開ける。
部室には、橙子さんと橘部長がいた。二人で何か話していたらしい。
「あ、円くん。お疲れさまー」
橙子さんが、こちらを振り返る。
「いやぁ、例の無陣召喚の調子はどうだい? かなり再現性が高いらしいじゃないか!」
ものすごく嬉しそうだ。
「えっと――」
「――って、違う違う。今はそっちじゃない」
自分から聞いてきたのに。
橙子さんは、すぐに橘部長へ向き直った。
「修二さん。さっきの質問に答えてくださいよ」
「…………」
「最近、召喚術の研究もそっちのけで、何を調べてるんです?」
橘部長は答えない。
橙子さんが、机の上に置かれた小瓶を指差した。中には、小さな金属片のようなものが入っている。
「その金属片も、何か関係してるんでしょう?」
金属片?
なんだろう、あれ。
「……時期が来たら話す」
橘部長は、それだけ答えた。
「へえ」
橙子さんが、少しだけ目を細める。
「この前、私には“何かする前に相談しろ”って言いましたよね?」
「……言った」
「それなのに、自分はいいんですか?」
「…………」
橘部長が黙る。
「黙るんだ」
「……事情が違う」
「便利な言葉ですねぇ」
橙子さんが、呆れたように肩をすくめた。
「納得いかない――と言いたいところですけど」
小瓶を見る。
それから、橘部長の顔を見た。
「修二さんのことだから、話せない理由があるんでしょう」
「……すまない」
「まあ、これ以上は追及しないであげます」
橙子さんが、人差し指を一本立てる。
「その代わり、一つ貸しですからね」
「……分かった」
橘部長が、短く答える。
なんの話だろう。
金属片。
召喚術とは、関係がないんだろうか。
「ふむふむ」
橙子さんが、手元のメモに何かを書き込む。
「ねぇ、円くん。ちょっとここで無陣召喚してみてよ」
「えっ」
今、ここで?
「あれ、なんか精神的にドッと疲れるんですよねぇ」
「いいじゃないか。一回だけ。減るものでもないし」
減る。
俺の精神力が。
「なんか、おじさんみたいですよ」
「へへへ」
笑い方まで、おじさんみたいだ。
研究のことになると、本当に見境がないよな。橙子さんは。
なんとか、話をそらそう。
「あ!」
二人の肩が、わずかに動いた。
少し声が大きすぎた。
「橘部長。今朝のニュースでやってた、資料センターの火災って知ってます?」
「…………」
橘部長は答えない。
「あの、今、Zですごく話題になってるんですよ」
「…………」
長い。
いつもなら、すぐに返事が返ってくるのに。
「……ああ」
ようやく、橘部長が口を開いた。
「知っている」
こちらを見ようともしない。
あれ?
なんだろう。
いつもの橘部長と、全然違う。
「え、えっと……」
話題を間違えたかもしれない。
でも、もう話し始めてしまった。
「なんか、能力者による破壊工作じゃないかって……」
「…………」
橘部長は何も答えない。
橙子さんも、黙って橘部長を見ている。
気まずい。
ものすごく気まずい。
「いやぁ、本当、陰謀論って怖いですよね!」
笑ってみる。
誰も笑わない。
「俺たちも、能力者だってバレないようにしないと。はは……」
「……そうだな」
「は、はい……」
話をそらすつもりだった。
どうやら、もっと面倒な話にそらしてしまったらしい。
橘部長は、また黙り込んだ。
その目の前で、小瓶に入った金属片が蛍光灯の光を鈍く反射していた。
◇
都内某所。
窓のない、薄暗い一室。
長机の周りには、黒を基調とした制服姿の五人が集まっていた。
細かな形状や着こなしは異なる。しかし、胸元や袖に施された共通の意匠が、彼らが同じ組織に属していることを示している。
能力者組織ーーーサモンズ。
その奥。
幹部たちを見渡せる席に、黒いロングコートを纏った男が座っていた。
長身で細身の男が、椅子の背もたれに身体を預けたまま、ロングコートの男へ声をかける。
「どうや、一樹。計画は順調か?」
「ああ。すべて順調だ」
一樹と呼ばれた男が、静かに答える。
「こら、蒼月さん!」
制服を隙なく着込んだ青髪の女性が、声を上げた。
「リーダーに、そんな口を利いてはいけません!」
「澪ちゃん、ほんま厳しいなぁ。俺はええのよ。特別枠やから」
「蒼月さん。そういうわけにもいきません」
眼鏡をかけた男が、黒い手袋の位置を整える。
「我々は組織として行動しています。最低限の規律は守っていただかないと」
「かーっ、凛ちゃんも厳しいなぁ」
蒼月が、腕を組んだ大柄な男へ顔を向ける。
「黒石さんも、なんか言ってくださいよ」
腕まくりをした黒石は、何も答えない。
「…………」
「ほんま無口やなぁ」
そのとき、部屋の隅から大きなあくびが聞こえた。
「はぁーあ。退屈」
ソファには、制服を大きく着崩した少女が寝転がっていた。上着は開け放たれ、腹部を露出させている。
「早く暴れたいなぁ」
「狂華は、もうちょい我慢しよな」
「もうちょいって、どれくらい?」
「もうちょいは、もうちょいや」
「適当」
狂華が、不満そうに頬を膨らませた。
「雑談はそのくらいにしてください」
凛と呼ばれた男が手元の資料へ視線を落とす。
「残る工作活動は、あと一か所です。それを予定どおり完了させれば、いよいよ本計画を実行に移します」
部屋の空気が変わった。
全員の視線が、長机の奥へ集まる。
「ああ」
一樹は椅子に座ったまま、静かに右手を持ち上げた。
掌の上。
青白い光が、細い線となって走る。
線と線が結ばれ、一つの召喚陣を形作った。
次の瞬間。
青い炎が灯った。
初めは、掌に収まるほどの小さな火だった。
だが。
一樹が指をわずかに動かすと、炎は生き物のように腕へ巻きつき、一気に燃え上がった。
轟音。
青い業火が天井近くまで噴き上がり、黒一色だった部屋を鮮烈な青に染める。
離れているはずの幹部たちの頬にも、その熱が届いた。
それでも炎は、机にも、資料にも触れない。一樹の意思に従い、その背後で巨大な壁となって燃え盛っている。
「あとは、進むだけだ」
青い光に照らされた一樹の顔に、迷いはなかった。
「これで、俺たちの目的達成に大きく近づく」
誰も言葉を発しない。
青い炎が揺れるたび、六人の影が壁の上で大きく歪んだ。
「誰にも、邪魔はさせない」
一樹が、ゆっくりと拳を握る。
召喚陣が収縮し、炎が掌へ集まっていく。膨大な熱と光が、たった一つの拳に凝縮される。
「たとえ――」
握り締めた拳の隙間から、青い火の粉が零れ落ちた。
「誰であってもだ」
直後。
炎は跡形もなく消えた。
部屋に、再び薄暗さが戻る。
Xに挿絵を投稿しました。一樹と梓です。
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