第四章 夜の街と、消えた子供たち
アルヴィスに来て、一週間が過ぎた。
透はその間、毎日のように街を歩き回った。市場、職人通り、教会の広場、街壁の上から見る景色。ゲームで知っていた場所を実際に訪れ、知らなかった細部を発見するのが習慣になっていた。
セサミンはその全てに同行した。
最初は物珍しそうに何でも触ろうとして、市場の魚屋に怒られたり、鍛冶屋の火花に驚いて透の頭の上に飛び乗ったりしていた。しかし日が経つにつれ、セサミンの言葉は急速に増え、観察眼も鋭くなっていった。今では市場の店主たちに顔を覚えられ、「青いドラゴンの子」として可愛がられている。
透の方は、魔法の練習を少しずつ始めていた。
宿の裏手にある空き地で、毎朝一時間。最初は小石を一センチ動かすだけ、次の日は五センチ、その次は十センチ——とにかく小さなことから始めた。MPが無限でも、制御が伴わなければ意味がない。透はその信念を崩さなかった。
セサミンは毎朝その練習を眺めていた。
「きょうは、いしをなんこ、うごかせた?」
「十二個」
「きのうより、みっつおおい」
「そう」
「えらい」とセサミンは言った。
孵化して一週間で「えらい」という概念を使いこなすようになっている。透は密かに驚きながら、「ありがとう」と答えた。
噂を最初に聞いたのは、七日目の夕方だった。
市場の閉まりかけた時間、果物屋のおばさんが隣の布屋の主人に話しかけているのを、透は通りすがりに耳にした。
「また一人、いなくなったらしいよ」
「子供が?」
「八歳の男の子。昨日の夕方から行方知れずで、今朝になっても帰ってこないって」
透は足を止めた。
「今月で三人目だろう」と布屋の主人が言う。「衛兵は何やってるんだか」
「魔物でも出たんじゃないかって話もあるけど、街の中じゃねえ……」
透は何気なさを装いながらその場を離れた。
心臓が少し速くなっている。
ゲームで「アルヴィスの子供失踪事件」というクエストがあったことを、透は思い出していた。シナリオの中盤に差し掛かるイベントで、街の子供たちが次々と行方不明になり、調査するうちに街の地下に隠された魔法実験施設が発見される——という内容だった。
ゲームでは依頼を受けてクリアするだけのコンテンツだった。
しかし今は、これは現実だ。
子供が、消えている。
「トオル、かお、こわい」
セサミンが肩の上から透の顔を覗き込んだ。
「……ちょっと考えごとをしてた」
「なにを?」
「聞いてたか? 今の話」
「こども、いなくなった、でしょ」セサミンの声が少し低くなった。「かなしい」
「うん」透は歩き始めた。「ギルドに行ってくる」
ギルドの掲示板には、確かに新しい依頼が貼られていた。
【緊急依頼】行方不明者の捜索
依頼者:アルヴィス衛兵隊長
内容:過去二週間で失踪した子供三名の手がかりを探せ
対象:エドワード(8)、マリア(7)、クラウス(9)
最終目撃場所:いずれも旧市街南側の路地付近
報酬:金貨5枚
条件:Bランク以上
透は依頼書を手に取った。
「受けるの?」とセサミンが言った。
「受ける」
「なんで?」迷いのない質問だった。
「子供が困ってるから」透は簡潔に答えた。「それだけで十分だろ」
セサミンは少し間を置いて、「うん」と言った。
受付で依頼を登録すると、担当の職員が地図を出してきた。旧市街南側のエリアは、ゲームでも迷路のような路地が続く場所として描かれていた。現在は下層市民が多く住む古い区画で、衛兵の巡回が薄い。
「夜の捜索は危険です」と職員が言った。「昼間に——」
「夜の方が手がかりが出やすい場合もあります」透は穏やかに答えた。「気をつけます」
日が暮れて、透は旧市街に向かった。
セサミンは上着の内側に入っていた。夜風が冷たいこともあるが、目立たないようにという理由もある。「ここにいるね」とセサミンは言い、上着の内側から鼻だけ出した。
旧市街の路地は、昼間とは別の顔をしていた。
石畳の隙間から湿った匂いが上がり、窓明かりがまばらに灯っている。人通りは少なく、時折ネコが走り抜けていく。透は魔力視を使いながら歩いた。人の気配、建物の構造、地面の下にある何か——
「トオル」
セサミンが小声で言った。
「うん」
「したに、なにか、ある」
「地下か?」
「においが、した。あついにおい」
透は足元を見た。魔力視では、地面の下にうっすらと魔力の流れが見える。細くて、しかし一定の方向性がある。人工的な魔力だ。自然に発生するものではない。
ゲームの記憶が甦った。失踪した子供たちは、旧市街の地下に繋がる隠し通路から連れ去られていた。入口は——
透は路地をゆっくり進みながら、壁を確かめていった。古い石壁、苔の跡、鉄の扉。
突き当たりの壁の前で、魔力の流れが集中していた。
壁の一部が、違う。触れてみると、表面は石だが内側が空洞だとわかる。隠し扉だ。よく見ると、石の継ぎ目に沿って細い線が走っている。
「ここだ」
どう開けるか。ゲームでは特定のレリーフを押すと開く仕掛けだったが——透は魔力視で内部の構造を探った。扉の裏側に、小さな魔法式が刻まれている。鍵の役割を果たす術式だ。
透は人差し指を壁にあて、ごく小さな魔力を流した。
錠前を壊すのではなく、術式を読んで同じ信号を返すイメージ。制御の練習が、ここで活きた。
かちり、と音がした。
壁の一部が内側に傾いた。
「すごい」とセサミンが囁いた。
「静かに」
中は暗い通路だった。透は魔力を指先に集めて、小さな光球を作った。昨日の練習でようやくできるようになった術だ。光球を前に浮かべ、通路を進む。
石の壁に沿って階段が続き、地下へ降りていく。湿った空気の中に、かすかに煙の匂いが混じっていた。
しばらく進むと、扉の向こうから声が聞こえてきた。
大人の声だ。低く、抑えたような話し方をしている。透は足音を消しながら扉に近づき、隙間から中を覗いた。
広い地下室だった。
中央に大きな魔法陣が描かれている。燭台が四隅に置かれ、ローブを着た人物が三人、魔法陣の周囲に立っていた。そして魔法陣の内側に——
子供たちがいた。
三人、眠っているような状態で横たわっている。縛られてはいないが、起き上がれないようにする魔法がかかっているのだろう。息はある。胸が上下しているのが見えた。
透は奥歯を噛んだ。
ゲームでの記憶が正しければ、これは「魔力吸収の儀式」だ。子供の未成熟な魔力は、特定の術式において触媒として使える。子供自身を傷つけることはないが、魔力を根こそぎ奪われた子供はその後、魔法に一切の適性を持てなくなる。
危険ではない——という見方もできる。しかしそれは、誰かの可能性を永遠に奪うことだ。
透は静かに立ち上がった。
どうするか。三人を相手に戦えるか。魔法の制御がまだ不安定な状態で。
「トオル」
セサミンが上着の内側から顔を出して、透を見上げた。
「いく?」
「いく」透は静かに言った。「でも、できれば戦わずに済む方法を探す」
「むずかしい?」
「わからない。でも、やってみる」
透は扉に手をかけた。
蹴破るのは簡単だ。しかしそれをすると、三人が警戒して子供たちを人質にする可能性がある。ゆっくり、自然に開けて——
「誰だ」
扉を開けた瞬間に声が飛んできた。三人のうち一人が振り返り、透を見て、目を細めた。
「子供……いや、違う。ギルドの者か」
ローブの男は四十代くらい。目つきが鋭く、右手に杖を持っている。魔力視で見ると、魔力量は透よりずっと少ない——しかし制御は熟練している。
「依頼を受けた魔法使いです」透は落ち着いた声で言った。「その子たちを返してほしい」
「一人で来たか」男はわずかに笑った。「無謀だな」
「そうかもしれません」
「引き返せ。見逃してやる」
「それはできません」
男が杖を向けた。残り二人も振り返り、それぞれ魔力を高め始めた。三対一。しかも透は制御に不安がある。
しかしその瞬間、セサミンが上着から飛び出した。
透の肩に乗って、三人のローブの男たちを見た。その目が、金色に輝いた。
男たちが、固まった。
声を出さず、動かず、ただ立ったまま固まった。まるで時間が止まったように。
「セサミン、これは——」
「わからない」セサミンは正直に言った。「でた」
「また自然に?」
「うん。こわかったから」
透はしばらく呆然として、それから我に返った。動ける間に動かないと。
男たちが固まっている間に、透は魔法陣に近づき、子供たちにかかっている術式を解いた。複雑な術式だったが、魔力視で構造が見えれば、解除は難しくなかった。三人の子供が順番に目を覚ます。
「大丈夫か」
子供たちはぼんやりとした目で透を見た。怯えているが、怪我はない。
「外に出られるか? 一緒に来てくれ」
透は子供たちを連れて通路に向かった。セサミンの力がいつまで続くかわからない。急いだ方がいい。
通路を半分ほど進んだところで、後ろから足音が聞こえた。効果が切れたらしい。
「待て!」
男の声が追ってきた。透は子供の一人を抱き上げ、残り二人の手を引いて走った。階段を駆け上がり、隠し扉を抜け、路地に出た。
「走れるか」と子供たちに聞くと、三人とも頷いた。
「まっすぐ走って、大通りに出たら衛兵に声をかけろ。『地下にいた』と言えばわかる」
「お兄さんは?」
「後から行く」
子供たちを走らせて、透は振り返った。
隠し扉から、ローブの男が出てきた。他の二人も続いている。男の目に、今度は怒りがあった。
「その子竜、何をした」
「私にも正確にはわかりません」透は正直に答えた。
「貴様、何者だ」
透はその問いに少し間を置いた。何者か。自分でもまだよくわからない。ゲームの世界に転生した元社会人で、チートじみた魔力を持て余している魔法使い。それだけだ。
「ギルドの魔法使いです」
「それだけか」
「今のところは」
男が杖を構えた。火球が形成されていく。大きい。透は自分の手のひらを見た。
やるしかない。
透は両手を前に出し、魔力を集めた。小石を動かすときの、あの繊細な感覚。ただし今は繊細さと規模の両方が必要だ。
「これでも、加減します」と透は言った。
「何?」
「あなたたちを壊したくないので」
男は一瞬、表情が揺れた。それから火球を放った。
透は受け止めた。
正確には——火球を包むように魔力の層を展開して、熱を吸収した。制御の練習を一週間続けた成果が、思いがけず発揮された瞬間だった。火球は透の手の前で霧散した。
三人が息を呑む気配がした。
「……化け物め」と男が呟いた。
「違います」透は静かに言った。「話し合いをしたかっただけです。でも、子供たちは返してもらう。それだけは変わらない」
男たちは顔を見合わせた。
透は次の魔法を構えながら、内心では冷や汗をかいていた。もう一度あれをうまくできる自信は、正直五分五分だ。
しかしセサミンが、もう一度金色の目で男たちを見た。
今度は固める効果ではなかった。男たちの顔に、突然怯えの色が浮かんだ。三人が後ずさり、それから走って路地の奥に消えた。
追わなかった。
追う理由はない。子供たちは確保した。彼らの素性については、衛兵に任せればいい。
透はその場にへたり込んだ。
足が震えていた。
「トオル」
「ちょっと座らせてくれ」
「けが、した?」
「してない。ただびっくりした」
セサミンが透の膝に乗ってきた。温かい。
「セサミン」
「なに」
「今のは何をしたんだ。二回目の方」
「わからない」セサミンは少し考えた。「でも、おじさんたちに、こわいもの、みせた、きがする」
「こわいもの?」
「うん。なにか、みせた。セサミンには、みえないけど、おじさんたちには、みえた」
透は夜空を見上げた。星が出ている。
セサミンの力がどこから来るのか、まだわからない。魔力視で見ても、その根っこが掴めない。ドラゴンの力というよりも、もっと別の何か——
「トオル、寒い」とセサミンが言った。
「そうだな」透は立ち上がった。「帰ろう」
大通りに出ると、衛兵が子供たちと一緒に立っていた。透の姿を見て、衛兵が歩み寄ってきた。
「あなたが助けてくれたんですか」
「はい。地下に魔法式がありました。詳しくは明日ギルドで話します」
「子供たちは無事です。本当にありがとうございました」
子供の一人が、透を見て手を振った。透は手を振り返した。
セサミンも前足を上げた。子供が笑った。
宿に戻り、夜食を食べて、透はベッドに横になった。セサミンは枕の隣に丸まっている。
「セサミン、今日はありがとう」
「セサミン、なにもしてない」
「してる。助かった」
セサミンはしばらく黙っていた。「でも、わからないことをした。それでいいの?」
「わからないことがわかった、というのは一歩前進だ」
「むずかしい」
「そうだな」透は目を閉じた。「でも、焦らなくていい。私も自分の力のことよくわかってない。一緒に、ゆっくり分かっていけばいい」
「うん」とセサミンは言った。
しばらくして、小さな寝息が聞こえてきた。
透はしばらく起きていた。今夜の出来事を整理しながら。子供たちが無事だったこと。自分の魔法が、初めて本当の意味で「使えた」こと。そして——
セサミンの力が、何かとても大きなものの片鱗だということ。
ゲームでは存在しなかった力だ。この世界は、ゲームと同じ形をしているが、同じではない。そのことを今夜、透は初めて実感した。
窓の外で、夜風が吹いた。




