第三章 最初の依頼と、セサミンの不思議
依頼を選ぶのに、透は思ったより時間をかけた。
ギルドの掲示板には十数枚の羊皮紙が貼られていて、ランクごとに色分けされている。Bランクの透が受けられる依頼はかなり幅広いが、初回はあえて一番地味なものを選んだ。
【依頼】街道沿いの薬草採集
依頼者:アルヴィス薬師ギルド
場所:北街道から東に入った草原地帯
内容:青ミント草、夜露草、赤根を各10束
報酬:銀貨3枚
備考:魔物の目撃情報あり(弱種)
「これにします」と透が言うと、受付の職員が少し意外そうな顔をした。
「Bランクの方が薬草採集を?」
「最初だから、様子を見たくて」
「……そうですか。では東門を出て、街道を二十分ほど進んだところに草原があります。魔物はスライム系が数体確認されていますので、お気をつけて」
透は礼を言って外に出た。セサミンが肩の上で依頼書を覗き込んでいた。
「まほう、つかわないの?」
「今日は使わないつもり」
「なんで」
「力の加減がわからないから」透は正直に答えた。「昨日も魔法を少し試したら、思ったより大きな炎が出た。強い力があるのはわかったけど、それをどう扱うかはまだ全然わかってない」
セサミンはしばらく考えた。「ゆっくり、おぼえる?」
「そう。焦ってもいいことない」
「セサミンも、おなじ」とセサミンが言った。
「何が?」
「セサミンも、ちからがある。でも、わからない。どこにあるか、わからない」
透は歩きながら横目でセサミンを見た。孵化して二日目のドラゴンが言うには、妙に核心をついた言葉だ。
「そうか。じゃあ一緒に学ぼう」
「うん」とセサミンは言って、透の首にしっぽをぐるりと巻いた。
北街道は朝の光の中で気持ちよく続いていた。荷馬車が時折通り過ぎ、農村に向かう人々が歩いている。透は急がず、周囲を観察しながら進んだ。
道端の草木がゲームのグラフィックよりずっと複雑だということに気づいた。同じ種類に見える草でも、葉の形が微妙に違う。光の当たり方で色が変わる。踏んだ土の感触が場所によって異なる。
当たり前のことだが、ゲームでは感じられなかった「厚み」がある。
「トオル、あれ」
セサミンが前方を指した。街道から外れた草むらの中、青みがかった草が群生している場所があった。青ミント草だ。特徴的な葉の形はゲームの図鑑通りで、近づくと清涼感のある香りがした。本物だ、とまた思う。
「よく見つけたな」
「においが、した」とセサミンは得意そうに言った。「つよいにおい」
「鼻がいいんだな」
「うん。セサミンの鼻は、すごい」
謙遜という概念をまだ知らないらしい。透は苦笑しながら、腰に下げていた採集袋を出して、丁寧に青ミント草を摘み始めた。根は傷つけないよう残す。再生長のためだ。この知識はゲームから来ているが、植物の扱いとして実際にも正しいはずだと判断した。
「トオル」
「うん?」
「むこう、なにか、いる」
透は手を止めた。魔力視で草むらの向こうを見ると、薄い緑色の光の塊が三つ動いている。スライムだ。ゲームでは最弱の部類の魔物で、攻撃力も低く動きも遅い。だが実物を目にするのは初めてで、少し緊張した。
「大丈夫。弱い魔物だから」
「セサミンが、やっつける?」
「いや、私がやる」透は立ち上がった。「見ててくれ」
魔法を使わずに、ということは——透は腰に差した短剣に手をかけた。戦闘向きではないが、採集用の護身武器として購入していたものだ。
スライムが草むらからゆっくりと滲み出てきた。ゲームで見たものよりも半透明で、内側に小さな核が光っている。大きさはバケツ程度。動きは予想通り遅かった。
透は一体目に向かって踏み込み、核を狙って短剣を突き入れた。ゲームのように数値は出なかったが、手応えはあった。スライムが揺れて、溶けるように地面に広がって消えた。
二体目は横から滑ってきたので、ステップで避けて同じように核を刺す。消えた。
三体目——
「あ」とセサミンが言った。
三体目のスライムが、透ではなくセサミンに向かって伸びてきていた。透が反応する前に、セサミンは小さな口を開けて、息を吹いた。
火ではなかった。
透の目には、それがはっきりと見えた。セサミンの口から出たのは、淡い金色の光だった。光はスライムに触れた瞬間、スライムを包み、そのまま静かに消滅させた。
一秒もかからなかった。
透とセサミンは、しばらく互いを見た。
「……セサミン、今なにをした?」
「わからない」セサミンは自分の口元を前足で触った。「でた」
「出た? 自然に?」
「こわかったから。びっくりして、でた」
透は魔力視でセサミンを改めて見た。小さな体の中に、並外れた密度の魔力がある。色が独特だ——金色に近いが、それだけじゃない。透が今まで見た誰の魔力とも違う質感がある。
「……不思議なもんだな」
「へん?」セサミンが少し不安そうに言った。「へんだった?」
「いや、すごい、の方が近い」透はセサミンの頭をそっと撫でた。「怖い思いさせたな、ごめん」
「こわくない。びっくりした、だけ」
「どっちでも。ちゃんと守ってあげられなかった」
セサミンは少し考えて、「じゃあ、こんどから、セサミンとトオル、りょうほう、まもる」と言った。
「うん、そうしよう」
薬草採集はその後、順調に進んだ。セサミンの鼻が頼りになった。夜露草は岩陰の湿った場所に生えていて、透が見落としそうな場所をことごとく嗅ぎ分けた。赤根は地中に潜っているが、セサミンが「このあたり、においちがう」と言って示した場所を掘ると、必ず出てきた。
採集しながら、透はセサミンにいろいろなものを教えた。草の名前、虫の種類、遠くに見える山の名前。セサミンは教えられたことを全部繰り返して確認し、次に同じものを見つけると嬉しそうに名前を言った。
「あれ、スモークバード」
「そう、よく覚えたな」
「あのくも、コガネグモ」
「違う、あれは——」透は目を細めた。「……あってる。コガネグモだ」
「でしょ」とセサミンは得意そうに言った。
覚えが本当に早い。言葉もそうだが、景色や匂いを記憶する力が際立っている。透は少し驚きながら、それを隠した。セサミンはまだ生まれて二日目だ。どこまで成長するのかが、まったく予測できない。
昼を過ぎた頃、採集が完了した。袋の中には依頼分の薬草が揃っている。透はその場に腰を下ろして、持参した水筒から水を飲んだ。
セサミンが膝の上に乗ってきた。
「つかれた?」
「少し」
「トオルは、よわいの?」
「体力は普通かな。魔法使いは体力より魔力が大事だから」
「セサミンも、まほうつかい?」とまた同じ質問が来た。今朝も同じことを聞いていた。
「さっきのを見ると、魔法は使えるみたいだな」
「でも、わからない。どうやってやるか、わからない」
「それはこれから分かっていくと思う」透は空を見上げた。薄い雲が流れている。「私だって、自分の魔法がどういうものかまだわかってない。一緒に探っていこう」
セサミンはしばらく黙っていた。草原の風が吹いて、透の前髪を揺らした。
「トオル」
「うん?」
「ここにきて、よかった?」
思わぬ質問で、透は答えるのに少し間があいた。
よかったかどうか。正直に言えば、まだわからない。元の世界への未練があるかと言われれば、ないとは言えない。しかしこの草の匂いも、風の感触も、目の前の小さなドラゴンも、確かに今ここにある。
「今のところは、よかったと思ってる」
「ほんとう?」
「本当。特に、セサミンがいるのはよかった」
セサミンは少し照れたような顔をした——表情が豊かになってきている。それ自体が不思議だった。昨日より今日の方が、明らかにセサミンの顔から読み取れる感情が増えている。
「セサミンも」とセサミンは言った。「トオルのところで、よかった」
「なんで?」
「おなか、すかせない」
透は笑った。「それだけ?」
「……もっと、ある。でも、ことばが、まだない」
「言葉が増えたら教えてくれ」
「うん」とセサミンは言って、透の膝に頭を乗せた。「おひさまが、あったかい」
「そうだな」
草原の上に、穏やかな午後の光が広がっていた。風が草を揺らし、遠くで鳥が鳴く。透はそれをただ静かに聞いていた。
急ぐことは何もない。力の使い方も、この世界の仕組みも、これからゆっくり知ればいい。今日は薬草を採って、スライムを倒して、セサミンが不思議な力を見せた。それで十分な一日だった。
立ち上がろうとすると、セサミンが「もうちょっと」と言った。
「帰らないの?」
「もうちょっと、あったかい」
透は結局、もう少しそこにいた。
ギルドに戻って薬草を納品すると、受付の職員が目を丸くした。
「全部そろってますね。しかも状態がいい」
「丁寧に採ったので」
「魔物の被害は?」
「スライムが三体いましたが、問題なく」
職員が書類に何かを記入している間、ヴェルナーが奥から顔を出した。透を見て、それからセサミンを見て、小さく頷く。
「どうだったかね、初依頼は」
「勉強になりました」
「魔法は使ったか?」
「使いませんでした」
ヴェルナーはまた何かを考える顔をした。「使えるのに使わなかった、か」
「加減がわからないので」
「……正直な子だ」ヴェルナーは静かに笑った。「その慎重さは悪くない。力のある者ほど、最初の一歩を軽く踏み出す。君がそうでないのは、良いことだと私は思う」
透は礼を言って銀貨を受け取った。三枚。軽いが、確かな重さがある。
宿への帰り道、セサミンが約束通り屋台の焼き肉の匂いに反応した。
「あのにおい」
「覚えてたか」
「やくそく」
透は苦笑して立ち止まり、屋台でドラゴン肉の串焼きを一本買った——ドラゴンという名前だが、実際は家禽の一種だとゲームで知っている。セサミンに渡すと、熱心にかぶりついた。
「おいしい?」
「おいしい」とセサミンは言い、少し考えてから付け足した。「でも、なんか、かなしい」
「なんで」
「これ、ドラゴン」
「……似た名前なだけで、別の生き物だよ」
「ほんとう?」
「本当」
「じゃあ、おいしい」とセサミンはまた食べ始めた。
透は夕暮れの石畳を歩きながら、今日知ったことを頭の中で整理した。セサミンの力のこと。魔物が実際にどう動くかということ。ヴェルナーの言葉のこと。
わからないことはまだたくさんある。この世界がゲームとどこまで同じで、どこから先が違うのか。自分が転生した理由が何かあるのか。セサミンの「不思議な力」がこれからどう育っていくのか。
でも今日は、それで十分だった。
宿の扉を開けると、夕食の匂いが漂ってきた。セサミンが鼻をひくひくさせる。
「スープ、においがする」
「夕飯にしよう」
「うん」とセサミンは言って、透の肩の上でしっぽを揺らした。




