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魔道のマナー  作者: 青梨
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歌う少女と

 夢を見ていた。昔の夢だ。

 まだ幸せで、手の届く範囲の世界以外、何も知らなかった無知な頃の自分の夢。


 女性が一人いた。その人はいつも不機嫌そうで、でも時々優しそうな笑顔を見せてくれて。幼い時分にはその違いはあまり理解できなかったけど、その女性のことが大好きだった。

 時々その女性の人の所に男の人が現れた。女性と男の人は仲よさそうにしていた。

 夜になんだか怖い思いをしたことがあった。

 その時はとても眠るのが怖くて、意識がなくなるのが嫌で、女性の側に擦り寄った。

 最初は迷惑そうに押し退けられた。けどそれでも構わずに引っ付くと、最後にはなんだか諦めたように息を吐いて、落ち着かせるように手で叩きながら歌を歌ってくれた。

 その歌を聴くと、なんだかとても安心できて穏やかに眠ることができた。

 あるとき一人の男の人を紹介された。なんでも自分の父親らしいそうだ。

 前に見た男の人とは顔が違っていた。けれどその人が私の父親らしいことを母親である女性の言葉を聞いてすぐに信じた。

 それからの生活は以前より楽しかった。父親の男の人は優しかった。いつも私を撫でてくれた。母親の女性もやっぱり普段は怒りっぽいけど、それでも前よりは優しかった気がした。

 夜に二人と一緒に寝ようとしたこともあった。たまに知らない人がいたときはダメだったけど、そうじゃないときは一緒に寝てくれた。母親の女性は時々だけど安心する歌を歌ってくれた。

 ある日、初めて母親と父親に連れられてある場所に向かった。三人で一緒に何かすることはあんまりなくて、それが外へ行くとなると初めてで、なんだか無性に嬉しくて楽しかった。

 連れられた場所に着くとそこには自分と同じような子供と、その子どものそばに大人の人がたくさんいた。自分以外の子供を見るのは初めてじゃないけど、話すことはあまりなかったので、それだけですごく緊張した。

 子どもが一人ずつ前の方に歩いていった。その度に大人の人が声をかけていた。

 何かをした後の反応は色々で、嬉しがる人もいれば、悲しんでいる人もいて、どちらでもない人もいた。

 ついに自分がその番になった。母親と父親がなにかを一生懸命言ってくるので、期待に応えたくてよくわからないけど精一杯に頷いた。

 何かをするものに触った。近くにいた人はそくていきと言っていた。意味はよくわからなかったけど、言われた通りにした。

 そくていはすぐに終わった。これが何だったのか気になって、近くにいた人の顔を覗くように下から見上げた。その顔を見て、嬉しくなさそうなのはわかった。

 でも終わったので、母親と父親のところに戻った。何があったかわからないけど褒めてくれるかもしれない。そんな気持ちだった。

 ──そして私は。


 そこで意識が覚醒した。目が覚めて瞼を持ち上げる。体を起こして周りを見渡した。

 覚えのない部屋だった。左側にベッドが一つあって、その奥に木枠の窓があった。右側には壁があって、正面の方には扉が付いていた。どうしてこんな所にいるのか、寝ぼけた頭で考えようとして、思い出した。


「……そうだ。孤児院は無くなって……別の所に移動したんだった」


 自分に対して与えられた二人部屋の個室。ここにはベッドは二つあるが、この部屋で寝泊まりするのは自分だけだった。ベッドの上から降りる。靴を履いて、寝室であるここから出ようと唯一ある扉に向かった。

 そこを開けると居間になっていて、二人掛けの机があり、その上に白い布が被さった籠と何か液体が入った瓶が置いてあった。

 椅子に座り籠をこちらに引き寄せる。被せられた布を取るとその下にはパン屋果物に干し肉など、食べ物が見えた。起き掛けの空き腹を満たすように、それらを籠から取り出して口に運ぶ。普段から食べてるものより美味しいはずなのに、とても冷たい味を感じながら咀嚼して嚥下する。水分が欲しくなったら瓶の中身を飲む。こちらは特に変わらない普通の水だった。

 籠の中身を半分ほど食べると、また布を被せて元の位置、机の中央に戻した。

 朝食を食べる終わると部屋の隅にある棚から紙や本などを取り出し机の上に置いた。これらは暇をしないように与えられたものだ。

 数字や文字を書き勉強しながら、少女……リナはここ数日自分について起きたことを想起していた。


 先日起きた事件でリシア・テラム司祭が亡くなった。

 彼女を殺害した人物はハンターだった。そのハンターは同じハンターの人に既に倒されたと言う話だった。

 倒されたそのハンターの目的は私だった。だからハンターが孤児院を襲ったのは私が原因だった。

 それについてリリンダさんは否定してくれた。泣きながら私は悪くないと言ってくれた。悪いのは自分だとも言っていた。

 でもそう思わない人たちがいた。私と同じ孤児院の子供達だ。

 リシア司祭が死んだのは私ともう一人ザックの所為だと、事情を知っている子が言い始めた。その話はすぐに子供達の間に広まった。リリンダさんが否定してくれたおかげで表向きにはすぐにその話は無くなった。だけど他の子の目を見ればすぐに分かった。私はリシア司祭の仇も同然だった。

 だからすぐに襲われた。怒りを発散して悲しみを紛らわせる相手が欲しかったのかもしれない。私は殴られて蹴られて髪を引っ張られて地面に倒された。

 複数人に一方的に攻撃されても最初は無抵抗でいて反撃しなかった。自分が悪いのはその通りであったし、理由は分からなかったけど殴られても大して痛くなかったからだ。

 でもその内に腹が立って、つい手を払うようにして反撃してしまった。なんてことはない貧弱な子供のただのか弱い抵抗、そのはずだった。だけど、私が手を払うと、触れてもいないのにその子が殴られたように倒れた。鼻と耳からは血が流れていた。何が起きたかは分からなかった。

 私を攻撃していた子達も同じ気持ちだったようで、少しの間その場はとても静かになった。

 でもすぐに慌て始めて逃げるように私から距離を取った。しばらくして大人の人が来た。リリンダさんもそこにはいた。呆然と立ち尽くしていた私の側に、血を流しながら倒れている子を発見すると、全員血相を抱えてその子へと駆け寄った。中には医者を呼ぶような声も聞こえていた。

 その子が抱えられてどこかへ連れて行かれた。私はそれをただ見送った。

 後になって何があったかリリンダさんから聞かれた。私は起きたことを特に隠すことはせず正直に話した。途中悲しげに顔を歪ませることもあったけど、何が起きたのかについては分からない様子だった。

 それから私について色々と調べることになった結果、私の魔力が異常なほど増加していることが分かった。

 適正属性は相変わら無かったけど、その結果を知った大人の人たちはとても慌てた様子だった。

 大人たちが言うには突然増えた魔力が暴走して相手に害を与えてしまったと言うことだった。だから私は他の子から離されるように一人でいるようになった。


 まるであの時と同じだと、そう思った。



 ──そして私は殴られた。ほっぺたが痛かった。

 何度か殴られて、痛くて涙が出てしまった。殴ったのは母親だった。何で殴られたのかわからなかった。

 周りの大人の人たちに母親は掴まれていた。いつもだったら嫌だったけど、その時は殴られたくなかったのでそれでよかった。母親が何か大きい声で色々言っていた。意味はわからなかった。

 父親は気づいたらいなくなっていた。だから母親と一緒に帰ろうとした。でもまた殴られた。来るなと言われた。その言葉の意味はわかった。

 ここにいたたくさんの子供と、大人の人がいなくなっていた。

 自分はどうすればいいのだろうか。わからなかった。来るなと言われたからとりあえずそうした。



 私は与えられた部屋を抜け出しある場所に来ていた。

 その目の前の建物は記憶の中よりもやや古ぼけていて小さく見えた。

 ここは私が魔力測定を行った街の講堂だ。ここで私の運命は決定付けられた。

 その講堂の入り口から離れた外壁の一角に、私は懐かしむように寄った。


「……ここに立ってたんだ。そしたら──」



 ずっと一人でいたら、一人の大人の人が話しかけてきた。

 その人は屈んで言った。今日から家族になるらしいそうだ。

 家族は知っていた。母親と父親だ。だからこの人が家族でないのはわかった。

 私を連れて行こうとした。だから握られた腕に力を込めて抵抗した。

 そうしたらその大人の人は困ったような顔をした。でも笑っていた。

 二人でそこにいた。時間はわからない。途中で別の大人の人がきた。最初の大人の人が話すと、どこかへ言ってしまった。

 お腹がすいた。いつまでここにいればいいのだろうか。わからなかった。

 突然悲しくなった。理由はわからない。でも泣いてしまった。

 大人の人が抱きしめてくれた。それのせいでもっと泣いてしまった。

 もう涙が出なくなったあと、大人の人と手をつないでそこから移動した。

 知らない建物があった。自分の家よりもずっと大きい場所だった。その中に入った。

 中には子どもがたくさんいた。全員こっちを見ていた。怖かった。

 背中を押された。今日から家族になると言われた。わからないけど、言われて挨拶はした。

 そこからが私の生活の場になった。

 そこで起きて、ご飯を食べて、遊んで、勉強をして、またご飯をたべて、寝た。

 そういう日々が訪れた。



 私はまた場所を移動した。

 次に来たのは街の西側にある、あまり子供が来るのは好まれないような区画だ。

 私はそこまで足を運び、また一つの建物の場所で歩みを止めた。

 この共同住宅はかつて私が暮らしていた場所だ。母親がいて、父親と呼べる人もいて、幸せだと感じられた記憶の詰まった場所。その幸せは偽りだったかもしれないけど、それでも私にとっては本物に感じられた救いの記憶。

 ここに再び訪れたのはこれが初めてじゃなかった。以前一度だけここを目指して、ここに辿り着いて、知りたくないもない現実を知らされた。

 ここに既に母親だった人物はいない。父親は最初からいない。私はそれを思い知らされた。

 そして私は、この場所に別離を告げるように、思い出の鼻歌を口ずさんだ。



 たまに歌を歌った。母親だった人が歌ってくれた歌だ。とても好きな歌だ。

 でもすぐに歌うのをやめた。気持ち悪いと言われたからだ。とても悲しい気持ちになって、それっきり人の前で歌うのをやめた。

 勉強をした。色々なことを知った。たくさんのことを覚えた。

 それで知った。私の両親であった人たちが、とても酷い人たちであったということを。

 だけど認めたくなかった。あの記憶だけが拠り所だったからだ。

 私は一度今いる孤児院を抜け出した。母親の言いつけは守らなかったけど、それでももう一度会いたかったからだ。私は途中不安な気持ちで道を選びながらも、なんとか自分の家に帰ることができた。不安と嬉しさがごちゃ交ぜになった気持ちで、私は自分の家の扉を恐る恐るに叩いた。

 でも、そこに私の家族はいなかった。その部屋は空室だった。

 真っ白になった頭で孤児院に戻った。どうやって戻って来たかは思い出せなかった。

 私はその時から始めて親に捨てられたことを自覚した。

 それを思い出す度に毎日とても悲しかった。その気持ちを誤魔化すようにたまに一人で歌を歌った。この歌を歌うと気分が落ち着いて優しい気持ちになれた。悲しい気持ちも忘れられた。



 いつも来ていた場所、見慣れた空き地が目の前にあった。

 私はこの通い慣れた場所を最後に見納めようと、一人でここへ足を運んでいた。



 そしてあの日が訪れた。

 いつものように一人で歌を歌っているとき、その人は唐突に現れた。黒い仮面に黒い衣服という、とても怪しい人だった。危ない人に声を掛けられたかもしれないと、怖くて動くことが出来なかった。

 でもその人はいい人だった。私の歌を褒めてくれた。価値があるとお金をくれた。正直意味がわからなかったけど、これまでの人生の中でもとても嬉しい瞬間だった。その人は自分をプラウスと名乗った。

 それからその人は何度も私の歌を聴きに来てくれた。その度にお金をくれて、断ったけど無理矢理渡された。いつも同じ歌しか歌っていないのに、その人は変わらない拍手を送ってくれた。

 歌を聞いてもらった後私はその人と色々な話をした。

 私には私だけの価値があるとそう言ってくれた。それはとても嬉しいことだった。なのにたくさん泣いてしまった。その人は黙って背中を撫でてくれた。

 私にとってその人は特別になった。いつまで続くかは分からなかったけど、辛いことは考えずにその時を楽しんだ。

 ある日その人はこの街を去ると言った。私は来るべき時が来たことを自覚した。

 その人は私に言った。私も自分と一緒に来ないかと。その提案は素直に嬉しく思った。

 だけど私はこの提案を受けるか迷った。自分の価値にそこまでの自信があるはずなかったからだ。私はまた誰かに捨てられることが怖かった。他の子への罪悪感や親代わりの人への恩もあった。でも自分の感じた恐怖が一番目にあったことは確かだった。

 答えは保留することになった。それでも数日以内に決めることになった。私は誰かに考えることもしないで一人で決めようとした。

 いよいよ明日決断をしなければならない。そういう思いでいたけど、その時は二度と来なかった。

 私は怖い人に連れ去られた。

 そして連れていかれた先でもっと怖い人に何かをされた。何をされたのかは分からなかった。

 その後のことは覚えていなかった。次に起きたら既にベッドの上だったからだ。

 でも、とても苦しくて痛くて悲しくて、そんな嫌な世界に閉じ込められていたのに、とても温かく感じさせる誰かが、暗い暗いその場所から連れ出してくれた。それだけはなんだか覚えていた。




 二日前に突然リリンダさんが私に言った。私は引き取られることになったと。

 私の体に起きた異常な出来事。それは私を攫った人たちが関係していたようで、私は何かの実験の結果今のようになったということだった。

 突然増えた魔力のことは公には秘密にされた。でも今回私が起こした事件を含めて、必ず厄介な事を引き起こしかねない。だから事情を知る上に、優秀な魔法的人材を求める貴族の家に引き取られることに決まった。私はそこで増えた魔力を制御する方法を覚えなければいけなかった。

 私に選択肢は無かった。


「また一人になっちゃったな……」


 ポツリと溢れる。

 失うのこれが二度目だ。一度目は母親に捨てられたとき。自分が無能なせいで見限られた。二度目はついこの前。自分が原因で親代わりの人を死なせてしまった。どちらも自分の所為だった。

 でも、それだけでもなかった。


「プラウスさんに、お返事出来なかったな……」


 黒仮面の人のことを思い出す。

 私の歌を褒めてくれて、私に価値があると言ってくれて、私の友達になってくれて。私を連れ出してくれると言ってくれた唯一の人。


「どうして会いに来てくれなかったんだろう……」


 この空き地でそのことで会話したのが最後になってしまった。この街自体に未練はもうないが、そのことだけは大きな心残りであった。


「私が悪い子だからかな……」


 親代わりの人を死なせて、孤児院の子達を傷つけて。そんな酷い人間だから自分は見限られたのだろうか。その想像に胸の内が重くなった。

 失うことで何より辛いのはその落差だ。自分が一人だったらきっと耐えられた。辛いことも苦しいことも全部自分の中で完結しているからだ。だけどその中に他者を招き入れたのは自分。弱くて寂しがり屋な小さい自分。何かに期待するのなんてやめたのに、誰かに縋るのなんて無意味だって知っていたのに。胸の中にぽっかり空いた寂寥感は埋まることはない。

 でも時間の問題でもあるあろう。どうせこの喪失感にもすぐ慣れる。慣れなきゃいけない。泣くのが許されるのは寄る辺ある者だけなのだから。


「せめて最後に会話したかったな……」


 それでもそう思わずに入られなかった。もう一度だけでも歌も聴かせてあげたかった。

 でももうその機会は訪れそうにない。今朝にリリンダさんから告げられたからだ。今日にも私を引き取る貴族の人が訪れると。

 だから私がこの街にいられるのは今日までだった。


 今いる空き地のいつも立っていた定位置の上に乗る。

 私は息を吸い、ここで歌う最後の歌を、ここには居ない人に向けて送るように歌った。


 ここで歌う最後の歌が終わりを迎えようとする。これでもう、私がここに来ることはもうない。

 最後に余韻を響かせるような、そんな少し上達した技術を披露して、私は歌い終わった。

 息を吐き、胸の内の寂しさを振り払おうようにして私はこの場を──


 そのとき背後から、何かが叩かれるような音が響いた。


 私は一瞬、心臓が跳ね上がるような思いをして、すぐにそれを落ち着けた。

 なぜなら今聞こえた音は、いつもの布を合わせたような鈍い音とは違い、明らかに素手で叩かれたものだったからだ。

 自分の知る人ではないが、なら今いる後ろにいるのは誰であろうと、私は興味を持って恐る恐る振り返った。

 そこにいたのは、私と同じくらいの年頃の明るい茶髪の少女だった。


「驚かせるような真似をしてごめん。歩いていたらあなたの歌が聴こえて来たから。あまりに上手だったから思わず立ち聴きしちゃった」


 その覚えのある言葉を聞き、私の心はひどく動揺した。

 一瞬頭の中である人と結び付けようとしたが、目の前の少女とは似ても似つかなかった。

 僅かに襲った混乱に私が何も言えないでいると、更に少女は続けた。


「どうやらこんな少女に突然話しかけられて困惑したのかな?私はすぐに……用件が済めばすぐにこの場を離れるから安心してくれていいよ。ああ、それとあなたの歌に対する私からの報酬。受け取ってよ」


 そう言って少女がポッケから取り出しのは一枚の硬貨、1万リア硬貨だった。


「私とあなたの間では、この価格であってるでしょ?」


 1万リア。そのとてもよく知る金額に、私の口から思わずある名前が漏れる。


「ぷらうす、さん……?」

「いやいや、あんな格好いい黒仮面の魔導師と間違われるのは光栄だけど、今の私はそうじゃないよ。生憎とオンとオフの日は切り替える気質だから」

「え? え??」

「混乱させちゃったかな。おほん、取り敢えず自己紹介をするね。私の名前はミーナ・リシャール。今日あなたを迎えに来る貴族家の人間だよ」


 理解に私の頭が追い付かないうちに、少女は自分の名前と正体を名乗った。

 そして突然に闇が現れ、それが晴れると少女の手には入るある物が握られていた。


「そして、姿を隠しハンター活動に臨む時の又の名をプラウス」


 私のよく知るその黒い仮面を、少女は自分の顔に重ねるように持った。


「約束通り迎えに来たよ。おおっと、返事は『はい』しか認めないからね。それ以外だと私の精神に多大に負荷がかかって卒倒しちゃうから」


 少女は仮面を少しズラすと、その下から冗談っぽい苦笑を覗かせた。

 そして空いてる右手を、こちらに向かって差し出した。


「よろしくリナ」


 少女から出されたその手を、私は満足に握り返すことも出来ない。

 それほど私の視界は、湧き出る感情で溶けて、滲んで、ぐちゃぐちゃに塗れ切っていた。

 それでも何とか、そこにいる見えないその人に向かって、詰まり気味の声でこれだけは言った。


「────。──────」


 私が出したその手には、ずっと昔に記憶の底に沈んだような懐かしさを感じる暖かさが、胸の内に染み入るようにじんわりと伝わった。そんな気がした。


 歌う少女は聴き手を得た。それはただの一人であったが、その唯一は代え難いものとなった。この先幾らの縁を結ぼうと、これが無二の一番だった。

 少女は素顔を曝け出した。

これで第二章は完結となります

ここまでお読みいただきありがとうございました

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