魂の歪み
闇が晴れたとき、私が目にしたのは人の手入れがされていない廃墟だった。
先の戦闘の熱が引き、普段に回帰した頭で考える。感知した限りここは大体街の東側に位置しているはずだ。
この街が出来た際、魔物領域を南に置く形で東西に幅広く設計したものの、結局魔物のいない北側へと安全性と利便性の高さから人が移り、再開発も碌にされないまま放置された区画。そのせいで地価が安く粗末な住居ばかりが残されている。孤児院があるのもそういった区画の一つである。
そんな元々人気の少ない場所ではあるが、全く感じさせないというのは不自然であった。
──それはこの目の前の人物が原因か。
廃墟の前に静粛に佇み、黒いフードを深く被り表情が全く見通せないその人物が、言葉を発した。
「ああ、貴方ですか。さすがは転移魔法の使い手ですね」
「……私を知っているのか?」
「知っている、というよりたった今知ったというのが正しいですかね。貴方でしょう。先程我々が用意した災害級の魔物を討伐したのは」
僅かなやり取り。互いに名前すら語らない情報の交換に、決して聞き逃せず、相手の立ち位置を決定付ける発言が存在した。
「我々……つまりお前達ということか。今回の事件を首謀したのは……!」
納得とともに魔力を噴出させる。
魔物寄せが使われた時点で人為的なものだとは予想していた。だから実行犯を名乗る存在を目の前にして驚きはなかった。怒りだけがあった。
「実行したのは確かにそうですが、それは望まれたからに過ぎません。ただ魔物による招死というのは、我々の理念に叶うところでありますがね」
その一言で私はこの目の前の相手の正体に思い至った。
「お前たちは魔王教団か……!?」
「我々からそう名乗ったことはありませんが、その認識で問題ありませんよ」
魔王教団。魔王を奉じ魔物による救世と浄化を思想とする団体。
大戦が終結し、人類の基盤が安定し始めた頃に顕在化し始めた一つの問題。魔法の才能の有無。
まだ当時は、個人の保有する魔力量を重視するといった魔力至上主義的な考えが強く、才能のない者に対する風当たりが強かった。才能が無いものに対する今以上の差別と蔑視が行われていたと言う。
その共通意識は、人類領域の復興に魔法使いの活躍が必須となったことで、より苛烈で鮮烈になっていく。魔法の才能に恵まれない者たちは社会から排斥されていき、その数は着々と増えていった。そんな社会情勢の中で誕生したとある考え。
それが『魔物こそが人類にとっての真なる救世主である』というものだった。
魔物は人を蔑まない。魔物は人を贔屓しない。魔物は人を差別しない。ならばこの何れも人に対して平然と行う人間とは何なのだろうか。そんな人間が我々人にとって救い手であるはずがないのではないか。
魔物こそが真に平等で公平なる存在。人に等しく死を与え給う存在。その魔物を支配し従わせる魔王こそが真なる神。世界の救世主である。そう本気で考える者たちが現れ始め、やがて一つの形となって生まれた集団。それが魔王教団の始まりとされている。
『弱者を救い世を慈悲と愛で満たす』のが勇聖教の考えとするならば、『強者を挫き弱者と強者その両方が死と破滅に帰結するべき』と考えるのが魔王教団だ。
奴らは基本的に地下組織であり表立って活動することはないため、組織としての実体はほとんど知られていない。だがその思想自体は綿々と受け継がれていると言われている。
その魔王教団が今回国家への攻撃とも言うべきテロを企てた。あくまで目の前の怪しげな人物の言を信じるならばであるが。
しかもこいつはなんて言った。望まれたからと、そう言ったのか。つまり誰かが奴らに依頼し、それを代行して魔物による大規模な襲撃を行ったのか。あるいは元々何らかの計画があり、それに外部からの影響が加わったのか。
どちらにしろ、こいつらが一つの街を陥落し得るだけの組織としての力と能力を持っている。これが重大だ。
そして黒フードの人物。こいつの気配は向かい合っている状態にもかかわらず杳として知れない。今の私が測りきれないほどの実力を持つ者など、最低でも魔導師かそれと同格の戦士くらいだ。
それほどの手合いなのかと思ったが、それだけでもないと私の直感が訴えている。それを証明するように、ここへ来る前に感じた経験のない異質な魔力を、今も感じている。
リナのこともある。彼女を連れ去ったのはどこの誰なのかは知れないが、それでもここでこいつを放置するわけにもいかない。
そのため出し惜しみをやめ最速での決着を決断するが、
「申し訳ありませんが、その物騒な魔力を抑えてもらえませんか? こちらに戦意はありません」
「……どう言う意味だ?」
いつでも魔法を放てる状態を維持し、相手の意図を探る問いを返す。
「そのままの意味です。私のここでの要件は既に済みました。──ああ、丁度でしたね」
発言の意味を測りかねたが、黒フードの動作につられて私も廃墟の方へ視線を向ける。そこからゆったりとした足取りで現れたのは、一人の男だった。
「ど、どうしてですか……お、おれは、いわれたとおりに……」
その男は以前私が一度だけ会話した人物、レントだった。
彼は胸元を鮮血で染め地面に血を滴らせながら、掠れた声で黒フードの人物に縋った。
「それもまた啓示にして巡りです。貴方は世界に愛され救いを賜った。素晴らしいことです」
口調や発言とは正反対に、レントのその手は無慈悲に振り払われた。その対応に、彼は悲痛と苦悶の表情を見せて地に崩れ落ちた。
目の前で顔と名前を知る男が一人死んだ。にもかかわらず、私の意識はその事実の認識に一割も割かれていなかった。
なぜなら──
「リ、ナ……?」
レントの引いた血痕を辿るようにして暗闇の中から現れ出たのは、私がよく知る少女リナだった。
「我々の新たな同胞の誕生を寿ぐ、と行きたかったのですがね。どうやら不首尾に終わってしまったようです」
私がここに来る前に感じた膨れ上がった魔力と、魔物が持つような寒気がする悍ましい気配。
両方を内側から溢れ出させ、彼女は理性を失った獣のような眼光を双眸から放っていた。
「アアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
絶叫。
私が先刻倒した災害級の魔物が放った咆哮のように響き渡るそれは、空間の大気を掻き乱し、建物や地面を乱雑に破壊した。
私は咄嗟に魔力で体を覆い身を守った。
だがリナが放った叫びの魔力は、あろうことか私の魔力防御を突破した。
「なっ!? ぐっ……!!」
驚愕の声とともに、苦悶の呻きが口から漏れる。今日初めて感じた苦痛らしい苦痛に、表情が歪み頭に疑問が湧き出る。
どう言うことだ。私の魔力防御は災害級の魔物の咆哮すらも至近距離から受け切った。生半可な魔力の攻撃でダメージを負うことはあり得ない。確かに今のリナから感じる魔力はランク5の魔物に匹敵するか、それ以上だ。それでも叫びに込められた魔力自体は劣っていた。本来なら私へのダメージが通るはずがない。
想定外の出来事に頭の中が上手く纏まらない私に、黒フードが口を挟んだ。
「私はこれで失礼しますね。押し付け代わりに一言助言を。我々にとって魔に呑まれた者も救済の担い手です。彼女に殺められても恩寵は貴方に訪れますよ」
「待て……!」
言い止めるも、リナへの対応に手一杯の現状では何もできない。黒フードはいつの間にか姿を消し、この場には私とリナの二人だけが取り残された。
またしても叫びの声を上げながら、彼女がこちらへと肉迫してくる。
叫びの魔力に対応するため、無属性の魔力を相殺するように放出する。互いの魔力が空中でぶつかり合い、爆風を起こし散っていった。
霧散した魔力の向こう側からリナが攻撃を仕掛けて来る。なんてことないただの殴打だ。戦闘訓練を受けた者とは違う技の無い、理性を投げ打った本能任せの一撃。それを、私は正面から受け止める。
私とリナ、今や互いに膨大な魔力を持つ者同士の激突は、踏みしめた大地を陥没させ、周囲に衝撃と破壊を撒き散らした。
──重い……!
想像以上の重撃に思わず顔を顰める。それにそれだけでもない。打撃とともに放たれた魔力の波はまたしても私の内側へと通り、肉体に鈍い痛痒を与えた。その苦痛から逃れるため後方へ跳ぶように地を蹴った。
己から逃れる敵に対して、追撃するようにリナは腕を横薙ぎに振り払った。だが私は既にその短い腕が届く範囲から逃れている。この攻撃は空振りに終わる──はずだった。
「ガはっ……!?」
その届くはずのない攻撃が、またしても私の魔力防御をまるで無いように貫通した。背後では瓦礫が捲き上る音が聞こえてくる。
正体不明の攻撃に頭が混乱する。冷静な判断を下せなくなる。今ある不利な現状を覆すために、滅茶苦茶にするために、身の内が汚染されるような破壊衝動がこみ上げてくる。まるでリナが抱く苦痛がこちらに伝播するように、荒々しい感情が噴出しそうになる。
その瞬間、私はある気づきを得た。
(まさかそういうことなのか……!?)
一つだけ思い当たることがあった。今のこの状況に合致することが一つだけ。
リナには適正属性が存在しない。六属性の如何なる属性も彼女の肉体に宿りはしなかった。そういった事例は稀であるが存在する。
そして更にその先、極稀にあり得ない体質を宿して生まれる者たちがいるという。その者たちは生まれつき属性魔法が使えないが、本来なら自然には存在しないはずの、特殊な魔法を使うことができると言われている。それが──
「固有魔法……出鱈目な魔力回路が奇跡的な配列を作り、人体には存在しない魔力を生まれつき宿す生命の神秘……」
固有魔法の使い手で最も古いとされ、実在が確認されているのは、大戦の英雄の一人、聖女である。彼女は生まれついての四属性融合魔力、回復魔法の使い手であった。それ故に聖女。奇跡の体現者と呼ばれた。
彼女の存在により初めて回復魔法の存在が世界に周知され、あり得ない奇跡を起こすこの体質に注目が集まった。そして多くの適正皆無者が調べられた。
そうして調べられたその中の極一部が、聖女と同様の体質を持って生まれていることが判明した。ただその体質を持つ者は非常に稀であり、同じ時代に同じ使い手が存在することはあり得なかった。
そのような理由から、現在ではこの体質によって生み出される魔法を、固有魔法と呼称するようになった。
リナが今まで固有魔法の使い手であると認識されなかったのは簡単だ。他者に魔法と認識されるほどの魔力を有していなかったからだ。
そしてこれならリナの話にあった、彼女の歌を聴いて変調を来した子供がいたことの意味がわかる。彼女はおそらく無意識に音に魔力を乗せていたんだ。その魔力の乗った音を聴いて、魔力耐性の低い子供が違和感を感じ、それを気味悪がった。リシアには魔力耐性があるから効果が無かった。
私の場合は、
「これは……危険な魔法だ……」
歌に乗せられた彼女の感情を受け取っていた。だから私はあれほど彼女の歌に惹きつけられた。魅せられていた。
何かを誤魔化すように考えるのを中断する。戦闘に集中するべきだと思ったからだ。
そして今、彼女から発せられる負の感情は、容赦なく周囲を汚染している。
もし彼女がこのままこの力を使い暴れ出せば、それだけで街中が阿鼻叫喚の坩堝に放り込まれる。そうではなくても、物理的な破壊力を存分に有した魔力の波など、それだけで周囲一帯が更地になり兼ねない危険なものだ。
加えて今でも十分以上の量を保有しているはずの彼女の魔力が、時間を追うごとにどんどん増加していく。このままのペースで魔力が増加すれば、もう間も無く街への被害が出始める筈だ。
そして時間の経過と共に、私はある決断を迫られた。
今ここで、リナを殺すか否か──。
リナと改めて対峙する。小さい体だ。その小さな少女が、その身にそぐわない莫大な魔力を宿している。
おそらく初めて触れるであろう魔力の使い方は、私から見たからとても下手くそだ。特級魔法を使わずとも、上級魔法で充分息の根を止めることができそうだ。
「ああああアアアアアアアア!!!!」
悲鳴のような叫びと共に、私に向かってリナの手が突き出される。
十分な殺傷能力を持った強力な一撃だ。まともに受ければ私でもきっとタダでは済まない。
私は、私を殺し得るその一撃を、
「ぐっ……!!」
避けることなく、その身に受け入れた。
大金を費やした特注のローブも、魔力的な防御能力が無ければただの皮でしかない。それをリナの細腕は易々と貫いて、私の胸を抉った。
今だ経験したことのない激痛に、頭の中が燃えるように沸騰する。ありえない苦痛に悲鳴を上げそうになるのを奥歯に力を込め耐えた。痛みで鈍化しそうになる身体に無理矢理命令を出して言い聞かせ、私はリナの背中に腕を回した。
突然の拘束から逃れるようにリナはもがき暴れだすが、ここぞとばかりに魔力を爆発させ強引に彼女を押さえつける。
同時に彼女の内側へと意識を飛ばした。
リカルドが魔物の魔力をその身に宿したとき、彼と魔物の魔力が同化したことで、本来魔物にしか通じないはずの私の力が通ることを確認した。リナに魔物の力を植え付けたのが魔王教団であるなら、彼女を連れ去るのに協力したリカルドが魔物の魔力を宿すことができたのは、奴らの技術に他ならないはずだ。
であるなら、今のリナの変化に私の力が通じるかもしれない。私は彼女を救うためその唯一の可能性に賭けた。
知覚した彼女の魂は本来の人が持つ白い部分に、黒くおどろおどろしい魔物の魔力が纏わり付いているようだった。そんなイメージを持った私は、未だじわじわと白い魂を侵食している黒い魂を引き剥がしにかかる。
(これは……ダメだ。完全に固着している。無理矢理黒い魂を引き剥がせば、白い魂も同時に傷つけかけない)
最初に思いついた策は即座に切り捨てた。
これは時間との戦いだ。私の身体は未だリナの腕に貫かれ内側から掻き混ぜられている。その度に私の集中力を削ぎ落とされかかるが、身体と精神に鞭打ち全身全霊で踏み止まっていた。
すぐに第二の策を講じる。
引き剥がすのが無理なら、この黒い魂を消滅させるしかない。私は次善の案を実行しようと、自分の魔力をぶつけようとしたところで、ある事実を思い出した。
(……私の力は魔物の魂への直接干渉。それは魔物への攻撃手段として認識しているけど、それだけじゃなかった)
私は黒い魂へとそっと手を伸ばした。まるで自分にとって、それがとても愛おしいもののように慈しみをもって。私からの力の干渉を受け、黒い魂、魔物の魔力源そのものであるそれが、紐の結び目を解く様に色のない魔力へと分解されていく。
最早当たり前に使いすぎていて気付くのに遅れてしまった。私の力は魔物の魂、つまり魔晶核に直接影響を及ぼせるものだった。ならば例え物質としての形を損なおうと、干渉できない道理はない。
唯一絶対の回答を得た私は、リナの中に蔓延る不純の魔力をあっという間に純粋魔力へと変換した。そして残ったこの大量の魔力をどうしようかと考え、元の彼女の魂を知った。
リナの本来の魂は、まるで半身を失った月のように大きく欠けていた。そしてその欠けた穴から創出された魔力が漏れ出ていた。
「……そういうことだったのか」
なぜ忌み子が忌み子と呼ばれ、魔力を全く持たないのか私は初めて理解した。
そして魔王教団がいかにして、大幅にリナの魔力を増大させたのかについても得心した。この欠けた部分を埋めるように、魔物の魔力を繋ぎ合わせていたのだ。
その事実を知り戦慄する。奴らは魔晶核が魔物の魂であることを知っているだけでなく、人間の魂への干渉手段を有しているということだからだ。私は生まれつきこの力を持っていた。だから奴らの中にも同様の能力者が存在している。その可能性はゼロではない。だが断言できる。おそらくそれは絶対に否だ。もし本当に私のように魂への干渉力があるなら、こんな不恰好なものが出来るはずかない。おそらく連中は膨大な人体実験の果てにこの方法へと辿り着いたのだ。
正直これが魔王教団の成果なのか、あるいは全く別の組織のものなのか判断は付かない。だがこんな方法を平然と実行できる奴らの所業に、寒気と不快感を覚えたのは確かだった。
次に奴らに遭遇したとき確実に滅ぼすことを決めた私は、とりあえず現状に思考を戻した。
後は大量の魔力を適当に処分するだけなのだが、私はある思い付きとそれに対する確信を持って一つのことを実行した。
持った魔力を慎重に慎重に操りながら、決して彼女の魂を傷つけないように丁寧に丁寧に混じり合わせていく。いつかメアリーに魔闘術を修得させるため、彼女の体内で私の意思で魔力を操ったときのように、欠けた魂を埋めるように、魔物の魂だった魔力を繋ぎ合わせ融合させていく。
元々正反対だった二つの魔力は、私という紡ぎ手を経て、一つへと融けて混じり合っていった。
現実の時間では僅か数秒から十数秒にしか満たない短い時間であったが、ここに至るまでの戦闘以上の精神的な疲労を私にもたらした。それだけの極限の集中を要求される作業だった。結果を無事に見届けた私は、意識を魂から自分の持つ肉体へと戻した。
そして訪れた痛みに悶絶しかけた。
忘れていた胸部からの激痛に声が声にならず、仮面の下で酸素を求める魚のように口を開閉してしまう。なんとか意識を保って、胸元から気絶しているリナの腕を引き抜き、引き抜いた際にまた大変な痛みを感じたがそれにも必死に耐え、回復魔法を使ってすぐさま傷を塞いだ。
傷を塞ぎ、まだじくじくと痛むような気がするのを気のせいとして、ようやく一息ついた。
何度か深呼吸をし、自分の身体に異常がないのを確認した私は、腕の中で眠るように気絶しているリナの姿を確認する。
「……リナだ」
それはまごう事なきリナだった。
凶悪な気配も、凶暴な魔力も持っていない、紛れもなく私が知るリナ本人だった。
「よかった……」
口から率直な想いが吐露される。
今すぐ彼女を起こして言葉を交わしたい。しかしそんな気持ちを押さえつけて、私はリナの身体を横抱きにすると、転移魔法を発動した。
「──プラウス!?」
エミリスの元へと転移した私は、彼女にリナの身柄を預けた。
「え……? リナ!? ちょっとどういうことよ! 説明しなさい!」
「すまないエミリス、彼女を頼む。私にはまだやるべきことがある」
「あんた喋り方元に戻って……ってそうじゃない!」
相変わらず姦しいエミリスに軽く礼を述べて、更に転移魔法を使ってこの場から移動した。




