リシアのたたかい
リシア・テラムは勇聖国の中流階級の生まれである。
特別何かの才能に恵まれたわけではない彼女は、他の同年代の少年少女たちのように生まれた国の文化や教えを学び育った。
やがて成人を迎え、いよいよ一人立ちとなり今後の進路を決めることになった彼女は、なんとなく人より才能があったという理由で、勇聖教の聖職者候補として務めを果たすようになった。
勇聖教の聖職者の役目の一つに魔物の間引きがある。魔物領域の魔物が増えすぎないように、あるいは強力な魔物を生み出さないために魔物を狩るのである。
そこで彼女は職務を重ね、その内に同僚である男と恋仲になり、やがて結婚した。結婚したことを機にリシアは魔物討伐の任を解かれ、以降は勇聖教の教会で人々に教えを説き、祭事に携わる奉仕者となった。
それからすぐに二人の間には新たな命が宿り、彼女は幸せの只中にあった。
しかしその幸福もすぐに終わった。夫が魔物の討伐中に命を落としたからだ。
リシアはそのことに酷く悲しみ慟哭した。しかしリシアの苦難はこれだけで終わらなかった。今は亡き愛する夫との間にできた命が失われたのだ。悲しみに暮れるリシアの失意と心労は胎児に影響を及ぼし、流産する結果となった。
夫と子供、瞬く間に二つの大切な存在を失ったリシアは、一時は死ぬことすら考えた。だが周囲の励ましや勇聖教の教え、そして彼女自身の一人の人間としての矜持がそれを押し留めた。ただ完全に立ち直れたわけではなく、一日を漠然と過ごすことも少なくなかった。
そんな日々を過ごすある日、ある赤子に出会った。その赤子は生後3ヶ月ほどであり、まだ親の顔すら覚えていないにもかかわらず、既にこの世界において孤独であった。教会の前に捨てられていたからだ。
正直彼女は子供というのが好きではなかった。元々好きと言えるほどでもなかったが、自身が我が子を失った経験というのが大きく影響していた。協会では孤児院を運営しており、彼女も子供との関わりを持つことは少なくなかったが、その度に彼女は子供との接触は最低限なものか、感情を消して接するようにしていた。
捨てられた赤子を見て彼女がまず思ったのは、またかというものだった。既に自分が聖職者となってから、捨てられた子供を引き取るのは一度や二度ではなかった。その度にその子供の親たちに対し怒りと不快な気分を覚えていた彼女であったが、子供に罪がないことも理解していた。嬰児を引き取るのはこれが初めてのことであったが、放置するわけにもいかないので、仕方なく彼女はこの赤子の面倒を見ることになった。
これが彼女にとっての転機となった。
初めはただ鬱陶しいだけの存在でしかなかった。しかしそれが一年も世話をする頃には愛着がわくようになった。並行するように、孤児院で世話を焼いていた子供たちに対しての印象も変わっていった。いつしか彼女にとって子供は一定の情を向ける存在になっていた。
成長する子供たちを見て彼女はあることを思った。この子たちが自分の子であればいいのにと。だが現実は違う。彼女の子供は一人しかいない。その事実が彼女と子供たちとの間に一線を引かせていた。
ある時例の赤子が風邪にかかった。それはなんて事のない普通の感染症だ。特別なことはせずとも安静を心がければいずれ治る。その程度のものだった。リシアも医者によくあることだと言われ、当たり前に看病をした。
だが病状が好転することはなかった。その赤子は抵抗力が他の子より低かったのか、みるみる内に衰えていった。リシアはその状況に空恐ろしくなった。彼女は必死になって街を駆け回り、薬屋や病院に商店など、あらゆる知己を頼った。
その日彼女は初めて神に祈った。どうか自分から二度も我が子を奪わないで欲しいと。
祈りが届いたのか赤子の症状は快復した。それを涙を流しながら彼女は喜んだ。
いつのまにか血の繋がりのない子供へのそれは、親の愛に変わっていた。
その時彼女は一つのことを知った。たとえ血の繋がりなど無くても子を思う気持ちに偽りはなく、子供たちは生きているだけで素晴らしいのだと。
親としての愛を自覚した彼女は、なぜ我が子を捨てる親が存在するのか、そのことに改めて疑問を持った。嫌悪を抱いた彼らに対し、純粋な気持ちで向き合うことになった。そして知った。親である彼らも、生きる上で苦労を重ねる弱い立場でいることを。
第二の人生において、彼女の闘いはこの瞬間から始まった。
その闘いは未だ半ばであり、道の果ては見えていない。それでもリシアは残りの人生でやり通す覚悟であった。子供達にその道の先を見せてあげたかった。だから。
「──私の目の黒い内は、決して子供達を害することはさせません」
この戦い何度目かの光魔法。光による眩惑や幻覚はリカルドの視覚を的確に翻弄し、足を止めた際に情け容赦なく乱打を与えた。
それに対し、大剣を片手持ちから両手持ちに変えたリカルドは、額にいくつも青筋を立てながら、自分を一方的に打ち据える相手へ苛立ちのままに武器を叩きつける。しかしそんな見え透いた攻撃はリシアには全く当たらず、鬱憤とともにダメージをひたすら蓄積し続けていた。
終始リシアのペースで進むこの戦闘であるが、彼女も戦況をそのまま反映したよな余裕は持ってはいなかった。現役の一流ハンターと引退済みの教会戦士では、そもそもの地力が違う。加えてリカルドは魔闘術の使い手であり、その防御力は並の鎧を軽く凌駕する。彼女がいかに痛打を浴びせようと、それは致命傷には程遠かった。逆にリカルドの攻撃を一度でももらい受ければ、それだけでリシアの戦闘不能は避けられない。
そんな不公平な戦いを彼女は強いられていた。
それでもこの状態が続けば、勝敗はどちらに傾くは分からなかった。リシアの攻撃能力は確かに低いが、確実にリカルドに負傷と疲労を蓄積させ、そして魔力の消耗を迫らせていた。
頭に血が上ったリカルドが後先考えずに魔力を浪費し、滅茶苦茶な攻撃を繰り返していたのも、その状況に拍車を掛けていた。
両者の命運を分ける数分間。決着の時が徐々に迫り、その天秤が確実に片方へと傾きかけた時。
その傾きを、とある意思が妨げた。
「やれ! リシア司祭! そいつを倒せ!!」
この戦場に突如響き渡った場違いな子供の声。それを発したのは、ここから逃れた筈のザックであった。
ザックは自分の仕出かした事を自覚し、同時に恐怖したことで、居ても立っても居られずこの場に戻っていた。最初は物陰で震え、二人の戦闘を隠れて見ることしかできなかった彼であるが、リシアの戦い振りを見ることで身の内に抱いた恐怖をすぐに忘れた。兄貴分であるレントが常に気を使い、他の大人達も顔色を伺った恐ろしい人物である筈のリカルドを、自分の親代わりの人は終始圧倒している。少なくとも彼にはそう見え、その事実は彼の心を大いに高揚させた。
そして、そんなヒーローのような存在であるリシアを、ザックは応援せずにはいられなかった。
ただ彼は、それを聞く者の存在を決して考慮してはいなかった。
「……うるせェよ!! クソガキがアアアア!!!」
溜まった怒りの矛先を変えるように、リカルドは怒声とともにザックへと斬りかかった。
一流の戦士であるリカルドの動きを、ただの子供であるザックが避けられるはずなく。それ以前に自分よりも圧倒的な強者であるリカルドの覇気を浴びて、彼は顔から血の気を失せさせ、その場にへなへなと座り込んでしまった。
予想外の事態に思考が絡まるリシアは、それでも理性をかなぐり捨て、即座にザックを守るために行動した。一切の迷いや躊躇いを捨て、我が身を犠牲にするような彼女の行動は、あるいはギリギリ間に合ったのかもしれない。
しかし気付けば、ザックの方へ向かっていたリカルドの体は、完全に反転していた。
「──ようやく捉えたぜクソババア」
まるで今までの激昂が全て嘘であったかのように、リカルドはこの状況を逆手に取った。野生の勘とも言うべき彼の直感は、第三者の介入により、自然と獲物を狩るための最適な行動を取らせていた。
リシアは自分のミスと失態を悟ったように顔を歪めた。
魔法を使わず無防備に己へ近づく彼女に、リカルドは容赦なく自らの牙を突き立てた。
──血飛沫が舞った。
致命傷。決して受けてはならない攻撃をリシアはその身に受けた。
その状況に、リカルドは笑みを浮かべ、ザックは感情を消し、エミリスは悲痛で顔を歪め、リシアは……
「……っ捕まえたのは、こちらも同じです……!!」
──まるで羅刹の如き表情で笑った。
奥歯を割らんばかりに強く噛み締め、彼女は残り僅かとなった力を振り絞り、リカルドへと組み付いた。
彼女は自身の最後の魔力を、この身体強化と一つの魔法に費やした。
一瞬でザックの周囲を土壁が覆った。
「あの世で会いましょう」
刹那の後、リシアの胸元で熱の塊が弾けた。
その熱は至近に存在した二人の人物を隔てなく焼き、熱波と爆風を辺りに撒き散らした。元々リカルドの攻撃で半壊した孤児院の建物が完全に倒壊し、近くにいたエミリスは慌てて魔法で防御を行った。
数秒だけ周囲を激しく照らした爆発はすぐに衰え、熱が燃え移った木片が下火のように火の粉を散らした。
反射的に魔法を使い、なんとか熱と爆風をやり過ごしたエミリスは、すぐにこの惨状を目の当たりにした。ぼんやりと輝く残り火が、立ち膝で大剣を突き立てるリカルドと、地面に五体を投げ出しているリシアの姿を浮かび上がらせていた。
夜風で冷やされ思考の落ち着いたエミリスは、先ほど何が起きたのか理解した。
リシアは自らの奥の手である魔道具を起動し、リカルド諸共自爆したのだ。理由は考えるまでもない。あの時の彼女にはそれ以外に選択肢がなかった。子供を見捨てることなど出来はしなかった。
その事実に歯噛みする。あるいは後ほんの少し、自分が早く加勢することが出来たなら、結果はまるで違うものになっていたかもしれない。リシアにこんな方法を取らせることは無かったかもしれない。
そうエミリスは自責の念に駆られるも、それを待つ者などはなく、状況は無慈悲に動き出していた。
「クソババアが……! っふザッケんじゃねェぞゴラァ!!」
リカルドは怒りのままに立ち上がると、地面に横たわるリシアの体を、そのまま力の限りに蹴り飛ばした。それだけで彼女の体は重さが消えたように軽々飛び、孤児院のあった瓦礫の中へとその身が投げ出された。彼女の体は、音を立てて瓦礫の上に転がった。
その所業を、冒涜を目の当たりにしたことで、エミリスの怒りが沸点を超えた。
「──殺してやるわ……リカルド!!」
湧き上がる殺意を体中に漲らせ、エミリスが身の内の魔力を爆発させた。
「……あアン!? オーガスの野郎は負けやがったのか!? どいつもこいつも使えねェカスばっかだな!! 全員死ンじまえよゴミクズどもが!!!」
「まずお前が死ね!!」
殺意を乗せた風の刃が、対象の命を刈り取らんとリカルドへと迫る。
「だから効くわけねェだろ!そんな攻撃がよォォ!!!」
苦もなく彼女の魔法を防ぎ切るリカルドに、エミリスは怒りの形相で更なる魔法を行使しようとする。しかし冷静さを欠き、構築が不十分な魔法は当然リカルドには通じない。彼もすぐにそれを見抜き、僅かな平静と大きな余裕を取り戻し始めた。
そんなリカルドの推察とは裏腹に、エミリスは頭の中で、戦闘における冷静さをしっかり保っていた。
彼女はプラウスとの会話を思い出していた。
『ねえ、あんたって上級魔法をホイホイ使ってるけど、それってどうやって使うようになったの?』
『……いきなりなんだその質問は?』
『いや、学園じゃ高難度の魔法を使うには魔力操作を鍛えろって教わるんだけどさ。知り合いの中には魔法をひたすら使用して練度を高めろって言う人もいて、どっちが正しいのかなって』
エミリスの発言にプラウスは仮面の下で失笑した。
それに彼女はむすっと顔に皺を作る。
『なにが可笑しいのよ』
『いや、君がどちらの選択を取ったのかそれで分かっただけさ。エミリスは後者を選んだのだろ?』
図星を指されたことで顔を赤く染めたエミリスは、言い訳するように抗弁した。
『だってしょうがないじゃない! 私より成績上の人やそれこそ教師だって言ってたんだから!』
怒りの色を見せる彼女に、プラウスは落ち着くように言い、一部を肯定しながら持論を述べた。
『まあ、ある意味でそれは正しい。魔法を実際に使おうとしなければ、覚えるものものも覚えられない。だが物事には順序がある。材料が無ければ料理は完成しないように、基礎が不十分であると応用は効かない。要するに、魔法を使うのは大量に魔力を消費して如何にもやった感を抱けるが、魔力操作で地道に行う努力には結果として遠く及ばない。そういうことだ』
その言に自分がして来た努力を思い出し、悔しそうに衣服を握る締めるエミリス。彼女は身の内の恥ずかしさを誤魔化すように、プラウスへと聞いた。
『……ならアンタはどれだけその基礎をやったのよ?』
『私か? ふむ……参考になるかは不明だが、私は魔力測定を受けた5歳の頃からこのレベルの魔力操作が可能になるまで、毎日魔力欠乏に陥るまでやったぞ』
そのプラウスの発言にエミリスは絶句した。
仮に彼の魔力量がエミリスと同等であったとしても、それは通常あり得ないことであったからだ。魔力操作は上達すればするほど漏出する魔力は少なくなる。つまり技術の向上はそのまま魔力が無くなるまでの時間の増加を意味する。仮に今のエミリスがそれと同じことを行ったならば、最低でも数時間は掛かる。プラウスのレベルなら十時間は超えるだろう。
道理でこれほど卓越している魔力操作だと思うと同時に、自身の努力不足をどうしょうもないほど悟り恥じた。プラウスとのこの会話の後から、魔力が余れば時間の限りエミリスは魔力操作の訓練を行うようになった。
「だから効かねェつってンだろが!!」
幾度目かの魔法も、やはりリカルドの頑強な魔力を突破することは出来ない。
ジリジリと迫る己の限界に、エミリスは焦燥の色を強くしていた。
(またダメだった……! もう魔力も体力もほとんど残っていない! あと試せるのは数回だけ……!)
エミリスはこの極限の命の奪い合いの最中に、ある魔法を完成させようとしていた。
彼女は現在自分が使える魔法だけでは、リカルドを決して倒し切れないことを知っていた。だから今ある魔法ではなく、新たな魔法に活路を見出すことにしたのだった。
今まで試したことのない魔法をぶっつけ本番で成功させる。それは言葉にするよりもずっと難しい。激しく動き回りながら慣れない戦闘をこなすから尚更のことだ。
それでもそれ以外に自らに勝機はない。故にそのことに全神経を集中させていた。
しかし、彼女が限界を迎えるよりも早く、決着を望む者がいた。
リカルドは、体が訴える負傷や疲労を噴出する怒りでねじ伏せ、未だ自らの手を煩わせる鬱陶しい存在を叩き潰さんと迫った。慌てたように放たれる魔法も意に返さず、力任せな強引な突破を試みた。
振られる大剣に、エミリスは咄嗟に杖を前に出すも、杖は半ばで断ち切られ、勢いに押され彼女の体は後方へと転がった。
そのエミリスに、肩で息をしながらリカルドは近寄る。
「いつから俺様に勝てると勘違いしたンだよエミリス。テメェ如きが俺様に敵うはずねェだろうがよ」
地面に倒れ、無様に這い蹲る彼女に、勝者の余裕を持ってリカルドは告げた。
「あの世でババアとヨロシクやってくれ。テメェらが好きなガキ共も、後で纏めて送りつけてやるからよ」
リカルドは疲労の重なった身体で大剣を持ち上げ、その得物を敗者に振り下ろそうとする。
そして、その勝者の余裕が見せた油断と隙を、エミリスが逃すことはなかった。
「──複合魔法ライトニング」
巨大な魔力と共に、紫の雷鳴がその場を駆け抜けた。




