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魔道のマナー  作者: 青梨
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エミリスの戦い

「エミリス姉ちゃんこれ合ってる? ここ」

「合ってるわよ。でもその前のとこが少し違うわね。正しくはこうよ」

「エミリスちゃん。ここどーしたらいーい?」

「そこはこうするのよ。それとエミリスちゃんじゃなくてエミリスお姉さん!」

「んー……できたっ! ありがとエミリスちゃん!」


 現在エミリスは、孤児院で子供達に勉強を教えていた。

 確かに孤児である彼らであるが、学校に通えないわけではない。ラークシャル王国では、5歳を迎えた全ての子供が初等教育を受けることができるからだ。

 そこで出された課題を子供達は解く。エミリスはその手伝いをしていた。


 元々エミリスが孤児院に来た理由は、あの黒衣黒面の男プラウスに、そうするよう言われたからである。


『誰かに何かを教えるという行為は、自分がその内容を理解していなければ為し得ないことだ。エミリスが既に学ぶべき基礎を確かに習得していると言うならば、それの確認作業として子供たちにそれを教えてみるといい。そうすれば自分が曖昧にしている部分や不確かな箇所も自覚でき、この先歩くべき道も自然と見えてくる筈だ』


 そうして魔法初心者である彼らの指導役を、エミリスは買って出ることになった。

 上手く言葉に乗せられた自覚は本人にもあったが、実際やってみると確かにあの男の言葉にも一理あると思い直した。そして初めは魔法だけを教えていたが、今では魔法以外でも積極的に、子供達に教育的な指導を行うようになっていた。


「エミリスさん、今日は夕食を食べて行きますか。どうします?」

「うーん……せっかくだし食べて行こうかな」

「ではリシア司祭にそう伝えて来ますね」


 席を立って部屋を出て行くのは、勇聖教の助祭リリンダである。彼女はリシアより若くエミリスと年齢が近いため、二人は気安い感じで接していた。

 エミリスがここに通う当初は、常識的な考えから食事の同席は遠慮していたが、この場所に慣れ子供達とも馴れしたしむ関係になったことで、遠慮も無くなっていた。最近では食卓が多少豪華になったことに、プラウスだけでなくエミリスも貢献しているのも理由の一端かもしれない。


 孤児院の多くの子供達が一堂に集まる賑やかな食事が終わり、とっくに日が暮れた外の様子を見て、エミリスはそろそろ帰宅することを考える。


「それじゃ私はそろそろ帰るわ。夕食ご馳走さま。美味しかったわ」

「えー、エミリス姉ちゃん帰るの? もう少し遊んでこーよ」

「それはまた今度よ今度。私は明日も朝早いの。だから今日はお終い」


 エミリスが帰ると聞き、それを子供達は引き止めようとするが、それをあしらい意見を翻す気はない様子を見せるエミリス。それを見て子供達も諦める。それでも少しでも一緒にいたいのか、見送りはしようと出入口まで付いて来る。

 エミリスが扉の前に着いたとき、子供達と一緒に見送りに来たリシアが謝辞を述べた。


「エミリスさん、今日もありがとうございました」

「いえ、何度も言ってますが私がしたくてしてることなので」


 もう毎度のやり取りになった会話を、互いに相手への敬意を持って交わす。


「でもごめんなさいねエミリスさん。ザックったら今日もいなくて。ちゃんと早く帰ってくるよう何度も言っているのですが」

「別にリシア司祭が謝ることじゃないですよ」


 ザックはプラウスやエミリスが来た際には決まって姿を消す。嫌っているのか顔を合わせづらいのかは不明だが、これは毎回のことであった。以前レントなる人物と共にいたことはエミリスもリシアに知らせていたが、それでザックの行動が何か変わることはなかった。


「でももし次会ったら拳骨の一つでも喰らわせますよ。リシア司祭にあんまり迷惑かけるなってね」

「ほどほどにしてあげてくださいね」


 拳を作るエミリスにリシアは苦笑する。

 エミリスは最後に別れの挨拶を告げて孤児院から立ち去った。





 帰宅途中、夜風に当たり若干の肌寒さを感じながら歩くエミリスの耳は、突然大きな破裂するような音を捉えた。何の音かと反射的に顔を上げた彼女は、同時に空に高く上がった光の球を目にする。

 前触れ無く発せられた音と光は、街全体にその存在を主張し、そして一分程の間続いて止まった。


「今のって確か、非常事態を伝える合図よね……? 一体何が……」


 いつも通りの日々を過ごし、一日を終えようしたエミリスに訪れた非常の知らせ。

 そのことに困惑の感情を覚える彼女であったが、生死を生業とするハンターとしての迅速な判断がそれを抑え、考えるより早く自らの足を動かしていた。途中、先のエミリスのように何事かと困惑し立ち尽くす通行人や、慌てたように行動を起こす者たちを避けながら、彼女は大通りへと出た。

 昼のように明るいそこでは、街の警備を担当する衛兵と思われる者が、周囲にいる市民たちに大声で何かを呼びかけていた。


「現在この街を魔物の群れが襲撃中です! ですがご安心ください! 魔物は騎士団とハンターが討伐します! 市民の皆様はこの事をご友人やご家族の方に知らせ、その後は混乱を避けるため自宅に帰宅するか、一時的な避難をお願いします! くれぐれも城壁の外には出ないようにしてください! 街の中であるならどこであろうと安全であることを保証します! 繰り返します!」


 エミリスはその勧告を聞いて現況を理解した。

 突然の魔物の襲撃というのは無いわけではない。特に魔物領域が近い場所ならば尚更だ。それでも日々ハンターや騎士団が多くの魔物を間引いてるカラッソのような地域では珍しいものと言えるが、あり得ないと断じられるほどではない。

 エミリスはこの事態に一つの得心をすると、ならば自分も一人のハンターとしてこれからどう行動すべきか、それはすぐに決まった。

 エミリスは自身の装備を取りに自宅へ急ぎ戻った。


 手早く身なりを整えたエミリスは、次にどこへ向かうか少し考えすぐに決断した。

 普通ならばハンターギルドに行くべきだが、今は緊急の事態。わざわざそこへ行って寄り道となるよりも、直接現場へ向かった方が話は早いと、エミリスは南門を目指した。

 未だ人混みが多いと予想される大通りは避け、小道を走るエミリス。仄かに照らす街灯の下を行く彼女は、発動させていた己の魔力感知が何か弱々しい魔力を捉えていることに気付き、それに意識を集中させた。

 どうやらその魔力の周りには誰もいないようで、迷子の子供か何かかとエミリスは思った。非常事態だから放っておけとハンターとしての自分が言うが、孤児院で子供達と触れ合った彼女は、こんなときであるからこそ放っては置けないと、そちらの方向へと舵を切った。

 近付く途中、元々弱々しかったその魔力はそこから更に小さくなっていく。何かがおかしいと、彼女は走りながら顔を険しくさせていく。

 最後の角を曲がり、ようやく彼女の瞳は対象を捉える。そして見覚えのあるその顔に瞠目する。


「あんた確か、リカルドんとこの……っ!」

「……モーロだ」


 弱々しい魔力の状態であったのは、リカルドの仲間であり我獣の牙の一員でもあるモーロだった。彼はなぜか身体の前側を大きく斜めに斬られているようで、大量の血を流し、今にも死にそうな状態で建物の壁に寄りかかっていた。


「なんであんた! ……ってそれより止血しないと!」

「やめろ……もう助からねぇよ」


 見ればモーロの座る地面には血が大量に滴っており、明らかに出血多量と言える有様だった。


「何があったの……?」

「リカルドの奴と……喧嘩になってな。その結果がこれよ……」


 皮肉げに笑うモーロに、どうして仲間同士での喧嘩が殺し合いに発展することになるのかと、エミリスは様々な感情が入り混じったかのように表情を歪めさせる。


「一体どういう話し合いをしたら仲間で殺しあったりするのよ……!?」

「ヘヘッ……まぁ、それはいいだろ……。それよりもだ……」


 良くはない。ないが、今にも死にかけのモーロが何かを伝えようとしていることを察し、エミリスは感情を抑えて聞き手に回ることに集中した。


「俺たちは……いらいされた……。ねらいは、ガキだ……」


 依頼された。そして子供という言葉にエミリスは顔を顰める。

 子供とは誰か。依頼とは誰からかのものか。それを聞きたかったが、最早モーロはそれを質問できる状態にはなかった。


「たしかに、オレたちは悪りぃことも……たくさん、やったさ……」


 懺悔かただの独白か。すでに焦点が合わなくなった彼が今何を見て何を考えているのか、それは本人以外には分からない。


「だがよぅ、ガキははねぇだろ……。それだけはダメだろ……」


 土気色の表情をしたモーロは、それだけは心悲しげに言葉にした。

 エミリスは彼のことを知らない。名前ですら不確かだった。だがその言葉が彼の本心からのものであることだけは理解できた。


「あいつらは……こじいんに、いった……。おまえも、い……そ……」


 口をパクパクと動かすが、最早空気を取り入れる力もモーロにはないようだった。

 そしてその数秒後、彼は静かに息を引き取った。

 エミリスはそれに沈痛の顔を浮かべ、今死んだばかりの男の瞼をそっと閉ざす。


「教えてくれてありがと。あんたの分の仇もちゃんと取って来てあげるわ」


 まだ乾かぬ血だまりの中で静かに眠りについた男へそう告げると、エミリスは杖を握る拳に怒りを滲ませ立ち上がり、強く地面を蹴って走り出した。




 エミリスが孤児院を立ち去ってからしばらくした後、突然屋外から爆発音のような大きな音が響いてきた。それを耳にしたリシアは何事か首を傾げる。同じ空間にいたリリンダも同じように思ったようで、互いは首を傾げながら目を合わせた。その音はそれからも幾許の時間続いて、やがて収まり外は静かになる。

 その音が聞こえなくなったとき、二人の表情からは疑問の色は消え去り、代わりに険しさが宿っていた。


「リシア司祭……今のは……」

「ええ、非常事態を伝える号音だったはずです。どうやら良くないことが起きたようですね」


 その音の正体に即座に思い至った二人は、険しい顔のまま話し合う。


「私はとりあえず状況を確認しに外へ出ます。リリンダ助祭は今の音に動揺しているかもしれない子供達の側に付いてあげていてください。それともしかしたらここを離れる必要があるかもしれないので、子供達に外出の準備をさせておくようお願いします」

「分かりました」


 リシアから出された指示にリリンダは首肯する。

 それを確認してリシアが出入り口に向かうと、不安そうな子供達が近くへ寄って来た。


「リシアしさい今のおとなぁに?」

「すっごいおおきかった」


 リシアは寄ってくる子供達を安心させるように穏やかな笑みを浮かべた。


「私は今からその音の理由を調べに外へ行ってきます。皆さんはリリンダ助祭の言うことを聞いていい子で待っているのですよ」

「司さいどっか行くの?」

「えっ……いなくなっちゃうの?」

「いえいえ、少し外に行くだけです。すぐに帰ってきますよ」


 リシアは不安げな子供達を一人ずつ宥めるように撫でて抱擁した。

 そしていくらか子供達が落ち着いたのを確認すると、リリンダの方へと振り返る。


「ではリリンダ助祭、すぐに戻って来ますがその間のことは任せます」


 リリンダは改めてしっかりと頷くと、リシアの背中を見送った。

 リシアの姿がこの場から消えると、リリンダは切り替えるように手を叩いた。


「はいはい皆さん。もしかしたらこれから外へ出かけることになるかもしれませんので、各自そのための準備をしてくださいね」


 リシアからの指示に従い子供達に外出の支度をさせるリリンダ。

 それを聞いた子供達は外出の予定にはしゃぎ始める。それをうまく誘導して準備させながら、全員に聞かせるように繰り返すリリンダ。

 そうして子供達を世話するリリンダは、出入り口の扉が強くノックされる音を聞いた。一瞬リシアがもう帰ってきたのかと思ったが、彼女なら扉の鍵を持っているはずだと考えを改める。


「ザックが帰って来たのでしょうか?」


 問題児である赤髪の少年がこんな時間に帰宅したのか。

 そう考えて鍵を開けて扉を開くリシアは、予想通りにあったザックの姿ともう一人、意外な人物を目にした。


「あなたは……」

「ええっとお久しぶり……ってリシア司祭じゃなくてリリンダか」


 そこに立っていたのはザックと、この孤児院出身者であるレントだった。

 リリンダは目の前の男がザックに夜遊びさせる原因であると知っていた。そのため彼女はレントに対して快い気持ちは抱いていない。それでもザックをこの夜分に送り届けてくれた相手だと最低限の対応をすることを心掛け、先にザックへと声をかけた。


「ザック、あなたへのお説教はリシア司祭が帰って来てから行います。とりあえず今は先に中へ入りなさい」


 そうザックだけ屋内に招くようにするリリンダであったが、ザックはなぜかその言葉に従わない。それを疑問に思い、うつむき気味のザックの顔を覗いてみると、その表情は強張っているようであった。


「あなたどうかしましたか? 顔色が優れないようですが……?」

「ああ、ザックのことは放っておいてくれていいよ。こいつ慣れないことがあってちょっと動揺してるだけだから」


 リリンダの問いかけに代わりに答えるレント。それを少し不審に感じながらも、改めてザックに問いかける。


「そうなのですかザック?」

「あ、あぁ……」


 相変わらず目を合わせようとはしないが、ようやく受け答えしたザックの様子にリリンダは一先ず胸を撫で下ろす。今のザックの声音から、レントに脅迫か何かされているわけではないと察せたからだ。

 ならばやはりザックにとって何か嫌な出来事があったのか。そう思いザックを今一度中へ招き入れようするが、


「それよりリナって子いるだろ。彼女出してくれ」


 それをレントの言葉が遮った。

 唐突に出たリナの名前と、彼女に合わせることを要求するレントに困惑を露わにする。


「なぜそこでリナの名前が出るのです。それに一体どんな理由があって──」

「いいからあいつを出してくれよリリンダさん! それで全部終わるから!」


 ザックが突然に声を張り上げた。

 何かに急かさられるような焦燥感を見せる彼の様子に、より一層の困惑と不審を抱くリリンダ。


「ザックの言う通りだ。彼女を少し貸してくれるだけでいい。そしたらすぐに俺は帰るよ。当然彼女も無事に返す。安心してくれ」


 そして、リリンダはここで初めて発言に嘘を感じ取った。

 彼女は特別勘が良いわけではない。しかし最後の無事に返すという言葉とともに浮かべたレントの笑みが、決して真実を語っているものでないことだけは察することができた。


「……理由もまともに告げないあなたにリナを会わせるつもりはありません。あなたは早く帰ってください。それとザックはさっさと中に入りなさい」


 取りつく島もなくなったリリンダの態度にレントは苦笑する。ザックもそれを見て青い顔をし肩を落とした。

 やはりなにかがおかしいことを理解して、リリンダは会話を切り上げザックを連れて中に引っ込むことにする。


「話は終わりのようですね。ではザック、あなたは私と」

「どうやら交渉は失敗したみてェだな。だから言っただろ。最初からこうした方が早いってよ」


 突如二人の背後から現れた荒々しい気配を纏った男。


「な、なんですかあなたあガァ……ッ!?」


 見るからに荒事を生業としているその男は、徐にリリンダへ近づくと片手で彼女の首を締め上げた。


「こっちはタダでさえ気が立ってんのによォ……イチイチ煩わしい思いさせんじゃねェよ」


 そのまま宙に持ち上げられ呼吸がままならなくなるリリンダ。

 現状の説明への理解が及ばないまま窒息で意識が消えそうになったところで、


「やめてください!」


 制止の声を上げる者がいた。

 自らへ指図する存在にリカルドは不機嫌な眼差しを向ける。


「あァン……? 誰だよテメェは?」


「私がリナです。用があるのは私なんですよね? だからリリンダさんを離してください」


 その名を聞いたリカルドは少し意外そうに目を見開くと、顔に笑みを浮かべてリリンダの首から手を離した。宙から急に解放された彼女は床に落とされ苦しげに咳き込んだ。


「そうか。テメェが目当てのガキか。なァ、言っただろ? こっちの方が早いってよ」

「さすがはリカルドさんです。お手間を取らせてすいません」


 得意げになり、僅かに機嫌の良さを見せたリカルドをレントが褒める。

 その二人に強張った顔でリナが近寄る。


「私ならどこにでも付いて行きます。だからもうここにいる人たちに手を出さないでください」

「もちろんそうするさ。君が大人しく付いてきてくれるならね」


 その言葉に無言で頷くリナは、リカルドの方へ顔を向ける。


「あン? そいつが言った通り、こいつらの無事はテメェ次第ってことだ。これでいいか?」


 視線で言いたいことを察したリカルドは、ニヤついた顔で返答した。

 その態度に不安を覚えるが、他にできることもないと自分を納得させると、最後にリリンダの方へ振り向いた。


「私のせいで迷惑かけてごめんなさいリリンダさん。それとこれまでお世話になりました。リシア司祭にもお礼を言っておいてくれると助かります」

「あっ……」


 若干無理して作った笑顔で礼と謝罪の言葉を述べるリナ。そのリナにリリンダは何かを言おうとするも、自身が味わった苦痛と恐怖からか言葉が出なかった。

 リナは最後に軽く頭を下げると、レントの後へと続き外の闇へと消えていった。リリンダはそれを見送ることしかできなかった。


「な、なぁ? もういいだろ? あんたたちも早く帰ってくれよ……?」


 この場から二人の人物が去り、ザックが震える声音で口を開いた。


「……それは俺に言ってんのかガキ?」


「だ、だって約束しただろ! もし言う通りにすればそれで──」


 言葉はそこで途切れる。リカルドの蹴りによりザックは吹き飛ばされた。リリンダが悲痛の声を上げようとするも、言葉にならない掠れた声しか出なかった。

 蹴られた腹を抑え苦痛に顔を歪ませるザックに、リカルドが冷めた視線を向ける。


「いつからお前は俺と対等になったつもりだ? 俺がお前みたいなクソガキとの約束を一々守る必要がどこにあンだよ。冗談も大概にしねェとお前から殺すぞ」


 低い声で殺気を放つリカルドに対して、ザックは何一つ言い返すことができない。そのまま痛みと悔しさに滂沱と涙を流し、喉の奥から嗚咽を漏らした。

 そんなザックからつまらなさそうに視線を外し、リカルドは改めて孤児院を意識を向けた。


「つまらン頼み事もこれで終わったからな。こっからはお楽しみの時間だ」


 リカルドは獲物を甚振る獣のように凶暴に顔を歪ませ、口角を吊り上げた。

 彼は知っていた。プラウスとエミリスの二人がこの孤児院に出入りしている事を。

 情報源は他でもない孤児の一人であるザックである。ザックは度々兄貴分であるレントの元へ足を運んでいた。ザックがレントに語る内容には当然孤児院での出来事が含まれており、珍しい客分のハンターというのは即刻話題の対象になった。そこからポーター繋がりでリカルドへ話が伝わり、リカルドはこの件を知った。

 初め彼はこれが何らかの意趣返しに役立つと考えた。だがすぐに断念した。

 リカルドは粗暴であるが愚かではない。街中で揉め事を起こせば、それだけ自身にとって致命的な傷になることは理解していた。だからその時点では気に入らないと腹の底で怒りを溜め込みながらも、それを外に吐き出すことはしなかった。

 しかし状況が変わった。

 彼と繋がりのある後ろ暗い背景を持つ裏の住人。そこから得た一つの情報と依頼が、彼に憂さと屈辱を晴らす機会を与える契機となった。


「今頃はこの街を大量の魔物共が襲ってるだろうからな。こんな寂れた街の端っこなんて誰も気にしねェ。こんな機会を逃せるわけねェだろ」


 リカルドは背後に背負った身の丈ほどの大剣の柄を掴み、それを抜き放った。設置された街灯の光を受け、刀身が鈍く発光するの満足そうに眺め、これからこの剣を赤く彩る獲物を見やる。

 このまま殺されることを理解したリリンダは、顔を蒼白にしながら震える声音で問いを振り絞った。


「ど、どうしてあなたはこのような事を為さるのですか……? わ、私たちが一体何をしたというのですか?」


「ハァ……? テメェらのことなんか知るかよ。俺が気に入らねェカスどもと、吊るんでンのが悪りぃンだろうが。いいからとっとと死んどけ」


 リリンダの問いも意に介さず、獲物を前に片手で大剣を振り上げるリカルド。

 死の覚悟も出来ていない彼女に、それが振り下ろされる間際、白い閃光が迸った。突然の場の急変に、居合わせたものたちは各々光から網膜を守るような姿勢をとった。


「なンなんだよ一体……」

「リリンダ助祭! 今すぐ子供達を連れて逃げなさい!」


 この場に現れたリシアは叫びながら魔法を発動し、岩の弾丸を射出する。岩石弾は正確に敵対するものへと迫るも、リカルドは苦もなく手にした武器で打ち払った。

 事態の変化を脳内で処理しきれないリリンダに、さらなる叱咤の声が飛ぶ。


「リリンダ・レーニル! 早くしなさい! 子供達を死なせたいのですか!?」


 普段温厚なリシアの怒鳴り声を聞き、ようやくリリンダの思考は再起動した。自分の行動を半ば自動的に理解した彼女は、まず倒れ臥すザックの元へ行き担ぎ上げると、急いで屋内へ逃れようとした。

 当然逃げる獲物をリカルドが見過ごす気はなかった。


「オイオイ、何勝手に逃げようとしてンだよ。テメェらは……」


 見咎めるリカルドに次々と魔法が飛来する。それらを肉体の頑強さと魔力強化で強引に捌きながら、他の同行者へ指示を飛ばした。


「チィ……ッ! デップ! オーガス! まずはあの女を殺せ!」


 我獣の牙の一員としてリカルドに同道していた二人は、下された命令のもとリシアへと襲いかかった。リシアは魔法の攻撃対象をリカルドから変更して攻撃するも、デップとオーガスは巧みな動きでこれを回避する。パーティーメンバー四人全員が前衛タイプである彼らは、魔法使いとの戦いにおける対処方法を熟知していた。

 それぞれ己の獲物を引き抜き攻撃を仕掛ける両名に、リシアも手に持ったメイス型の杖で応戦する。


「無理すんなよ婆さん! 命乞いすんなら順番を後回しにしてやってもいいぜ!」


 二対一となり、防戦一方となったリシアは、額に汗を浮かび上がらせながら歯噛みする。


「ッ……誰がそんなこと!」

「へっ、ならさっさとくたばれよ!」

「くたばるのはアンタたちの方よ」


 闇夜に紛れ、一陣の風がこの場を駆け抜けた。

 デップは「あ?」と、間抜けな声を漏らして血を撒き散らして倒れ伏す。オーガスは魔力の気配に辛うじて気付くことで、なんとか左腕にかすり傷を負う程度でやり過ごした。


「チッ、不意打ちだってのに一人やり損ねたわ。まだリカルドの奴も残ってるっていうのに」

「エミリスさん……」


 舌打ちしながら堂々と姿を現したエミリスは、軽くリシアに目配せする。


「ここからは私も加勢します。同じハンターとしても私個人としても、絶対に見過ごせないもの」

「……ありがとうございます」


 エミリスの加勢に短く謝辞を述べると、リシアは敵対する者たちへと向き直った。


「私があの奥の男を相手します。エミリスさんはもう一方の方をお願いしてもよろしいですか?」

「ええ、でも気をつけてください。リカルドは魔闘術の使い手です。半端な攻撃は通じません」

「なるほど……情報感謝します。しかしご安心を。そういう手合いとの戦い方は心得ていますので」


 エミリスとリシアが互いの持つ情報を交換して戦いへの気勢を高めていく中。もう一方、リカルドとオーガス側も事態の不測に方針の転換を検討していた。


「どうするリカルド。デップがやられた上にエミリスまで参戦してきやがった。炎の剣の奴らが来るのも時間の問題かもしれねぇ。ここは退いて身を隠すか?」

「……いや、あの女どもは殺す。エミリスの奴が一人で現れた時点であいつの仲間がこの場にいないのは確定だ。おそらく他の奴らは街の外で魔物狩りに勤しんでるんだろ。あいつがここに来たのがあいつ個人の判断ならここの情報が伝わってる可能性も低い筈だ。ならここで二人を殺して口封じする。むしろ絶対に逃がせねェ」

「了解だ」


 リーダーの下した決断に即座に応の旨を示す。

 素早い判断が求められる魔物狩りにとってリーダーの決定は原則絶対である。一瞬の迷いや躊躇いが死に直結するからこそ、仲間への信頼は確固たるものでなければならない。

 それは彼ら我獣の牙にとっても例外ではなかった。逆らった者の末路を見た後ではより一層。


 ジリジリと高まっていく場の戦意。

 その空気をかき乱すように、開戦の口火を切ったのはエミリスの魔法だった。不可視の風の刃は幾つにも分裂しながらリカルドたちへと迫る。線ではなく面の空間を埋める攻撃は、相手に回避を許しまいとする。

 オーガスは身体強化で肉体の運動能力を高める。そして被弾面積を減らすように姿勢を下げ、両腕を前で交差させ防御の構えを取りながら一気に距離を詰めた。エミリスがその場から距離を取るように横へ跳びつつ、二撃目の魔法を繰り出していく。オーガスがそれを巧みな足さばきを回避し、その回避に費やす時間にエミリスは次の魔法を用意する。

 魔法使いと戦士。戦闘における役割の全く異なる両者の戦いが始まった。


 エミリスが初撃で放った魔法を清々中級魔法レベルだと見なしたリカルドは、魔闘術の魔力を肉体の表面に鎧のように覆うことで、その場から動くことなく受け切った。そして仲間であるオーガスが攻め込みそれをエミリスが対応したことで、リカルドの獲物は自然ともう一人に定まった。

 その相手を見て、嘲笑するようニヤニヤと口を開く。


「孤児院のババアか。せっせとゴミみたいなガキ共を育ててご苦労なこったぜ。俺のとこにも一人いるが、あんな媚びるだけのクズを社会に送り出してどんな意味があるってンだ?」

「……あなたには分かりませんよ。命の尊さすら知らないあなたには、子供達の価値もその愛おしさも理解できる筈がありません」

「ハッ、何が愛だ馬鹿馬鹿しい。この世は弱肉強食。弱者の理屈なんかに意味も価値もありャしねェんだよ。まっ、食われるだけの餌を出荷してくれるってのは、俺たち捕食する側にとっては有難いことかもな。ハハッ」


 聞くに耐えない暴言を聞き、リシアの体に静かな怒りが篭る。最小の動作で魔力を扱い、再びの発光を放つ。

 白い光が視界を埋め尽くし、リカルドは鬱陶しそうに左手で光を遮った。そこへ光に紛れるように、再び岩の弾丸が彼の元へ飛来する。


「ハッ、そんな攻撃が通じるかよ」


 一度目の不意打ち同様、意識に入れてさえしまえば、この程度の攻撃を食らうなどはあり得なかった。リカルドは右手の大剣で岩を打ち払い、弾いた小岩を器用に左手で掴み取ると、未だ発光する術者にいる方向に向かって投げ飛ばした。

 リカルドの常人離れした腕力で投げられた小岩は、狙い通り真っ直ぐ進み、射線上にある建物へと衝突した。


「あ? 避けられたか。どこに……ッ!?」


 右側頭部に突如走る痛みと衝撃、それに声にならない声を上げるリカルド。更に連続して肩や脇腹など、無警戒だった場所へ岩の弾丸が突き刺さった。

 よろめくリカルドにリシアは素早く背後へ回り込み、左手のメイスで攻撃を与えていく。その様子は孤児院の院長や勇聖教の司祭であった優しげな彼女とは似ても似つかない、容赦のない鬼気迫るものであった。


「……ッ! うッぜええええンだよォオオ!!!」


 苛立つように雄叫びを上げ、身に纏う魔力を引き上げるリカルド。増した魔力はそのまま彼を守る分厚い鎧となり、それだけでリシアの攻撃は容易く弾かれ通じなくなった。

 リシアは自分の攻撃が通じないと見るや、すぐさま距離を取った。


「クソババアが……セコイ戦いしやがって」

「賢いと言ってください。あなたのような猛獣と、正面からまともに戦うはずがないでしょう」


 狩る者と守る者、両者の戦いは本格的に始まりを迎えた。




 エミリスが持つ属性は風と水の二属性である。その二つの属性の内、エミリスは特に風属性を得意としていた。

 風属性の特徴は特に目に見えないことと、あらゆる応用が効くと言うことである。全てを跳ね除けるように壁を作ることが出来れば、空間に気体を押し固め椅子にすることもできる。物を飛ばすことも出来れば、刃を生み出すこともできる。

 ただ当然欠点も存在する。質量が無いに等しいため、同じ魔力で撃ち合えば水や土に押し負ける。固定化されていない空気であるため、集中を切らせばすぐに性質が消えて散ってしまう。風属性は基本四属性の中でも、分かりやすい強みを持つ他の三属性と比べ、扱いにくいものでもあった。

 そんな風属性をエミリスは気に入った。特に目に見えない点をだ。魔法を覚えたてだった彼女は風属性を伸ばすことを決めた。

 生憎と人より魔法的な才能があった彼女は、狭き門であった王立の学園に入学した。そこで決して優れたとは言わないまでも順調に実力を伸ばし、高等部の卒業時には複数の上級魔法を無事に習得することができた。

 残念ながらもう一つの水属性は上級に届かなかったが、彼女はそのうちに覚えられるだろうとその時はさして気にすることはなかった。


(そのツケを今払わされることになるとはね……)


 牽制に水の鞭を振るいながら、間合いの確保を図ろうとする。

 しかしこの相手、オーガスには大した効果は見られなかった。


「くっ……!」


「ハッ、相変わらず水属性は苦手かい? エミリスちゃんよお!?」


 嘲るように声を張りながら距離を詰めて来るオーガス。それをエミリスは苦し紛れの杖術でもって対抗する。


「そんな護身術程度のお遊びが本職の戦士に通じるかよ!」


 オーガスの斬撃はなんとか杖で捌き切るも、不恰好な体術により開いた胴体に、鋭い蹴りが突き刺さった。

 身体をくの字に曲げられながら背後に転がるエミリス。腹部に生じた強い痛みに必至に耐えようとするも、彼女の意思とは関係なしに胃からは中身がせり上がり、この場にぶち撒けられた。


「汚ねぇな……こうなっちゃ美人も形無しだな。まぁ、リカルドの命令だからどっちみちすぐ殺すしかねぇし、関係ねえがな」

「……そうやって、仲間であるモーロも殺したんでしょ」

「……あ?」


 袖口で胃液で汚れた口元を拭うエミリスは、その戦意を些かも衰えさせず、鋭い目つきで相手を睨みつける。


「アンタみたいに平気で仲間殺すようなクズなんかに、死んでも殺られるもんですか……!」

「……テメェに俺たちの何が分かる。アイツは俺たちを裏切ろうとした。悪いのはアイツの方だろうが!」

「クソ野郎の事情なんて知らないわよ!」


 ほんの僅かな会話の時間で、風の上級魔法を組み立てたエミリスが完成した魔法を放つ。

 それを舌打ちしながら、オーガスは最小限の動作で最もダメージの少ない防御を取りながら回避した。


(相変わらず風属性の知覚能力だけ高い……! どうにか動きを止めるかしないと!)


 風の魔法を得意とするエミリスに対し、オーガスは風属性に対する限定的な魔力知覚を有していた。ただでさえ一対一を不得手とする彼女に、これは重いハンデとなってのしかかっていた。

 仕切り直しとなるように、間合いを取ることになった両者。互いに己の魔力や体力は消費していたが、腹部へのダメージがある分、余裕が無いのはエミリスだった。

 ただ表情を歪めながら左手で腹部を抑える彼女を見て、相対するオーガスの内心も荒れていた。


(何が平気で仲間を殺すクズだ……お前らはリカルドの奴を噂でしか知らねえからそんなことが言えるんだよ。第一デップを殺ったのはテメェだろうが。どの口で言いやがる)


 胸の中でエミリスに対して怒りの言葉を吐くオーガス。しかし胸中で彼が抱いた苦々しさだけは、それでも晴れることがなかった。


「……もういい。殺しちまえばそれで終わりだ」


 それが最も簡単な解決策であろうと、オーガスは早々に結論を出した。

 今まで以上に殺気を漲らせるオーガスに、いよいよ決着が迫ることをエミリスは理解する。自然な動作で腹部をまさぐり、そこにある物を確認した。


 予備動作などはなく、一歩目から最速のように感じさせるオーガスの疾走に、エミリスは左手の切り札を取り出した。それは魔道具であった。魔力が流され起動したそれは、予め刻まれた術式に従って一つの魔法を発生させる。

 その魔法が発動しようとして、


「きゃっ!?」


 エミリスが女子らしい悲鳴を上げて、手の中の魔道具を取り落とした。左手にはオーガスが投げ放った短剣が、浅く突き刺さっていた。

 一瞬のやり取り。その自らの失敗に、絶望を顔に浮かべるエミリス。

 その彼女の表情を見て、オーガスは自身の勝利を確信し──


「私の勝ちよ」


 絶望の表情を一瞬で崩し、無表情になったエミリスが右手の杖を向けた。その杖から吐き出された、嵐を凝縮したような風の刃は、瞬く間にオーガスの体中をズタズタに引き裂いた。

 衣服が切り刻まれ、全身を血に塗れさせたオーガスが、倒れながら愕然と呟く。


「なぜ、だ……? 俺は、風の魔力なら……察知できる、のに……」

「そんなの魔力を誤魔化したからに決まってるでしょ。魔法使いの奥の手ナメんじゃないわよ」

「なん、で……そんな……」


 最後の言葉を言い切ることが出来ないまま、オーガスは事切れた。

 エミリスが使ったのは魔石発動型の魔道具である。これは使用者が魔力を流さずとも、予め内蔵された魔石が使用者の任意のタイミングで消費され、魔法が発動するものである。

 これをエミリスは最後の間合いを取った段階で使用した。起動した魔法は闇属性の認識阻害系の一種である、魔力知覚を妨害するものである。当然この魔法は、使用すれば必ず魔法の発動を誤魔化せるなんて、そんな優れたモノではない。魔力の知覚能力が高い相手ならば使われた魔法を、それが何属性かまで正確に把握することができるからである。

 しかしオーガスの場合は違った。彼は風属性のみに対して高い知覚能力を持つだけだったからだ。

 彼女がこれを持っていたのは半ば偶然と言える。対魔物だけでなく、対人間相手も想定して対策や奥の手を用意することは一流の魔法使いの中では常識とされている。魔導師を目指すエミリスも今までにこうした用意はしていた。しかしプラウスとの出会いによる意識の変化が、自分が取れる最大限の予防策を講じさせることとなった。これが戦いの結果を左右した。

 自身の地力が及ばないオーガスに対して、エミリスは最終的にこの切り札を切ることに躊躇いはなかった。


(リカルド相手に取っておきたかったけど、出し惜しみの対価が命は重すぎるからね……)


 エミリスは、内心で30万リアもした使い捨て魔道具を弔うと、左腕の傷を押さえながら足元のオーガスの亡骸に視線をやった。


「……あの世でモーロに懺悔しなさい」


 仇は討ったばかりに、静かな宣言をするエミリス。

 オーガスとの一騎打ちに辛うじて勝利した彼女は、疲労した身体に喝を入れ、リシアに加勢するためこの場から移動した。

 そしてリシアとリカルド。両者の戦いを視界の先に捉え、介入の機会を窺っていた彼女は、場違いな第三者の声がその場に響くのを聞いた。


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