修行
魔闘術の習得は至って順調……ではなかった全然。初めて教わった日から、ほとんど全くと言っていいほど進展がない。私の魔力操作は融合魔法すら容易く行えるほど極まっている。魔力操作だけなら大陸屈指と言っても過言ではないはずだ。
その私でも魔力の練り上げという感覚が理解できない。魔力を動かすことはできる。動かした魔力を身体の一部分に集める程度ならお茶の子さいさいだ。だがそれはただ魔力を集中させているだけであり、魔闘術とは程遠い。
更に問題として、私の魔力の少なさがある。私がどれだけ無駄なく魔力を扱えるからといって、消費を0にするのは不可能だ。どうしても漏出は起きてしまう。練り上げに色々な方法を試みれば尚更だ。
そういう理由で、私は今日も体内の魔力を弄り回しながら母と姉様の試合を観戦する。私の眼前では、『ばとる漫画』なるものの戦闘場面のような闘いが繰り広げられていた。
身体強化を使わない私では影すらまともに追えない。ただ訓練場がひとりでに荒れていくのが分かるだけだ。当然離れて見ているわけだが、訓練場は魔力障壁を張る結界の魔道具で隔離されているはずなのに、破壊音や爆風がこちらまで届いてきた。
姉様はまだ9歳の子供だったはずなのだが、どうしてこんなに化け物じみているのだろうか。私は以前侯爵家が保有する騎士団の訓練を見たことがあるが、騎士たちの超人っぷりが恐ろしかったのを覚えている。
しかし今の姉様は明らかにそれ以上の強さだ。姉様が訓練と称して複数の騎士たちを同時に叩きのめしていたのだから、客観的にもこれは事実だ。しかも無傷で。
姉様に傷をつけたら大事だ。だから手を抜いていた。わけではないと思う。
少なくとも私が見た限りでは騎士たちは真剣であった。それにもかかわらず姉様の圧勝だ。
加えて私が見たこれは別に初めてというわけではなく、姉様の鍛錬の日には当たり前に行われていたことだそうだ。既に騎士の中で姉様の相手が務まるのは、父側近の騎士団団長と副団長だけらしい。この二人は母には及ばないが、一流の魔闘術の使い手であるそうだ。
姉様が母から再び教えを請うたのは、騎士団をボコるのに飽きたから。そんな殺伐とした理由だったのかもしれない。
しかしたまにボコっているらしい。やはり反抗期で不満が溜まっているのか。
私がぼうっとどちらが優勢かも定かでない闘いを眺めていると、横合いから声が掛けられた。
「どうですかミーナ様、魔闘術の習得状況は」
「全然ですね。これっぽっちも足掛かりを得られた気がしません」
「まあ、そうですよね。自分もかれこれ三年やっていますが、不恰好ながらようやく形になった程度ですから。そう簡単に習得することになったら立つ瀬ないですよ」
そう冗談っぽく言うのは、リシャール侯爵家騎士団の騎士アレックスである。
彼は以前魔物領域で私が帰還した際に、真っ先に駆けつけて喜んでくれた騎士の一人だ。私の扱いはなかなか難しいのだが、今のこの家に堂々と私を罵る相手はもういない。その筆頭であるイザベル親子が消えたからだ。
そうであるからなのか、私が姉様とともに武術の鍛錬に参加するようになったら、彼の方から話しかけてくれたのだ。なんでもアレックスは母を武人として尊敬しているらしい。そんな母の子供である私にも気を遣ってくれているというわけだ。ちなみに彼に私の力については説明していない。ただなんとなく私が魔力を扱えることを察してる程度である。
「……それにしても、クラリス様は本当にとんでもないですね。あれでまだ魔法を使っていないというのですから、誠に末恐ろしい限りです」
「姉様は世界格闘技女子部門のチャンピオンを目指していますからね。最終的にはドラゴンを素手で殴り殺すことを目標としているそうです」
「……ミーナ様のそれは冗談だと思うのですが、クラリス様なら本当に可能そうであるのが絶妙に笑えないです」
他愛もない話をアレックスとしていたらようやく決着がついた。母の勝ちだ。
母が倒れた姉様の顔に拳を寸止めしていた。姉様は過呼吸気味だが、母はまだ肩で息をする程度で余裕がありそうだ。
姉様はまだ一度も母に勝てたことはない。少なくとも私が見た限りの話ではあるが。
姉様は母と闘う度に強くなっていると思う。全然見えないから正確にはわからないけどそんな感じがする。
でも姉様が強くなるように母も強くなっている気がする。これは私の感覚だけでなく、母本人もそう言っている。曰く感覚が現役の頃に戻ってきたそうだ。母は結婚してから魔物狩りは止めていたため、身体が鈍っていたのだろう。
母は「ミーナちゃんに負けないくらいもっと強くなる」とかなんとか言っていたが、そんなに強くなってどうするのだろうか。母も私のように最強になりたいのか。それとも姉様のように素手でドラゴンを殴り殺したいのだろうか。バイオレンスな師弟である。
私がくだらないことに思考を割いていると二人がこちらに戻って来た。
それを見てアレックスは「失礼しますね」と言ってその場を辞去した。
「ミーナ、訓練の調子はどうですか。それとまたアレックスさんと話していたのですね。どんなことを話していたのですか?」
「魔力の練り上げに関しては進捗は皆無ですね。アレックスさんには、姉様がドラゴンを素手で殴り殺す怪力系女子を目指していることを教えてあげました」
「……ミーナ? 私は努めて平静を装うことを常に意識していますが、怒るときは怒りますからね?」
「でも実際姉様って、オーガと腕相撲しても軽くねじ伏せられますよね。王都の学園怪力ランキングで男女総合一位になって、最年少記録を塗り替えられそうです」
私の言葉に姉様は無表情になり、無言で私の頭を鷲掴みにした。
私は悲鳴を上げて姉様に許しを懇願した。
「……最近のミーナはなんだかおかしいです。以前はこういうことを言う子じゃなかったと思うのですが」
「やっぱり反抗期かしら? ミーナちゃんってかなり早熟だし、そろそろ来てもおかしくないと思っていたけれど」
「……私は反抗期ではありません。反抗期は姉様の方です。騎士の人たちをボコボコにして憂さ晴らししているのが良い証拠です」
私は再び姉様に頭部を締め付けられた。気持ち先ほどより強い。
また悲鳴を上げて許しを請うたが、今度のは一回目よりも長く続いた。
解放された私は頭を押さえながら暴力的な姉様に何か言おうとしたが、にっこりと微笑まれて何も言えなかった。
「反抗期じゃないなら……ミーナちゃんはもしかして、この訓練が辛いの? それともお作法の方?」
「……強いて言うなら両方ですが、後者の比率がかなり大きいですね」
そう、私は現在貴族子女としての作法も習っている。姉様に言われ父に相談してみればあっさりと承諾してくれたのだ。
初めて作法を指導されたとき、私は案外楽だと、余裕だと思った。これならさっさと終わるだろうと。
しかしこれが一つ目の間違いだった。
私が最初に教え込まれたのは魔法で言ったら初級相当のもので、所謂幼年向けのものだった。私が問題なく習得するとすぐに難易度が上がり中級へと上がった。それでも覚えるだけならそれほど苦労はないだろうと私は取り掛かった。
そしてこれが二つ目の間違いだった。
私に作法を指導したのはメイド長である老齢の女性であり、名はサマンサと言った。この人がとても厳しい人だった。
私が一を熟すとすぐに二をやらせ、それがどんどん増えて最終的に百相当までやらされた。必要なことを一通り教わってようやく終わりかと思ったら、今度は完璧を追及させられた。それも最初からだ。
私は嘆いた。普通に泣いた。父にも泣きついた。しかし無駄だった。
どうやら私はサマンサに気に入られてしまったらしく、父からも逆に続けるように頼まれてしまった。サマンサはギルベルト同様先代から仕えている古参であり、父の乳母でもあるらしい。だから本人から頼まれては嫌だとは言えなかったそうだ。
そういうわけで私の厳しいマナー教育は今日まで続くことになっている。加えて魔闘術の訓練進捗度もてんで進まない。
それらが私の心身に深いダメージを与え、言うなればグレるという状態に陥ってしまった。なんでも完璧にこなしてしまう姉様に乱暴な言葉を吐くほどに。
しかしそんな私の心情を察したのか母に嗜めるように言われた。
「でもねミーナちゃん。いくら辛いからって、クラリスちゃんに当たるのはお母さん良くないと思うわ。ミーナちゃんが頑張っているのはよく知っているけど、それとこれとは話が別よ。妹のメアリーちゃんにもそういうところを知られてもいいの?」
全然良くない。もしメアリーにこんな格好悪い姉の姿を見せて失望されてしまったら、私は立ち直れなくなってしまう。
その状況をリアルに想像出来てしまった私は即座に姉様に謝罪した。
「私がどうかしていましたクラリス姉様。姉様に対する数々の暴言は私の本意ではなく、改めて撤回いたします。何卒お許しください」
「いえ、ミーナから軽口を叩かれるのはそうそうない経験なので、私としてもそれほど不快ではありませんでした。むしろ好ましく感じていたくらいなので、軽くならばこれからも構いませんよ」
「ありがとうございます姉様! さすが未来の怪力女子チャンピオン! 懐の大きさも王者級です!」
「……メアリーに言いつけますね」
私は姉様の脅しに平身低頭で謝り倒した。少し調子に乗り過ぎてしまったかもしれない。
優しい姉様は最終的に許してくれたが、腕力云々で姉様を弄るのはこれっきりにしようと思った。
「それではミーナ、お身体には気を付けてくださいね。あまり無理をされないように」
「はい、姉様の方こそ健やかにお過ごしください。それとメアリーにも私は元気であるとお伝えください」
年を越して姉様が王都へ出立する日がやって来た。
そのため私と母を含めて屋敷中の人間が姉様たちの見送りにやって来ている。
何と言っても未来の大魔導師の記念すべき旅立ちの日だ。姉様はこの家だけでなく、この国を代表する魔法使いになることを嘱望されている。今ここにいる者たちの中にも別離を惜しむだけでなく、偉大なる英雄に向けるような熱の籠った視線をした者が多々いる。
私と姉様が別れの言葉を交わす横では、父とリディアーヌが熱烈な抱擁をしている。特にリディアーヌの方からだが。耳を傾ければ週四で連絡するとか月に一回は帰ってくるとか言って父を困らせていた。
「私は別にお母様とダミアンはこの家に残ってもいいとおっしゃったのですが、お母様の方からそれを拒否なされたのですよね」
「そういえばダミアン兄様も、最近ではあまり姉様の側におられることがありませんね。私とメアリーが姉様と一緒にいることが多くなったせいでしょうか」
私のふとした疑問に、姉様は「それはどうでしょうね」と困ったように笑うだけだ。
結局ダミアンと接する機会はほとんどなかったように思える。別に互いに避けているわけではないと思うのだが、実際のところは不明だ。そのダミアンは今は父と話しており、まだ年相応に小さいが姉様の後ろに引っ付いた頃と比べれば些か大人びたような気がしないでもない。
ダミアンの方を見ていると不意にダミアンがこちらに視線を向けて、目があったがすぐに逸らされてしまった。やはり私が知らなかっただけで避けられていたのだろうか。
姉様はそんなダミアン見て苦笑していた。
父との別れを済ませたリディアーヌがこちらにやって来た。
「……アナベルさん、今更言うまでもないとは思いますが、私はあなたをあまり好ましく思っていません。ですがあなたがクラリスに色々と教えてくれたことは感謝しています。ありがとうございました」
リディアーヌは母に頭を下げ、更に続けた。
「あなたたち母娘がリーシャル性を名乗ることを私は反対するつもりはありません。それだけは覚えていてください。それとミーナさん、あなたもうちの娘と仲良くしてくれたことに感謝します。おかげで娘も日々を楽しく過ごせていたと思います」
最後に「それでは失礼しますね」と言い残して、名残り惜しそうに父の方を見ながらも、彼女はダミアンと共に用意された魔道車の中へ乗り込んで行った。
「……初めてリディアーヌ様にお礼を言われた気がしますが、なんだか不思議な気分です」
「お母様はあれでかなりアナベル様とミーナに好意的なんですよ。ただ感情面として納得し難いものがあるのでしょうね」
「リディちゃんは本当にエドモンのことが好きだからねぇ。正直あの若々しさは私としても学びたいと思うわ」
意外にも私はリディアーヌから好意的に思われていたらしい。
私としてもそう思われて悪い気はせず、リディアーヌへの印象が結構変わった。
リディアーヌが去ると今度は父がこちら側に来て姉様に声をかけた。
「クラリス、お前が人よりも特別に優れていることは知っている。だが、世の中それだけが全てではないことを学園でしっかりと学んで来い。……それと、向こうでは家族のことも気遣ってくれると助かる。子供のお前にこんなことを頼むのは親として情けない限りとは思うんだが、他に頼める相手もいなくてな……。もちろんお前も大変だろうから無理のない範囲でいいからな」
「はい、お父様。私も王都でしっかりと学んで参ります。後半のお願いの方も承りました。兄弟姉妹の面倒は私にお任せください。ベルトラン兄様とは、私も腰を据えてお話ししたいと思っておりましたから」
ベルトランの名前が姉様の口から出て父が苦笑する。私たち兄弟の中で最も父が憂いを抱いているのがベルトランだからだろう。私は好きではないが、父にとっては大事な自分の子の内の一人であるだろうし、姉様にしても性格上関係改善を図りたいと思っているのだろう。
私の場合は、私自身に精神的余裕ができたということもあるので、ベルトラン側から何らかの謝罪の言葉が聞ければ許してやらないでもない。
私がそうこう考えているうちに姉と父の会話も終わり、姉はもう一度だけ私たちに別れの言葉を告げ、リディアーヌとダミアンが乗る車に乗り込んだ。
そのまま大勢の人に見送られながら、姉様たちの乗る車は正門を抜けて敷地内から姿を消した。
私にとってはシャノンとメアリーに続いて、親しい人との別れは三度目であるのでそれほど辛くはない。あれが届くのがもう少しだというのも少し関係している。
姉様を見送った私は一人で訓練場に来た。
そこに来た私は土魔法で目の前に土壁を作りだして、胸元にある小袋に意識を集中させる。魔晶核から魔力を引き出し、胸元から全身の体表にもう一つ魔力回路を作り出すイメージで、ぐるぐると循環させた。
もう一つの魔力回路を通して循環、練り上げた魔力を体の外側に留めたまま体表を覆うようにする。そこから更に身体強化の魔法を発動して肉体の強度を上げる。
その状態を維持したまま、私は魔力を纏わせた拳を土壁に突き出した。突きを受けた土壁は、私の拳と接触する直前で何かに圧されるように撓み、爆散した。
結果を確認した私は、纏った魔力と身体強化を霧散させて一息ついた。
ようやくここまで形にできた。
練り上げた魔力と身体強化の魔法を併用することで、私は擬似的に魔闘術を再現することに成功した。本来同時に発動しても一方の効力しか表れないこの方法であるが、体内と体外の役割を分担させることで擬似的に実現できた。
こんな方法は本来できても誰もやろうとはしない。なぜなら単純に無意味だからだ。魔力の練り上げが可能なら普通に魔闘術を使えばそれで終わる問題であり、身体強化なんかは使う必要がない。
しかし、私の場合は魔晶核の魔力が身体に馴染まないという欠点がある。だから他の人にとっては無意味であっても、私にとってはこれが唯一の正答であった。
一番の問題であった魔力の練り上げに関しては、些か強引な方法を使って解決した。それは姉様との魔力交換だ姉様が練り上げた魔力を私へ受け渡し、魔力の状態を私が直に確認したのだ。
正直このやり方はとても危険であった。魔闘術の歴史でも同様のやり方が試みられたことは何度もあったらしいが、ほとんどの場合は失敗して負傷することになったそうだ。運が悪ければ魔力回路に重大な後遺症を残すこともあり、二度と魔法を使えないことにもなり得る。練り上げた魔力とはそれほど危険なものなのだ。たとえ魔力の受け渡しが上手くいっても、感覚が掴めず無駄に終わることも多々あり、今日ではこの方法はほとんど行われていないという。
しかし私はこの方法を実行した。
母と姉様には当然止められはしたが、別に私の魔力回路に異常が発生したからって大した問題ではない。魔晶核から魔力を引き出して魔法を使っているから、私にとって体内の魔力回路など無用の長物であったからだ。それに魔力回路にダメージを負っても私なら回復魔法で治すこともできる。だからやらない理由がなかった。
念のため姉様には魔力の練り上げを可能な限り抑えてもらい、渡す魔力も私の貧弱な魔力回路に負担をかけないように最小限にしてもらった。
魔力の練り上げの感覚はすぐに掴めた。
もともと魔力的な知覚能力が高い私である。姉様から渡された魔力を自身の制御下に置いて、それを元々あった私の微量な魔力と混じり合わせ、魔力の練り上げがどういうものかを理解した。加えて魔力の練り上げに、体内の魔力回路を使う必要がないことにも。
そういうわけで、私は独自のやり方で魔闘術を習得するに至った。
でもまだまだ発動も遅いし、魔力消費も普通に魔闘術や身体強化を使うよりも多い。実戦で使うにはもっとこれを洗練していく必要がある。
しかし私は、自分の確かな成長を実感していた。




