幕間 ハリスの騎士道
──剣を振る。
自らの手に握られた他を殺傷するための道具を振るい、中空に銀色の剣閃を残す。
──剣を振る。
何千、何万、何百万と繰り返して来たその動作は、自然と自身にとって最適な動きを再現させる。
──剣を振る。
かつてとは違う己の剣撃は、想像した目の前の強敵に傷をつけることに成功する。
──剣を振…………
そこで剣を振るのを中断する。自身の敗北を悟ったからだ。
あの日から何度か繰り返して来たイメージトレーニング。その想像上の敵に今なお勝てないことに大きく息を吐くが、確かな己の成長を実感し、拳を握りしめながら男は空を仰いだ。
その男、ハリス・バーナーは己の現状を思い返した。
騎士であるハリスが仕える主家から受けたとある任務。その成否を有耶無耶にした状態で終えることに成功し、彼は主家のカールストン本家に帰還することになった。内心では肝心の任務は失敗に終わったため、即刻処分が下されることも覚悟していたのだが、それは杞憂で終わった。状況や出来事の詳細な報告を求められはしたものの、それだけであり、今も自分の首と胴は繋がったまま朝を迎えられている。
そしてハリスは、帰還した勢いのまま除隊申請を提出した。理由は悩んだが正直に書いた。
今回の任務のように貴族の暗部に僅かでも関わってしまった自分について、主家である侯爵家がどう判断するかは不明だ。処断される可能性が最も高いと理解しているものの、しかしあの少女の前で立てた誓いを破る訳にはいかない。ハリスは今度こそ意志と意地を貫き通す腹づもりであった。
その結果は未だ出ていない。侯爵の裁可がまだなのか、他に理由があるのか。
ハリスは考えても仕方がないと、今は日々訓練に精を出していた。
(やっぱり剣を振るのはいいな。微妙にささくれ立った気持ちも落ち着いて来る。……それに相変わらず身体の調子はこの上なく良い。間違いなく以前よりも身体能力が上がっている。俺の勘違いじゃなかった。やっぱ一度死にかけて、あの嬢ちゃんの回復魔法を受けたせいなんだろうな)
あの森での死闘。と言うより一方的な蹂躙を経てから、ハリスは自身の肉体に漲る今まで感じたことのない活力を感じていた。そしてそれは決して己の勘違いなどでなく、ミーナの回復魔法に原因があるのを察していた。
実際ハリスの見解は正しかった。
戦士が回復魔法を受け、自らの負傷を回復または再生した場合、その部分が以前よりも強靭に変化した例は確認されている。そしてその変化はより長い時間回復魔法を受けた者ほど顕著である。
これについての理由は判明している。回復魔法を受けることで肉体が魔力による再生を受けた際、四属性融合という濃密な魔力を浴びることで、肉体の再構築に高純度高質の魔力が組み込まれる。加えて肉体が自らに負った負傷に対し、より頑強になろう適応した結果だとされている。
しかし、無闇矢鱈と回復魔法を受けても意味がない。あくまでこれは己の肉体を高め続け、その成長がほとんど限界にまで達した者に限られた現象であるとされている。例えるならこれは魔物の進化に近い。回復魔法という外部からの刺激を受けることでより高次に肉体を変異させる。言うなれば人間にとってのある種の自己進化と言えるのかもしれない。
歴戦の戦士であるならば誰もが望みそうなこの回復魔法による肉体の成長であるが、実際に行われることはほとんどない。回復魔法の使い手が非常に少ないのは当然として、魔術として再現済みであるのにも関わらずだ。その理由は単純である。高価であることと、単純に無意味だからだ。
回復魔法を魔術として再現する場合、例の如く必要な魔力は上昇する。そして上記のような変化を齎すほどの回復魔術をかけるのには、最低でもそこそこの立地にそれなりの一軒家を建てられるほどの金銭が必要とされる。その上これは必ずしも効果が保証されるものではない。肉体の限界を迎えていない者や逆に充分に鍛え上げた者は、この恩恵にあずかることはない。
故に対象となり得るのは成長限界を迎えたそれなりの実力者に限定されるのだが、その程度の人物が用意できる金銭には当然限界がある。そのため回復魔法が上記の使われ方をされるのは稀である。
そんな希少な体験をしたハリスは独りごちる。
「まあ強くなったつっても、まだあの日のリベンジは果たせそうにないがな……」
繰り返し行ったイメージトレーニングの相手を務めたのは、かつて己が完膚無きまでに敗北した黒い魔物であった。森の悪魔とも呼ばれるあの黒い魔物は、線の細い見た目にそぐわず強力無比な一撃を回避不可能な速度で繰り出してきた。攻撃を受けた箇所は防御や回避もままならず容易く抉り落とされた。体表は己の剣技で斬り裂けないほど頑健であり、死にものぐるいで放った一撃は数本の体毛を散らすだけの結果で終わった。
だが今仕方終えた想像のあの魔物との戦闘では、ほとんど反応できなかった攻撃は見切れるようになり、剣撃は確かに体表を斬り裂くことに成功した。
もちろんそれはあくまでイメージでしかなく、現実で相対した結果とはまた異なる。だがハリスはその想像が確かであることを半ば確信しており、自身の成長を確かに実感していた。
ただそれと同時に、あの少女の背中は未だ遥か遠い所にあることを嫌でも自覚させられた。
自分はまだまだだなと首を振り、また訓練を再開しようとしたハリスに近寄る影があった。
「最近は随分と気合いが入ってるなハリス。少し前とはまるで別もんだ。やっぱ例のアレでギリアムの奴が死んじまったからか?」
「エインか……」
ハリスよりも幾らか若く見えるエインと呼ばれたその男は、愉快げな笑みを零しながらそう口にした。
「別に。そのことも無関係じゃないが、ちょっと自分を見つめ直す機会があっただけさ」
「ふーん。なら久し振りに俺と模擬戦でもしようぜ。一人で素振りばっかしてたって大して訓練にならねえだろ?」
軽く受け答えたハリスの反応に興味無さそうに返したエインは、模擬試合を提案した。
「ああいいぜ。やろうか」
それにハリスはあっさりと承諾する。エインは少し驚く様な表情をするが、すぐに先ほどのような笑みを顔に浮かべてルールの確認をした。
「剣は真剣。決着はどちらかが降参するか寸止めだ。ただし怪我しても恨みっこなし。これでいいな?」
「ああ」
エインが提案したルールにハリスも意を唱えることなく頷く。
またしても即決したハリスにエインは一瞬眉を寄せるが、すぐに臨戦態勢に入りその身に剣気を漲らせた。ハリスも同様に集中を高め構えを取る。
どちらかが開始の合図を出すことなく、闘いは自然と始まった。
まずは先手とばかりにエインが上段からの袈裟を繰り出した。剣技の基本の一撃だ。
それをハリスは教科書通りに受けてみせる。金属と金属がぶつかる高い音が周囲に鳴り響く。
そのまま示し合わせたかのように互いに一度距離を取り、今度はハリスの方から斬りかかる。エインと同種の斬撃だ。それを今度はエインが正面から受ける。そしてまたしても同じように互いに距離を取る。
ここから本番の闘いが始まった。
意気盛んに打ち込んでいくエインの斬撃を、熟達した剣技で捌いていくハリス。袈裟を受け、突きを払い、横薙ぎの一撃を半歩下がって見切る。その動きのどれもが剣士として高いレベルにあることを感じさせる。
実際ハリスの剣技は騎士団内ではエインよりも上と見なされていた。
そうでありながら、今までの模擬試合でハリスがエインに勝利したことは無かった。それは高められる技術の問題ではなく、純粋に才能の差であった。
徐々に激しさを増していく攻防。すでにそれは常人が捉えられる範囲を超えており、戦いを生業としない者では残像を追うことすら困難だ。
変わらず攻める側であるエレンの斬撃は、開始当初のものとは比べ物にならないほど速く、重く、鋭さを増しており、相手に息つく暇を与えない。
しかしそんなエインの剣撃を、ハリスは変わらずに対応し続けた。
(──どういうことだ!? いつものこいつならそろそろ受け切れずに体勢を崩すか、後ろに下がって逃げに徹してる筈だ! どうして未だに前で俺の剣を受け続けられている!?)
胸中で疑問を爆発させるエインとは対照的に、ハリスの心はひどく冷静でいた。
(これが今まで一度も勝てなかったエインの剣か。成長したからとはいえ、こんな剣に今まで敗北感を味合わせられ続けてきたなんてな。自分はどんだけ弱かったんだと馬鹿に思えてくる)
そうハリスは内心で自嘲した。
エインは騎士としてハリスの後輩にあたる。年齢もまだ二十を越えたばかりで、団内でもかなりの新参だ。しかし、剣技で優れるはずのハリスは今までエインに勝てたことはない。
その理由は互いの魔力量の差にあった。
魔力でハリスに大きく勝るエインは、その潤沢な魔力で身体強化魔法を発動し、本来なら自分よりも剣技に優れるハリスを圧倒し続けてきた。無論ハリスも身体強化を使い応戦したが、生まれついての才能の差は如何ともし難く、自分より速く動き、重い一撃を繰り出すエインに今まで土を舐めさせられていた。
だが、その前提が変わった。
ミーナの回復魔法をその身に受けたことで、ハリスの肉体は一つ上の段階へと進化した。魔力量は変わらずとも肉体強度が大幅に上がったことにより、ハリスの剣士としての力量は以前とは比べ物にならないほど飛躍していた。それは生まれついての差を埋めるほどに。
ハリスとエイン。持つ者と持たざる者。
本来なら埋まる筈のない両者の差は、当事者さえ予期しない外部要因により取り払われた。
そしてその差が無くなればどうなるか。結果は一目瞭然となる。
自身の一撃一撃を苦も無く受け切り続けるハリスに対し、エインはいよいよ焦りを表に出して大振りの一撃を繰り出した。
そんな隙だらけの剣に、ハリスは相手が気づかないほど小さく短く落胆する様な溜息を吐くと、最善の動きで剣を避け、ただ己の剣を空中に置いた。
そこにエインの首が飛び込み、それは寸前で静止した。
「俺の勝ちでいいな?」
その瞬間、周囲からはどよめきが起こった。
ハリスが見れば、周りには訓練を行っていた他の騎士たちが手を止め二人の模擬試合を観戦していた。誰かが試合をしてれば注目が集まることは珍しくないので、ハリスは特に気にせず薄皮一枚斬るあたりで止められた剣を下げ、それを自身の鞘に収めた。
エインは敗北が信じられないのか、試合が終わっても呆然とその場で立ち尽くしていた。が、やがて我に帰ると、ハリスの方へ視線を向け表情を怒りで歪めた。
「一度勝ったくらいでいい気になるなよ! 今のは俺が油断したから負けただけだ! もう一度やれば絶対に俺が勝つ!」
負け惜しみにも聞こえるそれは、エインの確かな本心だった。前提としてハリスの成長を頭に入れ、油断せずに闘えば己が負けることはあり得ない。そう考えていた。
その本心は正しくハリスにも伝わり、だからこそ真面目に取り合う気を無くさせた。
「そうだな。もう一度やればお前が勝つかもな。これでいいか?」
「なんだと!? 図に乗るなよ才能無しが!!」
もはやお決まりとも言える自分に対する侮蔑発言を聞いたハリスは、そういえば嬢ちゃんも似たような経験してんだろうなと、変な共通点を発見したことで可笑しな気持ちになった。
「何が可笑しい!?」
「え? ああ、別にお前を……いや、今のお前と何度やろうが全部俺が勝つって思っただけさ。エイン、お前俺に勝ちたきゃ、もう少し剣の腕を磨いた方がいいぞ」
「……ッ!? 魔法もまともに使えない分際で偉そうに言うな!!」
思わず笑った理由を言い直したハリス。一応先輩騎士としてわざわざエインに助言を送る様に発言を変えたつもりだったが、彼には伝わらなかったようだと肩をすくめる。
その態度がまたエインの癪に触ったようであったが、二人の会話は第三者によって中断させられる。
「何を騒いでいる」
「え、エーリヒ副団長殿……!?」
そこに現れたのは、このカールストン侯爵家騎士団の序列で二番目に位置する男であった。
「で、何があった。答えろエイン下級騎士」
「は、はい! 自分とハリス下級騎士が模擬戦を行いましたが、その結果で口論となりました!」
エーリヒから問われたエインはその質問に偽ることなく答えた。
「どっちが勝った?」
「……は、ハリスです」
少し躊躇いながらも正直に答えたエインの答えに、エーリヒから「ほう」と短く感嘆の声が漏れる。
エーリヒは騎士団の副団長を任された身として、団内の騎士の実力は大体把握しているつもりだった。その自分の中にある実力に照らすと、エインがハリスに敗北することはあり得ない。しかし、エインの口からはそのあり得ない結果が語られた。
それを新たに記憶するとともに、それが今回の理由であるのかと一人納得する。
「そうか。エイン、魔力に優れるお前ならば、本来ハリスに敗北を喫するなどあり得ない。あってはならないことだ。つまりその結果は才能以外、努力の差で劣っていたことを意味する。お前には今後より厳しい訓練を課すこととする。いいな?」
「はい!」
「いい返事だ。──それとハリス。お前とも色々と言葉を交わしたいがその時間もない。団長がお前をお呼びだ。付いてこい」
ハリスにそれだけを告げ、後に続くよう指示を下してエーリヒは歩き出した。
ハリスはようやく来るべき時が来たかと、エインとの試合以上の緊張感に身を強張らせた。
足早に進むエーリヒの後に寸分遅れず追従するハリス。今二人がいるのは騎士団の隊舎ではなく、主人が寝起きする邸宅である。その廊下を余計な雑談などすること無く黙々と進む。
やがて広い屋敷の二階に存在する大扉の前に二人は辿り着いた。
ハリスは扉が見えた時点で察した。悪い方の予感が的中したかと。
その扉は一見特別な飾り立ての無い無骨なものだ。しかし扉の奥から滲み出る重圧は、そこにいる者が尋常でないことを告げていた。
その扉をエーリヒはノックした。
「エーリヒです。ご下命により、ハリス下級騎士を連れ参上しました」
「入れ」
短くもその言葉に込められた重さは、明確に上位者のそれであった。
ハリスはそれで予感が確信に変わり、覚悟を決めた。
「失礼します」
エーリヒが開いた扉の先にハリスも足を踏み入れた。
「よく来たハリス・バーナー。エーリヒは下がれ」
「ハッ! 失礼致します」
敬礼をして即座に部屋から退出するエーリヒ。
それに意識を向けることもできず、ハリスは目の前の人物らに視線を惹きつけられた。
そこにいたのは自身が所属する騎士団団長であるランバルトともう一人、
「貴様には聞くべきことがある、ハリス」
自身の所属する騎士団の最上位に位置する人物にして、このカールストン侯爵家現当主ドウェルグ・カールストン本人であった。
上位者が持つ特有の覇気に気圧され反応が鈍くなるハリス。そこに、ドウェルグの斜め後ろに控えるランバルトから喝が飛んだ。
「閣下が話し掛けられているだろう! 答えんか!!」
その発声は室内の空気を震わせ、ハリスの鼓膜を叩き付ける。怒声に肩を僅かに跳ねさせながらハリスは応じた。
「はっ、はい。自分に何の用で有りましょうか閣下」
「うむ。──単刀直入に聞く。ハリス、お前は私に偽りを告げたか?」
要所を省かれたドウェルグの簡潔な言に、ハリスは一瞬なんの話か困惑する。しかしすぐに意味する内容に思い至ると、内心の焦燥を抑えながら答えた。
「……何の話でありましょうか? 自分は──」
ハリスが言い終えるより早く、ランバルトの姿がドウェルグの側より消えた。
それをほとんど目に捉えることもできず、ハリスは仰向けに床へ倒された。それとほぼ同時に訪れる腹部への強い痛み。それを認識して、ハリスは遅ればせながら己が殴られたことを理解した。
自覚した苦痛により、肺から呼吸が押し出される。ハリスはむせながらすぐに息を整えようとするが、その胸をランバルトが足の裏で上から押さえつけた。それでハリスは一層呼吸困難に陥った。
「どうやら私の言葉が足りなかったな。いや、ここは前提の擦り合わせから行おうか。先日、私はミーナ・リシャールに会った」
突然出た人物の名前にハリスの表情が僅かに強張る。それをドウェルグの紺碧の瞳は見逃さず捉えたが、気にすることなく言葉を続けた。
「そこであの娘と幾らか言葉を交わす機会に恵まれてな。ふふっ、中々に興味深い時間であったよ」
含み笑いをするドウェルグの反応を見て、ハリスはそこで何かがあったのを理解した。そしてこの場が一体どういう理由で用意され、どうして自分が呼ばれのかも。
「とにかくそういう訳だ。──もう一度だけ聞くぞハリス。貴様は私に偽りの報告を上げたのか?」
ドウェルグから重圧とともに濃密な魔力が発せられる。それは物理的な干渉能力を有し、空気を、家具を、部屋を軋ませる。その猛烈な圧迫感はハリスを恐怖で縛り、震えで体を支配させる。
しかし、ハリスは無理やりに口振りの端を噛み千切り、その痛みで己を自制する。勢い余って食い千切った肉の一部を流血とともに吞み下し、同じ答えを返した。
「……俺には心当たりがありません」
今なお圧と魔力を発し続けるドウェルグに、全身を苦痛と汗で満たしながらもハリスはなんとかそれだけを言葉にした。
それを鋭い視線で眇めるドウェルグは別の切り口に変える。
「ハリス、お前は除隊申請を出していたな。だが当家の暗部に関わったお前が、五体満足で抜けることが許されると思うか?」
それにハリスは答えない。己の覚悟はすでに決まっていた。
「お前の家族の身元は把握している。交友関係についてもな。これ以上の言葉は重ねん。これが最後だ」
目を閉じたまま顔を一層険しく歪めるハリスは黙し続ける。
それを確と確認したドウェルグは、ハリスの胸部を踏み続けるランバルトに合図を出した。
ランバルトは合図を受け取ると腰に佩いた一振りの剣を抜く。その剣は侯爵家が有する騎士団の、その団長が持つに相応しい業物であった。魔剣とも呼ばれる、魔法金属で鍛えられたその緑碧の剣を、ランバルトは頭上に掲げた。
「言い残すことはあるかハリス?」
自身が尊敬する男の声に、ハリスは落とした瞼を持ち上げる。
「……ありません」
ハリスの決死の一声にランバルトは「そうか」と短く頷いた。そして研ぎ澄まされた殺気を発する。
さらなる精神負荷がハリスの身心を襲うが、見納めとなる今生の光景を目に焼き付けるため、彼は一度の瞬きすらせず瞼を開き続けた。
やがて、その剣は流麗な動作でハリスの首元に振り下ろされ、
「そこまでだ」
寸前で止まった。否、止められた。
その言葉にランバルトはハリスの首元から剣を引き、鞘に戻した。そのままハリスの胸から足を外すと、悠然と元の位置、主人の斜め後ろへと立ち戻った。
今の今まで己の死を確信していたハリスは、肉体の苦痛も忘れ困惑を顔に出すが、またしてもランバルトに一喝される。
「いつまで寝転がっているつもりだ! 閣下の御前だぞ!!」
未だ理解は状況に追いついていない。しかしハリスは染み込まれた指示系統に従ってよろめきながらも立ち上がる。そして不調な身体で不完全な直立を保った。
そんなハリスに威圧が露と消えたドウェルグが問う。
「貴様の除隊申請の理由にあった己の騎士道。それに偽りはないか?」
唐突な質問とその意味。
一瞬ハリスは虚をつかれるが、即座に表情を引き締め居住まいを正した。
「はい」
短くも力強いハリスの返答を聞き、ドヴェルグは相手の瞳の奥を覗いた。
その視線を正面から逸らさず受け止めるハリスに、やがてドウェルグは「そうか」と鷹揚に頷いた。
ドウェルグの今までとは質の違う視線が外される。
「騎士ハリス・バーナー、お前の除隊を認める。今までご苦労だった」
突然とそんなことを告げられた。状況の急転に頭が着いてくることを拒んだが、体は取るべき行動を記憶していたようで、なんとか「はい」と同じ返答を繰り返した。
そして話は終わったのか、「下がれ」と言うドウェルグの言葉に力が抜ける感覚を覚えるが、ハリスはなんとか姿勢を維持し、敬礼とともに「失礼します」と返事を返した。
ハリスは踵を返し、そのまま扉を開いて退出しようとしたところで、
「ミーナは私に敵対を宣言したぞ」
ドウェルグからそんな言葉が発せられた。思わずドウェルグの方へと振り返るハリス。
その姿を見てくつくつと笑う男の笑みは、すぐに扉の奥に消えた。
「本当によろしかったのてすか?」
今し方この部屋から姿を消した男について、ランバルトは主人にそう確認を行った。
「ああ、あそこまでの胆力を持ちあわせている者はそうはいない。己を弱者と理解しながら強者に意地と意志を貫き通す。それもまた強さだ。私はそれを好ましく思っている。こんなことで摘み取るにはあまりに惜しい。それに、あれならば無意味に吹聴することも無いだろう」
「閣下がご納得されてるならば、俺から申し上げることはありません」
主人であるドウェルグに異論なく諾するランバルト。
ドウェルグは慣れたその反応を気に留めず宣言する。
「だが次敵対した際は構わず殺す。お前も躊躇うな」
「俺は元より閣下の剣のつもりです。閣下の御意志とあらば俺の剣が鈍ることはありません」
ランバルトの忠臣らしい返答に、「ならいい」と短く返すドウェルグ。
そのまま部屋を静寂が満たし、主人のドウェルグが沈黙を破る。
「惜しいな……」
その一言に込められた意味を正確に把握しつつ、ランバルトは会話に応じる。
「ハリスのことですね」
「ああ。先ほどの胆力も勿論だが、奴の戦闘力も十分に魅力的だ。お前の動きを一瞬であるが目で終えていたな」
「はい、正直あれには俺も驚かれました。そのせいで反射的に想定より強く殴打を加えてしまいましたが、それを耐え切るとは思いませんでした。俺の知っているあいつではあり得ないことです」
「一皮向けたということだな。それが内か外からかは別としてな」
興味深げに言葉を発するドウェルグに、ランバルトも含められた意味を察する。
「例の少女……ミーナ・リシャールでしたか。閣下はその者に理由があると?」
「さあな。だがあの娘との出会いがハリスを変えたのは事実だ。そちらも手に入れたかったが、この国有数の貴族の身であろうと思うがままにとはいかないものだな」
残念そうな言葉に聞こえるものの、浮かべた表情にその色は一切無い。
喜悦の様な獰猛な笑みを見せるドウェルグに、ランバルトは構わず会話を続行する。
「今のハリスならばランク6とはいえ、弱めのものならギリアムと共闘すれば討伐は充分に可能でしょうね。剣の腕だけは団内でも指折りと言えますので」
そのランバルトの評に、ドウェルグは首肯もせずに無言で返す。
再び場に沈黙が訪れ、やがてドウェルグはポツリと零す。
「二十……と言ったところか」
その数字が何を意味するのか。ランバルトは沈黙を保つ。
「その上だと更に減って……お前を含めて五が精々か。それ以上は単独では無理だな?」
「力足りず申し訳ありません」
ランバルトの謝罪に構わないと首を振るドウェルグ。
目的語の存在しない会話。しかしこれは主従の間で正確に意味が理解されやり取りされていた。
「例の成果が出始めている。あれで少しは底上げが可能になるだろう。それに協力者も増えている。道程は順調だ」
思い至る憂慮を意に介さず、ドウェルグは会話をそこで切り上げる。
脳裏にいくつかの大きな障害と、自身に敵対を表明したあの少女を思い浮かべて。
「なんか随分とあっさりだったな……」
あのドウェルグとの接見から数日が過ぎ、自分の除隊申請は無事受理されたハリスはそう嘯いた。
すでに今日までの給料に特別手当という名の口止め料のようなものを渡され、ハリスは荷物を纏め既に宿舎から引き上げていた。
「いや……アレをあっさりとは言えねえか」
数日前の死を覚悟した出来事を思い出し、ハリスは苦笑した。
実際あれは人生でも一、二位を争うほど己が死に近づいた瞬間だった。もしあのとき自分が迷いを見せたら殺されていた。あるいは命惜しさに保身に走っていても同様だっただろう。一度任務を失敗し虚偽の報告をした自分の命など、その程度の価値しかなかった。
そこに活路を得たのが、一度は自分を殺しかけた己の騎士道というものだから、人生は分からないものだ。
そんなことを考え、一人納得しながら敷地の外へと向かうハリス。
最後にそれほど長くはないが世話になった隊舎を遠くから見納め、裏門から出ようとするハリスは、そこに見知った顔を捉えた。
「エインか」
そこにいたのは、自分が最後に剣を交えることになった後輩騎士のエインだった。
「まさかお前が見送りに来るとはな」
「お前が勝ち逃げするつもりだからだろうが。言っとくが、通算なら俺はお前に大きく勝ち越している。だから強いのは俺の方だ」
そんな子供じみたことを言うエインに、ハリスは「はいはい」と適当にあしらう。
それがやはりエインの眦を釣り上げた。
「なんだその態度は! なんならこの場で貴様との決着を着けてやろうか!!」
「別にいいぜ」
エインの挑発の様な挑戦に、ハリスはあいも変わらずあっさりと承諾した。
「……いいのか?」
「決着は数年後ってより、今すぐつけたいのが剣士の性だろ」
その言葉にエインは視線を鋭くさせる。ハリスは背負った荷物をその場に落とし、そこから自分の獲物を取り出す。ハリスは剣を抜き、鞘は荷物と一緒にそこに置いた。
エインも鞘を払い、ハリスと同じ様に鞘を腰から外して脇に置く
両者は互いに距離を取った。
「ルールは同じでいいな?」
「ああ」
確認の言葉は多くいらない。短いやり取りで相互にルールを確認し合い、自然とこの場の空気が張り詰めていく。
エインは以前の様な侮る気配は微塵も抱かず、すでに自身が行える最高強度の強化魔法を使っている。対してハリスは前回と欠片も変わらない。静かな剣気を発するのみだ。
自身の色眼鏡を外し、格上へ挑む気概を持つことでエインは初めて理解した。
(ハリスの剣はここまで上手だったのか。まるで団長たちを相手にしてるみてぇだ……)
ランバルトが評した通り、ハリスの剣技は騎士団内でも五指に入る。
それを感覚で理解したエインは冷や汗をかぎながらも、それでも魔法込みなら自分が上であるという自負を持って己が身を奮い立たせる。
やがてどちらからとは言わず、示し合わせたかの様にほとんど同時に動き始め、互いの剣と剣が斬り結んだ。
しかし、その剣撃は辺りに響かない。小さな鋭い擦過音が両者の耳に届いただけだった。
決着は一瞬で着いた。
曇りのない輝きを宿すハリスの剣に対して、エインの剣は中程で断ち斬られていた。
斬り落とされた刃が地面に落ちて高い音を立てる。それが決着の証となった。
勝者となったハリスは、勝利の余韻に浸ることなく剣を鞘に戻そうとする。が、いつもの場所にそれが無いことに気付き恥ずかしそうに頭を掻いた。それにエインは目を向けることせず、断たれた自分の剣だったものを呆然と眺めていた。
そしてハリスが再び荷物を背負った頃に、ようやく言葉を発した。
「お前……今のアレはまさか……」
「昨日の俺が今日の俺ってわけじゃないさ。人間ってのは誰も彼しも日々成長してるもんだぜ」
誤魔化す様な物言いは、エインの疑問を肯定しているようにも聞こえた。
そんなエインの横を抜けながらハリスは最後に言葉を残す。
「お前も少しは真面目に剣に向き合ってみろよ。そうしたらもっと上に行ける筈だぜ。なんたって才能は俺なんかよりよっぽど上なんだからな」
「ハリス……」
「じゃあな。生きていたらまた会おうぜ」
ハリスは後ろ向きに手を振り別れを告げる。
この場から立ち去ると、すぐにその姿は見えなくなった。
男が求めた騎士の姿は現実に翻弄され、淡く滲んで消えかけた。
しかしてそれは消えることなく残り続け、やがて色が映えて有るべき姿を取り戻す。
男は往く。己が理想を己が自身で体現するために。
それを思い起こさせた少女との誓いと、捧げた剣を胸の内に打ち立てて。
今ようやく、己の足で騎士道を踏みしめた。




