初めての魔物狩り
森はなんとなく私が知っている森と同じだった。
足元には草がポツポツと生え、そんな地上の草を空から降り注ぐ木漏れ日が照らす。風が枝葉を揺らし、小鳥がさえずり視界の隅に小動物が顔を覗かせる。
これで魔物さえ出なければ最高なのにと、森へ入ったばかりの緊張感も忘れて呑気に考えていると、遠くから何かが爆発するような音が聞こえてきた。数瞬遅れ、空気を振動が伝い木々が震えるのを感じる。
これはおそらくベルトランが魔法を使った結果だろう。消去法的に予測した。メアリーは火の魔法に適性がないし、ベルトランは特に火の魔法を好んで使っていた記憶がある。
森の中で火の魔法を使うな、なんて私のもう一つの常識が叫ぶけれど、すぐにこの世界で得た常識がそれを訂正する。魔物が生息するような地域の森や鉱物は、その地域以外の同じものと比べ魔力を多分に含んでいることにより頑強で丈夫にできている。大陸西側にある魔物領域の木材なんかは通常のものよりも耐火性、耐魔性、耐久性に優れ、通常の木材の数十から数百倍の価値で取引されているらしい。この世界にはまさしく金になる木と言える樹木も存在するのだ。
それにしても、音の響き方的にかなり高威力なようだが、これを為しているのがまだ学園入学前の、それも10歳前後の子供なのだというから驚きだ。そして才能の差はとても残酷である。私のような脆弱な人間としては、ベルトランに限らず魔法使いというのはとても恐ろしく感じる。きっとこの気持ちは大多数の平民が感じていることだろう。平民にも強力な魔力持ちは生まれてくるが、この割合は貴族とは大きく異なる。外の世界に踏み出て、私はなんとなくそのことを悟った。
そんなベルトランが持たされているのは、きっと侯爵家の長男に相応しい強力な魔法発動媒体なのだろう。それはメアリーも同じはずだ。
私だけが何も持っていない。私の魔力量ではあってもなくてもほとんど変わらないからだ。
もちろん魔道具なんかは魔力がほとんどない私でも魔石があれば使用可能だ。しかし攻撃用の魔道具なんかも高価なため当然持っていない。護身用に持たせていてくれればと父と母に対して今更ながら思うが、きっと父も母もこんな状況は想定していなかったに違いない。
そこまで考えて、なぜ私は無謀にも魔物が住む場所になんの備えもせずに向かってしまったのだろうと、ここに来る前の自分を罵倒してやりたい気持ちになった。
私が心中で自分で自分を責め立てていれば、護衛の一人がが足を止め腰の剣を抜き放ち静かに声を発した。
「魔物だ、数は三」
声につられて私は前を見る。そこには灰色をした四足歩行の獣のようななにかが三体並んでいた。私の記憶にある狼の姿に酷似しているそれは、何がとは言えないが、明確に動物や他の生き物とは違って見えた。
これが魔物……古来より人を襲い喰らう、人類の敵性生物。
初めて生で見る魔物の姿に、私は足が竦んで呼吸が荒くなる。
こんなものと戦わされたら私は間違いなくなく殺される。時間などかからず者の数秒で。その後は自分の腕を足を内臓を、その身の全てを魔物の腹の中に収める結果になるだろう。
訪れ得る未来を想像できてしまったせいで、猛烈な吐き気に襲われる。胃の中身が迫り上がりそうになる。もしも昼食を食べていたら間違いなくここで吐いてしまった。
口に手をやり吐き気をなんとか抑えた私へ、護衛が声を掛けてくる。
「おい、あれと戦えそうか?」
その言葉に必死になって首を横に振る。あんなのとは戦えない。戦っても絶対に死ぬだけだ。
今頃になって明確に自覚したその恐怖という感情に、私は完全に支配されていた。今ならばきっとイザベルに泣きながら命乞い出来るし、その対価に出した条件もよっぽどのことでもない限り呑むことだってするだろう。
それほどまでに魔物と戦うことを私の体が、心が、明確に拒絶していた。
私の恐怖と必死な反応が伝わったのか、その護衛は「仕方ないな……」と呟く。続けて「ならそこで見ていろ」と言い残し、魔物の方へ颯爽と駆け出した。
護衛の人の接近に気付いた魔物たちは、彼に向けて何の躊躇もなく一斉に襲いかかった。
決着がついたのは一瞬だった。護衛はすれ違いざまに、私が目で追えないほどの剣速で、おそらく三回剣を振った。するとそれだけで魔物の首と胴は離れ、体は地面に倒れ伏し、そのまま二度と立ち上がることはなかった。即死だった。
私は絶句した。あれだけの恐怖を私に与えた怪物が一瞬で死んだ事実と、それを行った護衛の超絶的とも言える剣技にだ。戦闘が始まる前とは違った衝撃に襲われ、数秒前まで己の身体を震わせていた恐怖は上書きされてしまった。
私の心情の急激な変化も知らないだろう人は、剣を軽く払ってから鞘に納めこちらに戻って来た。
「どうだ? 少しは参考になったか?」
衝撃が抜けきらない私は、目を見開いたまま首を横に振ることしかできなかった。
自然に「すごい……」という感想が口から漏れた。
「そ、そうか? まあ、これくらいなら貴族に仕える騎士ならみんなできると思うぞ」
私の正直な賞賛に、彼は照れたようにガシガシと乱暴に頭を掻く。「なら魔物の解体も見るか」と口にして、今殺したばかりの魔物のところへ私を手招いた。
「魔物の解体なんだが、専門的なことはこの際置いといて、重要なのが三つある。魔物の武器と鎧、それと魔晶核だ。人間相手でも倒した相手の持ち物を貰ったり奪ったりするんだがな、それは魔物相手でも同じことだ。魔物が武器にしていた爪、牙、角といった、人間の武器に相当する部分が特に価値があったりする。次に鎧だな。魔物の毛、皮、鱗がこれにあたる。まあ、魔物の中には全身ぶよぶよしていて気持ち悪いだけのやつや、取れる部位がほとんどないようなやつもいるが、今の条件に当てはまるものを探せばいい。実際に戦ってみれば魔物がどこを武器にしていたり、硬かったりが分かるからな。それで三つ目になるが、これが一番重要だ」
そう言うと腰からナイフを抜き魔物の体へと刺し入れて、宝石のような結晶のような小さい塊を取り出し私へと手渡した。
「それが魔晶核だ。魔石とは違うから勘違いするなよ? 魔晶核が魔物とそれ以外の生き物との明確な差になっているって話だ。そしてこの魔晶核こそが魔物の素材で最も高価とされている。と言っても、魔物によっては他の部位が魔晶核以上の価値で取引されているものもあるけどな。今回のグレイウルフだって、魔晶核より毛皮の方が金になるし、竜なんかの角は武器の素材としてめちゃくちゃな高値がつく。でもやっぱり魔物と言ったら魔晶核だ。小さくて持ち帰るのが楽ちん。同程度の大きさならこいつの価値が圧倒的だ。災害級の魔物の魔晶核なんて王都の一等地に屋敷が建てられるほどの金になるって言うし、俺もいつか狩ってみてえなぁ……」
最後の方はただの願望になってしまった護衛の人の言葉を軽く聞き流して、私は手の中にある魔晶核の存在に夢中になっていた。
これが魔晶核……。挿絵や写真、加工済みのものは見たことがある。けれど実物の、それも今取り出されたばかりのものを見るのは初めてだ。はっきり言って、その美しい姿に私は魅了されていた。あんなにも恐ろしい魔物の体の中に、こんなにも美しいものが存在するなんて、誰が想像できるだろうか。
さっきまでの死の恐怖など、もはや微塵も消え失せ魔晶核に見惚れる私に、残りの魔物の死体からも魔晶核を取り出した護衛の人が気まずそうに声を掛けてくる。
「あー……気に入ったんならそれくらいやってもいいけどよ。ここには別の目的で来ているわけだし、そろそろ移動しようぜ」
護衛の人の言葉に、素直に「ありがとうございます!」と熱が篭ったお礼をした私は、放置された足元の魔物の死体を一瞥すると、なんだか無性にそんな気分になって静かに頭を下げ、護衛とともにその場を後にした。
「おい、良いのかよ?」
「……何がだよ?」
突然そう聞いてくる相方に対して、質問の意味が分からないといった様子で俺は答えた。
「何がじゃねえだろ。今回の任務のことだよ。何あのガキに入れ込んで色々教えてやってんだよ。俺たちの役目はそうじゃねえだろ」
その言い分に僅かに顔を顰める。相方の言いたいことは理解できる。今回の俺たちに与えられた任務は、あの子供と共に魔物がいる森へ入り、そこで偶然を装って逸れ、あの子供一人をこの森の中に置き去りにするというものだ。あくまで偶然であり、逸れた後は予め決められた緊急連絡用の魔法を相方が空に打ち上げ、他の護衛たちを呼ぶように合図する。後はあの女と、俺たちが仕えるカールストン家が、任務を達成した俺たちを庇ってくれる手筈になっているが……。
「……お前はそれで良いのか? あんなに小さい子供を、魔物を前にしてブルって動けないような少女を魔物なんかに食わせて殺す。騎士である俺たちがそんな事をして、お前は本当にそれで良いのか?」
「良いとか悪いとかの問題じゃないだろうが……! 俺たちはリシャール家じゃなくてカールストン家に仕えてる騎士だろ! 命令を拒否できるような立場じゃないだろうがッ!!」
「……少し落ち着け。声が大きいぞ」
熱くなって大声を出す相方を窘める。チラリと離れた場所に視線を移すと、魔晶核を見つめながら休憩していた少女が、こちらの様子が気になったのか顔を上げて視線を向けてきた。それになんでもないといった風に手を振れば、少女はまた魔晶核を眺め始める。
「……そもそも、そのカールストン家が俺たちを守ってくれるって保証がどこにある? いくらカールストン家がこの国有数の貴族であっても、それはリシャール家も同じだ。リシャール侯爵が身柄を預かっている少女をこんな場所まで引っ張り出した上に、その少女の護衛に付いた俺たちがむざむざ魔物に食わせたりなんかしら、間違いなくリシャール侯爵の面子を潰し怒りを買うことになる。そんな時にカールストン家が、あの女の実家が俺たちを守ると思うか? 俺は断言できる。そんなことは絶対にない。寧ろ口封じに積極的に殺されることになってもおかしくはない」
「じゃあどうしろって言うんだよ! 命令無視して護衛をしっかり果たしましたってあの女に報告するのか!? そんなことしたらそれこそ俺たちが消されて終わりだろ! 俺たちが生き残るには命令に黙って従うしかないんだよ!!」
余裕のない様子でより一層大きく口を開いて怒鳴り声を上げる相方。その勢いを制止することもできず、今の会話を今度こそあの少女に聞かれてしまっただろうなと、内心で溜息をつき空を仰いだ。
俺は一体何をしているのだろうか。
今自分が置かれている状況と、しようとしていることの罪深さに、暗く陰鬱とした気分になる。
左手を腰にある剣の柄に置き、これを振り始めた頃を思い返す。
俺は幼い頃から騎士に憧れていた。物語にある勇者や偉大な魔法使いといった遠い存在ではなく、揃えられた甲冑を身に纏い、腰に剣を吊り下げて、魔物や賊から人を守り、そのために剣を振るう。その姿に、幼い頃の俺はどうしようもなく魅せられた。
騎士に憧れた俺は早速動いた。子供ながらの非力な腕では金属の塊である真剣を振り回すのは不可能であり、またそんなお金もなかったので、拾った木の枝を最低限剣っぽくなるように整え、不恰好なそれを朝から晩まで毎日振り続けた。
魔力測定を迎え魔法の才能がそれほどなかったことが判明した後も、元々魔法には特に興味がなかったからと変わらず剣を振り続けた。時々魔物狩りをしているハンターに剣を教わり、それを訓練に取り入れもした。
魔物を始めて狩ったのは13の時だ。ハンター登録をして早々魔物がいる森に突っ込み、最下級のものであったがなんとか討伐することに成功した。その時の興奮と高揚は今でも覚えている。
年齢が16になった時には兵士になった。騎士ではなく兵士であったのは、今のままでは騎士になることはできないと理解したからだ。騎士になるには幾つかの筋道と条件があり、俺にとって最も現実的な手段が兵士として手柄を立てることだった。
それからの10年はがむしゃらに兵士としての職務を全うし続けた。当然良いことばかりはではなかったし、むしろ良くないことの方が多かったかもしれない。それでも諦めず兵士としての職務を全うし続け、ついには念願の騎士になることができた。
ただ外から見た騎士と実際の騎士は違っていて、理想と現実の差に悩まされることも多々あった。それでも夢の騎士になったと無理矢理自分を納得させて、納得させ続けて…………遂にはこんなところにまで来てしまった。
「……本当に何をやってるんだろうな俺は」
呟きながら力なく笑う俺の顔を見た相方は、「クソッ」と悪態をついて背中を向けた。
そんな俺と相方に、誰かが近づいてくる気配がした。この場には他に一人しかない。あの少女だ。
「あの、話聞こえていたんですけど……私、置き去りにされましょうか?」




