ヨミガエる鬼神4
プラスチック樹脂製の手の中で輝く宝石を、白神一子はうっとりとした表情で眺めている。
首を絞めていた左腕の力が緩んだ。その腕を無理やり引き剥がすと、オレは特製金属バットを振りあげて白神に飛びかかった。
「そいつをこっちによこせ!」
ここで聖玉を取り戻さなきゃ、会長との作戦が水の泡になっちまう。
けれど白神一子は、憎らしいほど余裕たっぷりにバットの攻撃をかわした。
「あらあら姫雪クン、あたしに構ってるヒマなんてあるの? こうしている間にも、鬼神が復活しちゃうんだよ」
「うるさいっ、だからその聖玉が必要なんだろ!」
「へぇ、じゃあ姫雪クンが聖玉と契約してまた鬼神を封印するつもりなんだ。一生童貞のままでいいなんて、見上げた決心だねぇ。でも残念、これはあたしが使いたいんだぁ」
「付喪神のあんたじゃ、聖玉との契約はできないんじゃなかったのか?」
「ふふん、いいこと教えてあげる。女の子には奥の手ってヤツがあるの。女の子がその気になったら、できないことなんかないんだよ。まあ、約束どおり座敷わらしは返すから、それで我慢して」
白神一子は掴んでいた縄を引っ張ると、座敷童子の少女を放ってよこした。突き飛ばされて転びそうになる細い身体を慌てて抱きとめる。
「透!」
「九郎ちゃん!」
柔らかな感触が伝わってきた。着ている物や髪形は違うけど、乱暴に扱えば壊れそうな華奢な手足や、すぐに涙ぐむつぶらな瞳は記憶の中の透と寸分変わりない。
「よかった、無事だったんだな」
「九郎ちゃん、ゴメン。ボクのせいで魔王が」
「大丈夫、まだなんとかなる。オレがなんとかする」
振り返って白神一子の姿を探した。彼女は大きくジャンプして校舎裏へ飛び去っていくところだった。
「待てっ!」
追いかけようとするオレを、呼び止める声があった。
「姫雪君待って。しかたがないわ。作戦変更よ」
次郎丸会長だ。
彼女は人喰い植物のツタから解放されて地面に倒れこんでいた。
たいした攻撃を受けたようには見えなかったけれど、その息が荒く肩は大きく上下に震えている。生徒会長はまるで最後の力を振り絞るかのようにクダリ刀をオレに放ってよこした。
「作戦変更って?」
「もう忘れたの……作戦その3。鬼神の弱点は左わきよ。そこの皮膚だけは柔らかいから、クダリ刀を突き刺せば一気に心臓まで貫ける。大丈夫、姫雪君ならできるわ」
「それは覚えてますけど、でもその肝心の鬼神はいったいどこに……」
そこまで言って、オレは思わず口をつぐんだ。
そんなバカなことあるはずがない。
頭に浮かんだ考えを打ち消そうと必死で頭を振る。
けれど打ち消そうとすればするほどその考えは頭の中で大きく膨らんで、それ以外に考えられなくなっていた。
「まさか、封印された魑魅魍魎の王っていうのは……」
オレのつぶやきに、隣にいた透が恐る恐る答えた。
「九郎ちゃん、生徒会長さんから聞いてなかったの? 鬼神の正体は、もとは大陸を司っていた戦神なんだよ。神同士の権力争いに敗れて鬼神となり、日本に来て魑魅魍魎たちの王になったんだ。その名は二郎真君」
ジロウ……シンクン? じゃあやっぱり、次郎丸生徒会長が魔王?
「九十年前だったかな。戦争のどさくさで魑魅魍魎を封じていた神社が壊れちゃって、宮司さんもいなくなってね。二郎真君を筆頭に魑魅魍魎たちが暴れだして大騒ぎになったんだ。その青嵐の地を治めようとやってきたのが一人の修道女、つまり亡くなった理事長なの。彼女は七十七体の妖怪の力を封印帳に集めて聖玉を呼び出し、その力で鬼神を封印した。封印された鬼神は人間の姿になったけど、そのまま放置しておくわけにはいかないでしょ。そこで理事長は彼女を孫の次郎丸真紅として引き取り、監視下に置くことにしたってわけ」
オレはぐっと唇をかんだ。
なるほど、それが本当なら会長の異常なまでの身体能力の高さも説明がつく。そもそも本当にただの人間があのケルベロスと戦って勝つなんてありえない話なんだ。
しかも会長は事情があって自分は聖玉と契約できないと言っていた。彼女自身が鬼神として復活してしまうのなら、たしかに契約なんてできるはずがない。
信じられない話だけど、そう考えれば全ての辻褄が合う。
次郎丸会長は苦笑いを浮かべた。
「うん、……まあ、そういうことかな」
そう言えば、会長は言ってたっけ。
鬼神は封印を解かれたくないと思っている。愛する世界を自らの手で傷つけるようなことはしたくないって……。
でもそれなら何故、オレのことを手伝ってくれたんだろう? 学園七不思議を制覇したりしなければ、封印帳を完成させなければ、鬼神の力は復活しなくても済んだのに。
「なんで、なんでちゃんと教えてくれなかったんです。知っていれば、聖玉を出現させたりしなかった。もっと他の方法を考えたのに」
「そ、それは、ハァハァ」
会長の呼吸がさらに荒くなった。
おそらく、彼女の身体の中で鬼神の血が暴れているんだろう。
「嬉しかった……嬉しかったの」
「うれしかった?」
「鬼神の気持ちになってみろって、あなたはそう言ってくれたでしょう。いままで……あの優しい理事長でさえ、そんなことを言ってはくれなかった」
「無理しないでください。つらいなら、もう話さないで」
「その時、私は決めたの。自分がどうなっても……あなたの助けになるって」
彼女の意志の強い目が、まっすぐオレをみつめていた。
「次郎丸真紅としての意識が残っているのは、あとわずかよ……いまのうちに……わたしをコロシテ」
「会長!」
次の瞬間、生徒会長の細い身体がみるみるうちに膨張しはじめた。身につけていた制服があっというまに引き千切られる。その下にあるのは、乙女の柔肌ではなく黒光りする鎧のような硬い皮膚だ。
さらに、頭部からは三本の角が螺旋を描きながら天に突き出してきた。
血走って真っ赤な眼、耳元まで裂けて牙がむき出しになった口。
そこにはもう、学園一の美少女の面影は微塵もない。
まさに、昔話の世界に登場する鬼そのものだ。
魑魅魍魎たちは、あるものは勝どきを上げ、あるものは地に伏して自らを統べる王の降臨を称えはじめた。
校庭が、物の怪たちの歓喜の声であふれかえる。
だが復活した鬼神は、仁王立ちになったまま硬直したように動こうとしなかった。まだ、会長の意識が残っているんだろう。
『……イソイデ、ジカンガナイ』
確かに今なら、弱点の左わき腹から心臓を貫くことができるかもしれない。
オレは会長から渡されたクダリ刀を握りしめた。
「……九郎ちゃん」
背後で、透が心配そうにつぶやく。
この世界を守るには、ここで魑魅魍魎たちの王=次郎丸真紅生徒会長を倒すしかない。そしてそれは、彼女本人の望みでもある。
大切な誰かを守るために、他の誰かを犠牲にするのはしかたがないことだ。
これまで人類はそうやって繁栄してきた。技術や文明の進歩の影で、役に立たない魑魅魍魎たち(不確かなもの)は切り捨てられてきた。そうでなければ、現代の文明社会は成り立っていない。
何かの犠牲なしに、人は生きていけないんだ。
「会長ぉおお!」
クダリ刀を構えると、オレは巨大な鬼のわき腹目掛けて突進した。
『ソレデ、イイ』
会長の声が聞こえた気がした。




