六話・2
「……というわけだ」
話し終えると、向かいの席に座っていた壬卦満は「なるほどねー」と頷いた。
「だから倉木君、機嫌悪いんだ?」
「だと思う。
他に原因は無さそうだし」
言いながら春輝は、整然と料理を運び恭しくそれを女生徒の前に置く倉木の姿を横目で確認。
一見、普段と何ら変わらないようにも思う。
しかしだ、たまに感じる視線に振り向くと親の仇かプロフェッショナルな下着ドロでも見るような目をした倉木がいるんだから、やっぱり朝の件はかなり尾を引いているらしい。
一仕事終えた今も、倉木は次の作業に取り掛かる前にこちらを見て、思わず壬卦が身を固くするくらい鋭い視線を投げつけてきた。
でもそれは一瞬で、すぐに作業へと戻っていく。
どうしたもんかと思いながら、春輝は緊張を解くように息を漏らした壬卦に尋ねてみた。
「……にしても、無断で仕切りのカーテンを開けたくらいであそこまで頑なな態度を取られるとは思いもしなかった。
いや悪いのは俺だけど、過敏すぎないか?」
「うーん……それくらいだったら、まあ。
でもルームメイトだからってプライバシーを無視していいってわけじゃないよ。
卓也君なんか、酷いんだから」
「へえ?」
女顔に似合って気の優しい壬卦がそういう言い方をするなんて、ちょっと珍しい。
いつもはやんわりと香取を擁護するっていうのに。
興味を惹かれて目で続きを訴えると、壬卦はやや唇を尖らせて、
「急に歌い出したり独り言に自分で突っ込み入れたり、それくらいならまだいいんだけどね?
この間なんて、僕が部屋に戻ったら鏡の前で裸でポージングしてたんだよ?
おまけに『明日の朝まで裸で過ごすんや!』とか言い出して、裸で勉強始めたり逆立ちしたり踊り始めたりして……もうね、人と人は永遠に理解しあえないんじゃないかって……」
最後の方は沈んだ笑みを浮かべて、壬卦は微かに肩を震わせた。
自分が知らないうちに、この人の好い同級生は何やら深い傷を負っていたようだった。
春輝が心底から同情していると、話題の主である香取が食後のコーヒーとウーロン茶を運んで来た。
今週このエリアはこいつの担当区域だから来るのは当然として、なんだこの狙いすましたようでコテコテのタイミングは。
少年がディスプレイされているトランペットを眺めていたら気前のいい老紳士が現れるくらいありえないぞ。
「なんやなんや?
飯の後やっちゅのに、二人共暗い顔してんなや。
男の接客せなあかんオレの方が泣きたいところやで?」
「お前の泣き所なんか知るか」
慣れた手つきで飲み物を置く香取に、春輝は冷たく一言ってやる。
ギャップがいいから、なんてふざけた理由で関西弁を使っている伊達眼鏡のセクハラ野郎なんかに、繊細な男の気持ちが分かるとも思えないし。
案の定というか、香取は突き放された事実を無視したかのようににまっと笑い、
「それより凄いで。
オレ、さっき『カーテンウォール』の生徒さんを見たんや!」
「えぇっ!?
それ本当?!」
「カーテンウォール?」
興奮する香取に驚愕する壬卦、そして春輝はまるでピンと来なかった。
カーテンの……壁?
なんだそれ?
馬鹿の香取はともかく、壬卦まであの反応ってことは有名人か何かか?
しかも知っていて当然、知らないと笑われるようなレベルだったりするのだろーか?
香取に笑われる自分。
うん、想像するだけで目の前の似非関西弁にチョークスリーパーを決めたくなるくらい嫌な画だ。
どうにかして知っているフリをしないと、男の沽券に関わるかもしれない。
春輝は俄に焦り、思考を回す。
小さな先輩の例もあるし、やたらと美人の多いラベールブロンシュだ、芸能人の一人や二人いてもおかしくないのかもしれない。
なんかセレブブームがきていた気もするし、その線は強いな。
芸能人だとするとカーテンウォール。
なんかミュージシャンっぽい。
そんなグループがあるような気がしてきた。
しかもジャンルはロックかデスメタル限定で。
どちらもお嬢様とは合わないけど特にデスメタルは無いと踏んで、春輝は意を決し、
「あ、あー。
あれな、エッジの効いたサウンドがいいよな?」
「なに言うとんねん、ハルハル?
どの角度からボケとんのかさっぱり分からへん上に直感でそのボケは会場が白けるには十分過ぎる寒さやとぶふぅっ!?」
「……俺が悪かった、黙れ」
「いや黙れて!?
殴って謝って黙れてっ!?」
恥ずかしさと苛々を誤魔化そうとつい人中急所狙いでぶん殴った春輝は、べたっと後ろ向きに倒れた直後に起き上がって抗議する香取を華麗に無視。
「『カーテンウォール』っていうのは……ほら、あれだよ」
何事もなかったかのように言う壬卦が指差した方向には、いくつかのテーブルがあった。
その向こうに薄絹のような幕で覆われた一角かある。
「ミケまでスルーかい……まあええけど」
あ、いいんだ……と軽く驚きながらも、春輝は香取が続けた言葉に耳を傾けた。
「あれはな、ハルハル。
日本全国だけやのうて世界各国から留学してくる令嬢の事情も考慮して作られたんや。
宗教上の理由で食事しとるところを他人に見られたらあかん……っちゅう、けったいな戒律のためにあるんや」
「といっても、使っているのは一人だけらしいよ。
あ、でも、正確には二人なのかなあ」
「話が見えん」
春輝が率直に応えると、壬卦は朗らかに微笑んだ。どうやら本当にさっきのショックはどこぞへと飛んだらしい。
意外に切り替えが早いというか、逞しいというか。
「二年生にね、アーフラム教っていうイスラム系の宗教を信仰している留学生のお嬢様がいるんだけどね。
詳しいことはよく分からないけど、アーフラム教ってかなり制約が多くて、だから生まれた時からお付きの侍女さんがいるらしいよ」
「なんだそりゃ?
制約があって、侍女?」
「しかも一切の雑事は侍女さんに任せなあかんらしいわ。
せやからな、よっぽどの富裕層でしか帰依できへんっちゅうことや。
自分でやるのはNGなんやと」
「凄いな、そりゃや。
メチャクチャ不便だ」
なんだか途方もない二人の話に、春輝は深々と息を吐いた。
内訳は感嘆半分呆れ半分……いや呆れの割合がちょっと多いかもしれないな。
「普段もなるべく人目は避けるようにしとるらしいで。
教室では簡易組み立て式の薄う幕で机ごと囲むし、体育の授業はほぼ見学っちゅう話や。
同じ校舎で過ごしとっても滅多に遭遇出来ない、会えただけでその日はハッピーが舞い降りるっちゅう噂があるくらいやで。
一緒にランチタイムを、なんてことになった日には学院中が引っ繰り返るほどの大騒ぎになること間違いないやろな」
「あはは、ちょっと大袈裟だけどね。
でもね、実際僕もまだ一回しか見たことないんだ。
遠目で、しかも顔はスカーフで隠しているし体はチャドルで覆っているから、どんな人かは良く分からなかったけど」
「いやそれだけ分かれば十分だろ」
春輝は反射的に突っ込んで、
「それにしても、流石は名門って感じだな。
留学生くらいならそこまで珍しくないだろうけど、そんな大層な奴までいるのか」
改めて感想を口にする。
ラベールブロンシュにも従育科にもそこそこ慣れたけど、知れば知るほど奥が深いというか、知らないことがまだまだあると知らされるというか。
その想いはしっかり届いたようで、苦笑するような笑みを浮かべた壬卦は頷いて、
「宗教のことを除いてもお祖父さんは石油王で国の重鎮らしいしね。
他にもね、ラベールブロンシュには凄い身分の人が多いよ。
三十代以上続く名家のお嬢様とか、小国のお姫様とか」
「まあ日本でテロは難しい上に、ラベールブロンシュに手を出したらえらい数の敵を作ることになるっちゅうのは有名やしな。
防犯体制もしっかりしとるし、大事な娘を預けるには最適なわけや!」
壬卦の話を遮るようにして偉そうに説明する香取はいつもながらうざいが、確かにそれは一理あるかもと春輝は思った。
今更ながらであれだけど、やっぱこの学校、とてつもなく変だなあ。
そこに染まりつつある自分は果たして大丈夫なんだろーかとほんのり心配になりながら、春輝はウーロン茶のグラスに口を付けた。




