番外編・10
兵頭ならバレたとしても、ちゃんと事情を説明すれば黙秘してくれそうな気もする、というかしてくれる、それは間違いないはずだ。
けど、そうなると、同じ部屋で暮らしている意味合いも違ってくるということで、兵頭の奴が自制しきれずに、その、なんだ……じょ、情事に及ぼうとする可能性も……それはまずい駄目だ良くないことだ!
そんな、そんなことになったら駄目だから、やっぱり隠し通さないといけない。
……けど、そうすると……ずっと男扱いか。
それはそれで……少し嫌だと思っている部分があることを否定出来ないからもやもやっとしたものを胸に感じ、少しでも気を紛らわせようと包丁を振るうべく次なるターゲットを、
「……む?」
その時、ようやく皐月は気が付いた。
シンクの所で兵頭がどこか憂鬱な表情をしながら、出しっ放しの水に親指を晒していた。
「兵頭?
もしかして、怪我したのか?」
「……あー、ちょっと切っただけだけど。
悪いけど俺の上着の内ポケットに絆創膏入ってるはずだから、取ってくれないか?」
傷は大して深くないようで、それに皐月はホッとした。
けど、すぐに意識は頼まれ事に移る。
手早く包丁を置いて、手を洗ってからタオルで水気を拭き取り、兵頭の上着が掛けられた椅子へと早步きで近付く。
自分のそれよりちょっと大きいモーニングコートの内ポケットには、確かに絆創膏が入っていた。
それだけじゃなくてソーイングセットまである。
こんなの、女の自分だって持ち歩いていないというのに……流石は兵頭だ、侮れない。
ともあれ、絆創膏を一つだけ持って兵頭の元へ行く。
確認を取ろうと絆創膏を見せると、兵頭は礼を言ってあっさりとそれを受け取り、包装を剥がし始めてしまった。
それはちょっと違うんじゃないかと、皐月は無言の抗議を視線に込めて睨んでみる。
折角だから貼ってやろうと思っていたのに、その素っ気ない態度は何だ。
……いや、素っ気ないというのは言い過ぎか。
あれはあれで、ちゃんと礼儀は弁えている男だし。
でも酷い。
これじゃ、自分から絆創膏を貼ってやるなんて言えないじゃないか。
いや別に貼ってやりたい訳じゃないけど、同じ班だしルームメイトのよしみもあるし、親切なのはいいことなんだし……
段々とフラストレーションか溜まってきて、どうしてくれようかと恨めしく兵頭を見て、
「ぬぅ……このっ……」
上手く貼ることが出来ず、苦戦している姿がそこにあった。
チャンスだ、と思った時には、皐月の体は既に行動に移っていて、すっと兵頭の手から絆創膏を取り上げていた。
「ほら、貼ってやる。
指を出せ」
「……ああ、悪い」
ちょっと驚いたように目をパチクリさせた後、兵頭はそう言って素直に左手を差し出す。
ただ絆創膏を貼ってやろうというだけなのに涌いてくる優越感に頬が緩みそうになって、皐月は『平常心、平常心』と自分に言い聞かせた。
浮かれるようなことでも何でもない。
さっさと絆創膏を貼って、たぶん言われるだろう感謝の言葉を受け取って、それで終了。
作業に戻らないと。
そう思って、兵頭の親指に照準を合わせ、
「ありゃ」
声を漏らしたのは兵頭だけど、皐月の方も同じタイミングで眉を顰めた。
ぷっくりと、傷口に血が浮いていた。
小さな傷とはいえすぐに塞がって血が止まるわけじゃない。
だからこそ手当てをするわけだし。
そう、手当て。
怪我をしたら、水で洗い消毒をして、それから絆創膏なりガーゼを当てるなり包带を巻くなりする。
けど、今回は消毒をしていないはずだ。
見ている限りはしていなかった。
兵頭に確認を取れば、やっぱりしていないと返ってくる。
つまり、消毒が必要な訳だ。
必要なら、やらないと。
時間もない、手っ取り早く済ませるのが一番良い。
幸いにも、古来から小さな傷にどういう処置をするかを自分は知っている。
ならそれを実行すればいい。
真剣な脳内会議は満場一致の結論に至り、皐月は絆創膏を片手に持ち替えて……そっと、兵頭の親指に走る小さな傷口に舌を這わせた。
「!?」
「……」
兵頭が何か文句らしきことを言っているけど、とりあえず適当な言葉を返して、続行。
丁寧に、丹念に、雑菌を取り除くように傷を舐める。
といっても、傷は小さいから舌先を僅かに動かす程度でいい。
べったりと舐めあげるのはちょっと下品だし、流石に恥ずかしい。
今でも十分に恥ずかしいけど、仕方ない。
これは手当てなんだから、やらないと。
やや念入りに傷を舐めた後、絆創膏を貼る。
少し顔が熱っぽくなっている気もするけど、たぶん気付かれてはいないはずだ。
ちょっと戸惑っている雰囲気の兵頭は、それでもちゃんと礼を言ってきた。
それを受けて、皐月は満足感に浸りながら調理に戻る。
いいことをすると気持ちが良い。
それも料理に続いて、献身的な傷の手当てだ。
ここまで女らしい行動はなかなか出来ないはずだ。
外見がちょっと男っぽくても、大事なのは中身だ。
これだけ女を意識させる働きが出来たんだ、兵頭の奴も少しは見直して……
「……ぬ?」
そこで、皐月は気が付いた。
確かに、調理も傷の手当ても、女らしく出来たと思う。
けど、それを、男だと思われている状態でやったら、どんな風に思われるんだ?
「失敗だ……」
今の状態で女らしさをアピールしても何の意味も無いことに、皐月はようやく気が付いた。




