番外編・9
腹に据えかねることはあったものの、とりあえずメニューは決まってチャイムも鳴ったので、皐月は早速調理に入ることにした。
モーニングコートを脱いでシャツの袖を肘まで捲り手を洗いながら、心の中では兵頭の奴を見返してやることばかり考えていた。
鳳凰寺は、いない。
兵頭の甘言にコロッと載せられて、今頃はシャワールームに向かっているはずだ。
だからここには自分と兵頭の二人だけ。
しかも兵頭は微妙に機嫌を損ねているようだった。
原因の一つはさっき自分が言った事なんだろうと思うも、皐月としてはそれを謝る気なんてない。
悪いのは向こうだ。
あんな、どこのホストだって感じで上手く騙すなんて。
あんな風に優しい態度、ルームメイトにはしない癖に。
男女差別か。
だとしたらそれは大間違いだけど、こっちから示唆することは出来ない。
それがまた腹立たしい。
こうなったら、あの女誑しに教えてやらないと気が済まない。
本当に役に立つのは誰で、頼りにするべきは誰なのかを、思い知らせてやる。
そんなちょっと歪んだ決意を胸に、皐月は素早く手洗いを済ませ、食材が山と積まれている一角へと近付いて行った。
まずはちょっと手間のいる梨のシロップ漬けからだ。
野菜の横に果物が並んでいたので、その中から皐月は目敏く幸梨をみつけ、二つ手に取り調理台へと向かう。
梨を軽く水洗いして、シンクの棚から包丁とボウルを出し、準備完了。
思えば、包丁を握るのは久しぶりだ。
夏休みに数日帰省したときは母と祖母が張り切って料理を作ってくれたので手伝う隙も無かった。
緊張まではしないが、何となく包丁の握りを確かめて、梨をカットするまでのイメージを頭の中で描いて、
「やるか」
呟いて、気を引き締める。
薄い包丁の刃先まで神経を行き届かせるように集中しながら、皐月は梨を顔の高さまで放り投げて、
「……っ!」
心持ち気合いを入れて、包丁を持つ右手を閃かせる。
空中で動きを止めている梨の表面に刃が浅く入り込む感触に、素早く手首を返して、皮と実の隙間を縫うようにして一周させる。
それを三回。
上と下はやや厚めに切って、それが済んだら縦に一閃。
クロスさせるようにして二閃。
種もある中心部分は堅くてあまり美味しくないから、弧を描く様にしてくり抜いた。
……結果、手に取ったボウルの中に落ちて来た梨は想像通りの形にカット出来ていて、皐月は少し安心した。
皮を含めた要らない部分はちゃんとシンクの三角コーナーに放り込めたし、辛めの自己採点でも合格レベルだ。
続いてもう一つの方も、今度はやや気を楽にして皮を剥いて切り下ろす。
こちらも成功で、ボウルに水と天然塩を入れてしまえば笫一段階は早くも終了となった。
ぷかぷかと浮いてくる梨を見て、皐月はちょっとだけ誇らしい気分になる。
どうだ、この手際の良さ。
料理が出来ると女らしいというのなら、完璧なまでの女らしさと言えるはずだ。
見れば、兵頭は籠に野菜を入れていた。
カボチャの冷製スープを作るんだから、やはりあいつも皮剥きとカットから始めるはずだ。
「……よし」
ちょっと手伝ってやろう、と皐月は思った。
兵頭の奴も、この包丁さばきを見れば納得してくれるに違いない。
感激して、改めて自分の有用性を認識してくれるはずだ。
パッと見たところ、材料はもう揃いそうだった。
なのでシンク棚を確認した時に見つけた圧力鍋を取り出して、皐月はそれを持って兵頭の元へと向かう。
振り向いた兵頭に圧力鍋を突き付けてやると、何だか微妙に呆気に取られたような顔をした。
少し気になるけど、今はこの男に自分の技量を見せつけてやることの方が大事だ。
仕事はどうしたという具合の質間に手短に応え、皐月はこっちを手伝う旨を話す。
何故か納得がいかない様子の兵頭は籠を持って調理台に向かうので、圧力鍋を持ったまま付いて行く。
籠と鍋をそれぞれ置いて、野菜の水洗いをしてその間、皐月は冷静に見えるように努めながら、刻一刻と見せ場が近付いていることにわくわくと胸を昂ぶらせていた。
兵頭から質問されてそれに応える間も、頭の中では鰈に包丁を操る大和撫子な活躍をする自分がイメージされて、気を付けないと口元が緩んでしまいそうになる。
我慢、我慢と自分に言い聞かせ、それでも一秒でも早く活躍の瞬間が訪れるようにと野菜を素早く洗って……
そして、その時が来た。
皐月は包丁とジャガイモを手にして、最高潮にまで育った高揚感を抱えたまま、視界の端で兵頭がちゃんと隣にいることを確認する。
ニンジンの皮剥きに取り掛かっているので、すぐにどこかへと消えることはないだろう。
そのことに満足し、皐月は心の中で『僕の可憐な姿をとくと見るといい』と咳いて、ジャガイモを宙へ放り投げる。
そして右手の包丁を、自分でも驚く程スムーズかつ優美で、一切の無駄を排した芸術的な動作で閃かせた。
決まった。
これは満点の出来だ。
ジャガイモは芽を取るのがちょっと難しいけど、それも刃先でくり抜いた上に皮と一緒に一纏めでシンクの三角コーナーに放り込めた。
田舎の祖母だって今の技には文句をつけられないはずだ。
どうだ、と言いたいくらいの興奮抱えて、皐月は視線を動かさずに兵頭の様子を窺い……憮然とする羽目になった。
折角、これ以上はちょっとあり得ないんじゃないかという完璧な技を決めてみせたというのに、兵頭はこっちを見ていなかった。
なんて冷たい奴だろう。
そんじょそこらの良妻でも出来ない女らしい包丁捌きだったというのに、見ていないだなんて。
そう思うと気分がムカムカして、苛立ちを紛らわせるように皐月は次の獲物に取り掛かる。
よく育っていてずっしりと重いカボチャは、皮もちょっと固い。
けど、関係ない。
この怒りパワーと鍛え上げた技術の前には、たかがカボチャの皮如き、敵じゃない。
一瞬にして大きなカボチャは四分割、その内の一つは煮やすいようにカットも済んだ形で落下する。
これもなかなかに上手くいった。
なのに、兵頭はやっぱり見ていない。
それどころか頑なにこっちを見ないようにする雰囲気すら窺える。
くぅ……口惜しいとはこういうことか。
こうも女らしいところが見せられる場面なんて、そうそう無い。
本格的に調理過程に入るのならばともかく、変な学科だから、そう簡単にはいかないはずだ。
だからこそここで兵頭に、自分の女らしいところをいや、待て。
そうすると、もしかして女だとバレてしまう可能性もあるのか。
それはまずい。




