一話・8
本校舎と並行に建てられた第二校舎。
その三階に『執務室』とプレートの貼られた部屋があった。
火元責任者の欄には『深閑』とあり、室内で折り重なった書類に目を通してい女性こそが部屋主だ。
同時に、二十代という若さで私立ラベールブロンシュ学院高等部従育科の教師陣のトップに立つ才女でもある。
細いフレームの黒縁眼鏡を掛けた彼女は腕回りや胸元にフリルの施された藍色のメイド服を着ており、マネキンのような冷たくも美しい顔を崩すことなく、機械的な動作で手に持った万年筆を走らせ紙面に記述を済ませていく。
ちゃんと文章を追っているのか疑いたくなるほどの速度で次々と書類を片付けていく姿はそれだけて芸術的、だったのだが。
部屋のドアが勢いよく開かれた瞬間、機能的な芸術は終わりを告げた。
入って来て早々、真宮院都は息を弾ませて、
「ねえっ、深閑ちゃん深閑ちゃ……」
ヒュッ、という風切り音がすると共に、言葉は唐突に途切れた。
執務室に足を踏み入れたばかりの都は、強張った表情と硬直した体を無理矢理動かし、背後を見やる。
慌ただしく閉めた木製のドアの表面。
その、都の顔の位置に当たる高さに、万年筆が突き刺さっていた。
それを見て、数秒前に右頬のすぐ横を超高速で通り過ぎたのがアレなのだと認識し、都は全身に嫌な汗を搔く。
それでも何とか笑顔を作り恐る恐る前を向くと、デスクの引き出しから新たに万年筆を取り出しているメイド服の同僚に問いかけた。
「……あの、深閑ちゃん……今の、もしかしてもしかすると、大惨事になっていたかもしれないと思うんだけど……?」
「注意の意図を含ませた、ただの威嚇です。
万に一つの可能性でしか『そう』はなりません」
「それは、その……万に一つはなっちゃうかもしれなかった……って、こと?」
「そうですね、ですからマナーを守ることをお奨めします。
入室時には、最低限ノックを忘れずに。
理事長とはいえ、その程度は守りましょう。
さもなければいつか本当に、万に一つの事態になるやもしれませんので」
万年筆を投げつけるという危険な行為をしておきながら反省もせずに説教をする深閑に、都は空恐ろしい未来を思い描いてしまう。
いつかペン先が己の額に突き刺さるようなことが、もしかしたら起きてしまうのかもしれない。
ノックは大事なことだから忘れないようにしようと、都はぐっと両手を握り締めて決意する。
そこに、深閑の冷めた声が掛けられた。
「それで理事長、どうかしましたか?
無事に藤條さんと転入生を対面させることは出来たのですか?」
替えの万年筆のキャップを外し視線はデスク上の書類に落としたまま、ついでのように確認を取る深閑の言葉に、都は恐怖を忘れて大事なことを思い出した。
「ちゃんと二人を会わせることは出来たんだけど……その、深閑ちゃん」
「何ですか?」
「あの二人、昔のお友達だったらしいんだけど……ひょっとして、そのこと知ってたの?」
都が深閑にそう尋ねたのは、春輝の案内役を従育科の生徒ではなく朱音に頼むよう指示をしたのが他ならぬ彼女だからだ。
偶然にしては出来すぎだと、半ばそうであると確信しつつの質問に対し、深閑はさらさらと書類にサインを走らせながら、
「ええ、調べましたから」
事も無げに、さらっと答えた。
「調べたってそれは、いつに?」
「兵頭春輝が編入を希望して書類請求をして来た日から数日に渡ってです。
編入試験の時には既に粗方の情報は揃っていました」
「……あのね、私って一応理事長なんだけどね?
そんなことまるで聞かされてないのはどうしてなのかなー、なんて思っちゃってるんですけど。
どういうことなのっ?」
喋っているうちに万年筆ダーツの恐怖が薄れ、興奮が舞い戻ってちっとも大人らしくない口調になり、どうせだからと理事長らしく偉そうに腰に手を当てている。
そんな都を一瞥した深閑は、
「わざわざ理事長に知らせる程のことではありませんでしたので」
「……そ、そうなんだ……?」
「ええ、そうです。
ところで都さん、事務の仕事が溜まっていたはずですが、午前中にどの程度進みました?」
「えっ!?
いやその、万事順調というかイケイケな感じというか、その、ね?
親密度はいくらか増した、はず、よ?」
「そうですか、それならば良いのですが。
いつぞやのようにテレビゲームに惚けて仕事のことなど忘れているのかと心配していたのですが、杞憂だったのですね?」
「……えーと……失礼しましたー」
適当な言い訳が思い浮かばず、都はそそくさと退散。
ドアの閉まる音で退室を確認し……深閑は小さくため息を吐いた。




