五話・13
試験終了時刻の午後五時になる頃。
春輝はななみを背負って、女子寮へと向かっていた。
休むことも水を飲むこともせずにひたすら鉛筆を動かしていたせいか、何枚かスケッチブックを埋めた後、満足したようにななみは眠ってしまった。
目が覚めるまで待つつもりだったけど、日が西に傾いた頃から雲が翳って、雨が降りそうな空気に変わった。
だから春輝は、ななみを背負って女子寮まで運ぶことにした。
たまに背中で何か呟くななみは、驚く程軽かった。
やっぱり高校生っていうのも十九歳っていうのも嘘で本当は小学生なんじゃないかと思ってしまうくらいだ。
米俵やアンティークのチェストを背負うのに比べれば全然余裕。
ともあれ、春輝は小さな先輩を背にして歩き、上育科女子寮の近くまで来た。
どでかい女子寮に圧倒されながら、これからどうしたもんかと悩む。
女子寮は三つあるから、どの建物に先輩が住んでいるのか分からないと預けることも出来ない。
誰かに訊けば済む話だけど、 変な噂とか立てられてななみに迷惑がかかるのは嫌だし、女子寮に乗りこむのはちょっとドキドキで遠慮したいし、困りもんだ。
いや、困っていた、が正解か。
西洋風の城の前に、見知った顔がいた。
向こうもこっちに気付いているようで、さっきからずっとこちらを見ている。
すぐ近くまで行くと、ようやくで重い腰を上げて寄って来た朱音は、負ぶさっているななみの顔を覗き込んで……微笑んだ。
「どうやら、上手くやってくれたみたいね?」
その言葉に、春輝は『やっぱりか』と言おうとして……止めた。
色々と言いたいことや訊きたいことはある。
ただ、諸悪の根源である朱音と話すには、この状況は適してない。
朱音の方もそう思っているようで、そっと囁くように、
「ね、ちょっと付き合ってくれる?」
悪戯っぽくそう言った幼馴染みに、春輝は小さく頷いた。
朱音に預けてななみを寮の中に運んで貰い、さらに寮母さんに部屋まで運んで貰うというプロセスを辿った後。
春輝は朱音に三歩程遅れて付いて歩き、以前警戒態勢を敷いて夜中に張り込みをしたことのある花園の中心の、噴水のある広場までやって来た。
道すがらななみと二人で過ごす間に起こった事を話したので、朱音がベンチに腰掛けて自分にも座るように促す頃には大まかな流れは伝えることが出来ていた。
なので春輝は肝心の部分を、率直に訊ねることにした。
「お前、俺が無責任なことを言うのを期待してたんだよな?」
「うん、その通り」
あっさりと肯定すると、朱音はさらに続けて、
「わたしじゃ無理だったから、春輝に任せたの。
これでもね、感謝してるんだよ?」
「あんまそうは見えないぞ。
それに、どうしてお前は無理なんだよ?」
陰険で腹黒で策士な女だけど、お節介なくらい世話焼きな部分もある。
だからななみのことを放っておくことはしないというのが春輝の印象なのに、それが出来ない理由が分からない。
訝しげに眉を顰めていると、朱音はふっ、と諦めたような笑みを浮かべた。
「わたしは、七瀬さんの絵を知ってるから。
だから無理なの」
「……は?
どういうことだ?」
「わたしもね、期待している一人。
それは勿論、あの人が抱えている不安やプレッシャー理解していたから滅多なことは言わなかったけどでもね、描かないていいなんて、相手のことを想っていても言えなくてねー……」
「それは……」
例え嘘でも、気休めでも言えない理由。
それを想像して、春輝は呆然としてしまう。
ななみ本人がああ言っていたんだから、余程凄い絵を描くんだとと思っていたが……それ程までに、なのか?
朱音のように、レッテルを貼らずに相手を見ることが出来るヤツでも、時として自分の不利を承知で事を為してくれるヤツでも、動けなくさせる程に?
少なくとも春輝は、そこまで影響力のある芸術とやらを見たことがない。
だからちっとも実感が湧かない。
スケッチブックに描かれたはずの自分の絵も、ななみが寝ているのに見てしまうのは失礼だろうと見なかった。
だから手慰みに描いていた子馬の絵しか知らない。
本気で描いたななみの絵は、そこまで凄いのか?
「凄いのよー、本当に。
前理事長が直々に保護を訴えて出向いたっていう逸話があるくらいなんだから」
不意に、朱音が見透かしたように言った。
表情からこっちの考えていることを察したのか、この魔女は。
やっぱり侮れないし、迂闊なことは考えられないな。




