五話・12
そういえば、と、春輝は社交的な幼馴染みの顔を思い出して、
「朱音は?
あいつは……なんっつーか、性根はそこまで極悪じゃないから、それなりに上手くやれそうな気がするけど」
「朱音ちゃんは良くしてくれるけど」
もごもごと口の中で言っている内容は聞き取れないけど、どうやら駄目らしい。
朱音ですら、というのはちょっと意外だが……
なるほど、だからか。
だから『よろしく』なんて言ったのか、あいつは。
幼馴染みの、あの何もかもを見透かしたような微笑を思い出して、春輝は僅かに口端を吊り上げる。
どーもあの腹黒の描いた通りの展開をやることになりそうだ。
まあ、仕方ないか。
それを自分も望んでいることだし。
達観するわけじゃないけど、これはこれで悪くない。
だから春輝は、愚痴った後で沈んだ横顔のななみの頭に、軽く手を載せてみた。
露骨なくらいビクッと反応して自分を見上げてくるのて、それに笑みで返し、
「他のヤツの言うことなんて気にするな。
好きにやれよ」
きょとんと、大きく目を開いてるごもごと口を動かすななみは小動物っぽくて、文句なしに面白かったし、さっきまでの沈んだ表情よりずっといい。
けど、それよりも笑顔の方がずっと似合う。
そう思うから、春輝はぐじぐじと髪を掻き交ぜるように頭を撫でた。
「才能とか周囲の期待とか、そんなことはどーでもいいって言ってんだ。
描きたいなら描いて見せてやればいい。
けど、描きたくないなら描かなきゃいい。
それはいい歳して幼気な子供を追い詰めた大人の責任だしな」
「こ、子供じゃないよっ。
ななみはもう」
「まだ学生なんだから十分子供だっての。
だから、やりたくないなら我が儘言えばいいだけのことだ。
勉強や就職と違って、絵だぜ?
プロってわけでもないんだし、趣味でやってることに関してギャーギャー文句言われてどうすんだよ」
大人連中が聞いたらとんでもない量の文句が降ってきそうな言葉だとは思うけど、ここには自分達だけしかいないんだから問題なし。
「……で、でも……」
他に顔色を窺う相手がいないこの状況で、ななみは不安そうに表情を曇らせる。
あんな愚痴を言っていたのにこんな顔をするんだから、やっぱ『良い子』なんだろうなー、と思う。
たからこそ、ちゃんと支えてやりたくなる。
こんな健気な先輩、放っておけるかっての。
「期待の声を寄せる中には、確かに純粋に応援したい、先輩の描いた絵が見たいっていうヤツも多いんだろうよ。
けど、その数が多かろうが想いの質が純粋だろうが、我が儘言ってんのに変わりはないんだよ。
それに『描きたくない』って我が儘で応えて非難されるんなら、それは単なる暴力だ。
聞く価値すらないっての」
「……そう、かも……だけど……そうなのかな……?」
「ああ。
だからうるさくされたら言ってやれ。
『期待するなら黙ってろ、気が向いたら描いた絵を見せてやる』ってな」
「そ、それ、ちょっと乱暴だよ?」
「だから気にすんなって。
好きでやってることに口出しされるの、むかつくだろ?」
ちょっと意地悪い質問に、ななみは反射的に口を開いてけど、口籠もるようにもにゃもにゃと唇を歪め、たっぷり間を置いて、
「……うん」
小さな声と共に、頷いた。
素直に言えたご褒美にまた乱暴に頭を撫でてから、春輝は口端を上げて笑ってみせた。
「やりたいようにやれよ、先輩。
ここでも周囲がうざったいって言うんなら、俺がさっきみたいに虫除けくらいにはなってやるし」
「……ほんと?
ほんとに助けてくれる?」
「ああ、任せろ。
何しろ俺は従育科だぜ?
誰かの手助けをしたくて執事なんて怪しい職業を目指してるんだからな。
……まあ、授業料と寮費免除っていうのも大きいけど」
最後にそう付け加えると、ななみは我慢しきれないように小さく笑った。
ようやく子供らしい笑顔を見れて、それだけで達成感が湧いてくる。
あと、やっぱ保育士や小学校の先生も捨てがたいなー……と思ってしまったりもするけど、そんなことを考えているとバレたらまたむくれられそうだ。
春輝が笑いを噛み殺していると、不意にななみがキュッと鉛筆を握った手を目の前に突きだしてきた。
何だ、と思っていると、落ち着かないようにちらちらとこっちを見ては視線を逸らして、頬を若干赤くして、
「そ、そのっ……良かったら、だけど、ね」
「ああ……?」
「えっとぉ……その、絵のモデル……やってくれる……?」
「あー……別にいいけど。
今か?」
「うん、そう。
そこにいてくれればいいからっ」
言って、スケッチブックと鉛筆を持ったままななみは立ち上がり、じりじりと下がって芝生の上にペタリと座り込んだ。
「あのね、動いてもいいから。
あんまり激しくされると困るけど、好きにしていいよ?」
「了解、出来るだけ大人しくしとく」
そう応えて、春輝はななみから視線を逸らす。
描いている時に見られると恥ずかしいかもしれないし、そうでなくても描かれているこっちは恥ずかしい。
「……」
「……」
急に静かになって、風に乗って遠くの雑音や話し声が聞こえてくる。
それに混じって、紙の上を鉛筆が走る、僅かな擦過音。
眩しい太陽に梅雨らしくジリジリとした蒸し暑さで、長袖のモーニングコートを着ていると汗が出る。
それでも、時間かゆっくりと流れていると感じられる、穏やかで平和な空気が図書館裏には満ちていた。
こんな風に過ごすのも悪くないなー、と思いながら、春輝は降り注ぐ視線をなるべく気にしないようにし、長期戦に備えて石碑に背を預けた。




