五話・11
思い出の場所。
とでも言うべきなのか、春輝はちょっと考えてやっぱり止めた。
気を失った思い出なんて、わざわざ口に出してフラッシュバックさせることもないだろうし。
図書館と垣根の間の狭い道を通って裏手に回り辿り着いた七瀬ななみという小さな先輩に初めて会った場所は、相変わらずの風景だった。
茂みに囲まれて緑の芝が敷かれ、中央にぽつんと大きな石碑がある。
相変わらず何の為にあるか分からない場所ではあるけど、不思議と居心地が良い。
この感覚に春輝は覚えがあって、口端を吊り上げて笑った。
「秘密基地、ってとこか」
「うん、そうだよ。
ここはななみの、秘密の場所」
頷いて、ななみは石碑の台座に腰掛けた。
彼女にかける次の言葉が見つからず、春輝は迷ってしまう。
半ば冗談のつもりで言ったら肯定されてしまって、逆に意表を突かれた。
いや確かに印象としては秘密基地なんだけど、お嬢様に基地作りの思い出なんてないだろうし。
どちらかというと……押し入れか屋根裏部屋の方が近そうだ。
一人きりになれる、安心出来る場所って感じか。
「っと俺もここに居ていいんだよな?」
少し間を開けて台座に腰掛けながら訊くと、 ななみはバッグから筆箱を取り出して、
「だって、見つけられちゃったし。
それに、独占するのはよくないもん」
「とか言いながら不満なのがモロ分かりな顔してるぞ」
「しっ、してないよっ!
ななみは大人だから、そんな了見狭くないもん!」
「あー、そーかそーか、それはなにより」
頬を膨らます小さな先輩を横目に、春輝は石碑に背を預けて頭の後ろで手を組んだ。
さてと、ここからどうしたもんかな。
まだちっとも打ち解けられていない状態で秘密の場所で二人きり。
誰かの登場を期待するのは無理だろうし、万が一誰かが偶然ここに入り込んだとして……そうしたら、またななみはどこかに移動する気がする。
逃げるようにしてここに来たんだから、次は寮の自室かもしれない。
そうなったらアウトだ。
「ここ、俺以外に誰か入り込んだり案内したりしたことないのか?」
「秘密だって言ったよ。
キミも秘密にしなきゃ駄目なんだよ?」
「オーケー、ボス」
フランクに了解を示すも、どうやら上手く伝わらなかったようで、ななみは小首を傾げた。
小さくても上流階級、やっぱりこの手の軽口は理解不能か。
ジョークの解説ほどやっちゃいけないことはないので春輝が黙りを決め込んでいると、しばし考えを巡らせていたななみは諦めたように小さく息を吐いて、バッグの中から鉛筆を取りだした。
人差し指を添えるようにして鉛筆を握るのを見るに、やっぱり絵を描くつもりらしい。
こんな閉ざされた所で何を描くのかは知らないけど。
真剣に絵を描き始められたら、もう話すのは邪魔でしかなくなる。
やるなら今しかない、か。
そう結論を出し、春輝はぶっつけで本番に挑む気持ちで口を開いた。
「絵を描くんなら美術部に入った方がいいんじゃないか?
団体行動にはなるけど、そっちの方が楽しいだろ」
「……楽しくないもん。
一人で描いていた方が全然良いよ」
「そうか?
仲間とわーわー騒いだり絵の感想を言い合ったりするの、楽しいと思うけど。
それにちゃんと顧問の先生に習った方が上手くなるだろうしよ」
ジャブ気味にそう言うと、ななみはやや神妙な顔をこっちに向けた。
「キミは、本当にななみのこと知らないんだね」
「その意味自体がよく分からない。
まあ、でも、知らないんだろうな」
会うのはまだ二回目だ。
しかも前回は事故みたいなもんだったし。
訊きたいことはいくつもあるけど……どうなんだろう、訊いてもいいものか。
特に年齢とかさっきの女生徒達の反応とか、あとどうしてそんなに小さいのかとか……でも流石に踏み込み過ぎって気もするし、かといって避けて通るのは……
「教えてあげてもいいよ」
迷いまくる春輝に、意外にもななみの方からそう切り出してきた。
「いいのか?
いや、俺としては聞きたいけど」
「うん……他の人は、みんな知ってることだもん」
言って、ため息。
子供っぽい外見なのに疲れた仕草で、凄く似合わない。
そしてななみは、同じく似合わない厭世的な人間がやるような皮肉な笑みを浮かべた。
「生まれた時からね、心臓に欠陥があったの。
大きくならないと手術が出来ないって、発作が起きたり体調を崩したりする度に入退院を繰り返して……」
そこでななみがこちらを向いたので、春輝は真面目な顔で小さく頷いた。
……ただ、内心ではいきなりのディープな話で、ちょっとビクビクしてるけど。
こんな時だけは自分の不良顔が頼もしい。
朱音や深閑は例外として、普通のヤツには絶対に勘付かれないはずだ。
落ち着こうと、春輝はこっそり呼吸に気を遣う。
その間もななみの話は続いていく。
「だから一人で家や病院にいる時は退屈で、ずつと絵を描いてたの。
窓から見える景色とか、写真やテレビで見た風景とか。
読んで貰った本の世界を想像してイラストを描いたりもして……そんなことをしていたら、いつの間にか上手くなってたみたい」
「みたい……って、なんか暧味だな?」
「自分では気付かなかったんだもん。
昔に描いた絵はあんまり見ないし、イメージ通りに描けるようになってからは見たままじゃなくて遊びを入れて描くのが楽しくなって……それに恥ずかしいから。
パパとママと、仲の良い看護師さんにしか見せなかったんだよ。
みんな上手だねって褒めてくれるから嬉しかったけど、他の人と比べたことなんてないもん」
「あ-、なるほどな」
納得だ。
好きに描いていただけだから、他人と比べて上手いかどうかはまるで気にしていなかったわけか。
「ななみはそれで良かったんビよ。
でも、三年前にようやく手術が出来て、そのお祝いにパパの知り合いの人がたくさんお見舞いに来て.
それでななみの絵を見て、凄くびっくりして、コンクールに出せとか、雑誌に載せたいとか、言い値でいいから売って欲しいとか」
「注目されて、嫌だったのか?」
「うー……ちょっとだけ嬉しかったよ。
ちょっとだけね?」
むずがるようにめを揺らすななみを見ると、『ちょっと』どころではなく嬉しかったのは丸分かりなんだけど……まあ、本人がああ言っているので、春輝は黙っておくことにする。
一呼吸を置いた後、ななみは眦を下げて、沈んだ声で続ける。
「でも、すっごく期待されて、知らないおじさんからどんなのを描いて欲しいとかどの賞を狙って欲しいとか言われるのは嫌いだもん。
それに何度も手術して、ようやく二年前に病気が治って、みんなより何年か遅れちゃったけど普通に学校へ通えるようになったら、学校の先生まで絵を描いて欲しいって、学校の為に頑張ってくれって……そーいうのが嫌でラベールブロンシュに転校したんだよ」
「ここなら平気なのか?」
「うん、ここにマスコミは入れないもん。
年に一回か二回許可が出るけど、監視付きだし。
寮生活はあんまり楽しくないけど……でも、外にいた時よりずっとマシだよ」
「……なるほどなぁ」
嘆息混じりに話すななみの顔と声で、どれだけうんざりしていたかは想象出来た。
それと、ここでもやっぱり期待されているというわけだ。
あの美術部のお嬢様方の態度は、今にして思えばアイドルに対するそれに近い気がする。
同年代でも自分達とは違う、決して交わらない向こう側にいる存在への対応だ。
そうと理解した上で、一応訊いてみる。
「美術部連中はともかくとして、クラスメイトや寮の隣室のヤツとか、仲良くやっている相手はいないのか?」
「あんまり」
「もしかして、クラスで孤立してるとか?」
「う……そんなことないよ。
みんな……丁重に扱ってくれるもん」
やっぱりゲストか芸能人っていうカテゴリの扱いなのか。
この小さな先輩の絵がどれだけ上手いのかは、春輝には分からない。
今も話しながら軽く鉛筆を走らせていて、それがここにはいない馬を描こうとしていることや、抜群に綺麗なのは分るけど……専門的な見地なんて無理だし、有名な画家と比べるのも無理。
だけど今の話を聞く限り、美術部の顧問に教えられるレベルじゃなさそうだ。
同時に、他の人に教えることも難しそうだし。
おまけに留年しているから同い年の生徒はいない、と。
入院生活が長かったせいかもしれないけど、あんまり社交的じゃないっぽいし。




