五話・9
しかし立て襟のシャツは指を突っ込こむには不向きで、じゃあボタンを外そうとすればタイがある。
何より試験中にみっともないだらけ姿を晒していたら、後で深閑にどれだけの地獄を味あわされるか分かったもんじゃないから、我慢するしかない。
睨まれただけでも精神的にキツいってのに、肉体的にも限界まで追いこまれることになるだろうし。
気分転換すらままならず、春輝は手持ち無沙汰にアイスティーに口をつけ、ななみはななみでストロー咥えっぱなしのままで、たまにチラっとこっちを見上げては目を伏せる、その繰り返しだ。
そろそろタップかギブアップをするべきなのかもなー……と、春輝が薄ぼんやりと敗北宣言を検討していた時、
「あ……七瀬さん!」
「えっ、本当ですか?!」
そんな声が聞こえてきて、春輝は思わず振り向き、斜め後ろにいた三人組の女生徒達を発見した。
私服だから高等部の生徒か中等部の生徒かは分からないけど、割と簡素な服を着ていて、手には三脚やら画材道具やらを持っていた。
もしかしてこいつら美術部なんだろうか、と思っていると、三人はひそひそと話し始める。
「あそこのテーブルに、ほら」
「本当!
でも、同席している従育科の殿方は……?」
「例の編入生ですわ。
とてもとても恐ろしい変態性の持ち主だと」
「そんな……!?
それでは七瀬さんの身に危険が……」
「ロリコン、という人種ですわね。
同年代の方は初めて見ましたわ」
「あ……でもわたし、一年のグランヴィルさんと鳳凰寺さんを毒牙にかけようとしていたという噂を聞きましてよ?」
「まあ……随分と許容範囲が広い……」
「ひょっとして、あの倉木さんも」
「……あの美しい顔で、ルームメイトらしいですから……ありえますわ……!」
「まあっ……!?」
なんだかとてつもなく酷いことを言われていた。
流石にショックで、春輝は聞こえないフリをするしかない。
分かってはいたけど、本格的に末期な噂が流れているなぁ。
身に覚えがないBL疑惑まであるってどーいうことだよ。
しかもこれからはロリコン扱いまでされるのか。
次はなんだろう、料理番のおばさんに手を出したとか言われるのかなぁ。
それで『幼女から熟女までこなすらしい』とか言われて……死ねる。
そんな事態になったら寮に引き籠もるどころか本気で首を吊りたくなるので、春輝は何とかフォローして貰えないものかと、ななみにSOSの視線を送ってみる。
向かいの席でストローを囓っていたはずの先輩は、何故か俯いたまま動かなかった。
彼女達の存在には気づいているだろうに、ちょっと不自然な気がする。
「……先輩?」
呼んでみても、頑として顔を上げようとしない。
ちらっとこっちを見ることも拒否。
なんというか、懸命に気付かれまいとしているような、そんな感じがする……けど、どうしてそんな風にしているのか、春輝にはちっとも見当がつかない。
あの三人組の方に何かあるのかともう一度見てみれば、あからさまに一人目を逸らしたヤツがいた。
しかも微かに「ひっ」って聞こえた気もするし。
まあうん、悪気はないんだろうけどな?
だからといって、こっちが大ダメージ受けないかと思ったら大間違いだぞ?
あー、なんか笑える。
笑うしかないっていうか、むしろ泣きたいけど。
心で泣いても顔だけは笑っておかないと、もう立ち直れなくなりそうだ。
が、どうやらそんな苦心の笑みが、彼女等にはお気に召さなかったらしい。
ハッキリ分かるくらい表情を強張らせた三人は、慌てた風に荷物を持ち直し、
「は、早く行きましょう……!」
「そうですわね、それが宜しいと私も思いますわ」
「ええ、ええ。
急ぎましょう」
「あり、七瀬さん!
応援していますので、頑張って下さいませ!」
「新作、期待してます!」
「私もです。
それでは、ごきげんようっ」
口々にそう言って、三人はそそくさと立ち去っていった。
まるで井戸端会議中の陰口を当人に聞かれたかのような逃げっぷりで、コントちっくで面白い。
ちょっと気が晴れて、春輝は背筋を伸ばして椅子に座り直した。
肩から余計な力が抜けたみたいで、これなら上手いこと会話も弾みそうだ。
取り留めのない会話でいいんだし。
「さっきの連中、知り合いか?」
とりあえず気になったところから訊いてみると、ななみは俯いたまま首を横に振った。
どーもまだ硬くなったままのようだ。
まあそのうち解れるだろうと、春輝は気にせず話し掛けることにした。
「向こうが一方的に知ってる、ってことか。
人気者なんだな、先輩は」
「そんなことないよ」
「そっか?
小柄で可愛い先輩って、下級生に好かれてるんじゃないのか?」
「そんなことないもん」
そう言うと、ななみは椅子から飛び降りるように立って、空いた椅子に置いておいたバッグとスケッチブックを手に取った。
「ん、移動するのか?」
「別に、付いて来ないでいいよ。
一人になりたいから」
本当に一人になりたいなら、邪魔はしたくない。
試験っていうのはこっちの都合で、ななみのプライベートな時間を潰すのは単なる我が儘になるし。
けど、今の言葉に天の邪鬼な部分が含まれているとするなら、話は別だ。
そうこう考えている間に、ななみは既に歩き出していた。
高校生にしては短い手足をせかせかと動かして、一刻も早くここを離れようという感じで、どうやら考えている時間は無さそうだった。
まあ、あんな外見でも十九歳で高校生なんだし、そこまで心配する必要は……
「……いや心配だな、やっぱり」
呟いて、春輝は残っていたアイスティーを一息に飲んで立ち上がる。
ほんの一瞬ではあるけれど、ななみが振り向いてこっちを見た。
追いかけるには十分な理由が出来てしまった。
気にし過ぎだとしたらまあその時はその時で。
「おーい、先輩。
あんま急ぐと転ぶぞ、気を付けろー」
「子供じゃないから転ばないもんっ!」
歩幅の差で少しずつ迫る小さな背中に声を掛けると、元気な声が返ってくる。
春輝は何となくホッとして、さっさと追いつこうとペースを上げて歩いた。
お姫様がどこに行くつもりかは知らないが、とりあえずこの先にあるのは……




