五話・5
「なあ、あんま無茶な命令は無しにしてくれよ?」
「えー?
でも羽柴くんよりマシだと思わない?」
「確か、延々と褒め称え続けないといけないんだっけか。
あのナル野郎も大概きてるな。
脳に不具合があるに違いない。
……誰かと一緒で」
「それに比べたら、女子寮を裸で駆け抜けるくらい」
「土下座までならいくらでもするからどうか勘弁してくれませんかお願いだから!」
半ば叫ぶように懇願しても、朱音はますます機嫌良さそうに笑みを深めるだけだった。
ああもう何なんだこれは。
厄日ってこういうことか?
……駄目だ、気合い入れて試験に臨んだはずなのに、完璧にガス欠だ。
『とりあえずカフェで今後の予定を立てようね』
と言う朱音に従って歩いてはいるけど、どーにも足取りが重い。
あれだ、小学校の時に帰りの会で先生のことをうっかり『おかあさん』って言っちまった次の日くらい気が滅入ってる。
……あー、もうこうなったらどうにでもなれだ。
全裸クラスの恥以外なら甘んじて受けるつもりでやってやる。
泣くのは寮の自室に帰ってからだ。
春輝は半ば捨て鉢になって、朱音の背中を見ながら煉瓦敷きの広い道を歩く。
講堂や多目的ホールへと続いているこの道に、自分と朱音以外の人影が見受けられないのはありがたい。
腹黒女の奴隷とかしているこんな状況、出来る限り見られたくない。
「……ん?」
そんなことを考えていたところに向かいから歩いて来る人影を見つけ、春輝は思わず声を漏らしていた。
いや、構内なんだから生徒が歩いているのは普通なんだけどあの背丈は、何だ?
小学生か?
中等部生にしては背が低いし、家族に会いに来た迷子っていう線の方があり得る。
不思議に思いながら近付いく来る姿に目を凝らし……ややあってから、春輝は彼女に見覚えがあることに気が付いた。
綿毛のように柔らかそうな短めの髪や、ふっくらとした頬。
デフォルメされた人形を思わせる大きめな瞳。
それを至近距離で見たことがあったはずだ。
生徒としてラベールブロンシュに来たあの日、図書館裏で出会った子供だ。
あれで年上という驚愕の事実を持つ、確か名前は……
「あら?
七瀬さん、おはようございます」
距離が縮まり彼女の存在に気付いたらしく、朱音が丁寧にお辞儀をして挨拶をした。
そうだ、名前は七瀬ななみ。
それで合っているはずだ。
大きなスケッチブックに小さな手提げバッグを持ったななみは、挨拶されただけなのにびくりと肩を震わせて、
「おっ……おはよう」
おずおずと、ちらちらとしか目を合わせようとせずに、そう言った。
これはちょっと珍しい反応だ。
朱音はラベールブロンシュ内では猫を被って優等生ぶっているから、割と人気があるらしい。
なのにあの態度っていうのは……もしかして、隠している本性に気付いてるんだろーか?
それなら納得だ。
何となく仲間意識を感じ、春輝は軽く手を上げてフレンドリーに挨拶をしてみた。
「よう。
久しぶりだな」
「えっ……あっ……!?」
気さくに挨拶をしたのに、何故か狼狽された。
赤面したと思ったら慌てた風にスケッチブックで顔の下半分を隠してしまい、リスのように目をキョロキョロと忙しなく動かしていて……いい加減慣れはしたけど、やっぱり猛獣扱いか。
「春輝くん、先輩に向かって失礼ですよ」
「あー……そうだな、悪い。
どうも先輩って感じがしなくて」
正直にそう言ってみたところ、ななみはあからさまにむっとして眉根を寄せた。
今のも失言だったらしい。
外見が幼いことを気にしているのかもしれなかった。
春輝がコミュニケーションの難しさを感じていると、スケッチブックを胸に抱き直したななみが、キッと唇を硬く結んでつかつかと近付いて来た。
そしてすぐ目の前、靴の先がぶつかりそうなくらいの距離で止まり、こっちを見上げ、
「……うっ」
ちょっと呻いて、半歩下がる。
どーも距離感を誤ったらしい。
「ななみはもう十九歳なの。
年上への敬意とレディに対する礼儀を持って接してくれないと……えーと……お、怒るから」
最後の方は燃料切れを起こしたように尻すぼみになりながら、これで精一杯ですって感じで睨み上げてきた。
睨んでるつもり、だよな?
泣くのを我慢してるようにも見えるけど、たぶん睨んでるんだよな?
発言の方も突っ込み所満載だったけど下手に突いて泣かれても困る。
なので、春輝は何となく場を誤魔化すようにななみの頭を撫でてみた。
「えーと、悪かったな?」
「……全然、反省してない……!」
謝罪までしたけど、どうやら逆効果だったらしい。
ななみは顔を真っ赤にして、今度こそ泣くのか目を潤ませる。
むう、難しいな。
子供をあやすのは苦手じゃないつもりだけど、これで一応年上だしなあ。
どうしていいのやら。




