四話・11
気位の高いオレリアからしてみれば、格下と見ている自分が触れているのを許しているだけでも途方もない譲歩なんだろう。
それを分かってはいても春輝は、違うことに気を取られていた。
オレリアの、同年代と比べれば豊かすぎる程に豊かな胸。
それを自分の胸板で押し潰す形となっているんだから、息苦しいっていうのも分かる。
肺が軽く圧迫されているんだから、変な声を漏らすのも仕方ないのかもしれない。
けどこの感触は、なんだろうね?
服を挟んでいるから直に感じているわけじゃないけど、それでも理性のたがを猛烈な勢いで緩めようとする、やわやわと弾力に恵まれた感触は……もしかしたらもしかして、そうだったりするんじゃないかというあらぬ想像を掻き立てて仕方がない。
「念の為に、訊くぞ。
これは変な意味じゃなくて、確認の意味でだ。
それ以上に他意はないし、あるとしても純粋な好奇心であってだな……」
「……何なんですの、一体。
まどろっこしい、さっさと言いなさい」
「じゃあ、訊くけど……」
ごくん、と唾を飲み込んで、少しでも気を落ち着かせてから、言った。
「お前……もしかして、ノーブラ?」
「なっ、むぐっ!?」
たぶんやるだろうとは思っていたけど叫ぼうとしたオレリアの口を、瞬時に右手で塞ぐ。
ああもう、さっきは全然気にならなかったのに、掌に触れる唇がめっさ柔らかいなーって、本当にもう駄目だ。
気もそぞろになるし、やっぱ訊かない方が良かったんだろーか。
でも滅茶苦茶気になる。
前に事故で触ってしまった時も思ったけど、この胸の感触柔らかすぎだ。
服越しで、なのに鳥肌が立ちそうなくらいダイレクトに、呼吸をする度に押し潰されて形を変えているのが分かるんだから、そりゃあ気になる。
男の子なら当然、気になる。
でも訊くのはやっぱまずかったか?
人としてアウトか?
セクハラで訴えられたら敗北必至な行動だったか?
……いかん。
この感触は、ちょっとした麻薬より人をダメにする。
ため息を吐いて、それから春輝はそっと右手を除けてオレリアの口を解放した。
こっちも少しは落ち着いたのか、怒鳴ろうとはしない。
それでもやや上気した顔をして、気恥ずかしそうに視線を逸らして……あーくそ、なんでこんな時にこんな表情をしやがんるんだ、この女は。
「このドレスで下着の線が見えてしまうのは頂けませんわ。
私のセンスが許しませんわよ。
だから仕方なくて」
そうくるかこんちくしょう。
心臓が早鐘を打っているのも伝わってくるし、押し潰された胸が苦しいのか呼吸も荒くなってきているし、それを言うならこっちも精神状態がバーストしかけて乱れているし、しかも周囲は花は咲いているわ噴水はあるわで情緒たっぷりだしお月様も出ているし、今から何が行われても目撃者なんて誰も……
……誰も?
いや。
居たはずだ。
確かに聞いた、あの足音の主が。
そういや全然あの後は足音を聞き取れなかったけど、一体どこにいるんだ?
疑問が過ぎり、春輝はこの状況から脱却する為にも周囲を見渡そうと顔を上げ……
すぐ傍に立っていたチャイナさんと、目があった。
「……」
互いに、沈黙。
春輝は彼女に見覚えがある。
今日、というか既に昨日だけど、オレリアと一緒に居た背の高い女。
確か楊という名前の、青竜刀女。
それが、自分とオレリアを見下ろす形で、すぐ近くに突っ立っていた。
えーと。
これは。
「……いや、違うぞ?
これは、盗撮犯が来たんだと思って、慌てて身を伏せた結果であるからにしてだ。
何一つとして他の要素は無いぞ?
なあ?」
自分の下にいるオレリアに振ると、すぐに強張っていた顔がハッとする。
どうやらこの状況が互いにとって何のプラスにもならないことを瞬時に理解してくれたらしく、オレリアは取り繕った笑みを浮かべて、
「そ、そうですわよ楊さん!
嫌ですわこの庶民ったら、楊さんと憎き盗撮男を勘違いするだなんて、使えないにも程がありましてよ!
でも勘違いは誰にでもあるかと私は寛大な心を持って甘受して差し上げようと思っていますので、楊さんもここは穏便に」
「そうそう、何にもなかったんだから、変な噂とか流されても困るし!
事実無根だし!
このことは他の奴等には内緒ということで、どうか一つ……その、心からお願いしたいところなんですが」
最後は魂から服従を誓うような低姿勢での懇願でフィニッシュ。
良かった、先週も似たような感じのシチュエーションになったけど、あの時の鳳凰寺と違ってオレリアはまともだ。
ドリルドリルっていつも小馬鹿にしていて悪かった。
あのドジつ娘メイドに比べたら、ある意味ではこいつの方が常識的だ。
おかげで何とかこの場は切り抜けられそう……
「是……デモ、少し意味、ないデス」
やや戸惑ったような、申し訳なさそうな声で、楊はそう言った。
その意味が分からず、問い質そうとして、春輝は、そこで初めて違和感に気付いた。
それとほぼ同時に、
「やー、もう終わりかいな。
どうせならそのまま本番まで漕ぎ着けて欲しかったところやのに、残念やな」
ガサッと音を立てて生け垣の向こうで立ち上がったのは、にまにまとした思わずど突きたくなる笑みを浮かべた香取だった。
なんでこいつが、と思う間もなく、他にもあちらこちらで人影が立ち上がり、
「でもでも、ちょっとハラハラしちゃったー」
「強引なのっていいよねー。
相手にも依るけど」
「オレリア様、可愛いです……!」
「むしろ兵頭君の反応が可愛い……」
口々に勝手なことを言いまくるのは、どいつもこいつも従育科の面々。
楊だけじゃなくて、十数人もの従育科の生徒がこの場にいる。
……何が、どうして、こうなってるんだ?
「お、お前等……なんで、ここに……」
「嫌やなぁ、ハルハル。
決まっとるやんか」
うきうきと近寄って来るのは本当に嬉しそうで、もう全力で殴って記憶を奪ってやりたいけど、体が硬直してそれさえ出来ない。
だから春輝はオレリアを押し倒したその体勢のまま、香取の説明を聞くことになった。
「そろそろこの授業にも飽きたなあ、と思っていた頃や。
夜闇を切り裂くうら若き女性の悲鳴、っちゅーか怒鳴り声やったけど、とにかくそれが聞こえてきてん。
そりゃー気になるやん。
観に行きたくなるやん。
それが人の性分ってヤツやん」
「二人が何か言い争いをしていたみたいだから、止めようと思ったんだけど……その、卓也君が……」
「花園の中心、噴水広場で深夜にひっそりと語らう男女……そんなもん、止めるなんて野暮なこっちゃで。
だからこう、陰に隠れて応援混じりの見物をやな。
そこの楊水蘭さんが来てもうた時は終わりかと思ったけどもいやいや、そこからがメインイベントやったね!」
興奮した面持ちでぐっと親指を突き出す香取に、春輝はもう、怒りや呆れすらも抱けない。
なんだろう、この絶望感は。
オレリアがここに来たのはアクシデントで、先に押し倒されたのは自分で、犯人を捕まえようという一心で今の形になったのに。
その後も、そりゃあ多少は思春期的な思考にやられかけはしたけど、一線は画していたっていうのに。
なのに……なのに……
「さて、ハルハル」
気がつけば香取が真横にしゃがみ込んでいた。
そしてポンッ、と肩に手を置いて、
「深閑センセの所で事情聴取。
行こか?」
「俺は無実だあああああああああああああああぁっ!!!」
精一杯の大声で真実を叫んだものの誰からも信用されない身としては、涙を流してもいいんじゃないかと思いながら。
ずるずると引き摺られて、春輝は連行されてしまった。




