一話・6
自分のすぐ前で周囲に目を光らせている藤條朱音が何をしたいのか、何で彼女がこんな切羽詰まった顔をしているのか、しかもどうして子供なら泣き出してしまいそうな圧力を全身から漲らせているのか、もう意味が分からない。
なのに助けを求める相手はいなくて、視界の端に小さく映っている都はぼけっと突ったっているだけて救出に来てくれる気配もない。
完壁に孤立無援だ。
意味不明かつ救いようも無い状況で、藤條朱音は殺気が隅々まで行き届いた剣呑な目つきで睨んでくる。
眼力で人が死ぬのなら、もう確実に死んでいる。
それくらい鬼気迫っていて……
正直、滅茶苦茶怖い。
「……この際よ、四の五の言うつもりはないわ」
『この際』、と言われても意味がよく分からないので、春輝は首を傾げた。
この際ってどの際だよ、と突っ込んでやりたい気もするが、見るからに黒々しいオーラを発している神妙に相手にそういう些細な事を言うのはかなりの冒険になる。
とりあえず慎重に様子を窺っていると、彼女はぐっと顔を近付けてきた。
鼻と鼻が触れ合いそうなくらいに端麗な容姿が至近距離に迫り、思わず息を呑み……同時に、目の前にある茶色がかった瞳、頭の奥で何かが身動いだ。
この瞳は、やはり見覚えが……
「昔のことをほじくり返して余計なことを言ったら分かるわね?」
そして、紡がれた脅し文句によって、奥深く仕舞われていた記憶の蓋が開いた。
「っ、お前……鈴橋朱音か!?」
「違うわよ、今の名字は藤條。
間違えたらペナルティだからね」
念を押すようにじろりと睨み……ふと、『藤條』朱音は何かに気付いたように目をパチクリさせて顔を引き、
「……んん?
もしかして、まだ思い出してなかったの?」
「おかげさまで思い出したっつーの」
そう、思い出した。
目の前にいる女がどこの誰で、自分にとってどんな相手なのかを。
鈴橋朱音……小学三年生まで同じ学校の同じクラスで学んだ、天敵とも言える女。
そして数々のトラウマを植え付けられた相手でもある。
今の今まで、脳が思い出すことを拒否していたらしい。
そうでなければあれ程インパクトの強いクラスメイトのことを忘れるはずがない。
出来ることなら、もう一生忘れたままでいたかったのに。
どうしてこんな、『元』とはいえ名門お嬢様学校にこいつがいるんだ。
お嬢様なんて単語、とんでもなく似合わないヤツだっていうのに、むしろ心に悪魔を巣くわせた暴君タイプだっていうのに、なんで、こんな……
どうしようもなく引きつってしまう右頬に手をやり、春輝は震えそうになる声を抑え
「嫌な予感がする訳だ……忘れたフリをしていても傷跡は疼いていたってことか」
「む……随分と失礼な挨拶するのね」
「お前がオレにしたこと一から百まで思い出してみやがれ」
「あら、別にいいけど。
ただわたし、最近昔のことを思い出すとそれを声に出してしまう習性がついちゃっているのよね。
再会のショックもあって都さんに聞こえるくらい大声になってしまうかもしれないわ」
「なっ……!?」
「例えば、そうねー……誰かさんの、小さい頃の夢、とか?
それでもいいの?」
「……うん、俺が悪かった。
だから、その、その件に関しては一つ、箝口令を敷く感じで……」
「ふふ、そんなに言われたくないの?
まあ、そうよね。
高校生にもなって、小学生時代の、しかもあーんな夢なんて、バラされたくは……」
「ああバラされたくねぇよっ!
だからどうか一つお願い出来ませんかね!?」
「あらまあ、そこまで言われちゃうと、ねぇ。
わたしも鬼じゃないし」
そんなことを言う朱音の笑みは鬼を通り越して悪魔的で、そんなものに振り回される身の春輝はがくりと項垂れた。
もうなんか疲れる。
数年ぶりの会話だけど、感慨深いとか再会の喜びだとか、ちっとも湧いてこないし。
そうだ、鈴橋朱音はこういう奴だったんだ。
男女別なくその強気な性格でよく回る頭と舌をフルに使って支配下に置き、暇さえあれば適当な男子をからかって遊ぶような奴だった。
何度その被害にあったことか、数え切れない。
きっと 朱音と出会うことがなければ、夏に蝉の死骸を見てセンチメンタルな気分になることはあっても口の中に嫌な苦みが広がることはなかったはずだし、道端で出会ったトノサマガエルに罪悪感から目を逸らすこともなかっただろうし、水着を穿く時に紐を固く結んで入念にチェックをすることもなかったと……って、駄目だ。
思い出したくもない記憶が次から次へと浮かんできて、それを追い払うように強く頭を振る。
二度と会うことはないだろうと思っていた朱音と再会したんだ、言いたいことは山程ある。
それにどうしてこんな学校にいるのかとか、名字が変わった理由とか、訊きたいこともいくらでもある。
しかし、とりあえず今一番大事なのは、
「昔のことを言いふらすな、ってことだな?」
「ええ、そうよ。
知り合いだっていうのを言う程度ならともかく、思い出話のつもりで余計な事を言えば……」
「分かった。
ただし、お前も余計なこと言うな」
何か脅迫めいた言葉を吐かれる前に了承し、こちらからも条件を提示する。
朱音は開けかけていた口を閉ざし、瞬きもせずにじっと春輝を見つめる。
それだけで、もう少し柔らかい言い方をすれば良かったかもしれないと弱気が疼くあたり、トラウマは深刻だ。
内心のドキドキを顔には出さないように努めていると、ややあってから、朱音はふぅと小さく息を吐いた。




