四話・7
午後十時ジャストに始まった深夜の特別授業は、一言で表すと地味な作業だった。
男子は二人一組、女子は三人一組で班分けされて、それぞれ受け持ちのポイントで見張りをし、定期的に指定のルートを見回るだけ。
武装はブラッククローム製の特殊警棒と掌サイズのフラッシュライトと、ちょっと心許ない感じがしていたけど始まってみれば、これで十分だとよく分かる。
というか、ごちゃごちゃと持っていても、じっと隠れて見張りをしている時は邪魔でしかないし。
倉木との同室班の担当地域は上育科女子寮の裏手側で、女子寮から百メートルと離れていない位置にある花園が潜伏場所だった。
花壇だけじゃなくて椿や藤、薔薇の咲く温室や睡蓮の咲く池などと多岐に渡って花々が植えられていて、しかも専門の庭師が手入れをしているということで、なかなかに綺麗なんだと、思う。
これが、朝なら。
悲しいことに、今は夜だ。
薄暗い中でひっそりと花が咲く光景っていうのは一度見てみればいい。
夜に、無駄話が出来ない状能で花に囲まれるのは、意外と怖い。
おまけにベンチの裏に座り込んでいるから、少しばかり体が固くなって痛む。
座ったまま膝を伸ばしたり背筋を伸ばしたりはするものの、もし犯人がいて気取られたら見張りの意味が無くなるから、ちょっとしか動けない。
しかも退屈ときているから性質が悪い。
だから見回りの時間がくるのが待ち遠しくなるけど、警邏は二十分に一度、花園をぐるっと回るだけで終了。
念の為にゆっくりじっくりとやるものの、どれだけ時間を掛けても十分がいいところだ。
それ以上かければ外で突っ立っているのと変わらないし。
それ以外の時間、こうしてベンチ裏で遠巻きに女子寮を眺めていなければならないのが、春輝にはだんだんと辛くなってきた。
初めの内は体力的にも余裕だったし、いつ来るか分からない犯人に警戒心を絶やさないようにするのも楽しかった。
それに何より、上育科女子寮に圧倒された。
上育科女子寮は、横並びに三棟ある。
けど、その一つ一つの規模がおかしい。
西欧風の城に、ど派手な宮殿に、格調高そうなお屋敷。
城はどこからか運んできたみたいで近寄ってみれば年代を感じさせる趣があるし、宮殿は金箔が貼ってあって豪華ではあるけど見ていて嫌味はないし、屋敷は重厚感というか静謐とした深みがある。
まあ、並んでいるとぶち壊し、っていう意見もあるが。
それら三つ、どれも何かの冗談かと思うようなでかさで、特に城と宮殿は横だけじゃなくて高さがあるから威圧感が後い。
ライトアップされているわけでもないのに月光りと窓から漏れる明かりだけでも輝いていて、どーにも目を惹く。
けど、そんなものも一時間見ていれば感慨は薄くなるし、二時間も経てばどうでも良くなる。
どの建物も一種の芸術といえる規模とデザインなんだろうけど、所詮は建物。
同じ角度から見ているだけならそりゃあ飽きるって。
せめて待機中に話でもしていれば間も持つところなんだがな……と思いながら、春輝は倉木の横顔を覗き見た。
ある意味、盗撮犯がどうこうというより、こっちの方が気になる。
普段から倉木とはあまり話が盛り上がることはないし、むしろ用もなく話しかけると露骨に煙たがられる。
授業中なら見事に無視される。
部屋に戻って二人きりになっても、日常会活が成立しないくらい『僕に話しかけるなオーラ』を出しているから、暇潰しをしようと思うと香取達の部屋に行かないと駄目だ。
そんな倉木が、盗撮犯を捕まえようというミッションの最中に暇潰しの無駄話に付き合ってくるはずもない。
今も淡々と、いつ来るか、来ないかも分からない犯人を警戒して監視を続けていた。
ただ、ちょっと気になる。
隠れている場所なだけあって喑いし、隣にいる倉木の顔もあんまり見えない。
それでも、分かる。
今夜の倉木は、あまり体調が良くない。
血色だけで判断しようと思ったら、この明るさだと無理がある。
けど、一応はルームメイトで、おまけにクラスメイトだ。
短いながらもグングン溜まった経験値が囁いている。
一時間前までは息を殺して微動だにしていなかったのに、それが次第に姿勢を度々変えるようになって、今ではこっちの耳に届くくらい疲れた吐息を吐いている。
「……っ」
苦しそうにというか、憎々しげに不満一杯な感じで綺麗な顔を歪める倉木の様子に、春輝は小さくため息を吐いて、
「おい、倉木」
「なんだ。
人影でも見つけたか?」
「そうじゃない。
けど、お前はもう帰れ」
言った瞬間、業物のナイフよりも鋭い視線が突き刺さる。
けど、その刺々しさがいい証拠だと思い、春輝は首を横に振った。
普段の倉木なら冷たい視線をくれることはあっても、こんな剥き出しの反抗心を投げてはこないはずだ。
プライドを傷つけられたのかもしれないけど、それくらい軽く受け流すくらいの度量はあると思う。
つまり今、倉木にはまるで余裕が無い……と、そういうことか。
二時間もこうしてじっとしたり警邏したりするのは、想像以上に気力と体力を使うものだった。
とはいえ、いつもの倉木はこっちがへばって気力だけで動いているような時でも涼しい顔をしてペースを崩さない、化け物じみた体力の持ち主だ。
となると、病気か何かだな。
しかも隠しきれないレベルと。
こいつに休み休みに務めるような器用な真似なんて出来なさそうだし、黙っていたら悪くなる一方だな。
だから春輝は低い姿勢のままジリジりと倉木に近寄り、
「無理すんな。
自分でも分かってんだろ?」
「……無理じゃない。
もう半分消化した、あと二時間弱なら」
「その二時間弱が終わったら、六時間と眠れずに起きて通常授業だぜ?
今夜見つからなかったら、明日もだ。
明後日も。
ぶっ倒れるぞ、お前」
「大丈夫だ。
そんな心配しなくても、僕は……っ?!」
何か反論しようとした倉木の体がぐらついた。
ヤバ、と思った時には春輝はもう行動していた。
目の前で傾いた肩を慌てて掴み、その華奢さに驚きながらも倒れないようにと支え、
「さっ、触るなっ!」
突然倉木が声を荒げ、肩を掴む手を乱暴に振り解いた。
と思ったら、ガクッと崩れて地面に両手をついてしまつた。
いよいよ体力も限界か。
やれやれだ、本当に。
責任感が強いのはよく分かったけど、体を壊したら元も子もないだろうに。
そこら辺が上手い具合にいかないのは、やっぱこいつも自分達と同じ高校生のガキなんだな。
こんなこと言っちゃ悪いけど、少し安心した。
病人がちょっと癇癪を起こした程度で悪意や敵意を持つ程に気が短いつもりじゃないし、ここは寛大に……というかむしろ意地悪をするつもりで言ってやる。
「ほら。
その様じゃ、犯人きても役立たずたぞ」
「うっ……」
「というか、犯人来ないとして、二時間も本当に持つか分かったもんじゃないしな。
倒れたお前を負って部屋まで運ぶのは俺だぜ?」
「うぅっ……」
苦悩に満ちた声を漏らす倉木はなんか可愛げがあって、これはこれで面白い。
まあでも、あんまり面白がっている場合でもないか。
「……とりあえず、今日はもう休めよ。
予告状が来てるわけじゃないんだ、長期戦になる可能性の方が高いんだぜ?
さっさと戻って薬飲んで、それで明日から頑張れよ。
な?」
俯いたまま、倉木は悩ましい唸り声を上げて、
「……分かった」
たっぷり間を開けてから、そう言った。
顔を上げると不承不承って言う感じがありありと窺える辺り、やっば限界間近だったっぽい。
今までになくガードが緩くて、かなり新鮮だ。
元気な時にからかうネタにしてやろう。
その反応もなんか楽しそうだ。
けど、今は安静第一、と。
「寮まで送らなくて平気か?」
「大丈夫だ。
部屋に戻るのだって、お前の顔を立ててやろうと思ったからであってだな、本当はまだまだ」
「あー、分かった分かった。
それじゃ、気をつけて戻れよ」
「……ああ」
まだ何か言いたそうにしていたものの、倉木はゆっくりと立ち上がった。
その際、周囲に人影がないかと窺っているんだから、どこまでも慎重な奴だ。
それでもやっぱり体調不良には敵わないようで、いつものキリっとした歩き方とは程遠いふらついた足取りで花園から抜けようと歩き、しかし幾ばくも進まないうちに止まった。
「……兵頭」
「ん?
何だ?」
もしかして歩いて帰るのも厳しいのか、と春輝は腰を浮かし掛ける。
……が倉木はこちらに顔を向け、
「駄々をこねて悪かった。
それと、その……厚意を無下にして、済まない。
病気じゃないからうつすことは絶対にない、そこは安心して欲しい」
どこかぶっきらぼうな感じで、そう言った。
いや、突然そんなことを告げられても。
別にそんな、無下にされたとも思ってないし、そこで謝られても困るっていうか、急に振られてもアドリブ利かないっていうか。
どう反応していいんだか分からなくて狼狽えて、何かいい具合の言葉はないのかと探している内に、倉木はスタスタと歩いて去って行ってしまった。
本当に弱ってんのかあいつ、と勘繰りたくなる速度で見えなくなっていく背中に、春輝はこめかみを指先で掻いて……
「……安静にしとけよ」
小声でそれだけ言って、息を漏らす。
何にせよ、だ。
パートナーはいなくなったんだから、しっかりやらないと。
これで盗撮犯がうっかり入り込んで来て、捕獲に失敗してみろ。
倉木のことだから、勝手に責任感じてえらい落ち込むだろうなあ。
そうならないように、ちゃんと見張るか。
正直、だいぶ眠くなってきたけど。
あともう二時間、それで終わりだ。
何とか耐えられるはずだ。
「っし……がんばろ」
込み上げてきた欠伸を噛み殺して、春輝はベンチの陰に座り直した。




