四話・1
初体験はなんだかんだでやっぱり緊張する。
一度開き直ってしまえばそこそこ堂々とした態度だって取れるものの、基本的に自分の肝はあんまり太くないんだろうなー、と春輝は思っている。
今日のことを意識し過ぎて、いよいよだと意気込んでしまい、昨夜はなかなか眠れなかった。
目を瞑っても、本番のことばかりを考えてしまって、その度に自分を励ましてみた。
そわそわと落ち着かないままに予習を重ね、何度も何度も鏡の前で練習して、それをルームメイトに見られて硬直してしまい気まずい時間を過ごすことになったことも……。
いやそれは今はどうでもいい。
とにかく、やれるだけのことはやった。
これで失敗するなら仕方ないと、後で自分を慰めてやれる程度には頑張れたはずだ。
そんなわけで迎えた、『初体験の日』。
昼食時のウェイター業務初参加の日……
「で、誰も来ないのな」
がっくりと肩を落とし、それまで緊張感と共に保っていた姿勢を崩して、兵頭春輝は大きくため息を吐いた。
見事なまでに、担当エリアのテーブルは着席者ゼロだった。
横目で他のエリアを見れば、そこそこ以上に席が埋まっていて、ぼーっと突っ立っているのは自分だけ。
「あはははは、楽だなーこりゃ。
何もしなくていいなんて、何もすることないなんて、何も……何も……」
……うわ泣きたくなってきた……
これ以上ネガティブ世界で暴走すると涙が抑えきれなくなりそうだ。
陰鬱な気持ちを追い出すように、春輝は大きく息を吐いた。
私立ラベールブロンシュ学院高等部の従育科に編入して、早一週間。
二週目に突入した学院生活は、月曜の今日から従育科生徒の義務でもある奉仕活動に参加することになっていた。
業務に就く生徒はエリアを割り振られ、基本的にはその範囲内のことだけやればいい。
……というか、他のエリアの生徒が困っていても手助けは控えなければいけないそうな。
これも一種の職業訓練だと思えば、うん。
他にもいくつか奉仕活動はあるけど、その中でもこのウェイター業務が一番のネックになると思っていた。
だからトレイに料理を載せてちゃんと運べるか心配して、溢れるギリギリのところまで水を注いだグラスを薄板の上に載せて、部屋の中をうろうろと歩いて、
『いや無意味だろこれ』
と自分に突っ込みを入れたりもした。
注文一つ取るにしても何か不注意があったら大変だとルームメイトの倉木相手に練習しまくったし、歩き方も気にしちゃったりなんかしたし、終いには『クールな笑みの練習』とか言って鏡に向かったり『決めポーズみたいにグラスを置く練習』とかしたりして、ちょっと冷静になってみたらその無意味さに落ち込んだりもして……ああもうそれなのになんだって……
「……だー、くそっ、報われねぇ!
せめて朱音のヤツくらいは、からかうネタにする為にだろうけど来ると思ったのに」
しかし藤條朱音は数分前に顔を見せていて、ここには来ないと宣言していた。
友達数人と他のテーブルで食べるそうだ。
ちなみにここを使ってくれない理由は『他の子が怖がるから』。
遠目から怖々とこちらの様子を窺っていた彼女らの顔を見てしまえば、春輝としては何も言えない。
あーあー、一週間くらいじゃ慣れませんかちくしょうめ。
見知らぬ同級生にあんな風に恐がられるって、どうなんだこの風評は。
ただの外見の問題だってなら、そろそろ本気で染髪と耳の安ピンを外すことを考えないと。
流石に目が合っただけで卒倒されるようなことは無くなったけど、それでもまだまだ害虫か危険人物扱いだ。
このままじゃ接客どころじゃないって。
まあ、うん、どうせ客いないけど。
むしろ客がいればここまでへコまずに済んでいただろうに……
「どうせ怠けているのだろうと思っていましたけど、案の定ですわね」
「……ぁ?」
頭を抱え込んでしゃがんでしまいたくなっていたところに聞こえてきた高圧的な声に、春輝の意識は瞬時に現実を直視。
そして、いつの間にやら自分に接近していた二人組に気がついた。
二人揃って上育科の女子制服を着ているものの、一人は腰に手を当ててこっちを見下すような笑みを浮かべているのに、もう一人はどこか落ち着かないように両手を胸の前で重ねてそわそわと動かしていて、妙にちぐはぐな感じだ。
ちなみに前者が金髪ドリルのオレリアなのは言うまでもなく、後者は……名前は知らないけど、やたらと背が高い。
間違いなく百八十を越えている、長身で細身の女だった。
確かこいつ、ラベールブロンシュに来た初日に青竜刀でもって斬りかかって来た女だ。
切れ長の吊り目に大きな丸い眼鏡を掛けていて、何だか落ち着かなさそうにそわそわしていて凄い頼りなさそうに見える。
さっぱりとしたショートヘアも似合っているし、もう少し胸張っていればいいのに。
しかし……美人で居丈高なドリルとスーパーモデル並みのスタイルの青竜刀女って。
どれだけ破壊力がありそうなコンビなんだ、これは。
「で、何しに来たんだ?」
全く意図が読み取れない二人組に、春輝は率直に尋ねてみた。
するとオレリアはピクリと眉を吊り上げて、けどすぐに余裕っぽい勝ち誇った笑みを浮かべた。
「フン 決まっているでしょう?
どこぞの礼儀知らずが今日から奉仕活動を始めると聞きましたから、見物しに来たのですわ。
ねえ、楊さん?」
「是、そうデス。
拝見しに来マシタ」
オレリアの言葉にこくこくと頷く楊とやら。
どこか演技めいたやり取りで、胡散臭いと思わなくもない。
どこで打ち合わせしてきたんだ、こいつら。
まあ、でも……そんなことはどうでもいい。
「……つまり、」
春輝はそんなちっぽけで些細で矮小な問題などさくっと投げ捨て、捨て置けない唯一の確認事項だけを声に出す。
「お前等、客なのか?」
その一言に、オレリアは素晴らしく満足げな笑みを浮かべて、頷いた。
「そうですわよ。
フフ……ええそう、私と楊さんは客という立場ですわ。
そして傲慢で不埒な貴方は仕えるべきウェイターという立場。
つまり……」
「失礼しました」
オレリアがテンション高めに何か喋り続けるのを遮って。
春輝はきっぱりと、自分の非を詫びるし言葉と共に頭を下げた。
「だから……え?」
顔を上げると、そこには何故か戸惑ったように口を半開きにしているオレリアが。
でもそんなことはどうでもいいので、軽やかにスルー。
次のステップへと進むべく、右手を胸に当てて、再び恭しく頭を下げる。
「改めまして、二名様ですね?
こちらのテーブルで宜しいでしょうか?」
そう言って掌を向けて示したのはアンティークのドローリーフテーブルで、ちゃんとテーブルクロスと華美過ぎない程度に色鮮やかな花と花瓶で飾り付けをしてある。
担当エリアのテーブルセッティングは朝の内に春輝が自分の手でして、指導をしてくれた食堂担当の専任メイドにテーブルや椅子の種類も確認済み。
訊かれれば容易に答えられるのでむしろ訊いて貰いたいところだが、オレリアは自慢げに披露していた絵画が贋作だと知ってしまったような微妙にまずそうな顔で、
「え……ええ、そこで結構ですけれど……」
言って、どこか納得がいかないように首を捻る。
付き従うようににオレリアの後ろにいる楊にも確認の目を向ければ、前のドリルよりは幾分か冷静に頷いた。
「畏まりました。
それでは、こちらへ」
軽く身を引いて二人をテーブルへと促すと、オレリアは不審そうな目をしながらもおずおずとそちらへと向かう。
続いて、楊も向かいの席へと。
それを見ながら春輝は素早く、それでいてバタつかないように足運びに注意しながらオレリアを遠巻きに追い越し、彼女の為に椅子を引く。




