三話・15
「たっ、偶々ですわ!
偶々通りかかったところで、その……そうっ、まるで私が立ち聞きでもしていたかのように言う声がしたものですから、濡れ衣を着せられてはたまらないのでこうして……ちょっと、藤條さん!
何がおかしいんですの?!」
「い、いえっ……ごめんなさい、ちょっと……っ、堪えきれ、なくて」
口元を隠し腹を押さえるようにして肩を震わしている朱音の気持ちは、凄く分かる。
あんな下手な嘘、生まれて初めて聞いた。
語彙の少ない幼稚園児も今のオレリアよりはマシなことを言うんじゃないかというくらい、笑われても仕方ないレベルの言い訳だ。
こいつ意外と面白いなあ、と思いながら春輝も笑いを堪えていたが、すぐにオレリアが、自分を見ていることに気がついた。
それもちらちらと、様子を窺っているのを隠すように。
まるで隠せてないけど。
「それで、そこの庶民」
「なんだよ、上育科のお嬢様」
「あの程度で溺れるなんて、全く、無様にも程がありますわね。
それも気絶するだなんて。
貧乏人は体以外の資本が無いというのに、それすらも常人に劣るとなると、いよいよどうしようもありませんわ!」
「はあ」
よく分からないけど、いきなり罵倒された。
理不尽な言われようなので反論してもいい場面だろうが、突然そんな風に貶されると、怒りすら湧いてこない。
ぽかんとするのが関の山だ。
というか、どうしてこいつは難癖つけ始めたのか。
わざわざそんなことを言いに来たにしては、態度が余所余所しいというか、妙に弱気に見えたし。
正直、何がやりたいのかさっぱり分からない。
さてこんな時はどう対処すればいいんだろうと春輝が悩んでいると、オレリアは強烈な目つきで睨みを効かせて……
不意に、視線を逸らした。
「それで、どうですの?
その……吐き気や頭痛はありまして?」
「へ?
いや、別に無い、けど?」
「……本当ですの?
私には関係の無いことですけど、水の事故は脳や内臓に深刻なダメージを与える場合がありましてよ。
本当に、私にはまるで関係の無いことですけど」
春輝はオレリアの質問には答えず、ちらりと朱音の顔色を窺った。
向こうもこっちを見て、何も言わずに頷く。
つまり、そういうことらしい。
助けようと思って投げた救命浮き輪が、結果的に事態を悪化させたことに責任を感じて、様子を見に来たというわけか。
なんっつーか……唯我独尊な振る舞いをしている癖に、意外というか、ある意味『らしい』というか。
普段は演技して腹黒人生を過ごしている朱音とは正反対かもしれない。
たから仲が悪いのか。
他にも色々とありそうだけど、それだけでも十分に納得出来る。
もう一度小さく頷いてから春輝は、そわそわと落ち着かない様子のオレリアを安心させてやるべく、言葉を探しつつ口を開いた。
「あー……とりあえず今のところ、何の問題も無い。
気絶したっていっても、半分は単に眠っていたようなもんだからな」
「そう、そうですわよね。
全く、気の抜けた男ですわ。
自己管理も出来ないだなんて情けないにも程がありましてよ」
「いやまあ気が抜けてるっつーか、お前に撃沈させられたわけだが」
「そっ、それこそ腑抜けている証拠ですわ!
あの程度避けられない方がどうかしていますわよ。
大体、この私の手を煩わせておいて、礼の一つもないだなんて……」
憎まれ口を叩くオレリアだが、頰の緊張が解けているのが丸分かりだし、声にも張りで出ているので、聞いていてちっとも悪い気はしない。
不器用な奴だなー、と思うだけだ。
朱音が火に油を注ぐ言動をする気持ちも分かる気がする。
からかってこんなに楽しい相手はそうそういないだろうし。
春輝はつい口端が上がってしまいそうになるのを堪え、オレリアが次から次、と悪態をつくのを眺めていたが、その恐ろしく整った顔が、何故か訝しげに歪んだ。
どうかしたんだろうかと思っていると、オレリアは一瞬の躊躇いの後、唇を歪めるようにしてこう言った。
「それにしても、貴女、どうして服を着ていませんの?」
「……あ」
指摘されるまで、自分が半裸状態だということをすっかり忘れていた春輝は、思わずシーツを掻き抱くようにして体を隠す。
いや、ちゃんと下は隠れていたはずだし、そもそも下着は穿いているんだからそこまで恥ずかしくはないけども、つい反射的に。
だが、その反射行動をどう見たのか、オレリアは綺麗な額に皺を寄せる。
「まさかとは思いますけど、学舎で、それも格式高いラベールブロンシュで、不埒な行為を……」
割ととんでもないことを言い出したオレリアに対し、朱音は驚いたように口を開いた。
「あら、グランヴィルさんったら。
そんな想像をするだなんて、欲求不満ですか?」
「なっ……!?
誰が欲求不満ですのよ!
人を痴女扱いするなんてどういう了見ですの?!」
「でも、ゴシップと猥談は昔から貴族の大好物でしょう?
高貴な血筋のグランヴィルさんですから、その手の話が好きだと思ったんですけど……違いました?」
「違いますわよっ!!」
「まあ……」
意外とでも言うかのように口に手を当てる朱音の仕草に、オレリアはみるみるうちに顔を赤く染めていく。
そんな二人のやり取りに、蚊帳の外に置かれた春輝はポリポリと後頭部を搔いて……堪えきれず、頰に笑みを浮かべてしまう。
なんか、ようやくラベールブロンシュでもやっていけるような、そんな気になれた。
この金持ち学校は何もかもが常識の枠からはみ出しているし、教師は理事長からしておかしいし、生徒の方も突っ込み所が多すぎてため息ばかりが最産される。
けど、それで全てじゃないみたいだ。
どうやら協力してくれるらしい朱音に、噛み付いてくるが意外に真っ直ぐなオレリア。
鳳凰寺はトラブルメーカーだけど悪気は無さそうだし、倉木はあれで割と面倒見が良さそうな気もする。
香取や壬卦はここでは貴重な、普通に馬鹿話が出来る友人になり得そうだ。
他にも……まあ、うん、超絶ナルシストとかクール過ぎる女教師とか、不安な要素はあるけど。
今はプラス要素がこれだけあれば十分だ。
きっとまだ気付いていない、発見していない良いところがあるはずだし、ついさっきプールで体験した奔流のように、慣れてコツさえ掴めば楽にやり過ごせるかもしれない。
何かと疲れさせてくれる環境だけど、住めば都というし。
そのうちきっと、上手くやっていけるように
「とにかくっ、そこの庶民!」
「……あ?
何だ?」
物思いに耽っていたところを急に呼ばれたので反射的に返し、春輝は顔を上げた。
オレリアの頬は赤く染まったままで、こいつはどれだけ怒っていられるんだとふと疑間に思う。
怒るっていうのはエネルギーが膨大にいるって話なのに。
ベッドに座る自分を見下ろす、というか、完壁に睨み付けているオレリアは両手を腰に当てて、どれだけ苛々しているんだかと訊きたくなるくらい不機嫌そうに眦を上げて、
「貴方がそんな生意気な態度で居続けようというのなら、私にも考えがありましてよ」
「……考え?」
「ただ躾がなっていないだけならば大目に見てあげましたけど、この私に噛み付いた以上、ただで済ませはしませんわ。
確かいいましたわね?
『従わせたいのなら認めさせてみろ』
フン、上等ですわ。
遠からず貴方を屈服させ、私の足下に跪き涙を流して忠誠を誓わずにはいられないようにして差し上げましてよ!」
……そう宣言し、オレリアは挑戦的に口端を吊り上げた。
宣言されてしまった春輝は、ぽかんと口を開けてしまう。
もう理解はしていたけど、改めて思う。
なんて傲慢な女で、しかもそれが似合ってしまう女なんだ、と。
碧い瞳は絶対に揺るがないと言わんばかりの自信に満ち溢れているし、口元に浮かぶ勝ち誇ったような微笑も嫌味はないし、もうこーいうヤツなんだと認めるしかないらしい。
にしても、どれだけ自分が危ないことを言っているのかも自覚も無いっぽいな、これは。
見れば、朱音の方は分かっているらしい。
上品に演じているつもりだろうけど、頬が緩みすぎだ。
「まあ、グランヴィルさんったら大胆ですね。
まるで女王様みたい。
仮面と鞭が良く似合いそうですよ?」
「なっ……だ、誰が、そんなっ!?
い、今のは単に、聞き分けのない下人への宣戦布告で、それ以上の意味なんてっ、」
「宣戦布告、というよりは愛の告白に見えましたけど?
かなり歪んではいましたけどね」
「で、ですからっ、」
「あ、それとも今のは英国貴族流のプロポーズですか?」
「このっ」
もう怒りでオーバーヒート寸前になっているオレリアと、本性を垣間見えさせていたぶっている朱音。
保健室にも拘わらず騒ぎ立てる二人に、春輝は何も言わずに首を横に往復させ……ため息。
……上手く、やっ て、いけるよな?
俄に湧いた自信が気のせいだと思えてしまう、なんだかなあという状況で。
とりあえず、どこで着替えを確保すればいいんだろうかと現実的な問題に悩みながら、春輝は終わりそうもない二人の令嬢のやり取りを眺めるしかなかった。




