三話・10
あのオールバックをオランダ国旗みたいな色に染めてやれば気が晴れるかもしれない。
と、春輝がそんなことを思って身悶えしている間に、ぺたぺたという音が近付いていた。
顔を上げて現実を直視すれば、朱音達はすぐそこまで来ている。
さて、どう対処したもんだか。
ちらっと壬卦を見てみれば、明らかに緊張したように頬を紅潮させて表情を硬くしていた。
復活した香取は髪型を整え眼鏡をかけ直し、なんだか余裕っぽい雰囲気を醸し出していたが……手が滑って眼鏡を水中に落とす辺り、こいつも緊張しているらしい。
相手が上育科だからって緊張することはないと思うが、他の生徒はそうもいかないらしい。
……まあ、朱音が相手なら違う意味で緊張することになるんだけど。
凶悪なトラウマを植え付けてくれた元凶は、プールの端で固まっているこちらから二メートル程離れた所で止まり、もう見慣れた作り笑いをした。
「ごきげんよう、春輝くん。
少し見学しに来てみたんですけど、休憩中ですか?」
「あー、そんなところだ。
だから見て楽しいようなことはないから、さっさと帰って茶でも飲んでる方がいいと思うぞ」
「忠言はありがたいんですけど、お茶はもうしてきたの。
まだ授業はしばらく続くみたいですし、いつまでも休憩しているわけではないでしょう?
だから少しくらい退屈でも平気だから、気にしないでね」
丁寧な言葉遣いに柔らかな物腰だが、春輝には『あんまり退屈させたら承知しないわよ』と言っているようにしか聞こえない。
それもたぶん、勘違いじゃないし。
ただこうしてプール際でいるだけでも眠くなるくらい疲労が溜まっているというのに、さてどうしたもんだろうと考えていると、やおら高圧的な声が降ってきた。
「フン……藤條さんがどうしてもと言いますので来てみれば、プールで水遊びですの?
それも服を着たままだなんて、正気を疑いますわ」
腕を組んで失笑混じりのオレリアは相変わらずの物言いだったが、春輝もその気持ちはよく分かるので、あえて反論はしない。
どう考えてもこれは遊んでいるようにしか見えないだろうし。
やっている方は割とキツイけど、そんなことはまず伝わらないだろうし。
それより少し気になることがあるので、そっちを注意することにする。
「どうでもいいけど、お前、それ以上こっちに来るなよ」
「……なんですって?」
「あー、なんだ。
これは善意で言ってやってるんだ。
そんなドリル尖らせてないでちゃんと忠告に従った方が身の為だ」
「あっ、貴女またしても私の髪をっ!」
瞬時に怒りゲージが満タンになったらしく、オレリアが大股でこっちへ来ようとする。
ついでに、さっきまでそわそわしていた香取が息を呑んだ。
折角注意してやっているのに、どうしてこの女は善意を無下にするのか。
こうなるなら黙っておいた方が良かったかもしれないが、まだ間に合いそうだと判断し、
「お前、俺等がどこにいるか分かってんのか?」
「何を言ってますの?」
「いや、何をって言われるとちょっと困るが……強いて言えば、彼我の位置関係か?
高低差の方が正しいかもしれないけども」
分かりやすく言ってやったつもりだが、足を止めたオレリアの眉間に皺が刻まれただけだった。
これでもまだ婉曲だっていうのか。
代わりに香取があからさまに慌てて肩を掴んできて、
「あっ、ハルハル何言うとんねん?!
もうちょい、もうちょいやのに!
もうあと七センチで、今度こそ」
「けどよ、知らずにいて見ちまったら、きっと後で気付いた時に難癖つけられるぜ?
どっちかっつーとマイナス要因の方が強くないか?」
「アホや、ハルハルはアホや!
男の子なら刹那の欲求に従えや!
保身なんて三途の川に浸りながら考えればええねん!」
「僕はちょっと、それは遠慮したいかなぁ」
「ミケまで!?
ええい、おのれら揃いも揃ってタマ無しかい……!」
ヒートアップしている香取に、状況が理解出来ずに狼狽え始めたオレリアと、もうこのままだと埒が明かない。
これ以上は付き合いきれないので、春輝はさっさと種明かしすることにした。
「なあ、オレリア」
「っ……な、何ですの?」
「あともう一歩でもこっちに近づいたら、そのスカート丈だと中が見えるぞ」
「なっ!?」
そう聞いた途端にオレリアは盛大に後ずさった。
やっぱ気付いてなかったか、迂闊な奴め。
顔を羞恥心で赤くして、スカートの前を両手で下に引っ張るようにして押さえる姿は……何というか、なかなかに可愛い。
今までがつんけんした態度だっただけに。
だからついむくむくと悪戯心が刺激され、春輝はにやっと口端を吊り上げて笑い、
「そうだな、授業中だからそれっぽく言ってやると……要らぬ進言かもしれませんが、ドリルのお嬢様、もし他者に下穿きを見せびらかすような露出癖が無いのであれば、それ以上前へ行かぬ方が良いかと申し上げます、ってとこか」
慇懃無礼というか、からかっているようにしか聞こえないはずの言葉を紡ぎ出して、春輝は僅かに頭を下げて見せる。
どうせなら格好良く深々と礼をしてやりたいところだが、胸の辺りまで水位があるので残念ながら出来なかった。
でもまあ、上々だろう。
言葉遣いはもっと勉強が必要かもしれないが、目的が目的なので、今はこれで十分なはずだ。
現に、オレリアは怒らせた肩を震わせて、存分に眉を吊り上げて、今にも破裂しそうな風船を連想させるくらいにメーターが振り切れて見えた。
ちなみにそんな彼女のやや後ろにいる朱音は、にこやかな表情のまま片手で口元を隠している。
上品な仕草に見えないこともないが、あれは意志の力だけでは堪えられないくらいどうしようもなく笑ってしまうのを隠しているだけだな。
声をあげないだけ大したもんだと言うべきかもしれない。
まあ、他のお嬢様方はしきりに瞬きをしたりぽかんと口を開けたりして、ちっとも笑っていないけど。




