三話・2
「ちょっと待ってくれ」
思わず静止の声をあげて、春輝は目の前にいるメイド服の女教師を見つめた。
それに応えるように、従育科専任教師である深閑は眼鏡の奥で鋭い目を光らせて、こちらを一睨みしてきた。
無駄に威圧感のある視線に怯みかけ、しかしすぐに、
『いやいやここで臆してどうする』
と踏ん張り、そっと恐怖心を嚥下する。
黙って引き下がっていては疑問が解決しない。
というか、黙ってこの状況を受け入れられるような深い懐と狂った常識は持ち合わせていないので、言うしかない。
散々な昨日が終わり、火曜日になった今日。
着ているのはカレー塗れになった制服じゃなくて、替えの新しい制服だ。
替えの制服が五着もあるなんて聞かされたら、普通なら無駄遣いだろそれはと思ってしまうところだが、今ばかりは別だ。
流石はラベールブロンシュと褒め称えてやりたい。
カレーで黄色くなった制服はかなり嫌なので、素直に感謝。
替えを貰うついでに、タキシードもどきの制服がモーニングコートという物だと教えられた。
ちなみにその相手は都で、事務員というやつは意外に仕事が多いんだと、少し驚いた。
単にこき使われているだけの気もするけど。
兎にも角にも、新しい制服で、無事に午前の授業をこなし、昼休みも上手くやり過ごした。
ようやく訪れた、従育科の授業時間だと、いうのに。
「……説明してくれ。
意味不明過ぎるぞ、これは」
思わずそう言ってしまうくらい、状況は懐疑的だった。
だというのに自分以外の他の従育科生徒達は、無反応ではないがあまりショックを受けたような感じじゃない。
それが春輝にはむしろおかしく見える。
だって、そうだろう?
男子も女子も制服を着て、ずらっと並んで。
これから訓示でも聞かされるんじゃないかという整列っぷりで。
なのに居る場所が……プールって。
なんだそれ。
新手のギャグか。
……いや、正直おかしいとは思っていた。
昼食を早々に切り上げて向かった従育科用の教室の黒板に『運動施設エリア・温水プールに集合』と書かれていたのを見た時から。
まだ場所がよく分からなかったので他の生徒の後を付いて行きながら、温水プールにたどり着いても他の生徒達が服を着たままプールサイドに並ぶのを見ながら、ずっとおかしいとは思っていた。
思わない方がおかしいはずだし。
快晴だから気温はそこそこ高いとはいえ、まだ六月にもなっていないのに訪れることになったラベールブロンシュのプール施設は、やっぱり豪華だった。
というか、季節なんて関係ない。
何せ全天候使用可能な屋内施設の温水プールだ。
それだけでも十二分に立派なのに、直線距離五十メートルで八レーンという広さ。
それだけじゃなくて飛び込み用のプールがあって、さらに何故か円形の底が浅いプールもある。
ちょっとした水遊びをするためにしつらえられたのかもしれないが、学校の施設ということを考えれば間違いなく要らない。
ここは中等部と高等部の生徒が使うプールであって、幼稚園児や小学生はいないんだから。
というか、極めつけにはプールサイドにデッキチェアが並んでいるし。
おまけにドアの向こう、ガラス越しに見えるのは休憩所のようなロビーで、そこにバーカウンターらしきものまである。
トロピカルジュースでも振る舞ってくれるっていうんだろうか。
その為に人件費が使われていると思うと、なんか泣きたくなる。
学費を払わなくていい身分でそんな風に感じるのはおかしいかもしれないけど……庶民なので。
そんな感じで無駄に豪華なラベールブロンシュ主義丸出しのプールに圧倒されているうちに、始業のチャイムは鳴り、深閑が現れた。
もしかしてプール掃除を授業の一環でやらされるのかと思ったが、プールはちゃんと水が張ってあるし、そもそも着替えをしていない。
何をやるのか分からない。
ただ、分からないなりに嫌な予感だけは猛烈にしていたので、春輝は先制で質間を投げかけたのだ。
周りの生徒がやけに反応薄いのも気になるけど、あまりそっちに意識をやっていられない。
何しろ質問をした相手は、自分の目の前にいるのは、視線一つで気の弱い人間なら降伏させエンスト気味の心臓を止めかねないくらい強烈な、絶対零度の眼力を持つクールビューティーだ。
何となく気を抜いたら殺られそうな予感すらある、危険な女だ。
それに……編入試験の時に初対面を果たしているけど、その時から『深閑』という名しか教えられていない。
名字なのか名前なのかもハッキリしないし、本名なのかも分からない。
分かるのは長身の大人びた美人で、細いフレームの黒縁眼鏡の向こうにある切れ長の目に見つめられると寒気がするくらいの威圧感があることだけだ。
メイド服を着ているのにスーツで固めた秘書よりも理知的な印象があるし、シニョンっぽく後ろで纏めた髪型も美容院に行ったばかりのように綺麗だし、とにかくどこにも隙がない。
あの理事長兼事務員の都と足して二で割ったらいい具合になりそうだが、そんなことを考えていると知れたら死なない程度の拷問にかけられてしまいそうなイメージがあるので、絶対に言えない。
そのクールなメイド教師は視線を春輝に注いだまま、無表情に小さく一つ頷いた。
「編入した貴方はガイダンスを受けていませんでしたね。
本当ならば昨日、授業の後にキチンと説明する予定でしたが」
「うっ……」
特に責める言葉を吐かれた訳でもないのに、春輝は息苦しさを覚えた。
心臓や胃の辺りが重くなったような気もするし、これが罪悪感ってヤツなんだろうか。
しかも本能的なものか、目を逸らしたくなるがそれは何とか堪える。
怖いけど、もしそんなことをしたら本当に説教されそうな予感がした。
冷血代表教師に説教をされるキツさは、図らずも昨日体験してしまっている。
もうあんな経験は御免なので、春輝は奥歯を噛んでメイド服の女教師を見返した。
その判断が正しかったかどうかは分からないが、深閑はそれ以上追及の言葉を続けず、左の人差し指で眼鏡を軽く押し上げて、
「……いいでしょう、手短になりますが、この場で説明します」
「た、助かり、ます」
普段は年上だろうと教職相手だろうと敬語を使わない春輝だが、今だけは使わざるを得なかった。
……というか、ビビって自然と口から出ていた。
果てしなく情けない。
気のせいか、周囲にいる他の奴等から醒めた目で見られているような感覚もあるし。
その不良スタイルは見せかけだけかよ、なんて囁かれている気もする。
たぶん自意識過剰の被害妄想なんだろうけど、なんかこう、心にちくちくと来る。
「では、兵頭さん」
「な……なんっすか?」
一人勝手にネガティヴモードへと走りかけていたところに不意打ちのように呼ばれたので、ちょっとビビりながら応えると
「従育科の男子は執事、女子はメイドを目指して教育を受ける。
では、執事とはどんな役職だと思いますか?」
「なんっつーか、家政婦と秘書を合わせたようなもんじゃ?」
「そうですね、それが一般的な認識です。
しかし本来、執事を英訳すればバトラー。
その語源は『ボトラー』、つまり役割は酒類の管理をする使用人です」
「へえ……」
思わぬトリビア発言に、春輝は小さく感嘆の声を漏らす。
それはちっとも知らなかった。
執事をバトラーというのは知っていたが、まさか酒の管理なんて端役を任されていたとは。
……が、メイド服の教師はそんな思考を読んでいるかのように、




