三話・1
藤條朱音の朝は、とにかく辛い。
まず午前六時に大音量の目覚まし時計がけたたましく、それも三つ同時に異なる場所からやかましいハーモニーを奏で、意識を無理矢理に覚醒させる。
防音の行き届いた上育科の寮でなければ隣室から苦情が来て当然の音量に、朱音はのそのそと体を起こして、気合いだけでベッドから降りてロッキングチェアに腰掛ける。
寝惚け方が酷い時はうっかり転げ落ちてしまうこともあるので、これがなかなか油断できない作業だったりする。
椅子に深く腰掛けたまま、ゆっくりと、部屋の空気を体に馴染ませるように深呼吸。
ちなみに、その時の姿は誰にも見せられない。
何しろ、腕は力なくだらりと垂れて、背中は椅子からずり落ちるように丸まって、口は半開きになっている。
しかも最悪なのは、徹夜で深酒した翌日のOLでもこうはならないというくらい、死んだ目をしていること。
一度母親にこの時の顔を写直に撮られ、確認したことがあるけど……あれが自分だなんて、絶対に信じたくない。
ともあれ、誰にも見せられない姿を衆目に晒すことは絶対に避けなければならないので、早起きをして椅子の上で軟体動物の様にぐったりとし、根負けした目覚ましが止まり、代わりにタイマーが作動して鳴り始めるお気に入りの洋楽を聞きながら、体が起きるのを待つ。
六時半になると、やはりタイマーが作動してテレビが点く。
それを合図に朱音はロッキングチェアからのろのろと立ち上がり、顔を洗いトイレを済まし、ミルクと砂糖がたっぷりのカフェオレを飲んで一息吐いて……
そうしてようやく、『目が覚める』。
ラベールブロンシュの中等部に入って寮暮らしをするようになってからほぼ毎日の習慣となっている朝の手順で、しかし辛いことには変わり無い。
慣れても、それは我慢出来るようになったというだけで、ちっとも楽にならない。
なので今日も、
「うー……しんど……今日、は……火曜……?」
お嬢様の仮面を被った自分しか知らない人達の前では決して出さない低い声で、まだ覚束ない頭を軽く振って少しでも正常稼働へ近付けようとしながら、今日一日のスケジュールを確認する。
午前中の普通科目は、問題なし。
ロッカーに教科書を置けないのは本当に面倒臭くて嫌だけれど、仕方がない。
少しでも品行方正なお嬢様を演じて見せなくてはいけないのだから、我慢しないと。
それから午後はやや気が滅入る内容だった。
考えるだけで胃の辺りが重くなり、ややげんなりとしてしまう。
「う-ん……そろそろストレスが溜まってきたかなぁ……」
呟いて、朱音は姿見の前に移動。
今日も相変わらずスッキリとした小綺麗な顔がそこにあったが、目元が少し暗く感じた。
ストレスのせいかもしれない。
化粧でそれを誤魔化す算段をしながら、髪を梳きにかかり、ため息を吐く。
もうすぐ梅雨に入る。
ここ数日は晴れていても、髪の纏まりの悪さで雨の気配が近いと分かる。
実際に雨が降れば、ブラシをかける時間を少し長くしないといけない。
いっそナチュラルにウェーブをかけてみる、という手もあるけど、そうするにしてもやはり時間はいる。
早起きは必須事項となるわけだ。
考えるだけで気が滅入ってしまい、朱音は表情を曇らせ……しかしすぐに、鏡の中の自分を強く睨み付けた。
「負けてられないよね」
低血圧にも、梅雨の湿気にも、ここでの生活にも……
そして、再会した幼馴染みにも。




