二話・10
「あふ、やっ、くすぐったぃ……あっ!?
ご、ごめんなさいっ!」
タイルをバンバン叩いて必死にアピールしたのが良かったのか、鳳凰寺は体を起こしてくれた。
空気が吸えて、おかげで天国が遠のいた。
ダメな意味じゃなくて、本気の天国が。
いや多少残念がっている自分がいることも認めざるを得ないけども、そのまま死んでもいいとはちっとも思わない。
ただ、安堵の息を吐くには早い。
「おい」
「はい?
も、もしかして私、重いですか!?」
「いや大して重くは……じゃなくて、いいからどけっ」
上半身を起こした鳳凰寺は、春輝の上に座ったままなのだ。
しかも下腹部の辺りに腰を落としている状態で。
腹筋で感じる感触がヤバイ。
一部は布地を通してだが、太ももの辺りは剥き出しになっているらしく温かな肉感がダイレクトに伝わって来ていて、しかも布地越しの部分だってその布地の正体が何かを知っていればとても落ち着いていられるようなものではなくて……
とにかく、これは、ダメだ。
視覚的にはスカートで隠れていてその部分は見えないものの、見えないからこそ感触が色々と想像を沸き立ててヤバイ。
視覚でいうと他にも、下から見上げる形でメイド服の同級生が自分に跨がっている自体がヤバイ。
濡れていた自分の体に密着したせいで、胸の辺りが水気を吸って肌に張り付くようになっているのがヤバすぎる。
というか、あれは本当にどんなサイズか。
ひょっとすると昨日のオレリアよりも……なんて考えてしまうくらい破壊力のある大きさで、そんな兵器を装備している上に昨日のドリルとは違い、恥ずかしげに頬を染めてこちらを見ているのだ。
腹部から濡れた自分の体を温めるように伝わってくる鳳凰寺早苗の体温が、異様に熱っぽく感じる。
脇腹を挟み込むように密着している太るもの感触が、彼女の恥じる表情を艶めかしく見せている。
厚みのある唇から漏れる吐息が、異常なくらい聴覚を刺激する。
垂れ目気味の茶褐色の瞳は潤んでいるように見えるのは、湿度が高いからだろうか?
全ての要素が脳髄から下半身にかけてを欲情に染めようとしているようで、クラクラする。
脳がパンクしてしまいそうなくらい、ぐるぐると高速旋回する葛藤が春輝を悩ませる。
落ち着け、と何度自分に言い聞かせようとしても、回路が焼けて暴走したモーターのようになっている頭はちっとも沈静化してくれない。
落ち着け、まず落ち着け。
思考が変な方向に走りすぎだ。
本当に落ち着け。
今もなんか知らないが堪えようとしているのにも拘らず一方では変な妄想が展開されているし。
『こんなの駄目だ、早くどかないと』
『……どかないと、駄目なんですか?』
『え……だって、こんなのまずいだろ』
『わ、私は、その……あなたとなら、このまま……』
ってなんだその勝手な思い込み。
ドジで天然で胸が大きいからって、そんな展開になるほど現実は甘くないって。
なのに脳の反対側では、もういっそここまで来たら済し崩しで若者特有の思春期における過ち的な行為をしてしちゃえばいいんじゃないとか、ふらふらっと情欲に突き動かされてしまえばいいじゃないとか、理性をぶち殺す反抗勢力が膨大中だ。
何だかいい匂いがして、リアルすぎる肉感があって、ぐらぐらと頭の奥の方を刺激して、挙げ句に『都合良い展開もあるかもしれない』とか揺らいでいる。
どれだけ性質が悪いんだ、十代思春期の性欲は。
天使と悪魔がタッグを組んで誘惑してくるビジョンを脳裏に浮かべながら、春輝は体の奥の方から込み上げてくる衝動を必死に無視。
そして事態の緊急性を理解していないらしい鳳凰寺に向かって、叫んだ。
「とりあえずそこからどけっ!
なるべく目を閉じるとか手で隠すとかして見ないようにどいてくれ頼むから!」
「あの、見ないようにって何を……?
それに先程から何かこう、お尻に当たって……」
「だから局地的にヤバイからどいてくれっつってんだよ?!」
「そ、そうですか。
でも私姉から『女が一度マウントポジションを取ったら目的を果たすまで降りてはなりません』と教わっているので、ここは一つ姉の教えに従って、何としてでもお背中をお流ししようと思います!」
「マウント取っている限り絶対に不可能だろうがっ!!」
どこまでもボケたことを言う鳳凰寺に、春輝はもう唾を飛ばして叫ぶ。
なんでこうもラベールブロンシュの女は突っ走りたがるんだ。
一生懸命にブレーキを踏んでるこっちの努力はどこまでも無視ですか。
ああもう頼むから、それで済むなら土下座するから、とにかくどいてくれないと、一刻も早くこの幸せなタイトロープから降りないと、本当に……
「何をしている?」
ブリザードですら切り裂けそうな声だった。
それを誰が発したものなのか分からず、春輝は首をもたげ、鳳凰寺の後ろにいる人物を確認しようと、ただし心の中では『出来れば精神的疲労が原因の幻聴でありますように』と懸命に祈り、もうどうせだから全部ドッキリということで済ませてくれとか、人生のリセットボンはどこに売っているんだろうとか、そんな益体もないことばかりを考えて、恐る恐る、そこに誰もいないことを期待しながら振り向いて、
「もう一度訊くが、何をしているんだ?」
幻聴じゃありませんでした。
腕組みしてこちらを見下ろす制服姿の倉木皐月が、そこにいた。
ただでさえ怜悧な顔を冷たく厳しく、機械人間がいたらこんな感じかと思わせる表情にして。
なのに耳たぶまで朱色に染まるくらい顔は真っ赤になっていて、しかも濡れないようにと素足になっているのが不釣り合いすぎる。
そわそわと絡ませあった腕を動かしているのも、今までと大分ギャップがある。
そんな楽しげな倉木の様子が……今の春輝には笑えない。
いや笑えるなら笑いたいが、とても笑える状況じゃない。
「藤條に頼まれて着替えとタオルを持ってさたらシャワー室のドアが開いているから、何かと思えば……どういうことなのか説明しろ。
返答次第では教師に報告する」
報告、という単語に春輝は固まってしまう。
報告?
この事態を?
どんな風に?
どう転んでも絶体絶命の境遇になることは間違いない。
何も疾しいことはしていないはずなのに、ただ不幸が重なっただけなのに、それはキツすぎる。
「これはっ」
「違う、兵頭には訊いてない。
鳳凰寺に訊いているんだ。
……説明してくれ」
正当な言い分を述べようとした瞬間、倉木に遮られる。
春輝は祈るような気持ちで、倉木の登場に驚いているのか目をパチクリさせている鳳凰寺早苗を見つめた。
大袈裟なフォローはいらない。
ただ有りの儘を話してくれれば、自分が被疑者になることはないはずだ。
押し倒している状態なら最悪だったが、押し倒されている状態だ。
まだ希望はある。
そして鳳凰寺は、たどたどしい口調で……言った。
「あの、私、彼に迷惑を掛けてしまつたので、お詫びに背中を流そうとして……そうしたら、その……引き倒されて……」
「大事な部分をスッパリ省略するんじゃねぇっ?!」
思わず叫んた春輝は、倉木の目に侮蔑の色が浮かぶのを目敏く発見。
ヤバイ、完璧に誤解されている。
あれは人として下の下と判断した相手を見る目だ。
「ち、違うぞ!?
いや嘘は言ってないが、俺は転びそうになった彼女を助けようとして、」
「そうですよ、転校生さんは悪くないですっ。
私に……そう、目を閉じて早く動けって!」
「だからなんでお前は誤解を生む言い方ばっかするんだ!?
わざとか?!
それはもうわざととしか思えないからわざとだよな?!」
「そ、そんな、私……違います!
私は誠心誠意、転校生さんにお詫びをしようと思って、だからその……ご奉仕に!」
「今この状況で『ご奉仕』とか言っておいて何がわざとじゃないって言うんだ!!」
カレー以外の原因で目を真っ赤にしてドジメイドに猛抗議をしつつ、陪審員の反応が気になった春輝はちらりと倉木の方を見て、
いつの間にか、倉木の横にスーツ姿の女性がいることに気がついた。
「……どう、して……あんたが、ここに……?」
泣き笑いの表情を強張らせて訊ねると、昼ドラ視聴真っ最中の主婦並みに目を輝かせた真宮院都は、興奮気味に応えた。
「だって、男子更衣室から女の子の声がするんですもん。
鍵も開いていたし、わぁい何が起きているのかしらと来てみたら」
「……違うぞ?」
「そしたら、服を着たままの皐月さんがいて、しかもやっぱり明らかに女の子な声がして、凄く気になるから近付いてみたら」
「……違うからな?」
「そしたらそしたらっ、春輝さんが女性上位なポジショニングで、青少年の妄想を実現させちゃったようなことを!」
「だから違うって言ってんだろうがっ!?」
何かもう人生リセットしたいと思うくらい追い込まれた春輝の、悲痛な魂の叫びがシャワー室に響き渡った。




