二話・2
起きた時にはとっくにいなかったから、今からもう二十分前には着替え終えて部屋から出て行ったことになる。
あんなタキシードもどきの制服を着て散歩というのはまあ、うん、変じゃないけど、それなりに目を引く行動だよな。
……ああいや、待てよ、早朝だから出歩いている人自体が少ないから目立たないか。
それなら別に変人扱いされることもないんだろうな、と勝手に納得して、遅ればせながら春輝は軽く手を上げて挨拶をした。
「よお、早いな」
声を掛けてから、昨日の素っ気ない態度を思い出す。
無愛想で、しかも『生活の邪魔をするな』とか言われた気がした。
だから案の定、というか、返事は無し。
まあでも朝の挨拶くらいされなくたってどうでもいいかと思い、気にせずに春輝は鏡へと視線を戻す。
やっぱりタイは活き活きとしているものの、どうにもまずい。
もっとピシッと、それでいてキチンと恰好良く結びたいところだが、ちゃんと出来る自信はこれっぽっちもない。
今のだって、完成するまでは割と自信があったし。
さてどうしたもんかと、春輝は自分用の机に向かおうとする倉木を見た。
机の上に置いてあった鞄を開け、中の確認をしている倉木の首の下辺りには、綺麗に結ばれたタイが存在している。
そのままショーケースに見本として置きたいくらいそれは整っていて、こっちの恐竜もどきとは比較にならない。
大したもんだなー、と思っていたら、つい感心の吐息が漏れてしまった。
と、その僅かな音が耳に届いたらしく、倉木が素早い動作でこちらを向き、胡乱げに目を細めて、
「何か?」
「ん、いや。
ちょっと、な」
言葉を濁しつつ春輝は、正面を向いてくれたおかげぐハッキリと見て取れるようになったタイを注視する。
どこをどうやったらあんな風になるのか参考にしようと思ったけど、流石に見るだけじゃ分からない。
これは率直に訊くしかないか。
貧相な想像力じゃ初体験のネクタイをどうすればどうなるのかなんて、ちっとも思いつかないんだから。
他に手段もないし。
決めてしまえば実行に移すのは簡単で、春輝は頬を掻きつつ、眉を顰めて自分を見ているルームメイトへと話しかけた。
「なあ、倉木」
「……やっぱり、何かあるのか?」
「ああ、ちょっと。
このネクタイなんだけどよ、どうやって結べばいいんだ?」
「知らないのか?」
「見ての通りだ」
昨夜の態度からすれば、鼻で笑われて終了かもな、と内心では思っていた春輝だったが、そうはならなかった。
倉木は何か得体の知れない物を見るような目で春輝の胸元辺りに視線を注ぎ小さく息を出いて、自分のタイに手を掛けた。
「僕が結ぶのを見て覚えろ。
一回しかやらないぞ」
「おう、それでいい。
助かる」
「あと、これはアスコットタイだ。
ネクタイには違いないが、色々と種類があるんだ」
それは知らなかった。
蝶ネクタイとかなら分かるけど、やっぱりそれぞれ名称があるのか。
少し感心しつつ、春輝もタイを解く。
変な結び方だったせいかすぐには解けなくて、ちょっともたついてしまう。
ようやくで解き、よれてしまったタイを軽く伸ばす間、倉木はじっと動くことなく、苛々する様子も無く、表情を殺してこっちを向いて立っていた。
ありがたいが、それはそれでちょっと怖い。
あんまり手間を取らせても悪いからすぐに目で合図を送ると、ちゃんと理解出来たようで、倉木は早速タイを結び始めた。
こちらに気を遣ってくれているらしく、見やすいようにゆっくりと結んでくれるそれを見て春輝も模倣してタイを結ぶ。
「ここを、こうして……そこを潜らせて……っと、こっちか。
んで、ここを……こうでいいのか?」
一分強の時間を掛けて出来上がった形ほ、なんとか倉木のタイと似たような感じになっていた。
思っていた以上に複雑な結び方をしたが、きっと慣れていないからそう感じるだけだろう。
倉木はあっさりと結んだし、恐竜結びよりは楽に出来たし。
ただ、一度で覚えられたかというとかなり不安だが……まあ、一度成功したんだから、どうにかなるだろ。
そう思い満足していたが……倉木がやや眉を顰めじっとこっちを見ていることに、春輝は気付いた。
なんかへマをしたんだろうかと思っていると、不意に倉木が一歩近付いてきて、
「最後はタイを交差させてピンで留めて固定する……けど、その前に」
「なん……?」
疑間を口にする前に、伸びてきた倉木の手がタイを掴む。
いきなりの行動で少し驚いたものの、タイを軽く引いて形を整え始めたのを見て、春輝はそのまま任せることにした。
折角のサービスを邪魔しちゃ悪いので、身動ぎすることなく、じっと自分の胸元で行われている仕上げ作業を見つめる。
そうすると必然的に倉木の顔も見えるわけだが……こうして改めて間近で見ると、本当に綺麗な顔をしている。
ちっこい顔で、睫毛なんかえらく長い。
眉も細くて凜々しいし。
肌も男とは思えないくらいきめ細かいし。
これで弱気な性格だったらさぞかしお嬢様方に可愛がられて、調子に乗って女装とかさせられそうな気がする。
化粧なんかも施されて。
想像すると……駄目だ、似合い過ぎ。
そうなると、こいつのちょっと刺々しい態度は防波堤みたいなもんなのかもな……と推測がやや外れたところにいった辺りで、倉木の作業は終了した。
ちゃんとピンで留めてまでくれた後、倉木は数歩下がって身を離し、自分が仕上げた作品を見て小さく頷く。
やっぱり表情は薄いが、ほんの少しだけ満足げにも見える。
勘違いかもしれないが、几帳面というか、もしや意外に面倒見のいい奴なのかもしれない。
そう思うとつい、口元が緩む。
その反応に、倉木は顔を顰めて視線を外してしまった。
自分がしたことに後悔でも芽生えたのか、軽く舌打ちして、
「……あまり手間を取らせないでくれ」
「ん、ああ。
悪かっ……」
謝罪と礼を言い終わる前に、さっと鞄を手に取り部屋から出て行ってしまった。
春輝はしばしドアを見つめた後で、
「……色々と難しいヤツだな」
短く感想をまとめ、自分も登校準備に取りかかる。
ちらっと鏡で確認したところ、タイは見事な形で仕上がっていた。
それだけで少し気分が良くなる。
この調子で小さなことでも何か良いことが起こるか、そう感じられるような出来事があればいいなと思いつつ、春輝はベッドに放っておいた上着を羽織った。
今日こそは……という期待が叶うような、そんな気がした。




