九話・2
「……今、デートっちゅう単語が聞こえへんかったか?」
寮の玄関口から続いているロビーの物陰でひそひそと訊ねる香取の声に、
「言った。
デートをしましょう、と」
同じく抑えた声で、皐月は肯定した。
それに対し香取は大袈裟に身を振り、嘆くように頭を抱えると、
「くおぅっ……!
ハルハルの奴、いつの間に藤條の姫さんとそないな仲になっとったんや……昔からの知り合いっちゅうのは聞いとったけど、デートするやと!?」
「少し黙れ、聞き取れなくなる」
「おぅっと、スマンスマン。
しっかし、デートやとこのナイス・エキサイティング・ガイな香取さんを差し置いて、上手いことやりおってからに。
ハルハルの裏切り者め……!」
「だから黙れ……く、兵頭が承諾した」
「そらそうやろな。
粒揃いのラベールブロンシュでも藤條の姫さんは上位クラスのべっぴんさんやし、気立てもええし、断る理由がないやろ」
「……少し承諾まで揉めていたようだが」
「ああ、そりゃハルハルが臆病風に吹かれただけやって。
サッカーやらせたらゴールキーパーと一対一の場面でパスする相手を探すタイプやで、絶対」
訳知り顔で一人頷く香取と違い、皐月は真剣に玄関口で話し込む二人の様子を窺い、言葉を拾おうと努める。
少しでも詳しい情報を集めないといけないような、妙な義務感が押し寄せていて体を動かしている。
そこへ、香取が唐突に、
「しかし倉木が出歯亀するっちゅうのも意外やな。
もしかしてジブン、密かに藤條の姫さんに惚れていたなんッボグハァ!?」
下から顎を打ち抜く掌底での一撃に悶絶する香取をさっさと見放して、倉木はウォッチングを続行。
いつものことなので、一分と掛からず復活するだろうし。
それにしても……兵頭と、藤條。
何良く話をしている二人を見ていると、胸の奥がざわついて……不思議と苛々する。
別にあの二人がデートしようが付き合おうが自分には関係ないから、むかつきを覚える理由なんてないはずなのに。
そう思っても蟠りはまるで消えず、むしろ膨らんでしまって、皐月はそれを振り払うように胸の前で拳を握り締め……
「……ぉう?」
もう復活したらしい香取が変な声をあげたので、とりあえずこの男を黙らせるのに使おうかと視線をやると、何故か似非関西弁男はキョロキョ口と辺りを見回していた。
「ど、どうした……?」
当たり所が悪すぎたのかとやや不安に思って訊ねると、香取は怪訝そうに眉を顰めて皐月へと顔を向け、
「ずっと静かやったから気付かんかったけど……」
「……何がだ?」
「いや……さっきまで一緒に覗いていた鳳凰寺、どこ行ったんやろな?」
そう言われて、皐月もようやく気が付いた。
一緒に様子を窺っていた鳳凰寺早苗が、いつの間にかいなくなっていることに。
「お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんっ!
とととっ、とっても大変な事が!
あぅあっ!?」
勢いに任せ淑女の住居である上育科寮にはしたなく走り込んだツケなのか、盛大に躓いてごろごろと転がってしまった早苗は、ぐるぐる回っておかしなことになった視界にふらつきもがらも体を起こした。
ちょっと気持ち悪いけど、痛い所は無い。
いつも不思議とダメージは少ないからいつまで経ってもドジが治らないのかもしれなかった。
遺伝、という説も強いけど。
気力を振り絞って立ち上がろうとしていると、
「まあまあ、どうしたんですか早苗さん?
色々な所がはだけて、ちょっぴり犯罪の跡っぽく見えてしまっていますよ?」
さっき視界に入った瞬間猛スピードで消えた姉が近付いてきて、とても有り難い忠告をしてくれた。
よく見ると確かに、メイド服の胸元やスカートが破れてしまったり捲れ上がってしまったりして、隠れていないといけないものが溢れ出てしまっている。
でもそれどころではないので、早苗はすっくと起立して、微笑を浮かべている姉の胸元に飛び込んだ。
「お姉ちゃん大変、大変なんですよっ!
兵頭さんが、兵頭さんがですねっ」
「兵頭さん……?
……それよりわたしの服が大変なことになっているようですけど……」
「そんなの、後回しですっ!」
掴んだ拍子にノースリーブのシャツが肩からするりと脱げ落ちておまけにフロントホックの下着が破裂したように壊れてしまっているけど、そんなことは日常茶飯事なのでどうでもいい事のはず。
それより大事なのは、さっき耳にしてしまった、
「明日、兵頭さんが藤條さんとデートするって!
私、どうすればいいんですかっ!?
よく分からないですけど兵頭さんのことが好きらしいので、ここは何かしないとまずそうな気がしたんです!」
「まあ、それは大変……では奪われる前に奪ってしまわないといけないですね。
折角同じ寮なのですし、ここは一つ今夜の内に夜這いを、」
姉の、頼りになる助言が耳に届く、その寸前……
「ちょっとその話、詳しく聞かせて頂けますこと?」
いつからそこにいたのか。
高い硬質な声に早苗が振り向けば、豪華な縦ロールの似合う同級生が、腕を組んで表情を引き吊らせていた。




