九話・1
夏休みも既に半分以上を消化したお盆過ぎ。
帰省していた生徒の中にも実家や優雅な旅行に飽きたのか寮へ戻って来るのが出始めて、従育科も地獄のような合宿の骨休みには十分な日数が過ぎた頃。
兵頭春輝は寮の玄関口で目を瞬せて、何の聞き間違いだろうと思いながらすぐ目の前にいる人物へと問いかけた。
「……悪い 今なんて言った?
どーも脳みそが夏の暑さにやられたっぽいんだ」
その発言に対し、自然な笑みを崩さずに口を開き、
「だから、デートしましょう、って言ったのよ」
再度、藤條朱音はそう言った。
……どーやらさっきも春輝の聞き違いじやなかったらしい。
余りに不自然かつ突拍子もない発言だったから、脳が『んなわけないじゃん』と認識拒否をしただけだった、と。
部屋でまったり本を読んでいたら備え付けの電話が鳴って、出てみたら朱音が、
『今、従育科の寮に来てるの。
玄関まで出て来てくれる?』
なんて言うから、てっきりまた良からぬ企てなんだとばかり思ったけど……
なるほど、そうか。
朱音の奴が、デートの申し込みを……
ゆっくりと飲み下すように事実を受け容れて、
「……で、何の罠だ、それは?」
「む、罠だなんて酷いんわ。
どうしてそんな受け取り方しか出来ないのよ」
「今までの経験がそうさせているんだ。
お前が俺をデートに誘う理由だなんて、俺を陥れるが俺以外の誰かを陥れる為か、どっちかしか考えられない」
可愛らしく抗議するような目に騙されてたまるか。
こいつが何かをしでかす時、甘い誘いか無理矢理誘い込まれるかのどちらかで被害を受けてきた少年時代が今も心に深く残っている。
うっかり乗せられた結果、泥だらけで二キロ歩く羽目になったり半裸で夜の学校を彷徨う羽目になったりしたんだ。
成長した今、そう簡単に騙されてたまるものかと、春輝は決意を固くして幼馴染みの少女を睨み付けた。
「大体、それだけの為にお前がわざわざ従育科の寮を訪ねて来るっていうのが信じられない。
何か裏があるんだろ、そうだろさぁ白状しやがれ」
「白状も何も、春輝が悪いんじゃない。
スマホを持っていてくれたらメールで済ましてたわよ。
寮内でしか使えないからって、スマホを持ってないのってラベールブロンシュで春輝くらいじゃない?」
「そう言われてみれば」
香取や壬卦は勿論、倉木の奴でさえスマホを持っている。
鳳凰寺も持っていたはずだし、オレリアが使っているのをこの前の試験の時に見た記憶もある。
そうだよなぁ、学内では所持も禁止っていう法則があるけど、寮内ではオッケーだから私用電話としての価値は十分に果たすし、外出する時は当然持ち歩くだろうしなぁ。
やっぱ持ってない自分は例外になるのか。
朱音は困ったようにため息を吐き、やや苦笑気味に頬を緩めて、
「それに、そんな大したことじゃないんだって。
明日久しぶりに街に出て遊びたいから、それに付き合って貰いたいの」
……なんか、思っていたより普通な……?
とはいえ相手は朱音だ、腹黒さではベテラン政治家並みの強敵だ。
『なんだ、その程度のことか』
と気を緩めるにはまだ早い。
けど行くだけなら、どう考えても酷いことにはならないか?
甘い考えなのかもしれないけど……こうして向かい合っている朱音の顔を見ていると、なあ。
優等生の仮面じゃなくて自分と話す時だけ覗くフツーの明るい女の子って感じが前面に押し出されているからか、そう思えてしまう。
どうしたもんかと頭を掻きながら、
「それならデートなんて紛らわしい言い方すんなよ。
遊びに行こうって言うだけで十分だろ」
「あら、年頃の男と女が二人だけで出かけるんだから、デートで間違いないでしょ?
女の子同士でもデートって言う時があるんだから、友達同士で使っても問題ないわよ」
「そんな百合色めいた世界はともかくとして……遊びたいなら上育科生を誘えばいいだろ?
もしくは俺だけじゃなくて、他の男連中にも声を掛けるとか」
「それだとわたしの気晴らしにならないじゃない。
遊ぶ時くらい、澄まし顔で丁寧に言葉を選ぶような真似なんてしたくないわよ」
そりゃ尤もだ、と春輝が心の中で頷いていると、朱音はやや不機嫌そうに眉根を寄せて、
「大体、デートだって言ってるでしょ?
他の人間を誘えだなんてデリカシーの無い発言、褒められたものじゃないわよ」
「む……確かに、そうだな」
言われてみれば確かに酷い。
女心に疎い朴念仁か相手が気に入らないから断ろうとしているプレイボーイ野郎だってもう少しマシな返しをしそうなもんだ。
素直に反省の言葉を口にすると、朱音は意外なくらいあっさりと表情から険を取り、悪戯っぽく笑った。
「分かればよろしい。
まあ、こっちにも狙いが無いわけじゃないしね。
もうすぐ誕生日だから、デートのお礼にプレゼントの一つか二つでも買って貰おうかなって」
「やっぱ裏はあるわけか」
やれやれだ。
でもまぁ、悪くないかもしれない。
春輝としてもラベールブロンシュに編入して以来、若者らしい遊びなんて全然してない。
ここで出る美味しい料理もいいけど体に悪そうなジャンクフードが恋しくなってきたし、服屋やゲーセンも覗きたい。
それを朱音と一緒にっていうのは何となく抵抗があるけど、ラベールブロンシュの他のお嬢様達と一緒をするよりはずっとマシな気もするし。
世間とはかけ離れた生活をしている彼女等が庶民のプレイスポットに顔を出したら、どんな問題化を起こすか分かったもんじゃない。
特に金髪ドリル。
代償としてプレゼントを買わなきゃいけないのだって、これで朱音の機嫌が良くなると思えば……って、なんだこの超下っ端思考は。
どれだけこいつに気を遣ってるんだ。
……まあ、ともかく。
トータルして考えれば、悪い話じゃない。
「おっけ、了解した。
んじゃ、明日はどっか行くとするか」
「うん、それじゃ十一時に正門前に集合ね。
場所は決めてあるし車の手配もこっちでしておくから、春輝は財布だけ持って来れば平気よ」
財布だけってのは何か怖いセリフだなぁ。
たかられる気配が漂っていて。
微妙な表情で頷きを返すと、朱音はふわりと微笑んで、
「それじゃ、また明日ね。
ちゃんとそれらしい格好で来なさいよ?」
少し声を弾ませてそう言うと、静かに身を翻して玄関から出て行った。
その後ろ姿を見送って……春輝はどこかむず痒い気がして首筋を搔き、ぽつりと言った。
「まるで本当にデートするみたいだな」
そうじゃない事は分かっているけど、と、胸の中で付け足して。




