一話・14
「ちょっ、ちょっとお待ちなさい!
どうして何も言わずに立ち去るんですの!?」
慌てた彼女の声に、面倒だとは思うが足を止める。
ここで無視するといつまでもあの甲高い声で騒がれるかもしれない。
それはかなり聴覚というか、脳にきそうだ。
やれやれと息を吐きたくなるが、仕方ない。
これ以上突っかかられても嫌なので、自分を睨んで濡れ衣を着せてくる彼女に言ってやることにする。
「付き合ってられないっての。
小学校からやり直すか、ミステリ小説百冊読んでからもう一遍今のセリフを吟味して己の馬鹿さ加減を理解した上で失せてくれると助かる」
「なっ……なんて口の利き方を……私を誰だと思っていますの!?」
「知らないし興味もないから。
あー、もういいからこんな所で油売ってないでどこぞへと行け。
外に出かけるところだったんだろ?」
服装とバッグからそう判断して、言ってやる。
縦ロールの彼女は用があったことを思い岀して慌ててこの場を去ると、春輝は踏んでいたのだが。
目を丸くした彼女はしばしきょとんとしていたが、やがて勝ち誇るような笑みと共に口元へ手をやり、高らかに言い放った。
「フフフッ……貴方の方こそどうしようもなく無知で出鱈目な思考回路の持ち主ですわね!
赤子に習い四つん這いで歩くことから始めるか、いっそ思考を放棄して蟻のように無心で労働に従事するがよろしくてよ!」
どうやらさっきの言葉が相当に悔しかったらしい。
それと分かる物言いだったが思わず眉を顰めてしまう。
先に自分がああ言っていたので、別に腹は立っていない。
気になるのはその内容だ。
「……お前、どっかに出かける予定があったんじゃないのか?」
「フン、そんな妄想を勝手に現実だと思い込まれるのも心外ですから特別に教えますけど、そのような予定は一切ありません。
私はただ息抜きに、ティータイムの前に散歩をしていただけですわ!」
堂々と言い切る、縦ロール。
春輝は眉間の辺りをトントンと中指で叩いた。
あの女は自分がどれだけ変なことを言っているのか自覚がないらしい。
またもや頭が痛くなるような現実を直視して、とりあえず確認を取る。
「それじゃ、あれか?
お前はただ構内を散歩するのに、ドレスを着て高級バッグを持ち歩くのか?」
「当然ですわ」
当然とまで言われた。
もう何も返せない。
価値観も常識も違う相手に何を言っても通じないのは明白で、根気よく説得して修正してやる気にもなれない。
なので、春輝は少し考えて、結論を出す。
よし、全てを見なかったことにしよう。
そう、それがいい、そうしよう。
あんなのに構うだけ人生の損になる。
自分の中で折り合いがついたので、無言で頷いてから再び歩き出し……
「ちょっと、どこへ行きますの!?
華麗なる私を侮辱したことに対する謝罪、それに己の過ちと不審者であることを認めるまでは放しませんわよ!」
再び甲高い声に呼び止められてしまった。
しかも今度はわざわざ進行方向に回り込んで来るという、かなりうざったいことまでされる。
もういい加減うんざりだった。
ただでさえ今日はストレスになるようなことばかりなのだ。
そろそろ何も考えず呑気に散策したい。
春輝は重い嘆息の後で、目を細める。
ごちゃごちゃ考えるのは面倒だ。
この際だから率直に今の気持ちを伝えてやろうと、真っ正面から高圧的な態度を取る彼女を見据えて、言い放つ。
「うるさいこの金髪ドリル。
俺に構っている暇があんならどっかの工事現場で地面相手にギュルギュル言ってろ」
「な、なっ……!?」
「俺はドリル相手に遊んでいる暇はないんで通らせて貰う。
ついでに言うと俺は従育科への転校生で不審者じゃねえ。
じゃあな」
言うだけ言って、春輝は三度歩き出した。
唖然としている金髪ドリルの横を擦り抜けるように通ると、流石に気が晴れやかになる。
しかもなんだか『いい仕事をしたなぁ、俺』って感じもする。
口にするまで思わなかったけど、あの髪型は正にドリルだ。
素晴らしいレベルでドリルだ。
よく言ったと自分を褒めてやりたくなる。
いい気分になったところで散策再開。
さて、向こう側には何があるのだろう。
これ以上厄介な奴に絡まれるくらいならさっさと職員室に行った方がいいのかもしれないが、せめて校舎を一回りするくらいは……
「……フ、フフ……」
背後から引きつった笑い声が聞こえて来たが、それは無視。
あえて逃げたり足早になったりもしない。
そんな必要はどこにもないし。
堂々と、マイペースの歩みを保つ。
「フフ……この私の……オレリア・紫苑・グランヴィルの美しき髪を……よりによって、掘削機扱い……それも、従育科の生徒なんかに……」
抑えられた音量なのに、地獄の底から発しているかのように粘り強い声。
しかもギリギリで何と言っているかを理解出来てしまい……なんというか、異様な迫力がある。
まるで背後に斧かチェーンソーを持った殺人鬼でもいるようなプレッシャーだった。
いやそんな状況に立たされたことはないが、実際になったとすれば似たような感覚に襲われるに違いない。
そう思わせるだけの気配が流れている。
見たくないが、見なければもっとヤバイ気がして、春輝は振り返った。
そこで見たのは、柳眉は吊り上がり、桜色の可憐な唇は怒りに戦慄いて、ボリュームのある金髪は今にも逆立ちそうな雾囲気の……
「……うぉ」
春輝は思わず呻いた。




