八話・18
生きたまま砂浜に一時間埋められるという得難い経験をした春輝は、もう遊ぶ気力は無くて波打ち際で休育座りをするだけだった。
もう一時間以上こうして座っているだけだけど、ちっとも気分は晴れない。
……だって、完璧に埋められた。
しかも縦に。
シュノーケルで呼吸だけが許されるという状態で。
たぶん普通の人は知らないだろう。
砂浜と言っても下は土で、硬めの土で、そこに埋められると体が冷えるということを。
じわじわと体温が奪われて、しかも掘り起こしたせいで土が柔くなって、海水が染み込んできて……目を開けることも出来なくて……波のせいか普段は感じられないくらいの地震の影響か周りの土がうねるような感覚があって……あああ、駄目だ。
もう忘れたい。
忘れられそうにないけど、消去したい。
なんっつーか、あれはもう完璧に拷問だ。
一時間、それも時々掘り返されて安否の確認とか海水掛けられたりとか色々とあったけど、それでもたった一時間でここまで消耗するなんて……恐ろしい……
とにかく、もう遊ぶ気分になんてなれなかった。
朱音が波に揺られながらゆったりと泳ぐ姿や、オレリアがパラソルの下で寝る様子を見ているだけでお腹一杯だ。
倉木はというと、暑さに耐えかねているようだけど、それでも頑張っていた。
パラソルの下以外に日陰は無いので、下手をすると熱射病になりかねない。
頃を見て朱音かオレリアに休憩の提案をすべきだろう、けど……また埋められたらっ……!
なんだか、この歳になってまた新たなトラウマが出来たらしい。
もう海水浴や砂遊びを心から楽しむことは無いんだろうなぁ。
子供に埋められるビニール人形を必死になって救出とかしてしまいそうだよ。
「はあ」
「なーにため息なんて吐いてるの」
傷心真っ最中の春輝は、かけられた声に数秒遅れで振り向いた。
そこにいるのはトラウマメイカーの朱音だ。
髪は濡れていて手足を哂す水着に身を包んでいる、昔とは違う成長した幼馴染みの姿に……また、ため息が。
「お前はきっと、一生かけて俺にトラウマを植え付けまくるんだろうな」
「や、やだなあ、そんなに気落ちしないでよ。
あれはちょっとした冗談、お茶目じゃない」
「人はな、土の中で暮らす生き物じゃないんだ地中深くのシエルターで生活をすると早死にすることになるって聞いたことがあるけど、今の俺なら理解出来る」
「……その、ごめんなさい……」
ちっともテンションを上げないので本当に悪いと思ったのか、もしくは最後に掘り返した時死んだ目で半泣きになっている姿を思い出したのか、朱音は殊勝にも謝った。
……というか、あれを見て罪悪感を覚えないなら本気で何か大事な部分が欠落してる。
オレリアのヤツも気まずそうにこっちを見ないで謝ったし。
……まあ、もう過ぎたことだ。
流石に反省して、もう埋めるようなことはしないだろ。
そう踏ん切りをつけて、春輝は体育座りから胡座に足を組み替え、朱音を見上げた。
「んで、何用だ?
腹でも空いたのか?」
「そうじゃなくて、ちょっと競争をすることになったんだけどね。
春輝も参加する?」
「競争?
何の?」
種目が分からないまま、春輝は辺りを見回す。
制服姿の倉木は相変わらず我慢大会参加中みたいな顔で立っていて、パラソルの下で寝ていたはずのオレリアは……波打ち際で準備体操をしていた。
「遠泳って言うには短いかな。
沖にあるブイまで二百メートルちょっとあるらしいから、もちろんそれをタッチして戻ってくるの。
勿論、速かった人が勝ちね」
「ふぅん……倉木は参加しないのか?」
「しないって。
まあ、制服を脱ぐ気が無いらしいから仕方ないかな」
「いや、どうかな」
正直、服を着ているという厄介なハンデがあっても、まともに競えばぶっちぎりで倉木の勝ちだ。
あいつの身体能力は並外れているし、泳ぎっぷりも授業で知っているので、春輝には簡単に予測出来る。
熱射病になりそうな状態で泳ぐことを危惧した……っていうのが拒否理由じゃなければ、倉木が参加しない理由は明白だ。
それでもって、春輝も同じ理由で参加する気にはなれない。
「俺もパス。
お前等二人で雌雄を決しろよ」
「む、どうして?
わたしもグランヴィルさんも、そこいらの男子には負けないくらい泳げるのに。
もしかして、負けるのが怖い?」
「いんや、逆。
勝っても嬉しくないからやらないんだよ。
これでも従育科で二ケ月近く鍛えられてんだ、短距離でプールならともかく、波のある海で百メートル以上の距離で負けるかよ」
「……凄い自信ねー」
不満そうな朱音の声に、春輝は「まあな」と軽く返す。
そう、従育科で揉まれ続けたこの二ケ月間、何度も死にそうな目に遭っただけのことはあって、それなりに体の動かし方を覚えたし体力もついた。
だから、今更だ。
朱音やオレリアと遠泳勝負をしたって結果は見えているし、どちらかというと二人がやり合うのを見ている方が面白そうだし。
そんなわけで、春輝は軽く手を振って、
「ま、精々頑張れ?
俺の暫定ご主人様は、知能勝負ならともかく体力勝負にはかなり強そうだぜ?」
「ふふっ、了解。
なら、わたしが頭でっかちな策士タイプじゃないってことを明してみせるからね」
勝利宣言にも似た言葉を残し、朱音はオレリアのいる波打ち際へと歩いて行く。
その後ろ姿を見ていると正直、ちょっとテンションが上がる。
海っていいなあ、って感覚が戻ってくる。
そうだ、海は暗くて怖いところじゃないんだった。
トラウマを与えた当人に癒されるって言うのはかなり器だけど、おかげで少し気力は戻った。
なので春輝は、砂浜に足で線を引いてスタート準備をしている二人を横目に、ちょっととふらふらになっている倉木の元へ向かった。
気温はたぶん三十度半ばはある。
その中で制服姿でいるのは倉木といえどもかなり辛いだろうけど、日陰に行けって言っても聞くようなヤツじゃないっていうのも分かっている。
これでもルームメイトだし。
なので、どこか焦点の合わない目をしている倉木の肩をポンと叩いて、ゆっくりとこっちを向いたところで、
「悪い、今からあの二人が競争するっていうから、ロッジに戻って何か飲み物作って貰ってきてくれないか?
なるべく吸収のいいヤツがいいな」
「飲み、もの?」
「そうそう、飲み物。
あとはタオルな」
「しかし、試験中で……監視」
こんなにふらついているのに倉木はやっぱり頑なだった。
まあ、これくらいは予測済み。
どう丸め込めばいいかは分かっている。
「俺が二人まとめて見ておくから、頼む」
倉木には素直に頼み込むのが一番良い。
真面目なだけで偏屈ってわけじゃないから、それなりに聞き分けてくれる。
それにいい加減体の方は限界が近いだろうし、喉も渇いているはずだ。
冷房及び冷たい水の誘惑には抗いがたいだろう。
そして思怒通り、倉木はしばし迷ってから「……分かった」と頷いてくれた。
ロッジへと向かう足取りがややふらついているのが心配だけどまあ、平気だろ。
歩いて五分程度だし。
むこうに着いたら、あの使用人のことだから、ちゃんと倉木にも水分補給をさせてくれるはずだ。
あとは帽子か何か貸してくれれば完璧。
無かった場合、持って来て貰う予定のタオルを頭に、巻かせよう。
見た目は悪いけど直射日光を食らうよりはマシのはずだし。
よし、いい仕事した。
と春輝は満足げに頷いた。
あとは、朱音とオレリアの競争がどうなっているか。
もうスタートしたんだろーかと、振り向くと……




