八話・12
オレリア・紫苑・グランヴィルは、かつて無い程の後悔に襲われていた。
そう、初めはちょっとした仕返しのつもりだつた。
普段から兵頭春輝の態度は目に余るものがあったし、人の髪型を言うに事欠いて掘削機扱いをするという暴挙を繰り返すし、一度とっちめてやろうと思っていたのだ。
そして……従育科試験の案内が来た。
これだ、と思った。
二泊三日で自宅に招かなければならないのは甚だ不本意ではあるけれど、拘束している間はいくらでも言うことが聞かせられるに違いない。
普段は生意気な兵頭春輝は、一方で妙に義理堅いところがある。
試験という形であれど主従関係を結ぶことになれば、その間はちゃんと従者らしい態度を取るはずだ。
嫌々だろうがやるはずだ。
まさか、今回の試験内容がただの見学だなんて。
当日になっても気付かず、知った時のショックときたら、ピサの斜塔の屋上にいたら建物が急速回転し始めて遠心力で吹っ飛ばされたような気分だった。
おまけに前回の敗戦から学んで勉強し直したチェスでも勝てず、あろう事かお父様まで参戦したのに返り討ちに遭わされてしまい……
だから兵頭春輝がワインに過剰反応をしているのを見て、むらむらとオレリアの胸の内に火が点いたのだ。
一発で気が付いた。
この男はアルコールに弱いか、飲んだことが無いかのどちらかだと。
なら、きっと飲ませれば面白いことになるに違いない。
いつも生意気なこの庶民があられもない醜態を晒すところを見ることが出来るかもしれないし、どうしても飲めないという情けない懇願を聞くことが出来るかもしれない……!
もうそう考えただけでウキウキして、オレリアは確信を持って春輝を挑発したのだ。
見事それに応じた春輝はグラスを僅かに傾けて、少しだけワインを口にした。
高級なビンテージワインである九十年物のシャトー・ラトゥールは芳醇な味わいとまろやかでほんのりとした甘さがあって、それを愉しむというのならその飲み方で間違いはない。
ただ、勢いをつけるような発言をした割に意気地のない飲み方で、しかもすぐに顔が赤くなった。
やっぱりアルコールに弱いんだと、それを知っただけで一つ弱味を握ることが出来たような気になって、オレリアは上機嫌でワインを飲んで……
そして現在、極度の緊張状態の中、春輝の横で身を固くしてソファに座っていた。
そりゃあもう驚きだった。
ちびちびとワインを飲んでいた春輝が、不意にぐっと呷ってグラスの中身を空にしたかと思ったら、大きな声で笑い始めた。
それだけでも目を丸くするには十分なのに、据わった目をしながらブツブツと何やら呟きだしたとなればもうアウトだ。
どこをどう見てもアウトだ。
まずいですわ、今の兵頭春輝に関わってはいけませんわね。
と即座に判断したオレリアはそっと持っていたワイングラスをテーブルに置いて、そろりそろりと春輝の側から離れ……
「おい、オレリア」
今まで聞いたことの無い低く抑えられた声に、思わずオレリアの足が止まった。
強烈な磁力に引かれるように振り返ると、ソファにどっかりと腰掛けて足を組んだ兵頭春輝が、いつもの数倍凶悪な目つきでこっちを見据えていた。
着ているのが従育科制服だからか、とんでもなく悪っぽくて怠惰な雰囲気が漂っているのに、やたらと鋭い棘のような眼光を放っていてどう考えても真っ当に相手をしてはいけない。
あんなヤクザな目をする男からは一刻も早く離れなければ。
そう、ここは脱兎の如く、一瞬の躊躇も見せずに……
「ちょっとこっち来いよ、おい」
「嫌ですわよっ」
「あぁ?」
きらりと鈍く光る細められた双眸に、一気に増す不機嫌オーラ。
それに呑まれてはいけないと、オレリアはキュッと胸元で右手を握り締め、
「わ、私はっ……」
「いいから来いってんだよ。
仲良くお喋りするだけ、だろ?」
「……」
有無を言わさないとはこのことか。
どれだけ反論しようと拒否の意思を伝えようと、聞く耳を持たずざっくり切り捨てられる。
……というより、酔っていて何が何だか分かってない?
ともあれ、酔っ払い独特の威圧感にオレリアは押されてしまっていた。
助けを求めようと、ちらりと横目で敬愛している父親と年の近い使用人を見てみれば、
「……おおっ、そういえば明日は朝一で大事な商談があったんだよそうだ忘れていたハハハもうそろそろ眠るとしようかな!」
「まあ旦那様それは大変でございますね一秒も無駄にすることは出来ませんお休み下さいませ今すぐ床の用意を致しますので!」
早口でそんなことを言い合いながら、そそくさと応接室から出て行った。
……これは、つまり……見捨てられた……?
信頼していた二人に大人の処世術と言うべさ身代わりの早さで逃げられて、愕然としていたオレリアに再度かけられた春輝の声に抗うだけの気力はなく、言われるがままにソファの隣に座る羽目になった。
ということで、大ピンチ。
酔った兵頭春輝は大胆にこちらの肩に腕を回してきて、腹立たしいことこの上ない……けど、ここは我慢するしかない。
最早助けは無く、自力でここから脱するには腕力面で心細い。
不幸中の幸いといえるのは、既にワインは空っぽということ。
自分と父で殆ど飲んだ結果、これ以上春輝がアルコールパワーを带びるということはなくなった。
なら後は酔ったまま眠るか酔いが醒めるのを待つだけだ。
今は屈辱に耐える時ですわ。
そう自分に言い聞かせ、とんでもなく居心他が悪いのを我慢して、オレリアはじっと春輝の横に座っていた。
とはいえじろじろと遠慮無く舐めるような視線にすぐに限界が訪れてしまって、耐えきれずに口を開いてしまう。




