八話・8
「ふむ……それはもう無理そうだよ、オレリア」
突然聞こえてきた第三者の声に、思わず背筋を硬くして振り向いた。
いつの間に部屋に入って来たのか、チェス盤を遠目から覗き込むようにして立っている人物がいた。
さらりとした金髪を横に流した碧眼の男性で、彫りの深いハンサムって単語が似合う容貌といい背の高さといい、ファッション誌から出てきたような美形形だった。
着ているのも一目でブランド物だと分かる上質なグレーのスーツで、上着は脱いで腕に掛けている。
これはもしかして、と春輝が思った瞬間、驚いたようなオレリアの声が聞こえてきた。
「お父様っ!?
どうして、今日はこちらには戻らないと聞いてましたのに!」
「ハハ、少し驚かせたくてね。
予定より遅くなってしまったが、無事今日中に愛しい娘の元気な姿を見ることが出来たんだ、良しとしようか」
やっぱり、オレリアの父親だった。
そうだろうとは思ったけど、まだ三十路前と言われたらうっかり信じてしまいそうなくらい若々しいから、正直かなり驚いた。
……まあ、驚いたと言えば二人の交わしている会話の方が驚きだけど。
ナチュラルに金髪碧眼の二人が、ふつーに日本語で話すって。
とんでもなく違和感ありまくりの光景だ。
「ゴールデンウィーク以来ですわね……お父様の方こそ元気そうで何よりですわ」
「そうかな?
最近はジムに行っている時間が無くて、少し体型が気になっていたんだけどね。
無様だと罵られる心配もしていたけど、どうかな?」
「そんな心配、無用ですわ。
相変わらず素敵ですわよ」
「そう言って貰えると安心するよ。
……しかしオレリアも益々大人っぽくなって、ママに似て綺麗だよ」
「フフッ、元からですわ。
お父様とお母様の娘ですもの」
……いや本当に、なんだこの会話……
これが、あれか。
英国貴族のありふれた家族会話なのか。
互いに褒め合って、しかも自分が褒められるのも当然って感じで。
あらいやだわそんな事実を今更、って勢いで。
ついていけないにも程があるぞ。
しかもなんだ、再会を喜び合って、ハグして、頬にキスして、髪を撫でて……どこの映画に出てくる新婚夫婦だ貴様等ってくらいラブラブだよ。
そしてそれを間近で見せつけられて、こっちはどうすりゃいいんだよ。
居たたまれないあまり自分はいらない子なんだろーかと春輝がブルーに入り始めた時、一通り親子の愛情儀式が終わったのか、娘の肩を抱いたまま父親がこちらを向いた。
「それで、オレリア。
こちらの彼を紹介してくれないかい?」
「お父様が知る程の価値は無いと思いますけど一応はラベールブロンシュの生徒ですし、これも縁ということでしょうし、仕方ありませんわね」
いやそこまで言われるくらいならスルーで結構なんだけど。
「一年従育科の兵頭春輝、ですわ。
見ての通り粗野な庶民すけど、少しばかり手違いがあって従育科試験で彼のパートナーになって家に招待する羽目になりましたの」
「……紹介の通り、なんだか思い込みと勘違いの果てにここへ招待されることになった兵頭春輝っす。
二日間、ここにお世話になります」
言いたいことは色々あるけど、世話になるのは確定なのでちゃんと頭を下げておく。
ただでさえ変な紹介をされている上に、こっちは茶髪で耳に安全ピンなんて刺した似非パンクロッカーの執事仕立て風だ。
多少礼儀を知っていることはアピールしておかないと。
そんな春輝の思惑を知ってか知らずか、オレリア父はうんうんと頷き、
「私はゲイリー・グランヴィルだ。
ここの家主でオレリアの父親で……まあ、学生さん相手ならこの紹介で十分かな。
事業の話をすると小難しくなるし、貴族の嫡男とはいえ家督はまだ譲られていないしね」
「はあ……」
「ハハ、まあ細かいことは良しとしよう。
春輝君、だったね。
従育科ということだけれど、私にとっては娘の学友という点に変わりはないよ。
短い間とはいえ、寛いでくれるといい」
「……それは……ええと、どうもありがとうございます」
あんまりフランクに接してくれるもんだから、春輝は戸惑ってしまって礼の言葉もすぐに出て来なかった。
あのオレリアの親だから、もっと態度がでかくて騒がしい人なのかと思ったら……大人だ。
そうか、これが英国紳士か。
本場産の紳士ってヤツなのか。
めっさ日本語で喋っているけど、これがジェントルマンって生き物なのか。
爽やかな笑顔を浮かべている紳士の横で、何やら納得がいかないように少しむくれているドリルの態度も気にならない。
こんな立派な父親がいるんだ、いつかこいつも更生するに違いない。
「ところでオレリア、春輝君とチェスをしていたけど……戦績はどうなのかな?」
「うくっ……その、今夜は少し、調子が悪くて……」
「ふーむ……つまり、全敗しているのかい?」
「……そうとも言いますわね」
むしろそうとしか言わないが、悔しげかつ気まずそうなオレリアの顔を見てしまうと突っ込みづらい。
大人しく春輝が成り行きを見守っていると、オレリア父は「なるほど」と呟いた。
そしてジェントルマンパワーが溢れんばかりの笑みをこちらへと向けて、
「春輝君、どうだろう。
私と一戦交えてみないかい?」
「……え?」
「お父様?!
お疲れでしょうに、こんな男の相手などしなくてもっ」
「いやいや、オレリアにチェスを教えたのは私だからね。
弟子が手も足も出ないとなれば、師匠が相手をしなければ」
そう言って オレリア父はやんわりと娘の用に肩を置き、
「それに娘の前で少しばかり恪好の良いところを見せたい。
そんな親心もあってね。
どうかな、春輝君、相手をして貰えないだろうか?」
「分かりました、受けます」
紳士然とした言葉でそこまで言われれば、春輝にだって断る理由はない。
実はもう眠気でふわついているけど、長考さえしなければ一ゲーム五分少々で終わることもあるし、長くても十分で決着はつくはずだ。
それくらいなら何の問題もない。
それに、英国紳士とチェスをするっていうのがちょっとわくわくする。
こんなシチュエーション、たぶん二度と無いだろうし。
いい思い出になりそうだな……と胸中で呟いて、春輝は教えを請うつもりで頭を下げた。
「満足に相手を務められるか分からないですけど、よろしくお願いします」
「ハハ、そんなに畏まらなくてもいいよ。
ただのゲームなんだから。
おっと、だからといって手を抜くつもりは無いけどね。
勝負は正々堂々、君も全力でかかっておいで」
聞きようによっては鼻につく内容なのに不思議と嫌味のないオレリア父の言葉に、春輝は素直に「分かりました」と頷いた。
元より勝てるとは思っていないけど、胸を借りるつもりで。
後でオレリアにどれだけ父親自慢されるのか分からないのは少し嫌だが、まあ仕方がない。
これで明日以降、機嫌が良くなると思えばプラス要素の方が強いし。
なんだ、良いこと尽くめじゃないかと春輝は気を楽にして、チェス盤の前に座り直して駒の配置を整え始めた。




