八話・6
「さ、いつまでも門前にいるなんて馬鹿なことをしていないで、さっさと中に入りますわよ」
「……おうよ」
軽いショックを受けつつ春輝が荷物を持ち直すと、オレリアは門柱のインターホンを押した。
それから数秒と待たずに三メートル近い門が自動で横に滑り、行く手を開けてくれる。
堂々とした足取りで玄関口へと歩くオレリアの後を、春輝はキョロキョロと辺りを見回しながら続いた。
田舎者っぽい挙動だとは自分でも思うけど、気になるものは気になるんだから仕方ないと自己弁護。
門から歩いて三十秒弱で玄関に着くと、今度は何も合図をしてないのにドアが内側から開いて……
「お帰りなさいませ、お嬢様っ」
中から現れた女性は嬉しそうにそう言うと、深々とお辞儀をした。
涼しげな空色のワンピースの上から腰に巻くタイプのエプロンをしているし、高確率でグランヴィル家の使用人なんだろう。
まだ二十半ばくらいに見えるけど、ダークブラウンのミディアムヘアにパッチリとした鳶色の目で、オレリアと同じく日本人らしく無い容姿だった。
なのに言葉はイントネーションも完壁な日本語だから、酷く違和感がある。
これがモノホンのメイドなのかと思うと少し感慨深くて、春輝はほうと息を吐いた。
いや深閑とかハーティとか食堂で雇っている人とか、メイドさんはたくさん見ていたはずなんだけど、彼女等に比べると超人的な職業変態パワーが足りなくて、なんだか安心……
「お久しぶりでございますね、お嬢様。
それで、こちらの方が、お嬢様のいい人ですね!」
「久しぶりでこのようなことを言うのはどうかと思いますけど、相変わらず頭の中が茹だっているようですわね、アンナ」
「ええー、酷いですよお嬢様。
ご友人すら連れて来られたことのないお嬢様が殿方を伴っての帰宅となれば、誰だってそれくらい……」
「思いませんわよっ!
ああもうっ、さっさと行きますわよ兵頭春輝!」
肩を怒らせて家の中に入って行くオレリアに対し、メイドさんはすっ、と横に身を寄せて道を譲る。
ただし表情は『ええー』って感じで不満げだけど。
春輝もオレリアに置いてきぼりを食らわないようついて行きつつ胸中で小さく、頷いた。
うん、この使用人も立派に変人だ。
使用人っぽくない、普通の若くて弾けた女の人っぽいという意味で。
やっぱストレスの多い職業だから人格に影響が出るのかなぁ、としみじみ思いながら揺れるドリルヘアーを追いかけると、その背中から声が聞こえてきた。
「この家で使っている使用人は五人だけですわ。
内一人は、お父様の私設秘書も兼ねているんですの。
ですから常駐しているのは四人。
ヘルプで雇う場合もありますけど、この程度の邸宅なら妥当な使用人数のはずですわよ」
「いや妥当とか言われても俺には分からないけど……お前の世話役はいないのか?
侍女ってやつは」
「居ませんわよ。
いえ、昔は居ましたけど、ラベールブロンシュは中等部から寮に入らねばなりませんもの。
たまにしか帰って来ないというのに、侍女がいる必要性なんてありまして?」
「あー……確かにそうだな」
納得していると、オレリアはさっさと二階へ移動する。
途中、大人が隠れられそうなサイズの水瓶とか壁に掛けられているアニメタッチの絵があったりして、どういう趣味で集めたんだと興味を惹かれながら春輝も続く。
そして階段を上ってすぐ右手にあった部屋の前でオレリアがくるりと体ごと振り返り、
「ここが私の部屋ですわ。
とりあえず荷物を」
「あいよ。
……で、俺はどこに寝ればいいんだ?
出来れば外と廊下以外がいいんだが」
バックとトランクを一つずつ置いて訊ねると、
「奥の部屋三つが客間になっていますわ。
どれでも好きな部屋を使いなさいな」
「おっけ、そうする」
リビングのソファとか物置とかその手の嫌がらせな答えがくるかと思ったけど、意外に人間らしい扱いだ。
これが朱音なら平然と犬小屋を用意してる。
そりゃもう確実に。
オレリアはそこまで悪い方向に気が利くタイプじゃないらしくて、一安心だ。
三日も付き合わなきゃいけないので、それはとても助かる。
ただそうなると、今後の予定がちょっと気になる。
「……とりあえず荷物を置くとして。
その後はどうすんだ?
親に挨拶か?」
「お父様は多忙で今夜は戻りませんし、お母様は来月までスペインですわ。
なので挨拶は要りませんわ。
私は今からシャワーで汗を流して、少し横になりますわよ」
「んじゃ、俺も顔洗って……あと、タオル貸してもらえるか?」
汗を掻いているのはこっちも同様というか、むしろ暑苦しい服装の自分の方が深刻に汗だくになっている。
風呂はまあ夜まで我慢するとして、タオルで水拭きして着替えるくらいはしておきたい。
泊まるんだし他所の家なので遠慮気味な要求をした春輝は……怪訝に、眉を顰めることになった。
どういうわけだかオレリアは底意地の悪い笑みを浮かべていて、自慢の縦ロールを撫でるようにして後ろに流した。
勝者の余裕を感じさせる仕草で、見ていて嫌な予感がする。
……ただ、嫌な予感とはいっても、これは……
「フ……フフッ……」
堪えきれないという感じで笑い始めたドリルを見て、予感が確信にクラスチェンジ。
あーなんだろうこれは。
寒い漫談のオチが冒頭三十秒で分かってしまったような……展開が分かっているのがとてもとても切ないというか……
まあとりあえず、少し可哀相な子の相手をする気持ちでオレリアに訊いてみた。
「……何がそんなにおかしいんだ?」
「決まっているじゃありませんの!
わざわざ勝者権限を使ってまで手に入れた栄光の時間、優越感に浸れる時が来ましたのよっ!」
「……まあうん、聞こうじゃないか。
どういうことだ?」
わざとらしい大人の態度に、ここで『あれ? なんだか様子がおかしいな?』と思うのが普通なんだろう。
しかし相手は暴走ドリル、普通とはかけ離れた存在だ。
もう世界を獲ったと言わんばかりの笑顔で、
「これからラベールブロンシュに来たことを心の底から後悔するに間違いない、最高の地獄が待っているんですのよ!
そうですわね、とりあえず駅前で売っていた山葵漬けを計十キロ程買って来なさい。
勿論徒歩でですわよ!
それが終わったら海岸でゴミ拾いでもして貰いますわ。
それからそれから、その次は……」
「あー、やっぱりそんなことを企んでいた訳か」
「当然ですわっ!
今まで私が味あわされてきた恥辱と屈辱の数々、ここで千倍返しにして差し上げましてよ!」
堂々と最悪なことを言ってくれるオレリアだけど、春輝はそれに怒りを感じない。
むしろ哀れで、泣きそうになる。
こいつはなんて駄目な子なんだろう、と。
そっと涙を拭う仕種をしてそれから春輝はポンとオレリアの肩に手を置いて、彼女の目を真っ直ぐに見る。
「お前の言いたいことは分かった。
とてもよく分かった、けどな、オレリア」
「あら、なんですの?
命乞いには早くてよ?」
「……今回の試験で俺がやる義務があるのは、お前の供だ。
要は無事お前を送り届けたら、後は目の届く範囲にいるだけでいいんだ」
「……ぇ?」
それはとても小さな声で、どれだけ意外だったのかが分かる。
呆然と見開かれた目と金魚のようにパクパク開閉する口で、どれだけショックなのかも分かる。
それでも春輝は、残酷な事実を告げないといけなかった。
「お前のことだからろくに説明を読まなかったんだろうが……今回の試験は、現場視察に近いんだ。
俺や他の従育科生は、現役の使用人がどんな風に主人に接して、どれくらいの仕事をこなしているのかを見聞きするのが本当の目的なんだよ」
「……そ、それは、つまりっ……」
「ああ。
だからパートナーの我が儘を全部聞かなきゃいけない、なんて縛りは、どこにもないんだ」
配られた試験要項をちゃんと読んでいれば当然分かっているはずのことなのに、茫然自失となったオレリアには寝耳に水らしかった。
こいつたぶん勘違いしてるんだろうなぁ、と途中から勘付いていた春輝も、ガックリと崩れ落ちるように膝を着く姿を見ると複雑極まりない気分になる。
奴隷の如くやりたい放題に出来なくなるのがそんなに残念なのかと思うと、やっぱ同情は出来ないし。
廊下にペタンと座り込んだまま、オレリアは床に視線を落として、
「そんな……それでは、私は……何の為に、大事な勝者権限を使って……」
「いや何度も言うけど、正確にはお前勝ってないからな?」
「……嘘……こんな、詐欺みたいな……有り得ませんわ……」
……何だかヤバイ薬がキマってしまった人みたいになってしまった。
この惨状に、春輝はため息を吐きながら対処を考える。
もうこれはすぐ元通りにはならないだろうから、下で出迎えてくれたアンナって呼ばれていた使用人を呼んで部屋の中へ運んで貰うか。
下手に触って錯乱されても困るし。
「……うし、それでいいか」
方針が固ったところで頷いて、自分の凡ミスで甲子園出場が手の中から逃げていった野球部員みたいに打ち拉がれているオレリアを尻目に階段を降りる。
どう説明したもんかと悩みながら、春輝は階上にいるうっかりドリルの顔を脳裏に浮かべ……改めて、思つた。
ちょっとでも好かれているのかもと勘違いしたあの時の自分を、全力で殴ってやりたい。
「……まあ、所詮はモテない男の幻想だよなあ……」
しみじみと呟いてから、春輝はエプロンを着けたワンピースの女性を捜して広い屋内を歩き始めた。




